深爪エリマキトカゲ
2021-01-02T10:52:41+09:00
chee-choff
ううむ。
Excite Blog
ここ数年の「ゆくくる」は
http://cheechoff.exblog.jp/28380425/
2021-01-02T10:52:00+09:00
2021-01-02T10:52:41+09:00
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chee-choff
書くこと
https://cheechoff.hatenadiary.jp/
今年もちょこちょこ書いています。
よければ、どうぞ。
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ゆくとしくるとし('16→'17)
http://cheechoff.exblog.jp/23751992/
2016-12-31T15:52:00+09:00
2016-12-31T22:56:41+09:00
2016-12-31T15:52:03+09:00
chee-choff
その他
今年はあまり書くことがありません。
書く気が起きない、です。
その理由を、書く気を起こさないように書いてみましょう。
難しいですが。
× × ×
6年半勤めた研究所を、第三四半期末に退職しました。
会社を離れるとその記憶も急速に薄れ、今では遠い過去のことです。
辞める一歩を踏み出した時のことをこのように↓書いていました。
お遍路天狗のデタッチメント 2016-08-10 粛々と一歩
今は仕事はしていません。
× × ×
待つことにしたのでした。
今までは言わずとそうしていましたが、今ははっきりとそう意識しています。
何を待つという言い方はそぐわない。
待つとは、聴くことでもあります。
気持ちを鎮めて、淡々とした表情で、何を見るでもなく、でも目は閉じず。
自分の中の湖に、波紋を立てず、月がそのまま映り込むように。
働いていた頃は、波紋の分析をしていました。
当たり前に風が吹き、当たり前に地が揺れ、当たり前に水面が揺れていたからです。
でも湖が静かになると、分析する必要がなくなりました。
すると意外なことに、前よりも、想像が生活に対して身近に感じられるようになりました。
× × ×
無為、ということについて考えています。
たぶん無為であるときは、そうでないときと時間の流れ方が違います。
そしてその時間は、そのときにしか流れない。
× × ×
時計を見ない生活をしています。
目覚ましはスヌーズ付きでかけますが、時計は手前にぱたりと倒れています。
決まった用がなければ、その日一日時間を見ることはありません。
× × ×
書けることそのものの楽しみ、に区切りがついたのだと思います。
何かを書けることは、ただそれだけで素晴らしいこと、だった。
それだけ上達したのでもなく、飽きたのでもなく、ただ離れられると思った。
静かでいたくて、言葉ともそれに合うように触れていたい。
僕が文章を書く動機が、このように変わったのかもしれません。
波風が立たないように、読み、ときどき書く。
× × ×
来年の春かその前に、一本歯(天狗下駄)で四国遍路に行きます。
今はそれに向けた生活をしています。
何が起きるかはわかりません。
自分がどうなるかもわかりません。
ただ、帰ってはくるでしょう。
それが始まりかもしれないし、通過点かもしれません。
わかっていることはほんとうに、何もありません。
× × × × × ×
今日も例年どおりはちまんさんへ行ってきます。
では今年はこれにて。
みなさまどうぞよいお年を。
chee-choff
× × ×
紅白見ました。
心持ちが変わって見方も変わりました。
椎名林檎だけ別世界でしたね。
何の服喪でしょうか。]]>
大切にしたいものは何?
http://cheechoff.exblog.jp/23496727/
2016-09-18T18:17:00+09:00
2016-09-18T18:17:18+09:00
2016-09-18T18:17:18+09:00
chee-choff
思考
わたしの哲学の流儀は、自分で問題をつくって自分で答えをだすということなんです。哲学は自問自答するものだと思うんですね。今日、だした問題と答えをおぼえていて、また、次の機会にもう1回答えをだす。そうしながら、一生がすぎていく。そういう考え方なんですね。(…)自分で問題をつくる。そして、自分で答えをだす。どのくらい答えをだすか。どうも答えが決まらない場合は、その問題をもちこす。この、もちこす、ということがとても大切だと思うんです。もちこす、ということが習慣になり、癖になることを望みます。わたしは、そうしています。 p.11-12 たとえば、「どうして自分は生きているのかな」。こういう問いが、「親問題」[もともと、自分がとりくんでいる基の問題のこと、自分がくらしているとでてくる問題のこと]なんです。すると、「そんなことを考えると気がめいるから、今夜はマンガでも読んで寝ようか」ということを考えるでしょう。これは、「親問題」から派生してでてくる「子問題」なんです。「なぜ生きているのか」。こうした「親問題」というのは、だいたい解決することができないんですが、その問いは、ふとしたときに、何回もあらわれてくるんですね。 p.12-13
「なぜ生きているのか」
この問いに対して、今は納得のいく答えを持っているし、「その答えはその都度変わっていくものだ」と思っている。
でも、今持っているその答えが、自分を冷静にする、心を平らかにすることはあっても、生きる意欲の推進力となるかといえば、そうとも言い切れない。
納得すればよいというものではない。
変化したい時に妙に落ち着いていると、そういう冷静な自分に呆れてしまう。
腹が立つというのではない、冷静なのだから、「自分はこういう人間なんだよなあ」という、諦めの混ざった呆れ。
また、自分の中で哲学的に重要な事柄について言葉にすることは、その文字にした言葉が自分を縛るかもしれない、という恐れを感じてもいる。
感覚や感情、あるいは考えていることでも、言葉にすることで、言葉になった以外のものは削げ落ち、捨てられる。
それが単純にもったいないという気持ち、それから、いま急いで言葉にせずに熟成されるのを待っていれば、いずれはちゃんとした、つまり言葉にする前の感覚に沿った言葉にできるかもしれない、という気持ちもある。
逆に言えば、急いで言葉にして、それが口から出任せで本来思っていたことと違っていて、それでも「自分はこう考えていたんだ」と納得してしまう、つまり言葉にする前と後とで自分の気持ちや考えが別のものになってしまう、という、これが上に書いた恐れのこと。
一方で変化したい気持ちがあって、その他方で気持ちや考えが別のものになる、変化することを恐れる気持ちがある。
変化したいという気持ちは、口先だけのものなのか?
あるいは、もう少し複雑に考えれば、「変化することは大切だ」という考えを肯定することで自分は時機に応じて変化していると見せかけているだけで、実は変わりたくないと思っているのか?
「変化することは大切だが、僕の変化は受動的に訪れるものだ」と今の自分は思っている。
どういう行動が受動的で、どういう行動が積極的なのか、その違いがこの考えにおいて重要な点で、きっかけがあって何かを始めるという流れが自分には合っている、一方で、何かやりたいことが最初にあるという状況を自分は想定できない。
厳密に考えれば「何かやりたいことが最初にある状況」はあり得なくて、人がそう思っている場合は、その人がそれをやりたいと思うきっかけに気付いていないか忘れているか、だと思う。
でも、そのことを主体的に行動すると呼ぶとして、きっと、主体的に行動することで生まれる心の躍動は、きっかけがあるかどうかに過度にこだわるよりは大きい。
きっかけは後から気づくものでもあるけれど、運命を感じるみたいに、それが一つのいい形なのかもしれない。
「大切にしたいものは何か?」
この問いは、自分にとってとても重い。
そう問うたことがあったかと過去を振り返ると、少なくとも思い出せないという意味で、社会人になってから数年経つまでは、一度もなかった。
それが、問う必要がなかったからだとすれば、幸せなことかもしれない。
でも、苦しいことがあってこそ楽しいことを心から楽しめるように、不幸あっての幸福だとすれば、それは幸福でも不幸でもないことだ。
苦しみを、不幸を、その因子を先回りで除去する賢い生き方は、楽しみを、幸福を引き立てない。
僕はそのような先回りの、先読みの生き方を上手く学び、それが生きていくことだと留保なしで実行し続けてきたような気がする。
そして、社会人になって数年後に、それは面白くないんじゃないかという考えを得て、その考えを維持したままさらに数年過ごし、今に至るのでないか。
今の自分が思っている「大切にしたいもの」は、自分の身体、身体感覚、感受性だ。
必ずしも健康の維持と同じではない。
一つの見方として、自分は空っぽだと思っている。
自分がやりたいことが、よく分からない。
何かをしていれば、誰かと一緒にいれば、それら周りの人ものの影響を受けて自分がその場でやりたいことが見える。
それがその場だけのことでなく、長い間持続することもある。
でも持続するのは、自分に影響を与えた人ものが、自分から離れていても影響を与え続けているからだ。
その影響がなくなれば、自分がやりたいことはなくなる。
つい最近まで、自分に影響を与える人ものが常に自分の周りにいたから、自分が空っぽだと思うことはなかった。
そしてそれらの人ものがいなくなって、自分が空っぽだと気づいた。
このことについては、気づいてしまったことを、なかったことにしたくない。
他人がいてこそ生きる意味がある、生きる意欲がわいてくると思っている。
上に書いた、自分がやりたいこととして、全くないわけではない。
本を読みたいし、今こうしているように、いろんなことをゆっくり考えたい。
この、今自分がやりたいことは、直接的に他人とは結びつかない。
本は人が書いたもので、その本を読むことで書いた人と言葉を介して繋がる、これも他人との結びつきに違いはないが、間接的である。
自分一人で、自分のことや、社会のことを考える、この考えることも、考える内容は他人との関わりについてのことだが、考える行為自体は具体的な他人と結びつかない。
他人との直接的な結びつき、挨拶や会話をはじめとするコミュニケーション、他人と行動を共にすることなど、は今の自分も望ましいことだと思っている。
でも、今自分がやりたいことの中に、それらは含まれていない。
ずっと一人でいたいと思っているわけでもない。
しばらく一人でいたいのか聞かれれば、いや、どちらでもよいと答える。
ただ、自分の感受性を鈍らせる人と一緒にいたくない。
正確に言うと、個人の感受性を鈍らせることで集団の目的が遂行される場にいたくない。
そういう場には自然とそういう人が集まってくるからだ。
そして、会社とはそういう場所なのだという諦めが、自分の経験から今の自分に刻まれている。
そんなの会社によって色々あるだろう、と頭では分かっていても。
そういう場からいったん距離をおきたい。
そして、そうでない場、自分がいたいと思える場、身体の感度を高めて周囲と相互作用することで仕事が進んだり関係が円滑になる場を選びたい。
そういう場をちゃんと選べるように身体の感度を高めておきたい。
これが、今自分がなりたい状態と近い将来にやりたいことで、今自分がやっていること、今やりたいこととこれがちゃんと繋がっているかどうか。
それをしっかり考えて、今を過ごしたい。
+*+*+*
今は神奈川で有休消化をしており、「やりたくないことをやらない」を念頭に気ままに過ごしているが、人は安きに流れるという格言の通り、少しずつ自堕落の度が増しているように思う。
神奈川にいる間は、その気ままの気持ち次第で自堕落がどう食い止められるか、そして改善できるかを見るに留めようと思っている。
来月始めに京都に移ってからは、自分を律せられるような生活を組みたい。
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ゆくとしくるとし('15→'16)2
http://cheechoff.exblog.jp/22730127/
2016-01-02T11:43:00+09:00
2016-01-03T00:18:30+09:00
2016-01-02T11:43:03+09:00
chee-choff
その他
ちょうどよい機会なので、僕が生活の中で「実験してみよう」と思った内容とその経過(結果)について次に書いてみましょう。
明文化することは目的や方針が明確になるという意味はあるのですが、なんとなく始めた実験の方向性を限定してしまう(どちらかといえば負の)効果もあって、格別面白い効果がなければ普段文章にすることはないのです。
なのでテーマ的には「ゆくくる」にふさわしいといえばそんな気もしますが、では、ちょっと思い起こしてみましょう。
①消灯して風呂(シャワー)に入る
…これを始めたのは去年(あ、もう2016年なんで一昨年ですね)のはずで、朝起きて夜寝るという人のバイオリズムがありますが、この「明るい朝・昼」と「暗い夜」という自然現象は太陽を周回する地球の公転と自転によりますが、電気を使うことで「暗い夜」を「明るい夜」にすることができるようになりました。この長年(というのは人類発祥から電灯が点くまで、というヒューマンスケールを遥かに超えた期間です)変わらなかった身体のリズムが数百年かそこらで変われるはずがない、という理論があって、日常生活とこれを関係させれば「寝る数時間前からだんだん照明を暗くしていった方が寝つきがよいですよ」という話になります。
そう言われればそうかもねと思い、「夜に高輝度のライトを直接身体に浴びるとバイオリズムが乱れる(身体が「今は昼か?」と思ってしまう)ので間接照明がよい」とか言われる前から部屋では備え付けの天井照明は使わずアッパーライト(最近バージョンアップしたんですが、「井戸コアラ」の『アッパラ兄弟~』という記事に詳しく書きました)だったので僕の認識が大きく変わることはなかったのですが、そういえば風呂場の照明は明るいなと思い、これは当たり前のこととして育ったから盲点になっていたのですが、寝る前に風呂に入るなら風呂場の照明は暗くあるべきだと気付いたのでした。
書いているうちに前にも書いたのを思い出しましたがまあいいとして(こういう時は特別に頭が回って前に書かなかったことを書こうとするのです。同じ話を「そのまま」繰り返すのはまず(書きながら考えるタイプの)書き手自身にとって面白くないですからね。内田樹氏はこのタイプで、氏はブログの中で「聞いたことのあるような話」を何度も繰り返して書かれるのですが、そう思いながらも面白く読める(実際に一度読んだ記事ですら再読に耐える)のは、氏自身が「(まさに今書こうとしている)自分が読んで面白い話を書く」という方針を貫いているからで、その、テーマが一緒でも細微が前に書いた時と違うという時の違いは、その都度の氏の関心対象や生活状況が文章に織り込まれていることに因っていて、そういう視点で読めば「無限の行間」から意味を汲み出すことができます。理想的には、ですが。以上、挿入がバカに長いので文字色を変えました)、風呂場を暗くすることは体を洗う時に目で確かめずに洗うということで、これは潔癖症の人でなくとも抵抗があるかと思うし僕もこれを考えた時に抵抗を感じたのですが、「生活実験の信条」みたいなことを同時に考えました。
これはちょうど今回の「ゆくくる」のどこかで書いた「習慣実験」に当てはめられる話で、「体をきちんと洗う」ことは深く考えなければ「生理的必要に基づく行動」ですが、じつは「理念的必要に基づく行動」なのです。
清潔という概念がほんとうに複雑というか厄介で、これは「穢れ」という宗教性と強く結びついているのですが、このテーマについては鷲田清一氏のいくつかの著書に大いに啓蒙させられた(「びっくりした」くらいの意味です)記憶があります(書名は何だったかな…こういう時にソーシャルライブラリがとても役立ちます。調べた結果は…『感覚の幽い風景』がタイトル通りこのテーマが主要の一つとして書かれています。『夢のもつれ』は読んだ時の衝撃だけ記憶にありますが、この本にもいくつか書かれていたかもしれません)。
例えば口に入れたものを消毒済みのコップに吐き出してもう一度口に入れることはものすごく抵抗がありますが、衛生面(有害な細菌の有無など、観念を含まない純粋に生理的な側面を指してここでは使っています。ところで「衛生」も日常的な使われ方として観念を含んでいますよね)では何の問題もありません。
この「ものすごい抵抗」を頭で考える以前の生理的嫌悪として人が認識する元をたどれば、「口に入れてから外に出したものは不潔である」という純粋な観念なわけです。
あるいは体の外と内の境界を考えた時に、保健体育で習うところでは肌が境界になりますが、服の上から他人に触れられた場合に「その人が自分に触れた」と感じることから「自分が着ている服の表面」が体の外と内の境界であることを想定できるわけですが、これが観念ではなく生理的感覚に思えるのは「服の上から他人に触れられる感覚」が観念的でないことに因っています。
この二つの例は、観念と生理が分かちがたく入り組んでいることを理解させてくれます。
話を戻しますが、つまり「生活実験の信条」のことですが、ある習慣が「生理的必要」か「理念的必要」かどうかは「とりあえず”抵抗”とか”嫌悪感”みたいなのをおいといて(内田氏は「かっこに入れる」とよく表現します)しばらく続けてみる」ことで判断がつくと考えています。
(他人に勧めたり一般化したりすることに、あまりに直接的に言ってしまうと常識的に抵抗がある(というこれは常識的な判断)から僕は「実験」などと呼ぶわけですが、たぶんテーマとしては深遠で、学問的な体裁を整えれば文化人類学への貢献になるかもしれない、と今思いつきましたが、これは単に「だから何だ」という話で大した意味はありません)
そういえば温泉旅館で風呂場の照明が暗いなあと思ったことが何度かあります(逆にスーパー銭湯では例外なく風呂場全体が煌々と照らされています)が、この「暗い」という印象の出所に上記の「理念的必要(上の習慣)」があったと考えることができます。
で、話をもう少し前に戻しまして風呂の話ですが、まずは手元にある間接照明で何かないかと探し、ランタンを使い始めました。
風呂に入る時にライターでろうそくに火をつけて高い所に置き、もちろん防水ではないのでシャワーがかからないようにします。
これをしばらく続けましたが、ろうそくのロウの消耗具合によって明るさが変わるので、変わるごとに「なんだかなあ」と思ったり、あとはろうそくがわりと幅広の円柱形なのですが、底の隅っこにロウが使い切れずに残るのが気に食わず再利用しようとしてろうそくのアルミ容器をコンロにかけたりと便利な器具を買う発想が全くないばかりに面倒なことをやったりして、しまいに面倒になりました。
今はどうなったかといえば、風呂場の照明は何も点けずに入っています。
リビングのアッパーライトは夜はずっと点けているので、その光がわずかに風呂場に届く程度です。
真っ暗ではありませんが、例えば肌に泡がついているかどうかは見えません。
で、ここからが面白い所なのですが、それに慣れてくると触覚が敏感になってきます。
体を洗うのに前は化繊の汚れがつきにくいウォッシュタオル(というのかな?)を使っていましたが、いつ頃からか肌が荒れることに気付いてからはスポンジも使わず直接手で洗っています。
風呂場が明るい時はそれでどうとも思わなかったんですが、暗い中で洗うようになると「体つき」というか、体の各部分の形やモノ(再表面はどこも肌ですが、筋肉が張っている部分、脂肪が厚くついている部分、骨が表面近くまで突き出た部分、そして今挙げた分類はもちろんゼロイチではなくグラデーションがあるわけで、手で触れて得られるのは表面+奥行き情報だということがよくわかります)を「初めて知る」ような感覚があり、それはつまり言うまでもないですが「視覚でなく触覚で初めて知る」ということです。
1つのテーマが意外と長くなりました。
いろいろ書こうと思っていましたが、あまり時間ないですね。
お昼ごはんを食べます。
12:23
+*+*+*
箱根駅伝を見ていたら時間がすぐに経ちます。
かみのだいち君(なんと神々しい名前!)のゴール前、最後に曲がる前の直線で見せた「気力みなぎる表情」が印象的でした。
どれだけ身体が疲れていても、あのような表情ができるのですね。
+*+*+*
そろそろまとめます(まとめられるような話をしていませんが…)。
どう生きていくか、と言えば重いテーマに見えますが、つまりは先に書いた「思想」のことです。
一つは、最初の方に書いた、
「必然に従う」ということ、
それからもう一つは、
「自分で選択しようが流れに身を任せようが、充実した生活を送る」ことです。
充実とは、幸福・不幸の別も、健康・不健康の別も、富貴・貧乏の別も、喜怒哀楽の別も、関係はしますがどれか一要素が満たされれば同時に満足されるものではありません(これは「否定を続けて行った先に残ったものが(あくまで暫定的な)結果として肯定される」という語法で、限られた枠あるいは文字数での表現が要求される広告の語法とは対極にあります)。
保坂和志氏の、自分で考える、考え続ける思考方法と通じるものがあると思いますが、これを絶やさないような生活をすること。
ああ、ひとつ否定でない表現がありました。
充実とは、プロセスです。
そしてプロセスには変化が不可避的に含まれます。
どれだけ具体的なことをしていようが、あるいは抽象的なことを考えていようが、このことは念頭においておきたいと思います。
生活に「厚みをもたせる」思考も、このベースがあってこそ生まれることでしょう。
14:27
+*+*+*
まあこんな感じで、今年もゆるりと充実して過ごせればと思います。
読んでくだすった方とまたここでお会いするのは年末になりますが(年始に年末の話をするのは文字通りの「離れ業」って感じがしますね。そしてこれは表現としては「年末年始」ではなく「年始年末」ですね)、僕の普段の「生活実験」等に興味がありましたら以下の「井戸コアラ」にお越しください。
ミ☆ 緩い井戸コアラ鳩詣 ☆ミ
それでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
chee-choff
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interlude -京都和歩と憑依想像遊戯-
http://cheechoff.exblog.jp/22727002/
2016-01-01T22:15:00+09:00
2016-01-01T22:15:40+09:00
2016-01-01T13:17:28+09:00
chee-choff
その他
着替えたり持ち物を探したりと出発準備をしているうちに23:20くらいになり、もうこのあたりから「例年通りだなあ」とあきらめつつも、ずんどこ勢いよく「和歩」で歩いて石清水八幡宮へ向かい、それでも歩くのが早かったのか、本殿より手前にある休憩所に面した広場に着いたところで新年を迎えました。
去年の秋くらいだった気がしますが、平尾誠氏の三島社HP連載記事を読んで歩き方を変えようと思い立ち、半年ほど試行錯誤を重ねながら「私家版ナンバ歩き」がなんとなく形になるまでに至りました(その経緯は「井戸コアラ」ブログの”身体論”タグ記事にたくさん書いてあります。平尾氏の記事の中で紹介されていた安田登氏の「和のウォーキング」が僕の歩行法開発のベースとなっているので「和歩」と名付けました。ブログ内でキーワード検索してもらえれば和歩の要点がつかめる…ほど整理して書けてはいませんが。最近は新しいひらめきがないので一旦の完成の域にあるのかもしれません)。
で、年末に京都・大阪に戻って(実家が大阪と京都の本当に境目にあり、家から1分も歩かない所に府があります)、まあ気のせいかもしれませんが足腰の強さを実感しています。
30日は午後一に小田原から新幹線「ひかり」に乗ったんですが、自由席が混んでいるのはわかっていたので最初から指定席の車両前に並び、すいていそうな自由席車両から離れた指定席車両の連結部に立つことにしました。
毎週BookOffの立ち読みで鍛えているのでこれは平気で、たぶん3時間半くらいは立ちながら、時々ストレッチをしながら、また昼食にパン1個と紅茶花伝ミルクティーをちょこちょこ摂りながら『風土』(和辻哲郎)を読んでいました。
『風土』は普段読まないものを、という方針でのチョイスなのですが、実は3,4年前のGWに「3泊4日くらい一人で普通列車ふらり旅」のお供に持って行って挫折した本でもあるんですが(その時は数ページだけ読んですぐやめてしまったのか、今回あらためて読み始めた時に記憶に残っている文章は全くありませんでした)、今読むと内容が断片しかわからないとはいえ面白く読めるのがまた面白い(つまり読み方、本のどこに面白さを感じるかが変わったのですね)なと思いました。
まだたぶん30ページも読んでないですが、僕が面白いと思っているのは本の内容そのものというよりは「その内容を論理的に示そうとしている著者の書きっぷり」の方で、内容の価値や正しい間違いはさておき(この本に関してそれは僕には判断不能です)、和辻氏のこれを書いている間の頭の中を想像しながら(というほどの自覚はなくて、「想像しているという体(てい)で」という表現がしっくりきますが)読むと、内容の要点と関係ないちょっとした言葉の選び方や比喩の使い方に感心したりして、(内容を理解しようと読むと同じところを何度も読み返すことが多くて大変ですが)なにやら面白いのです。
この年末に帰ってくる前日に読み終えた『喜嶋先生の静かな世界』(森博嗣)はある研究者の内的世界について、彼のそばで接していた主人公が語る小説なのですが、この本にはひとつの「理想の研究者像」が描かれています。工学部の研究室に3年いた僕には想像しやすい内容(大学のキャンパスや研究室の雰囲気は肌で知っています)で、この「理想の研究者像」に、当時の自分と引き比べながら強い憧れを抱いてしまうのですが、その僕自身の経験がさせる撞着から離れる努力をしてから、これは大学の研究者に限定される話ではないと気付きました。
その研究者像のひとつに「一つの専門を極めていくと、他の専門分野の研究の要点も見抜けるようになるし、ひいては他者を尊重できるようになる」というものがあって、これは僕の普段の専門家のイメージとは反するもので(端的にいえば僕は「学問の専門分化、要素還元主義の推進が統一的(ってなんでしょう、「生活的」かしら)な人間性の価値を下げ続けている」といった認識を持っています。他分野の人間には理解できない重箱の隅をつつくような研究に公的資金が下りることもあるわけです(もちろんそのすべてがムダではなく、一方でわかりやすい成果にしか予算がつかない費用対効果重視の評価基準も研究の本質からすれば問題です)。学部生の頃に何度も文転しようとしたり(経済、文学、法とずいぶん目移りしました)、学部4回生の研究室で最適設計工学という「次数の一つ繰り上がった専門分野」に入ったのもこの認識がベースにありました)、読んでいて最初は反発したのですが、森博嗣氏の書く文章に意味のない文章はなくて(「意味なしジョーク」にすら明示化できない意味…じゃないから印象かな、があります)、この認識を念頭に考えてみるに氏自身がこの「専門の深化がたどり着ける普遍」を体現していたのでした(氏は昔は建築学科の助教授でコンクリート材料の専門だったはずです)。
話が進まないので飛ばしますが、僕は「専門家にはなりたくない」という漠然とした認識を持っていて、でもこれをちゃんと言えば「視野が狭くなって他の専門分野に興味を持たず、他者の思考を尊重しない専門家にはなりたくない」であって、そうならない道として昔は「(狭く深く、ではなく)浅く広く」しかないと思い込んでいたのですが、「狭く深く」を追求していってあるところで視界が一気に(だんだん、かもしれませんが)広がるということもあるなあと、たぶんちょっと前からわかってはいたのでしょうが言葉にしたことがなかったことを、『喜嶋先生~』の「喜嶋語録」に触れて言葉にしたくなったのでした。
そして、話が戻っているのか話を単純にしているだけなのかわかりませんが、「浅く広く」もやり方次第では「一つの専門」になりうると思います。たとえば「雑学クイズ王」みたいなものかもしれません。僕の今の興味からすれば「生活の専門家」と表現すれば言いたいことが言えていることになるのですが、実際的な面と同時に思想的な面もフォローするには「生活」という言葉は実際側に傾きすぎているように思えます(鶴見俊輔氏の「限界芸術」にならって「限界生活」とかどうでしょうか…なんか限界集落みたいな響きがしますね。ふと「電波少年」の”なすびの懸賞生活”を思い出しました)。
『風土』の話から逸れて何が言いたかったのかというと、昔は興味を持てなかった本に興味がもてるようになったこと(を認識したこと)から、『喜嶋先生~』にあった「専門の深化がたどり着ける普遍」を連想し、そこから、僕自身が距離をおいていると思っていた何かしらの「専門性」を僕が持ちつつあるのではないか、ということも考えてみたのでした。
このことは連想しただけで、それを今掘り下げてみようと思いませんが(なんとなく、今「生活」としてやっていることが「仕事」に結びつきそうな気がするのです。これもまた今の僕が避けようとしている認識です)、とても大事なテーマだとも思うので、今書いているこの文章を読み返す未来の自分に期待するとしましょう。
15:38+*+*+*
初詣の時の話を書こうとしていました。
今年は特に何もなかった気がしますが、とりあえず書いてみましょう。
そうだ、和歩で歩くと(西洋歩きの時と比べて)頭の回り方が違うという話を最初にしようとしたのでした。
歩き方に向ける意識の割合が多い分、込み入ったことを考えられないのです。
はちまんさんに着くまでで覚えているのは、3,4年前くらいにできたらしいTSUTAYAが閉店していたこと、道中で夜中のドライブについてしゃべっていた若者の集団がいたこと、アスファルトの上り坂から砂利と土の山道にたどり着くまでに足の疲れを感じたこと、それから山道を登っている間にその疲れを忘れたこと、くらいです。
そうだ、足腰の話も最初にしようとしていました。
30日の夕方に京都駅に着いてから、新町通りを丸太町くらいまで北に歩き、下鴨神社まで行くつもりが時間がなさそうだったので東に折れると京都御所があったので御所のだだっ広い砂利道を歩き、現在位置がわからなくなったのでとりあえず鴨川を渡ってみたら御池通だったので神宮丸太町駅に向かい、京阪で実家へと向かったのでした。
京都御所の敷地の広さと砂利道は急いでいる時に歩くにはうっとうしい以外の何物でもありませんが、僕はまだ急いでいなかったし、和歩研究の恰好の場所であることを思いついたのでそれはそれで興味深く歩けました。というのは普段歩く時に安全なまっすぐの道では目をつむりながら歩くことがあって、それは視覚情報があるとないとでは身体動作に割ける意識量がだんぜん違うからです。視覚情報がない状態でまっすぐ歩けるかどうかというテーマもあって、これについては御所で実感できたことですが、目をつむって歩いている間に「歩行を成立させるために身体が集める情報(歩行情報)」の種類がだんだんと変わっていくようです。もちろん目を開けていれば視界がその歩行情報の最たるものになり、あとは副交感神経(と言っていいのか正確には知りませんが、要するに意識できない領域)として平衡感覚を司る三半規管があるでしょうか。それが目を閉じると、最初のうちは閉じる前の視覚情報の残像を頼りに歩いていて(その残像を脳内で歩行に合わせてスクロールさせる想像をしたこともあります。その効果はよくわかりませんでした)、また意識的に聴覚を使って歩行を安定させたりもできます(反響定位というやつで、そばに建物が並ぶ道や屋内の廊下などでは効果があります。また道を目を閉じて歩いていて、何か違和感を感じて目を開けると横に自動車が止まっていたりすぐ近くに電柱があったりする経験を何度もしていて、訓練を積めば視覚障害者が必要上獲得するような鋭敏な感覚が得られるのだろうなと思います)が、目を閉じて歩く時間がある程度経つと急に不安度が増してきます。あ、そういえば目を閉じていてもまぶたは光を完全には遮断しないので、日なたから日陰に入ったり照明に照らされたりすると顕著に影響を受けることはわかっていて、目を閉じていても情報量が少ないだけで視界は視界だなあと今あらためて思います(調べてはないですが、目を閉じている間に茶色がかったグレーの地に赤と青の粒が乱れ舞うさまは寝入る前に「目をつむった状態で”見ようとする”」ことで見ることができますが僕はあれは桿体(地の方)と錐体(赤と青)だと考えています。細胞がそのまま見えているのか何なのかわかりませんが、これらはある程度意識的に動かせる気がしていて、これを上に書いた「歩行時のスクロール映像」として再構成できたら面白いなと思ったことがあります。実感として途方もない話ですが)。何の話を…そうだ、御所で目をつむって歩いていて、その「歩行情報の収集先」が切り替わる瞬間を実感したという話でした。こういった実験は目をつむっていくら歩いても安全な場所でやればじっくり考察ができると思います。空港の滑走路とか?
足腰の話に戻りますが、要は新幹線で3時間以上立ちっぱなしのあとに京都の市街地を1時間半くらい歩いて、その日はあまり疲れを感じずに終わったんですが次の31日に初詣に向かう時に道中一時疲れを意識したものの面白いところ(身体が躍動するところ、の意味で、アスファルトより山道の方がでこぼこしていたり地を踏む感覚にもバリエーションがあるので身体にはうれしいわけです。後でもっと疲れるという面もありますが、疲労にもすがすがしい疲れとすっきりしない疲れがあるわけで、山道を歩く疲労は前者ですね)を歩き始めると疲れを忘れて、結局初詣では本殿での立ちっぱなしが1時間弱と、行き帰りの歩行が2時間弱の運動をして、帰って風呂に入ってさっぱりして翌日は通常通りという経過で、数年前は新幹線の立ちっぱなしだけでひいひい言ってたのに比べると強くなったなあということが言いたかったのです。
で、それが単純に足腰が鍛えられたというだけでなく、和歩によって疲労が足(足首、ふくらはぎ、ふとももなど)だけでなく全身に分散できているからかもしれないなと思っています。
それを実際にどうやってるんだという話になるととても言葉にするのが難しいのですが、僕は和歩を開発するなかで「なるべく全身を使って歩く(方法を探求する)」ことを心がけています。例えば…多田容子氏の武道関係の新書(タイトル忘れました…すみません)に書いてあった、腰と尻が分離するような歩き方をしていると着地の衝撃が尻より下(ほぼ足ですね)にだけかかる、という表現にはなるほどと思って僕も実践していますが、このことを多田氏は「尻を(腰に)収納する」と呼んでいました。
話が変に飛びますけど、いつか将来「天狗下駄で四国遍路を踏破したい」という他の(常識的な分野の)将来設計に比べればかなり明確な目標があるんですが、その時に和歩が実力を発揮できそうな気がして、これはなかなか楽しみです。
18:02
+*+*+*
石清水八幡宮に着いてからの話。
例年通り(という言葉はこの文全体にかかります)、本殿に向かう石畳の道に並ぶ人の列に並び、列が進んで門をくぐると賽銭箱にたどりつくまでがすごい人だかりなのでそこで列を左に離れ、矢の願掛けをしている雅楽隊と巫女さん達の演をしばらく眺め、その舞台の横の、御籤の番号を引く六角形の鉄の箱が置かれた台と挟まれた地点に佇んで「乗り移り想像遊び」をしばらくやり、敷地内を時計回りにゆっくり歩いてからお守り売り場の手前からちょっと離れた地点に佇んで「売り子さんの応対観察」をしばらくやり、敷地を回り切って門を出て、手水場の通路を挟んで反対側に設けられたたき火にしばらくあたり、休憩所まで下りて屋台やら自販機やらを一通りひやかして、(たぶん)八幡駅側へ向かう道を手洗いの前で左に折れて「誰も通らない(曇りの日は本当に)まっくらな道」を暗闇に目が慣れるまで一歩ごとに立ち止まりながら歩いて下り、もときた道に合流してそのまま下山しました。
「乗り移り想像遊び」は今また命名しましたが(タイトルはもっと仰々しくしてみました)、何年か前の「ゆくくる」に同じ話を書いた時には「盗眼」と呼んだ覚えがあります。
正月の混み合った神社ほど人が無防備になるTPOはなくて、そこで人の表情をガン見して、その人が何を考えているかを想像するという多少趣味の悪い(見方を変えれば極めて高尚な)遊びで、僕がそれをやりながら頭の中で文章を組み立てるわけではなく、イメージが浮かんでいるかも微妙なところで、ただただ期の赴くままに凝視するだけです。
恐らくこの遊びによって得られる想像の糧は計り知れないものだという…なんだろう、妄想的観測があって、日々の読書生活に意識できない(直接の関連を見いだせない)レベルで潤いをもたらしているものと推察されます。
で、今年これをやっていて新たに気付いたことなんですが、美男美女カップルというのはどれだけ自分に関係なかろうが(芸能人なんてその最たるものだと思いますが、テレビを見る人にとっては関係大ありなのかもしれません。僕は知りません)見ていると羨望が入ってしまうものだと思うんですが、これは「(直接的な人物描写がなければ)小説の登場人物(主人公、だったかな…)はみんな、読み手が勝手に美男美女だと想像してしまう」(これは集英社文庫(たぶん)の「読者の名言集」が一節ずつ載ったしおりに書いてありました)という仕組みと関係がありそうだ、ということです。
「絵に描いたような」という言い方(形容詞的用法)があって、「映画(ドラマ)に出てきそうな」はそのバリエーションなんですが、これも「美男美女前提」の認識がベースになっていて、それでいて映画やドラマを観る時に人は登場人物に感情移入したりするわけです。で、もちろんそれは頭の中で行われるわけで、しかも頭の中で「簡単に」行われるわけです。この(あまりにありふれていてあらためて意識なんてしない)経験(に伴う機制)が街中で美男美女カップルを見かけた際にも発揮されるのですが、その時に「私(僕)もああいう風になれる」という意識される前の認識がまず浮かび上がり、それを現実的な思考がすぐ否定する(実際に当人が意識するのはこの「否定」が最初となる)ことになります。
この仕組みの話は今考えたことで、神社で立っている時はより実践的なことを考えていて、つまり「”その時”に羨望を抱かない方法(論理的解決法)」を思いついたという記憶は残っているのですが、はて何だったかな…?
ああ、美男美女というわかりやすい性質だけにとらわれない、だったような気がします。
要するに初対面の(あるいは初めて見かける)人を見る時にどの部分をどれだけ詳しく観察するかという話で、羨望を招く性質にだけ目が行くとその性質がその人の全体的な印象を決定してしまう(その人の性格やら趣味やら他の情報に対してすべて色眼鏡がかかってしまう)ので、そうならないように人間観察を(見かけ、ふるまい、会話内容はじめその人の個人情報などに対して)公平に行えばよいのです。
で、神社でこの実践に成功して、「乗り移り想像遊び」の間にあまり余計に気が散らなかった記憶がなんとなくあるんですが、これはまあそうだったと思っておけばいいことですね。
あとはたき火の話を少し書いておきましょう。
暖をとりながら火をじっと見つめるのですが、右目が弱視の遠視、左目が近視の僕にとって初詣の神社のたき火は視覚実験における好適条件が整った場なのです(実験ばかりしてますね)。
毎年なにかしら火の見つめ方を変えて納得したり感心したりするのですが、今年は「ピントを外した状態の左目で火をじっと見る」をやってみました。
僕の目は左右で一緒にピントが合うことがないので、右目にピントを合わせれば左目は自動的に(より近くを見る方、すなわち目のレンズが厚くなる方に)外れます(左右のピントを独立して合わせることができればそれはそれで凄いことなのですが、特にやろうとしたこともなく、アプローチ方法も全く思いつきません…まあここでこの話を書いたことを縁ととらえて興味はもっておくことにします。これができちゃうとまともに目が見れなくなりそうで怖いですが)。
そうすると、火はぼやけて見えるわけですが、火の粉の一つひとつが「ニュース番組のエンドタイトルで夜の都市が移されていて、カメラのフォーカスが移動した時に車のヘッドライトや道路灯が円状に滲むような」円状に見えて、その滲んだ円状発光体がそのような動き(つまり火の粉が飛び散る動き)をするのを見たのが生涯初めてで、その絵から何を連想したかといえば「シューティングゲーム(「グラディウス」とか。懐かしいですね)」で、しかも普段僕が連想という時ほど遠くない連想で、つまりシューティングゲームのゲーム画面そのものを見ているような感覚がありました。
ゲーム画面が現実に、現実感覚として(画面上でなく、という意味です)現れる体験もなかなか興味深いですね。
ニコニコ動画で、3Dキャラクタのモーション像を実写動画に貼り付けてARを表現した動画を見たことがありますが(確か「MMD」というソフトを使って作るのだと思います)、あの動画の中に自分がいてモーション像を目の前に見ている感覚のようなものでしょうか。
晩御飯です。
19:32
+*+*+*
晩御飯を食べながら格付けチェックと「相棒」(途中まで)を見ていました。
Gacktのチーム連勝記録が途切れちゃいましたね。
「怒ってるんじゃない、悲しいんだ」は名言ですね。
僕も同感です(何が?)。
あと「相棒」の相棒がまた変わっていて、反町だとはすぐわかったんですが、なんだかGacktに見えてしまいました。
反町が「白Gackt」ならGacktは「青Gackt」ですね、黒じゃなく(何が?)。
今年のinterludeはいろいろ混ざってしまいました。
毎年気ままに書いているので、これも一つの変化の証ですね。
項を改めまして、引き続き「ゆくくる」を書いていきます。
22:15
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ゆくとしくるとし(´15→´16)1
http://cheechoff.exblog.jp/22724020/
2015-12-31T22:54:00+09:00
2016-01-01T22:34:46+09:00
2015-12-31T17:32:38+09:00
chee-choff
その他
はちまんさんへ登る山道はまっくらですね。
雨が小ぶりくらいなら行くつもりですが、なんとかもちこたえてもらいたいものです。
+*+*+*
さて、この1年を振り返ってみましょう。
さっき書きましたが、出来事としては今年は本当に何もありませんでした。
ちょっとしたことで言えば…GWの時期(会社のGWは世間とズレていて、今年は6月最初でした)に旧友と会いたくなり、3,4人ほど会う予定を組んで実家に帰りました。
なにかの本に影響されてだった気がしますが、そうやって会うことでなにかを確認しようとしたことは覚えています(「なにか」ばっかで何も覚えていない言いぐさですが…)。
で、会ってみて、変わっていない(みんなそれなりに社会に適応している)ことに安心しました。
面白い話を期待したわけではなく、実際マジメな話しかしませんでした(仕事や生活の話)が、なんというか、「ふつう」という言葉は漠然と使われると反発したり、自分が漠然と使うと大した意味もないのに変に意味を持ってしまって持て余すことがあるのですが、友人の具体的な仕事や生活の話を聞くと、その「ふつう」に実質が備わった気がして、そのことに安心したのでした。
まあそのことと、自分もその「ふつう」に倣うことは別問題ですが。
なんだかここでの「ふつう」という言葉の使い方が、旧友の一人ひとりの仕事や生活に特徴がないことを強調しているように見えると困るのですが、僕のいう「ふつう」は彼らの具体的な生活内容に向けられているのではなく、それぞれの個性ある生活を社会と折り合って営んでいることによる彼らの(「社会の成員としてそれなりにやっていますよ」という)安定感に対して僕が抱く印象のことです。
こういう人が一定数以上いないと社会が成り立たないという意味で、とても広い意味で(というのは、例えば会社にとっては彼一人がいなくなってもうまく回るだろうから…という言い方も誤解を招きそうですが、これもその人個人の性質に起因するのものではなく、「よくできた会社」の仕組みとしてそうなっているということです。欠けると社命に関わる人ばかりが成員の会社は長生きできません)「必要不可欠」な存在で、必要とされる人がそれなりに充実して生活できる社会は平和だと思います。
この安心は恐らく会社なりで付き合いがあれば自然と得られるものだと思いますが、僕にそれがないのは会社の人間関係がプライベートにまで及ぶことがほぼないからです。
もちろん一緒に仕事をしているというだけで会社の一員だという安心感があるわけですが、仕事とプライベートが明確に分かたれている場合、仕事上の安心感(「現実感」とも言い換え可能でしょう)がそのままプライベートの安心感にもなるかといえば、「そのまま」ではないだろうと思います。
もし生活上必要最低限の仕事上・プライベート上双方の安心というものがあるとすれば、僕は後者は思考(思想)と習慣作りによって満たしていることになります。
ここで思想の話を書いてみようと思います。
思想とは、一つ前の記事で少し書いた気がしますが、ここでは生活の行動あるいは思考のベースとなるもの、そして気分や身体性(「なんとなく」とか「そのほうが元気になれそう」とかいう理由づけのベースはこれらにあります)よりは理念的な…なんでしょう、行動指針・思考基盤とでも言いましょうか。
ブログ(「緩い井戸コアラ鳩詣」という普段更新している方のブログです)を書くペースが今年の半ばくらいから基本週1,2くらいになりましたが、それは「思いついたら書く」という方針は以前と同じものの、普段の(ブログを書くことを除いた)生活を圧迫しないために自然とそうなりました。
ブログを書くことも生活の一部ではありますが、読書や散歩とは質が違うなと思っていて、読書や散歩は「思想の核をつくる生活要素」であるのに対し、ブログを書くことは「思想の核を(言葉という)形にする生活要素」だと考えることができます。
で、たぶんその今年半ばからは、思想の核を育てることを前よりも意識して(今書きながら考えていることなのでこの言い方も変と言えば変ですが)書いているのかもしれません。
だからといって今年ブログに書いてきたことをここで繰り返すつもりはなくて(ここではあくまで、発想元としては今の自分だけをベースに書きます)、だからその書いてきたこととここでこれから書くことが矛盾することもあるでしょうが、それは「(例えば、一貫性がないじゃないか、という意味で)解答が間違った」のではなく「問いが出現した」ことを意味します。
何か導きたい結論なり命題なりがあって、それを目指して論理を展開させていくならば、正しいか間違いかという判断は基準を設定すれば可能です。
でも僕のやっていることは、ブログを書くその時々における自分の考えや想像、連想を書くことであって、その考えが時を経て矛盾を生むことになったとすれば、その矛盾には「自分が新たに考えるべき何か」が含まれているかもしれないのです。
人はいくつも矛盾した考えを自分の中にいくつも持っていて、それを矛盾と思わないのはそれらの考えが同時に意識されないからで、それらが同時に意識された時、「そういうものだから」というそれらより高次の論理(論理じゃないですよね…例え悪いですね)によって共存を許される場合もありますが、共存が許されなければその矛盾は解決すべき問題となります。
この「前景化してきた解決すべき矛盾」は、何冊も同時に読んでいてふいに二冊の内容がリンクした時に発生したことが何度かあります。
「井戸コアラ」のどこかに書いたことですが、それはある著者の考え方①に「その通りだ」と思い、別の著者の別の考え方②にも「その通りだ」と思って、ふと考えてみると①と②が矛盾していることに気付く、といった経験です。
これが解決すべき問題である理由は、その矛盾の認識が確かであれば、自分が深く納得したはずの①か②のどちらかが「嘘」になってしまう(例えば、本当は納得していないが著者が好きだからただ鵜呑みにしているだけとか、①は論理的には正しいけど実質が伴っていなくて字面で納得しているだけに対し②は言いたいことはわかるけどうまく言えてないという理解を僕がしていてつまり①と②の「その通りだ」の使い方が違っていて、曖昧な例で断定しにくいですがこの場合は①の「その通りだ」が僕にとっては嘘になることが多い)からで、その「嘘」を放置すると、積り積もって僕自身の読書態度が誠実なものでなくなってしまうことが想像できるからです。
今は亡き鶴見俊輔氏が『思想をつむぐ人たち』の中で書いていた「普通人の哲学」という言葉は、僕の座右の銘の一つです。
(この本との出会いには偶然があって、3,4年前の年末に実家に帰る時に小田原駅(新幹線に乗る前)で車内読書用の本を忘れたことに気付き(いや、最近読んだ本をそうと知らずに持ってきていたのだったか)、駅の本屋であてもなく探していてふと目に留まったのでした)
鶴見氏は思想家という肩書だったかと思いますが、氏の哲学・思想は普遍性を備えていながら「普通人」に寄り添ったものでした。
氏の本として僕が初めて読んだ本なのですが、『限界芸術論』の「限界芸術」とは、芸術家ではなく生活者としての個人が生活の中で生み出す芸術、「芸術から最も離れた芸術」といった意味だと記憶していますが、この本などはテーマ自体が「普通人」の側にあります。
歴史に名前を残すことは義務教育を受けてきた人にとって一度は必ず価値のあることだと思い込まされますが、偉人の伝記を読んだり現存の有名人の偉業を知らされたりする時に、何かのきっかけで(出身が一緒とか、「小さい頃は勉強ができなかった」とか…これはよく聞きますよね)彼らと自分の間に共通点を見つけたりするとついつい「偉業を成した彼」と「何も成し得ていない自分」を引き比べて落ち込むことはありふれてあると思います(逆に発奮できる人もいるとは思いますが)。
その偉業は、成すまでの苦労や才能を要することや現代科学への貢献などが「わかりやすい」からこそ一般人に膾炙できる偉業となり、「手の届かなさ」もまたわかりやすいからこそ上のような比較をした一般人はみな同じように落ち込むことができます。
鶴見氏に伝記作家という肩書があるのかは知りませんが、氏の伝記はとても上手く、読む人を落ち込ませるのでなく発奮させる力があると思うのですが、それは語り口だけによるのではなく、氏は「普通人の取るに足りない(しかし着実で地道な生活に裏付けられた)もの」をとても魅力的に描くことができるからです。
僕は『限界芸術論』を読んだ時に、心の底から「有名人にならなくてもいい」と思ったことを覚えています。
もちろん読んでから今までずっと同じ気持ちを維持できたわけではないと思いますが(「思う」と書くのは記憶にないからです)。
晩御飯ができたようなので食べてきましょうか。
19:12
+*+*+*
おせちを食べながら紅白を見ました(前半のみ)。
乃木坂が東京にあることを初めて知りました。
高級住宅街だそうですね。
そのせいか乃木坂46(48?)の衣装もハデハデではなかったような…。
しかし毎年見るたびに思うんですが顔が全員同じに見えますね(オヤジ発言)。
モーニング娘はもっと個性があった気がしますけど、そういう趣旨なのでしょうか。
よく見れば(一視聴者たる)あなただけに見つかる個性が埋もれてますよ、という。
+*+*+*
さて、この1年を振り返ってみましょう。(再)
上では思想の話をしました。
次はその思想がどこに結実されるのか、について書いてみましょうか。
目的が明確にあるというわけではありませんが、どこへ向かっているか、北極星のように生きている間にたどりつかないかもしれないが方向を示す何か(「(指導者の指し示す)指先ではなく星を見ろ」という言葉がありますね。出所は忘れましたが内田樹氏がブログで書いていました)が、あると考えればあるのかもしれません。
…が、まともに正面から取り組むと難しそうなので回り道をします。
ブックオフでは毎週立ち読みをした後に、所場代がわりに最低一冊は購入します。
だいたいは新書か小説(文庫か単行本)か、時々National Geographic日本版(黄色い縁取りの雑誌で、院で火山学を専攻していた同僚に一度借りた時に面白いなと思い自分で買うようになりました。毎週土曜の朝食時にちびちび読んでいます)、という感じで買う本はいつも決まっているのですが、たまに読んだ本や新聞(1年前くらいから日本農業新聞を読んでいます。一度購読をやめようかと思った二月ほど前にちょうど田口ランディ氏の毎日連載エッセイが始まったのでその縁で読み続けています。前はずっと朝日を読んでいましたが、ある時から広告欄(各ページの下1/4ほどにありますよね)に気分を害するようになり、各業界新聞を試し読みして広告が一番「どうでもいい」(つまり自分の生活に関係のない)新聞として農業新聞を選びました。読み始めると面白い記事もあって、週連載の「郷土料理紹介」や「野菜or果物の豆知識ページ(小粋なイラスト付きで1ページ半あります)」、農大講師フクダ氏(ブルーベリーの権威らしいです)による「個人農園術」などは毎週欠かさずに読んでいます)に影響されて、いつもと違うジャンルの本や雑誌を買うことがあります。
たしか秋の始まりくらいに、具体的な経緯は忘れましたが『田舎暮らしの本』なる雑誌を買いました。
まだ読んでいる途中ですが(これも毎週、日曜の朝食時にちびちび読んでいます)、メインは500万円以下で購入できる全国の「田舎暮らしができる民家(空き家)」の紹介記事で、土間にかまどに囲炉裏にと昔ながらのつくりの古民家で農具小屋が横に並び家庭菜園できる土地がついて180万、とか山あいの別荘地で近所の温泉からお湯を引き込みで自宅で温泉につかれて風呂釜は硫黄も大丈夫の石で車で山を下りれば市街地にすぐ出られて400万、みたいな感じで物件情報がずらりと並んだページが続き、それを一つひとつ読んではいろいろ想像を楽しんでいます。
会社を辞めて田舎暮らしをしたいのかというと、まだよくわかりません。
感受性を下げる要因が少ない、むしろ感度を高める喜びすらある(というのは実際を知らない僕の想像ですが)という意味では田舎暮らしは魅力的ですが、今のところ魅力を感じるのはその点のみです。
人が少ないのも自分向きのような気はしますがこれは現状と比較してのことで、本格的に人口の少ない街や村で暮らしたことがないので人の少なさが自分にどういう心境の変化をもたらすかについては、好悪は不明でただ興味だけがあります。
田舎でする仕事などはなおさら何も想像していなくて、むしろ一度仕事を辞めたら「何も仕事をしない生活」を数年くらいは続けてみたいと思っているくらいで、これは明らかに保坂和志のエッセイや小説の影響を受けています。
この辺はしっかり記憶に残っていて、『言葉の外へ』というエッセイ集は最初に図書館で借りて読み始めたんですがあまりに面白くて線を引かずにはいられなくなり新品で購入して読んだ経緯がありますが、『アウトブリード』(これもエッセイ集です。名前からして重厚ですよね)に負けず劣らず重厚で、まだ再読はしていませんが何度読み返しても得るものがたくさんありそうな「思考の原石集」です。
原石という表現は「才能が見え隠れするが素人っぽい」という通俗的な意味でなく…いや似たようなものかもしれませんが、万人受けするかどうかという意味では「厳密ではなく粗削り」な思考が本の中でなされるわけですが、思考のさまが見えるというか、脳がギュルギュル回転する音が聴こえるというか、まさしく保坂氏が紡ぎ出した思考である点と読んでいるこちらもそれに触発されて何か考えずにはいられない点ですごく創発的なのですね。ああ、「読んでいると思わず”磨きたくなる”」という意味で原石という表現がしっくりきそうですね。
で、『言葉の外へ』の中に、小説家は自分のペースで仕事をするから会社みたいに外から強制してくれる手順(朝礼とか掃除とか、昼食休憩とか仕事のノルマとか、いろいろありますね)がなくて、だから自分で一つひとつ決めて習慣を作らなくてはいけないと書いてあり、そのあとにその一つひとつの習慣(何時に起きる、歯磨きはどうする、…)について「なぜそう決めたか」とか「こうすることでこのような思考の実践になる」とか、ささいな行動に対してもものすごい経緯なり理由づけが伴っていて、「自分で習慣をつくる」ことは誰しも生活する中で自然とこなしてはいますが、その「習慣を作ることがどれだけ凄いことか」というか、「ささいな習慣的行動からここまで強烈な思考が生み出せるのか」といった、とにかく自分の個性(身体とか思想とか)をベースに自分で考えることの充実をその部分を読んでいる間に感じました。
恐らくその部分を読んでから、エッセイの他の部分や氏の小説の全体に「自分で考えることの充実」が息づいていることを感じるようになったと思います。
それで、この「自分で考えることの充実」は、サラリーマンをやっていて得られるものではないと思っています。
これは意志でどうにかなるものではなく(なることもあるでしょうが、僕はそのような形での実現は「必然に反する」と考えます。「必然」も自分の思想に深く関わるキーワードではありますが、これは後に話の流れが行き着けば書くことになるでしょう)、まずふつうの社会人をやっていてその必要性が生じないからです。
話が逸れそうですが…会社なり仕事なり、集団が生計を立てるシステムが整っていくごとに個人の創発的思考は必要性を奪われていきます。これは仕事とプライベートを区別できるとした上で「プライベートについて」(仕事について、ではありません)の話です。研究開発でも営業でも、仕事上の工夫や発明などを生むための創発的思考は業種に関わらずある(程度の差はあるにしろこれは基本的に本人の意識次第です)のですが、仕事上で自由な思考が展開できる前提にはプライベート(生活)の安定があると思います。
上に書いた「自分で考えることの充実」が、もっと上に書いた「思想」と結びついて実現される場所は、仕事ではなく(あるいは職種によっては仕事を包含する)生活の領域にあると考えています(というか今考えました)。
勢いで書いてると文脈を見失いながらも筆が進んでしまって読み返す時に大変そうな…
もうちょっとしたら初詣に向かうのでここで区切りとしましょう。
今年は余裕のあるタイミングで区切れたので、年を越すまでにはちまんさんの本殿に着けるかもしれません。
まあ、どっちでもいいのですが(とか言ってるからここ5年くらい間に合ってないのですが)。
内容的にわりと大事な地点だったのですが、行って帰ってきて、あるいは寝て起きたら気分ががらりと変わって全然違うことを書くかもしれません。
その時はその時ですね。
それではみなさん、よいお年を。
22:54
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生活だけがあった年
http://cheechoff.exblog.jp/22721431/
2015-12-31T11:25:00+09:00
2016-01-01T12:22:38+09:00
2015-12-30T22:54:51+09:00
chee-choff
思考
なんだかあまり書く気が起きません。
理由はふたつあって、
①実家のPCが新しくなっていたのですが、
ディスプレイの輝度が下がらなくてまぶしいこと。
目の弱い自分には致命的です。
でも前のPCがちょうどよかったという記憶もなくて、
毎年ひいひい言いながら書いていたような気もします。
②新しいPCの使い勝手が悪くて(Windows8で最初だから仕方ないですが)、
ブログを開いてしまえばなんともないのですが、
そこにたどり着くまでにぐちゃぐちゃやっていて疲れてしまいました。
まあ明日になれば復活するかもしれませんが、
とっかかりだけでもつけておこうと頑張ってみます。
12/30 22:44
+*+*+*
Oops!
ノートPCの罠に早速ハマりました。
キーボードを打っている最中に意図せずタッチパッドに触れてしまい、運悪くカーソルが(たぶん)ブラウザの「戻る」ボタン上にいて、さっき結構書いたのに突然画面が変わって、全部おじゃんになっちゃいました。
同じ話をもっぺん書く気にはならんなぁ…書きながら考えているので再現は不能でしょうね。
ふぅ。
まあ、こういうこともありますよ。
同じ失敗を二度しないように気をつけます。
とりあえずこまめに保存と更新をしないと…。
23:38
+*+*+*
とはいえ短めにさっき書いたことをば。
いちおうこの1年を振り返る記事なので、まずは大づかみに書いてみます。
タイトルには(今のところ)仮と書いてますが、今年は特にイベントはなく、仕事上で少し動きはありましたが、仕事を除けば「生活を淡々としていた」という印象です。
本かマンガを読む、散歩する、ブログを書く、味噌汁を作る、くらいが生活の構成要素なんですが、秋くらいから映画鑑賞を始めました。
その映画鑑賞の詳細をさっきちまちま書いたのですが消えてしまったので…要点だけ書けば
①毎週1作観る(という習慣が定着しつつある)
②ホームプロジェクタを壁に投影して観る(部屋の端に本体を置いているので大画面)
③本体のピコピコ音がうるさいので映画の音はイヤホンで聴く
④日曜の夜に観るので月曜は大体寝不足
といった感じです。
④は別に夜中まで観ているというわけではないですが、あんまり寝られてないのか眠りの質が違うのか(普段の生活に動きがないので映画鑑賞は月~土の生活内容と比べると「非日常」なのです。慣れれば大丈夫なのかもしれませんが)、たぶん後者だと思いますが、このことは今後適応できるかどうかで習慣を変えねばなりません。
観る映画の選択は、とりあえず邦画と洋画を交互にするという以外は気分で決めています。洋画は特に古い作品を選ぶ傾向がありますが、それは書評で見かけたタイトルに惹かれるからかもしれません(『2001年宇宙の旅』とか『華氏451』とか)。邦楽は今のところジブリ率が高いです(秋から今まで観た5作中の2作。『紅の豚』と『もののけ姫』。どちらも昔「金曜ロードショー」で観て以来ですごく久しぶりでしたが、やはり新しい気付きがあるものですね。後者でいえば「だいだらぼっち」がナンバ歩きだったこととか…これは今の自分が歩き方に関心を持っているからですが)。
映画の話はこれくらいにしまして。
上に書いた通り、振り返るほどの「起こった出来事」がこの1年はなかったので、まあ毎年同じかもしれませんが、主に考えていたこと、あるいは今関心のあることを書いてみようかと思います。
あとは仕事の話(変化があったこと)とか、未来の話(自分は何を望んでいるのか…何がしたいのか?どうありたいのか?)とかも書ければいいなと思います。
一番興味があるのは「淡々と生活を過ごすこと」についてうまく言葉にすることなんですが、生活を抽象化して書くのはとても難しい気がします(「人生の意味とは?」みたいな話はしたくないのです)。
まず堅実な実質、積み重ねがあって、それをある視点のもとに一般化するのですが、それは「生活そのものの一般化」ではなく、「生活から導けるいろんなことについての一般化」なのではないかと、今ちょっと思いつきました。
キィ思考は連想によるリンク生成ですね。
今日はこれくらいにしましょう。
0:08
+*+*+*
大晦日の朝です。
昨日はよく寝られました。
実家のリビングはテレビが点いていて長居できないのですが、別の部屋に移るとようやく家の静けさを感じることができます。
社員寮はふつうのマンションですが、隣室や上階の音がよく響く(無音で部屋にいればなおさら)し、細かな機械音(給湯の稼働音、ドアホンの待機音など出所がわかるもの、それに耳鳴りではないとは分かるが出所不明な周波数の高い音)も気になります。
朝起きてみて、そういった有機的でないノイズが全くないことにまず気付き、心が落ち着くのを感じました。
マンションはコンパクトな空間に機能性を詰め込んであって、特に人口密度の高い都会では他に選択肢のない居住方式ですが、居住者のある感度の低さを前提としていて(というより許容騒音レベルとかを数値で測って決めてるんですよね)、つまり「快適な生活」という環境がまずあって居住者は何も変わらずにそれを享受できるというものではなく、所与の環境に対して居住者が不快を無視できる程度に鈍感になって初めて「(意識の上での)快適な生活」ができるようになっています。
僕はその環境に今暮らしていて、感度を下げないままこういったことを時々考え、むしろ感度を上げることが快適になる環境で生活することに魅力を感じ始めています。
そうはいっても現代人ですので、アウトドアライフを初めてすぐ適応できるはずはなくて、虫の音とか川や海の流れなどの有機的なノイズで夜は一睡も寝られず、耐えられなくなって体調を崩すみたいなことも大いにあるだろうと思っています。
ただそれでも時間をかけてやってみたらなんとかなるんじゃないかなとポジティブな気持ちでいるのは、たしか『時代の足音』(宮崎駿、堀田善衛、司馬遼太郎の対談本)で堀田氏が「都会暮らしに慣れてしまっても、2ヶ月もいれば田舎暮らしに慣れてくる」といったことを書かれてたからで、実際にやった人がいるならまずあり得る話だし、環境の適応に時間がかかることや習慣を作り始めてだんだんと身体が覚えていく感覚は僕が(表面的に捉えれば変化の極めて小さい)生活の中で意識的に経験していることなので、縁があればそういう生活をやってみようと思っています。
この「縁があれば」というのは、それほど言葉の綾でもなくて、誰かに巻き込まれて生活方針が勝手に決まってしまう場合は実現しませんが(そうなることも僕や僕のそばにいる人が望んだことであれば反対する理由は何もありません)、そういうことがなければ、自分からは積極的に何もしないという流れに流された結果としてそういう生活を始めることになるだろう、ということです。
…この「自分からは積極的に何もしない」という言葉もこれだけ書けばよい印象を持ちませんが、自分と何かの縁を感じる想像力(思考力)を常に開いておくという意味で、大切なのは何かに導かれている感覚ですね。
行動の決定には自分の意思が強く関わっているが、その行動がもたらした結果は自分の意思によるのではなく、自分の外部のいろいろな力がはたらいた結果であり、その自分と外部との(事実に限定されない)因果についてどれだけ想像できるか。
「後悔しない生き方をしたい」と誰もが思いますが、「後悔するかどうかは、その後悔の対象になる過去の行動の内容ではなく、現に後悔しようとしているその時の自分の状態にかかっている」とはこれまで何度も書いてきて、それに加えて今思ったのは、「後悔したくなる時とは、自分の人生を自分で選んで決められると思っている(自我が過剰に膨らんでいる)時だ」ということです。
逆の表現で「自分に選択肢がなければ後悔のしようがない」とも言えますが、そうはいっても「親は選べない」みたいな嘆き方があるなと今思いましたが、これは後悔ではないのでしょうか?
…責任放棄、ですかね。
+*+*+*
自分の人生を主体的に決めてきた、という意識を持たず、同時に自分の人生に責任を持つこと。
なにか矛盾しているように見えますが、考える前から書きますがたぶん、現代的に(資本主義的感覚で)見ればそう見えるというだけに思えます。
いつだったか日本人が中東で武装グループに捕まって政府に身代金が要求された時に、「自己責任」という言葉がとてもイヤな使われ方をしたことがありました。
その議論の内容は覚えてないし、どういう対処や態度が正しいかについて興味はありませんが、その時には「考えることは大事だがこの議論に加わりたくはないなぁ」と思いました。
「払った税金をちゃんとした使い道に振り分けてほしい」という意見は有権者として当然発するべきものですが、できるのはそこまでだと思います。
それが政治を政治家に委任するということです。
僕は政治に興味が持てませんが、それは政治と触れる機会が新聞くらいしかなく、新聞に載る政治は「政治的ゴシップ」でしかないからです。
(そういえば高村薫の『新リア王』を読んだ時には「政治って面白い!」と思いました。現代の話でも、生の情報(仮に新聞記事が生の情報だとして)から思考を組み立てることができる人にとっては面白いと思えるのでしょう)
新聞の政治欄をしっかり読んで「有権者として政治の動向を監視する」という気持ちにはとてもなれません。
けれど政治がどう行われようが関係ない、とは思っていなくて、政治家がどんな政治をしようが、どのような経緯(や歴史との関係)で政治的選択が行われたかを知り、政治の結果を文句を言わずに引き受けられるために政治を理解したいと思っています。
というより直接政治に関わらない一般人にとって政治を理解するのはそのため「だけ」のような気がします。
なぜか政治の話になってしまいました。
上で「資本主義的感覚」と書きましたが、言いたかったのはたぶん「消費者的主体」です。
お金という(市場においては)全ての価値の基準となるものを使って、自分の意思で商品を買う。
この「お金で買える(と思われる)もの」が増えていく、市場原理ベースの社会領域が広がってくほど、人の価値観は消費者的になっていきます。
ふつうの人は自分の価値観と生活とが密接に関係しているはずで、思想と呼ぶためには生活から少し離れて改めて考えるという作業が必要になると思いますが、そういう思想ではなく「日常生活で自分の行動を判断するうえでのベースとなる考え方」が、どんどん消費者的になっています。
途中の論理は飛ばしますが、その消費者的価値観からすれば、自己責任という言葉を、「自分が責任を負う」ためでなく「他人に責任を負わせる」ために使うことが合理的(すなわち「おトク」)となります。
それをモラルがない、というは一つの立場ですが、市場主義社会ではそういう消費者的価値観に沿った考え方こそが「モラルあり」になります。
だから納得した者勝ち、染まった者勝ち(「勝ち」とは違和感なく普段の生活を過ごせるということです)なのですが、僕はそういう勝ち方はしたくありません。
上にも書いた通り、それは感度を落とすこと、鈍感になることだと思うからです。
12:10
+*+*+*
この記事は実家の書斎で書いています。
書斎は本で埋まっていて、帰省するたびにその量が増えているので、部屋にいるだけで本屋を徘徊している気分になれます。
さっき『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』(ルイス・ダートネル)という本を見つけて、興味が湧いて最初の数ページを読んでみました。
帯にはこう書いてあります。
「穀物の栽培や鉄の製錬、印刷、発電、輸送機器、医薬品など、現代生活の基礎となる科学技術をどのように復活させるのか?」
「復活させる」というのは、(構造物だけでなく方法も)一から組み立てなおすということで、その仕組み・成り立ちを知っていなければ不可能です。
つまり現代文明のいろんな技術の仕組みが載っている本だと思うんですが、とても興味深いと思います。
ここ2,3年ほど、「習慣(の力を体感する)実験」を、生活の中でやっています。
生活における一つひとつの行動について、小さい頃からずっと続けてきた行動があり(例えば靴下を履いて寝る。僕は履きませんが)、今の生活の必要上行う行動があり(例えばベランダの窓は開けない、開けても隙間数センチまで。これは換気のためですが、大きく開けないのは神奈川に住み始めてから花粉症になったからです。なんとなくシーズン以外もそうなってしまってますが…洗濯は寮備え付けの乾燥機つき洗濯機(有料です。確か数年以上使えば割高になる計算をしましたが「アウトソーシング」という名目で自分を納得させました)を使っているのでベランダに干す必要もありません)、身体の生理的活動に伴う行動があります(食事、睡眠などいろいろありますね)。
今書きながら考えたこの3つを分類として使ってみましょう。
①習慣(的行動)
②理念的必要(上の行動)
③生理的必要(上の行動)
②を理念的と書いてしまうと花粉症の例が若干合っていないようにも思えますが、対処方法は考えれば他にいくらでもある(シーズンに薬ちゃんと飲んでるから窓開けたって平気、とか換気はちゃんとやってから空気清浄機でしっかり花粉除去、とか)と考えれば問題ないでしょう。
さて、①~③の関係を考えた時、まず②はほぼ①に包含されると僕は考えます。
つまり、理念上の必要性なんて消し飛ばす力を「習慣」はもっているのです。
「発明は必要の母」か「必要は発明の母」か、もともとはどっちだったかなと混同してしまうような現代社会ですが(もちろん後者ですね)、その混同するところの意味は、今では「必要」は後からついてくるものになっているということです。
上に書いた「習慣実験」によってそのことを頭だけでなく身体で理解できるのですが、こんな状況が出現したのは、(先進国においては)厳密な意味での必要性が当然に満たされ、「必要性」を満たすことの市場価値が全くなくなってしまった(「必要性」と関係のない所でお金が回っていることはある時期から(『貧乏は正しい』シリーズの頃からでしょうか?)橋本治が社会批評系エッセイでずっと指摘し続けています。また実体をもつモノから離れて動くお金(金融商品というやつですね。サブプライムローンは確か「信用(の低さ)」に値段をつけて売っていたのでしたっけ?)が国際経済を左右するようになったのもこのことと深く関係しています)からです。
また、③は②と複雑な関係を持っていて、境界が明確でないばかりか共通する領域をかなりもっているというのが僕の実感です。
いや、共通という言い方も微妙で、正確に言えば「②と③はお互いに影響を与えながら境界領域を変化させている」となるでしょうか。
というのも②と③の関係とは脳と身体の関係であって、身体的状況が変われば考え方も変わる(同じ人で若い時と高齢の時とで考え方が違うのは人生経験の多寡だけではありません。また人間の話ではありませんが『ゾウの時間、ネズミの時間』という本もこの例になるでしょう)し、その逆は「プラシーボ効果」が説明してくれる通りです。
「習慣実験」を始めた頃はこの意味をあまり明文化しませんでしたが、今思えばこの実験は、②と③の境界領域を炙り出す目的も持っていると考えられます。
身体性の賦活(鈍感にならないこと、五感なり自分の身体動作に対する感度を上げること)がこれからの時代で重要になってくる、とは内田樹氏の著書を読み始めた院生の頃からじわじわ重みを増してきた認識ですが、これは「脳の支配から身体を取り戻せ」という身体か脳かの二分論的発想ではなく、脳の偏重が身体にどういう影響を与えているか、あるいは身体の感度を上げることが脳の活動に及ぼす影響を認識すべく掘り下げていくという方向性を持っていて、抽象すれば身体の束縛を解くと同時に脳がそれを冷静に観察するという「脳と身体の協調」を目指すものです。
これだけ高度情報化し脳化してしまった社会で、脳の支配というか「(身体ではなく)脳が人間を主導していく」生活のあり方を変えるのはよほどの条件が整っていなければ非現実なので、その生活のあり方を前提にして、脳が自覚をもって身体性を賦活していく、身体を解放できる環境を整えていくことがひとつの現実的な(かつ僕がそうしたいと思う)長期的展望という面での生活方針です。
+*+*+*
文章が長くなると途中で自分が何を書いているかわからなくなってきますね。
後で読み返す時大変だろうな…微調整で(意味不明度が)治らない文章だったら放置しますが。
とはいえ筆がのってきた感じでもあるので、ここらでいったん切りましょう。
今年も無事に恒例の「ゆくくる」を始めることができそうです。
16:04
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ゆくとしくるとし('14→'15)3
http://cheechoff.exblog.jp/21438737/
2015-01-01T23:33:00+09:00
2016-01-03T23:01:05+09:00
2015-01-01T23:32:43+09:00
chee-choff
思考
上の長女は4歳で、正月に会うのはたぶん3度目ですが、長男は1歳半で今日初めて会いました。
活発で何よりまず口と全身が動く姪と違い、甥は全く言葉を発せず黙々と「作業」を行う子でした。
話でしか知りませんが、なんとなく甥に親近感を覚えたので、わんぱくな姪をかまいながらも甥にしぶとく構ってあげました(彼にその認識はたぶんないようですが)。
甥はマッサージチェアによじ登り、そばにあったボールを投げ落とします。僕はそれを拾い、彼に投げ返してあげます。彼はボールが(また?)彼のそばにあることを認識し、再びボールを投げ落とします。僕は投げ返します。…という、ひたすらこの往復が続きました。続けるうちに振る舞いにどう変化があらわれるかな、とずっと観察していたのですが、よくわかりませんでした。
この遊びに限らず、総じて甥は自分がやっていることが自分でもあまり分かっていないようで、まあ考えていないのでしょうが、何を考えているのかが傍目に全然分からない不思議な子でした。
まあ、想像力は豊かなのだろうな、と勝手に思っています。
一方の姪はプライドが高いお転婆に磨きがかかったようで、疲れるのは疲れますが、こっちが何もしなければ構ってもらいに来るのはやはり嬉しいですね。
そして叔父という立場は子どもを叱らなくてよいので、子どもの…何と言えばいいのか、「手間のかからない部分」だけを味わえる気がします。
だから叔父の振るまいは子育てとは別物だと考えるのがよいのでしょう…というこれは当たり前かもしれませんが。
+*+*+*
さて、「井戸コアラ」の方で書いた前振りを引き継ぐのを忘れていたので、少し書きたいと思います。
とはいえ、「謎な文脈」とある通り、何が言いたいのか分かりませんが…
たぶん、これからどう生きていきたいか、という話なのだと思います。
重いテーマですが、気持ちは軽く書くつもりです。
「重い」の意味は、不用意な言葉を使うとその言葉に「言葉にする前の漠然とした思い」がひきずられるということです。
だから大きなテーマを扱う時はあまり単純化しない方がよくて、まあイコールではないのですが「少ない言葉で表現できる」はわりと簡単に「それは単純である」と結び付いてしまうものです。
なので、重いテーマについて書く時はいろいろ留保をつけるというか、そのテーマの何を書くのか(中身の全容ではもちろんなくて、さわりとか、これから考えて行くべき入り口の言葉だとか、そのことについて考える時にいつも念頭にある言葉だとか)をはっきりさせて書いた方がよいように思います。
そうした方が、「自分の言葉に裏切られる」ことがない。
自分の言葉に裏切られる経験はそのまま、自分の言葉に対する信用を落とすことに繋がります。
それは、言葉を連ねながら思考する僕のような人間にとっては、やってはならないことです。
なんか自分でプレッシャーをかけている気分ですが…
社会人として問題発言でもありますが、簡単にいえば「集団とはあまり関わりたくない」のです。
会社に所属することがそのまま集団と関わることなので、生活の基盤のところで既に絶望的な話である、といえばそうですが、ここはやはり掘り下げて書かねばなりません。
今年の「ゆくくる」の前半で書いた「不問の前提」という言葉がありますが、「集団とはあまり関わりたくない」を言い換えると「集団に”どっぷり”所属することによる不問の前提を立てたくない」ということです。
これは、海外で独り暮らし始めた時の「今までの経験や経歴が問われないゼロの自分」の感覚と共通点があるかもしれません。
(この話は最近読了した『やがて哀しき外国語』(村上春樹)に書いてあったのですが、今手元に本がないので抜粋はできません。思い出せば「井戸コアラ」の方にまた、その時考えるであろう話と一緒にのせようと思います)
身分の力というのか、まあ大企業なら威張れるとか学歴による先入観とかそういう総じて人と接する時にかかるバイアスを指すのですが、これを認めないあるいはこれが機能しない場所で生きたいということではなくて(そんな状態はサラリーマンにはありえなくて、だいいち「同じ会社の社員同士」という仲間意識も立派なバイアスです)、これに対する自覚をずっと持っていたい、と思っています。
この自覚がない方が、バイアスが当たり前に機能する場面ではことがスムーズに運ぶことは容易に想像できるというか当たり前にありますが、僕はその可能性(というか効率の追求)を捨てるよ、ということです。
この自覚による会社での仕事の非効率を背負うということで、これが非効率に留まらず自分の立場を危うくするような状況もし訪れれば、躊躇無く会社を去りたいと思っています。
その状況の具体的なところは僕自身の振るまいからいくつか想像はつくし、もし想像もつかない文脈からそのような状況が訪れたとして、それがどれほど理不尽であっても、その「理不尽な理」が集団の論理であれば、それに関わりたくないと思う僕は反論をすることもないでしょう。
そして、「その後のこと」はその後になってから考える余裕をもっていたいと思っています。
+*+*+*
「何かを否定せずに書く」のはなかなか難しいもので、うまくやらないと何を言っているのか分からない文章になります。
でも、それを当然だと思う気持ちは単に文責の放棄になるというわけではなく、まあそういう風に聞こえかねないニヒリスティックな話なのですが(つまり「それを言えばおしまいよ(あるいは何でもそうじゃないか)」という)、分かりにくく書かないと伝わらないこともあるのです。
その「分かりにくく書かないと伝わらないこと」を言い換えると、それは「万人に分かる(ことを目指す)ようには書かれていない」。
そして「分かる人にしか分からない文章」というのは、きっと宛先のある文章は本来すべてそのはずなのですが、「読む人(の中身・思考・価値観…)を限定する文章」であって、そして一番大事なところでそれは「読み手の自覚が問われる文章」である。
宛先のある手紙は「この手紙は特定のあなたに向けて私が書きました」と明示してあるので、その手紙の読み手はその明示内容を了承するだけで「読み手としての自覚」を獲得します。
そうではなくて、読み手にとって宛先が書かれていない文章を読み手が「これは自分に対して書かれたものだ」と自覚するためには、どうしても、その文章の中身と自分自身との間で何かしらの照合が行われなければならない。
僕は文章がうまくなりたいとは思っていますが、「”うまい文章”とは具体的に何を指すのか」と言われれば、それは上記のような文章であって、それはとりもなおさず僕が今まで読んできた本の中で、著者が僕自身を知っているはずもないし特定の誰に向けて書かれた本なのかも分かるはずがないのに「この本は僕に向けて書かれたものだ」と思わせてくれた文章です。
この点で、僕の中で「文章を読むこと」と「文章を書くこと」が繋がっているのかもしれません。
+*+*+*
相変わらずとりとめがないですが、「ゆくくる」はこのあたりで〆としたいと思います。
今のところ平和な(仕事・私生活を含めた)生活が維持できていて、しかし僕の中にも、そして会社の方にも「状況ががらりと変わる可能性の核」があるのを僕は感じています。
その可能性の実現(「核」の成長)を望むでなく望まぬでもなく、まあ受け身的になるのでしょうが、どう状況が動いても自分を貫けるように、今年を過ごしていけたらと思います。
今年も、どうぞよろしく。
chee-choff]]>
interlude ~足裏に汗をかかない女の子と霊道~
http://cheechoff.exblog.jp/21437315/
2015-01-01T13:25:00+09:00
2016-01-03T22:52:56+09:00
2015-01-01T13:26:08+09:00
chee-choff
その他
そんなに経ったか…という感じでした。
登っている間のことを少し書きます。
+*+*+*
「和歩」はナンバ歩きの「腰をねじらない動き」をコンセプトに、関連の文章から勝手に想像して自分でつくりあげた歩き方です。
同じ側の手足を一緒に出すのですが、手の振りを歩行のために使わない(振っても振らなくてもあまり変わらない)ので歩くスピードは遅いです。
と、これを始めた最初(2ヶ月くらい前かな)は思っていたのですが、慣れてくるとスピードが出せるようになってきたようで、そうすると別の不安が出てきます。
この不安は昨日歩いていて感じたことで、もとの歩き方(西洋歩き)と似たようなスピードで歩けてしまうと「どこが違うんだ?」という錯覚に陥ってしまうのです。
手はほぼ体の側面につけるとか、脚まわりの複雑なねじり方とか、やり始めた最初は「慣れない違和感」があってその違和感をこそ「和歩」の特徴として実感していたところがあって、その違和感が取れてしまうと、歩行感覚のよりどころがなくなって「これでいいのだろうか…」という疑心が生じてくる。
元々の目標というか、歩行法の変更による到達点をちゃんと決めてはいないし(全身をバランス良く使う、という曖昧な目標はあって、それは日々の身体の状態がアウトプットになるのであって歩行中の身体の状態がどうという話ではない)、これといった見本があるわけでもないので考えてみれば当然の成り行きではあります。
今後どうなるかはやりながら考える、というこれは最初からの変わらぬ方針であります。
「和歩」に慣れてきたとはいえ、まだ歩き方を意識しながら歩く段階ではあって(でも気が逸れた時に西洋歩きに戻ることはほぼなくなりました)、はちまんさんへの道中はあまり考え事はしませんでした。
また普段歩く時はメガネをかけないことにしていて、そうすると周りの景色が全部ぼやけているので、特定の何かが目についてそこから思考が広がるということもありません。
大晦日の夜の道は静かでがらりとしていて、時々通る車以外に動くものがほとんど見あたりません。
それで(いつにもまして)目を瞑って丹田を意識しながら歩いてまっすぐ進めるかを試したりしていました。
やりながらちゃんとは数えていませんが、たぶん10秒くらいは不安が起こらずに歩けます。
この「不安が起こらない状態」は視覚以外のセンサーがちゃんと機能している状態であって、定常的に聞こえていた音の方向の変化や(これはすなわち歩く方向が斜めにズレたことを意味します)、すぐそばに壁や停められた車や電柱などの物体があった時の音の反響の変化に気付くことができます。
その状態だと、ふと目を開けるとそれらの違和感の元のものをちょうど確認できるタイミングになっていることがあります。
一方で、目を瞑る時間をだんだん伸ばしていきたい思いもあって、しかしそれを意識し過ぎると「まだいける、まだいける」と無理して目を瞑り続けることになって、そうなるとセンサーの感度が落ちます。
まだ溝に落ちたことはないですが、歩道の側溝に落ちそうになったり、壁に腕をこすりそうになったことはあって、そういう時は決まって無理をした時で、センサーがちゃんと機能していればそのような状態に至るより前の段階で勝手に目が開く、ようになっています。
たぶんこの「勝手に」といった感覚が大切で、自動運動というか不随意筋的反応というか、意識が介在しない領域の感度の話なのですね、これは。
これはこれで面白いのですが、いちおう目指すところみたいなのを敢えて言えば、「君子危うきに近寄らず」を地でいきたいというもので、君子かどうかはさておき、歩くにしても自然な感覚で道を決めれば勝手に危機から遠ざかれるようになればいいなあ、と。
たとえば歩いて旅に出るようなことがあれば、こういった能力は死活的に重要となってくるでしょう。
話を進めまして…
例年通り、舗装道路から途中で逸れて鬱蒼と竹薮の生い茂る砂利か土の林道(最初の方は道の真ん中だけコンクリートが敷いてあります)に入ります。
雨が少し前に止んでいて空が見えていたので、月の光で林道がわずかに見えていました。
また自分の前後には懐中電灯を持った集団がいたので、それらの光も頼りにしつつ進みました。
この林道の上り坂(帰りの下りでもそうですが)でも実感したのですが、「和歩」はやはり安定感があります。意図せず石ころを踏んで足下が不安定になった時にも、身体全体はあまりぐらつきません。手の振りを使わずに歩行動作のバランスをとるので、もともと足腰で身体全体のバランスをとるようになっているようです。
これに慣れておけば天狗下駄で外を歩けるかな、と(これは書いている今ですが)思いました。
林道を抜けて舗装道に合流すると、もう八幡宮の入り口近くです。
実は新年を迎えたのは林道の途中で、それは前を歩いていた若者の集団が騒いでいたので分かったのですが、つまり門の前には14年内に辿り着けなかったわけですが、まあもう感慨も何もありませんね。
ここ数年はずっと間に合ってないのですが、それより前に門の前で大勢の参拝客と並びながら新年を迎えた時はカウントダウンが自然とわき起こり、笑い声や拍手などでちょっとした一体感が味わえたりもしました。
それを今回も見られたらなあと少し思っていましたが、まあ間に合わなければ、それはそれでかまいません。
そして門の前の警備員の方々を眺め、去年の矢やお守り回収所の売り子(?)さんを眺め(どうも僕は舞台裏を眺めるのが好きなようです)、門をくぐると「矢の願掛けをする舞台」のそばへ行って和楽器の演奏と巫女さんが矢と鈴を手に舞うのを横目にしばらく立ちます。
僕は左右の視力がアンバランスなので(左目が近視、右目が遠視)、焦点の位置が左右で異なります。位置が異なるというのはすなわち左右の焦点が同時に合うことはなくて、それを応用(?)すると、左右の焦点が同じだけズレた所にもってくると左右とも像がぼやけてしかも像が分裂することになります。そういう状態の目で巫女さんの舞を見ていると何かの夢のような幻想的な雰囲気があり、「目に焼き付ければ夢に出てくるかなー」などと思いながらしばらく眺めていました。
その同じ位置に立ちながら、参拝客の観察もします。これも例年通りで、その人の表情や動き、連れや服装など全体的な雰囲気を感じつつ表情に見入ることで「その人になりきる(感情移入する)」という妄想遊びです。何年も同じことをして、去年までは思い付かなかったことがあって、これは『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹)の主人公のようだな、と思ったのでした。ストーリはちょっと忘れましたが、仕事にあぶれた主人公が1週間かそこら東京の繁華街でひたすら人間観察する、といった場面があったように記憶しています。別に小説内に限らず、春樹氏自身も外国旅行(半定住)のエッセイで自分がそのような人間観察をしている内容の記述があります。そういう連想ができれば、自分の妄想もなんだか経路が生まれたというか、自分一人で閉じるものではないような気もしてきます。これはまあ、その人の意識次第ではあります。
人間観察に飽きることはなくて(今年は心的な余裕があったのもあります)、しかし体が寒くなってきたところで再び動き始め、本殿のまわりを順路通りにひとまわりして、お守り売場の近くに居場所を決めて佇み、今度は売り子さんと宮氏さん(というのか、売り子さん達を取り仕切る男の人)を眺めていました。売り子さんは大体が若い女性(年齢制限がどうあるのか分かりませんが、中学生くらいの人もいました)で、少し系統的に眺めていると、誰がバイトで経験がないのか、または何年もやっていて要領が分かっているのか、あるいは参拝客の応対における個性などが分かってきて面白いです。お守りが置かれたカウンターの対面で待機している時と、客と応対している時とで表情がくるりと変わる人と、全く変わらない人がいました。前者の人は営業スマイルの中に素の表情が垣間見えるということかもしれないし、素の表情ではなく「待機中の引き締まった顔」なのかもしれない。あるいは、後者の人は単に愛想がないだけかもしれないし、店頭に立つ間はずっと緊張感を維持できる人なのかもしれないし、肝が据わっている人なのかもしれない。見ている時はそれらのニュアンスまで感じられたのかもしれませんが、今はあまり具体的な印象が残っていません。去年あるいは例年と比べて、と言えるほどちゃんと見てもいないし記憶もありませんが、なんとなくの印象でいえば、今年は経験の浅い人が多かったのか、カウンターの手前と奥とで空気の違いがあまりなかったように思います。神社のお守りの売場ですからそれなりに独特の(神聖な、といえばまあ言い過ぎでしょうが)雰囲気があってもいいのですが、なんだか「一般的なお店」という感じがしました。だから何だという話でもありません。
そしてまた体が冷えてくると、切り上げ時かと思い門を出て、これもいつも通り焚き火にあたります。ここが他の参拝客の雰囲気が一番感じ取れる場所で、別に会話を逐一聴いていたわけでもないですが、しばらくあたっていると隣に数人の女子高生か中学生かがやってきて、足を焚き火の上に出して暖め始めました。一人は靴のまま足を出し、もう一人は靴を脱いで靴下の状態で足を出したのですが、後の子が「ねーねー、足から湯気出てるよ。何でやろ」と言い、連れの子が「それ湯気ちゃうよ、煙やよ。焚き火の煙が移っとんよ」と解説していました。んなアホな。
そして体が暖まってから神社を出ました。去年見つけた「真っ暗闇の道」を今年も通りました。その道は公衆トイレがあって明るい場所のすぐそばから入り口があるのですが、道に明かりがないので本当に真っ暗で、誰も近寄らないところです。そこに踏み入れると、暗闇に目が慣れるまでは本当に真っ暗で、踏みしめる足の感触だけで進んでいく(しかも下りの傾斜がきつい)ちょっとスリルな場所なのです。ゆっくり、ゆっくり下りて、しばらく進むと頭上を覆っていた木々が薄くなる地点があって、その場所からの月が本当に明るく輝いて見えました。半月より少し膨れたくらいだったでしょうか。月にしばらく見とれ、再び道を進み、行きに通ったアスファルトの道(白線で引いた駐車スペースがあるところ)に合流して、あとは行きと同じ道で帰りました。
その帰り道で、林道の途中でコンクリートの敷いてある地点まで戻った時に、コンクリートのぼやけた白っぽい輪郭以外がまっくらな状態を十秒ほど体験しました。それまで後ろにいて懐中電灯で僕よりも先を照らしていた参拝客が僕とは別の道を下っていったので、僕の少し明るさに慣れた目がもとの暗闇にすぐに適応できず、その白の輪郭しか見えない状態がふいに到来したのでした。それが不思議で、下りはメガネをかけていたので焦点が合うはず(とその時は思っていた)が白の輪郭はぼやけっぱなしで、歩みを進めても白の輪郭は全く形を変えないように見えて(進んで大丈夫だ、というのは分かっているのでとりあえず足は動くわけです)、要は目を開けながら進んでいても目に映る景色が全く動かないという体験だったということで、その時に「霊道」という言葉を思い付きました。これもまあ、それだけなのですが。
林道を抜けた後は軽快に歩き、何事もなく家に着きました。そういえば毎年飲んでいた(去年はどうだったかな…)「缶ジュースお汁粉」(屋台でもお汁粉は売っているのですが、なぜかいつも自販機で買っていました)は、今年は飲みませんでした。確かに飲めば温まるのですが、いつも後味に多少の不満があった記憶のためか、あるいは夕食の食い過ぎでこれ以上腹に入れたくないと思ったか、別にそんな大層な話ではないですが下山前に缶お汁粉のことを思い付いた時に「飢餓ベース」という言葉を連想し、まあお汁粉はいらないかと思ったのでした。その言葉には、人類の(文化云々よりもっと昔も含めた)歴史において「食べ物を食べたい時にいつでもありつける時代」よりも「いつも空腹で食べ物にありつける時の方が稀だった時代」の方が圧倒的に長くて、人間の身体の仕組みは有史以前とほとんど変わっていないのだから後者の時代に適応した身体のメカニズムは現代人にも残っているはずだ、といった意味が込められていて、まあつまり缶お汁粉は飲んでも飲まないでもよかったけど飲まなかったというだけの話でした。
そして26時前に家に着き、風呂に入ってすぐに寝ました。
今日になって、足の筋肉痛はそれほどでもなく、身体もまあまあ元気なので「去年よりはやっぱり健康やね」という感じです。
なんだか、どんどん詩的じゃなくなっていくなあ…
(というのは、たとえばおととしの”interlude”の記事を見て頂ければよくわかります。面倒になってきたかな、ははは)
+*+*+*
上を書き上げて、読み返してからサブタイトルをつけてみました。
「女の子」ならなんでもアリだ、というのは今の風潮かな、と思ったりします。
それにのっかったわけではないですが…さてどんな連想が浮かぶでしょうか。]]>
ゆくとしくるとし('14→'15)2
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2014-12-31T18:54:00+09:00
2016-01-03T22:43:01+09:00
2014-12-31T18:54:16+09:00
chee-choff
思考
毎年お世話になっています。
この時期にだけ聴こうと決めて数年経ち、もうすっかり、「この曲を聴けば気分は年末」が定着しました。
【初音ミクインスト】ちいさい音ダイアル
+*+*+*
今年は、一年が経つのがとても早かったように思います。
一年が、とても短調に、あるいは平和に過ぎていきました。
短調の意味は、一年を通してほぼ習慣通りのことをしていた、ということ。
その習慣は、自分で試行錯誤して組み立てたものです。
平日は会社から帰ったら夕食を食べて読書して、ブログを書いたり書かなかったりして、シャワーを浴びて寝る。
土曜は朝か昼前に出てブックオフまで歩き、数時間立ち読みしてから「日高屋」でニラレバ炒め定食を食べ、ベローチェで本を読み、歩いて帰路のフードワン(というスーパー)で一週間分の食糧その他を買い込み、帰宅して夕食を食べ、マンガあるいは本を読み、たまにブログを書き、寝る。
日曜は一日中マンガあるいは本を読み、たまにブログを書き、合間に棒を振るかステップを踏むかをし、シャワーを浴びて寝る。
シャワーの前には天狗下駄を履いて剣を振り、ステップを踏み、あるいは丹田に意識を集中させて直立不動の姿勢を維持します。
大枠はこのようなものですが、この大枠も今年の間に少しずつ形を変えながらいつの間にか安定しました。
そして細かいところでは、変化が続いていたり、一定の変化を含めての習慣に定着させたりしています。
たとえば、朝食のグラノーラにトッピングするジャムときな粉の種類は、ひとつを使い切る周期が長いので銘柄をいろいろ変えていて、まだ一種類に定着はしていない。
これはウィスキーも同じです(ウィスキーは読書時の「気付け薬」として毎晩ちびちび飲みますが、2,3月に一本ペースです)。
また、土日の夕食は何かしら肉を食べるという習慣については、「2日で使い切るパック肉」という縛りで土曜の買い物時にいろいろ選んでいました(味のついた牛肉、ラム肉、なにかのステーキ、カツレツ風味のなにか、鶏のつみれ等々)が、これは「カツレツ風カレー風味の鶏肉」にほぼ定着しました。
一方の平日の夕食は「肉と魚を交互に食べる」というルールを設けて、それに沿って買い物をするのですが、買い物が週に一度なのでこちらは日持ちするものが選ばれることになり、肉は(昔はウィンナーも買っていたのですが)個包装で3つ入りの「チーズ入りハンバーグ」が定着し、魚はいわし等の煮付けかなにかの干物かじゃこあたりをぐるぐるしています。
これらの習慣は、明確な効果を期待して決めたわけではありません。
習慣をつくろうとしたときに、その場の勢いや偶然起こった出来事(たとえば「その食べ物をスーパーで眺めていて何かが閃いた(連想された)」など)によって始められたものです。
そしてその偶然性(偶然というぐらいだから中身ではなく、その形式として)は僕自身が意図したもので、偶然が偶然のまま活かされるのはその内容には因らない、という経験を身体に刻み込むという目的をもっていました。
もちろん、内容を全く意識しない選択はありえないのですが、それでも何かしら長期的に未知な方向性を含んだままで選択をするので、失敗はありえます。
僕自身はこの失敗の経験はあって、それは一昨年のある時期に一日二食(朝・晩)で晩にたらふく食う生活が肝機能の低下をもたらした(健康診断で「なんたらGPT(GBT?)」の数値が高く出て備考欄に注意書きがなされた)というものです。
これは食生活だけが悪かったわけでもないですが(去年の暮れに異動する前の部署ではけっこう苦労した)、自分で考えて設定した食習慣には違いなくて、そしてそれは1年か2年か続けてみて自分には合わなかったという結果が当時の身体的不調にも出ていて(その頃は自覚はなし)、それを健康診断の結果で裏付けられたのでした。
これは、今思えばですが、よい経験だったと思っています。
「自分で変な習慣をつくらなければよかった」とは思わなくて、自分で決めたことが引き起こした結果なのだから引き受けるしかなかった、と思います。
この失敗があったから、去年の暮れから始めた生活習慣(主に食習慣)の改善が今度はマシな方向に進んだ(現時点では、ですが特筆するほどの不調はありません)ともいえますが、「よい経験」という意味の第一はこれではありません。
その第一とは、結果がどうあれ、「自分が決めたことの結果を自分の身に引き受ける」という経験ができたことにあります。
生活習慣と健康の関係について考える時にいつも思い起こすのが、日光浴の話です。
何年も前に読んだ本で出典が思い出せませんが、その本によれば、昔の日本(戦後すぐくらい?)では日焼けは健康の証として推奨され、学校でも「健康優良児コンテスト」みたいなものでいつもこんがり焼けた子どもが選ばれていたらしい。
そういえば一昔前(これはそんな前ではなくて、たぶん80~90年代でしょうか?)の飲み屋に貼られたアイドルの水着のポスターなんかが真っ黒に日焼けした人(そして片手にはビールジョッキ)だったりするのも「日焼け=健康」志向のあらわれのような気がします。
日焼けサロンが流行った時代もあるようですが、それらは単なる流行として認識されていますが、今は日光の浴び過ぎは皮膚に良くないというのが常識になっています。
オゾン層が薄くなったとかはよく分かりませんが、これは昔は健康だと思われていた習慣が実は(やり過ぎは)体に毒だった、という話の一例になるかと思います。
(ここまで書いてうっすら記憶が…西部邁の自伝か何かに書いてあったかもしれません。『サンチョ・キホーテの旅』かな…?)
科学が進歩する以上はそんなことは(スパンは長いですが)日常的にあるはずで、このようなある選択がある結果をもたらすまでにとても長い時間がかかることに対しては誰かに責任をとってもらうことができない。
できなければ、その結果はもう自分の身が引き受けるしかないわけです。
僕はこの日光浴の話を読んだ時にこのようなことを考えて、「その結果を”自分の身に降りかかった不幸(災厄)”と考えて後々まで引きずるのはイヤだな」と思いました。
つまり、自分の身に起きたことはちゃんと自分のこととして引き受けられるようにしたい、と思ったのです。
これは自分が選択した行動についてだけではなく、誰かから強制されたのだとしても同じことです。
強制される、という言い方はある限定状況の中で成立するもので、それはどんな状況であっても「強制の外」に出てしまえば強制でなくなるということです。
所属する会社が社則で社員を厳しく律する場合は、社則という強制はその社員が社員である限りにおいてしか機能しません。
たとえば家族を養う社員がその会社に所属することを「不問の前提」とすることはよくありますが、彼にとってはその前提を問おうと思わない限りは社則が絶対的な強制になるわけです。
強制されることは平時にはむしろ推進力となるので、「不問の前提」は社員が余計な疑問を持たずに会社のために働き、また会社員としての自分と家族の一員としての自分を安定的に両立させることができます。
僕は、いや今の僕はということですが、この「不問の前提」を立てる気はありません。
話が変な方向に逸れました。
僕が習慣を自分で作るのは上でも書きましたが、少し言い方を変えれば「どんな習慣でも自分なりの文脈を見出して引き受けられるようにする」ためかもしれません。
受け身の人間がその特性を活かすための一つの方策です。
もちろん僕の「受け身」は、「受ける前に逃げる」ことも選択肢に含まれます。
何にせよ、降りかかる出来事に対する意識以前の初動があり(それは(瞬時に思い至らないほどの)長期的には知りませんが、短期的には身体の望むところではあるはずです)、その初動を意味付けできる知的体力は身につけて(あるいは維持して)おきたい思いはあります。
この「意味付け」は決して肯定には限られません。
晩ご飯食べます。
今外は雨のようですが、今年ははちまんさん登れるかなぁ… 18:53
+*+*+*
紅白見ていてふと思ったんですが、今のJ-POP(特に若い女性グループの)はほとんどK-POPのノリなんじゃないかと。
歌も化粧も。
で、K-POPというのは現代的な和洋折衷(顔はアジアでスタイルは欧米、という)なのかな、と。
折衷できているかは知りませんけど。
あと、細々とした感想を…
・水樹奈々とTMRの組み合わせは去年も見たような
・郷ひろみはもう声出てないですね。舞台を恥ずかしがったらどうしようもない
・徳永英明は声が太くなったような…声変わり?(笑)
ああそういえば、これは橋本治が広告時評の連載(つまり『ああでもなくこうでもなく』シリーズ)で書いていたことですが、テレビが楽屋オチに手を出し始めたらもうプロではない、ということはたとえば「失笑なしに紅白を見れない」ところに現れるのだなと思いました。
舞台裏がちらりと見えて微笑ましいのは学芸会までで、テレビのそれは最初だけ「これはそうなってたか」という仕掛けに対する驚きやら意外性が楽しめるものの飽きてしまうともう正気では眺めていられない代物になる。
さっきの話ではないですが、「テレビは茶の間(リビング)で家族で(あるいは一人で)食事中に見るもの」みたいなのが不問の前提になっていると、正気でいるという選択肢がなくなります。
狂気は時々には必要でしょうが、「常に狂っている」のは、まあそれが正常になるしかないという意味で狂気の沙汰ですよね。
縮小していく社会の中で経済成長を目指すというのも「バブルの再来を望む狂気」なのかなと思いますが、これは別の話ですね。
さて、話を戻しますが…どこに戻ればいいかは不明ですね。
雨は止んだようなので石清水八幡宮には今年もなんとか登れそうです(寒さからして降るなら雪だと思うんですけどね)。
さて。
今年はあまり書くことがないような気がします。
これは生活が落ち着いたことと関係していて、僕は昔から昇華で成果を出すタイプなのです。
どういうことかといえば、ちょっと前に別のブログで引用した保坂和志氏のエッセイに「僕は軋轢を墓碑銘としよう」というタイトルの一節があります。
そのエッセイでは保坂氏が小説家になる経緯のようなものが少し書かれていて、詳細はちょっと忘れましたが(出典は『魚は海の中で眠れるが、鳥は空の中では眠れない』…ちょっとタイトル違うかもですが、こんな感じの本です)、自分に降りかかってきた数々の軋轢が今の小説家の(あるいは思考の)スタイルを形作った、という話がありました。
これを読んだ時に「僕も同感だなー」と思ったのは、僕が身を捨てて(と書くとオーバですが、つまり自分のことを考えずに)何かに取り組む時はいつも、「乗り越えるべき壁がある時」だったからです。
受験勉強が典型的にそうですし、文化祭の時の文化委員だって、音楽フェスの実行委員長だって状況でいえば同じです。
役割が与えられて、厳格な使命と多少の手段の自由が与えられて、僕自身にそれらを与えた主体は(僕自身の力では如何ともし難い)「権威」のようなものです。
受験勉強については実は自分自身の問題であって、自分の考え(たとえば将来像)次第で手を抜くことも止めることもできたはずですが、たぶん「受験戦争」という表現そのままに(自分のためではなく権威のために)一兵卒として闘っていたのでしょう。
本当に自分だけのためにあんなに頑張れるはずがない、と今の僕なら思います。
睡眠時間を削って栄養ドリンクやビタミン剤で身体を「駆動」させていたわけですから。
受験勉強というのは、マジメにやればやるほど、中学生(あるいは高校生)の「自然な(成長の?)方向性」をねじ曲げる作用があると思います。
その意味では、勝利した者は変わってしまった自分に泣き、敗北した者はその敗北に泣く、「誰も得をしない勝負」でもある。
唯一の勝利者は「勝負に勝ち、なおかつ自分が変わったことに気付かない者」で、彼はそのことに気付くか、どこかで負けるまで「終わらない受験戦争」を闘い続ける、という…
図式化してもしょうがないですね。
話を戻しまして。
つまり、僕は(自分でいうのもなんですが)「おお!」と感心するようなことをたまにポンと書くことがあって、それはいつかといえば「会社や生活で苦労があった時」なのですね。
異常時にハイな状態で書いた文章を平時に読めば自分でも他人事のように読めるし、「ホントに自分が書いたのか?」とすら思うこともある。
そんなことができるのはきっと「昇華症」(また命名してしまいましたが、前に書いた「ついで症」と似たところがあります)だからで、ある意味貧乏性の応用なのですが、「転んでもタダでは起きない」ですね。
というか、より正確には「転んだらタダでは起きない」でしょうか。
転んだらその後の展開も合わせた収支は必ずプラスになるが、転ばなければマイナスがないかわりにプラスもないという。
しかしこれは自分から打算的に転ぶと転びっ放しになったりもするので、利便性は薄いというかコンビニエンスに欠けるというか。
まあこういう性質の人間は「思い通りにいかないこと」をすんなり受け入れられたりもするのですが、そうすると「思い通りにいくのが当たり前」の社会(例えば会社でやる仕事なんてのは予定通りにやるのが普通なわけです)の中では浮いてしまうことになる。
その性質を自覚し続ける限り、社会の中で浮き続ける。
あるいは沈み続ける。
話が別の所にいきますが、「まわりから浮く」が悪目立ちの表現として使われますが、川や海のメタファで「浮きも沈みもしない」のはどういう状況なんだろうとふと思いました。
「出る杭は打たれる」とも言いますが、「出ない杭」というのは「既に打たれて頭が地面に埋まっている杭」ということで、まあモグラでもなければ息苦しくてかなわないですよね。
地位や順位の変動が頻繁なことを「浮き沈みが激しい」と言った気がしますが、これはやはり水に浮かんでいるもののメタファのはずで、(浮かんでいる媒体の水に)「波がある」と一緒です。
そうか、浮き沈みがしない状態というのは波がない状態であって…あれ、でもやっぱり通常状態が「浮いている」ことになりませんかね?
まあきっと、「水に浮かんでいることが不安定」という考え方ではなくて、「水に浮かぶのは当たり前だが、(波があったりして)上下にぐらぐら揺れるのはみっともない」という考え方なのでしょうね。
しかし位置が安定しているとはいえ、なぜ水に浮いた状態をデフォルトと考えるのか…少しでも潜っていれば息はできないし、顔を水面から出して口や鼻でスーハーやるのも何だか品がない。
…もしかしてメタファの元は忍者なのでは。
あの「水遁(すいとん)の術」ってあるじゃないですか。
あれは隠れてるわけで、「窓際社員」的な…。
話を戻しまして。
つまり、生活が平穏無事だと僕の指も鈍るというわけですね。
それはありがたいことでもあって、そしてなんだかつまらないことでもある。
「物事にはなべて表と裏がある」を地で行く、ということでしょうか。
まあそんな時はあまり自分のことを考えずに本をひたすら読めばいいのだと思います。
あはは、なんか今年の分、終わっちゃいそうですね。 22:13
+*+*+*
空が見えていて雨は降らなそうですが、風が強い…そして寒い。
まあ、登りますよ、雨じゃなければ(雪でも登ります)。
というわけで、今から準備です。
今年は年が変わるまでに門につけるかも…
あ、でも「和歩」で歩くようになってからスピードは落ちたからなんともいえんな。
(和歩はまあ自主開発の「ナンバ歩き」みたいなものです)
というわけで(どういうわけで?)、皆様よいお年を。 23:07]]>
ゆくとしくるとし('14→'15)1
http://cheechoff.exblog.jp/21433977/
2014-12-31T13:12:00+09:00
2016-01-03T22:09:26+09:00
2014-12-31T13:13:31+09:00
chee-choff
思考
まずは年の暮れの話を少し…
会社の長期休暇は、いつもちょっとした事情で期間がずれることがあります。
今年は工場のラインの立ち下げ・立ち上げ予定の都合上、29日が年末最終出社日となりました。
日程がそんなぎりぎりなので、飛行機で実家に帰る人などは29日に有給をとって26日から休みにする人も多かったらしい。
きっとその影響で、納会の参加者がいつもより少ない気がしました。
それはそれだけで、他に変わったことはありませんでしたが…
僕は29日もちゃんと出て大掃除にも参加しました。
掃除時間が2時間もあって、しかし今年は事務室や会議室の掃除なので共有場所はすぐ終わり、自分の机まわりの掃除をずっとしていました。
知財に来て仕事が完全にデスクワークになったので、仕事で使った紙の整理が大変でした。
僕はディスプレイを長時間凝視する目の体力がないので、自分が文章を書く時以外はたいてい印刷して紙媒体で読みます。
その印刷した書類が、一年で3~4センチはあったでしょうか。
とっておく分といらない分をより分けてシュレッダーにかけるだけでけっこう時間がかかりました。
これがオフィスワーカか…という感じでした。
そういえば知財に異動した時から目の具合がぎりぎりで、ディスプレイが見れないとなれば仕事にならないのでどうなることかと心配したのですが、1年経ってみればなんとかやってこれたようです。
ぎりぎりでつらいと思っていた期間がある程度続けば、それが通常になってしまう、ということかもしれません。
肩こり(肩よりは首にきてますが)も悪化はどこかの段階で踏みとどまって、こりの感覚はとれませんが「このままでもしばらくは大丈夫かな」というくらいに安定してはいます。
この点は、こりの自覚が全く無くなればよいとは思っていなくて、何度も書いていますが、オフィスワーカの宿命てあり引き受けざるを得ない症状である一方で、自覚がなくなることは麻痺でしかないからです。
「麻痺してこそ一人前」というのが(この表現では語られませんが)常識でしょうが、その意味でなら僕は一人前になりたくはない。
人は身体を動かしたくなるのが自然で、動かせば身体感覚は鋭敏になるし、動かして疲れた後の睡眠は純粋に回復として機能する。
脳と身体のバランスという時に、身体側で維持すべき最低限のウェイトはそこではないかと思います。
だから、身体を使っていなくて全身がだるい、あるいは局所的に使うことでこりや痛みがあるというのは僕は「引き受けるべき不調」だと認識しています。
体調の話で思い出したのですが、風邪などの体調不良の「発症から回復までの過程」が、昔と比べて曖昧になったという感覚があります。
たとえば子どもであれば、風邪を引けばとたんに熱が上がり動けなくなって寝込むが、一晩寝ればあらスッキリ、といったように状況の切り替わりが早いしシンプルです。
僕の今の感覚は最近自覚したというわけでもないですが、たぶん社会人になって何年か経った後のことで、それは「いつの間にか風邪を引いた」「いつの間にか風邪が治った」と自覚が遅れてやってくる感じで、そして症状が軽いのか寝込むほどではなく(会社を休むほどでもなく、じっとしているより仕事をした方が治りが早いとすら思う)、症状の移り変わりも境目がなくゆっくりしていて、治った時の爽快感も特にない。
ただ、治った時には「なんとなく身体の全体が好調かなあ」と思うこともある。
まあ年相応の変化だとは思います。
もう少し体調の話を書こうと思いますが、昼食のようなので一旦中断。 13:12
+*+*+*
さっきは何を書こうとしたのか…
体調の話はまた思い出したら書くとして、思い出そうとして出てきた別の話を書きます。
たぶん「ミラーニューロン」の話です。
事務室の自分の席のそばにはよく喋る先輩がいるのですが、まあ本当によく喋るのですが、仕事が追いつめられていたり眠かったりすると静かな時もあります。
それで僕はその喋りに参加する気は全くないのですが、そして僕は外乱に弱いので僕自身の仕事効率も落ちるのですが(これはもう「そういうものだ」と思っています。その中身も考えてはいるのでまた後で書ければ…)、なんというのか、その人の喋りが耳に入ってくると、「お喋りをしたい」という僕自身の欲求が低下するようです。
あまりにも静かな事務室でずっと仕事をしていると喋りたくなることはあります。
これは気詰まりというか、人はずっと黙っているよりは時には喋る方が自然だから(と書きながら自分には当てはまらないのではと思っていますが)と思います。
一方で、そばでなされる会話に自分との関連があったり混ざれそうな雰囲気があれば、これもまた喋りたくなるものだと思います。
また、そばでなされる会話が自分と全然関係のないものであっても、それが聞こえるうちに「自分も喋りたいなあ」と思えてきて、何かきっかけがあれば別の場所で知り合いと話に花が咲く、というこれは昔はそう思っていた気がするという話です。
僕が感じたのはこの3つの状況のどれとも違うなあというもので、もしかすると会話が耳に入るだけで僕自身も会話しているような感覚を得るのかなあとその場で想像したことがあるのですが、別の解釈もあって、ひどい話なんですがそばで聴いている会話があまりにつまらないと「会話ってのはつまらんなあ」と思ってしまい意欲が削がれる、ということかもしれません。(この文の前者がミラーニューロン的解釈ですね)
その「つまらない」の対象はこれを読んで最初に思われるような「会話の内容」ではなくて、むしろ形式というか機能の方です。
会話の内容がどれほどつまらなくても、複数の人が会話することの機能はちゃんと発揮されます。
たしか「交話的コミュニケーション」という言い方だった気がしますが、「こんにちは」「やあ、こんにちは」といった挨拶には内容もへったくれもなくて、でも挨拶すれば元気になります。
ただ、では挨拶すればなんでもいいのかと言われればそんなことはなくて、逆に気を滅入らせるような挨拶もあるわけで、たとえばこのような挨拶を僕は「つまらない」と思っています。
挨拶にしろ会話にしろ相手がいて始めて成り立つもので、そして会話はそうなんですが情報交換以前に「相手のことを見ている」ことが全てのコミュニケーションに本来は含まれています。
「相手のことを見ないコミュニケーション」もそれはそれで「僕は君のことなんてはなにもかけない」といったニュアンスを相手に伝える意味で一つ繰り上がったコミュニケーション(メタ・コミュニケーション)になるのですが、これはそばで見ていてあまり気持ちの良いやりとりではありません。
あるいは「お互いが独り言のように喋る」ような形式もあって、自分が知っている内容だけ、あるいは気が向いた時にだけ返事をするような言葉のやりとりは、それがお互いでその形式(でコミュニケーションを行うこと)を了承しているのだとしても、やはり第三者からすれば気味の悪いものに見える。
そういう分析をしておかないと自分も染まってしまう、という危うさがあり、そばでその会話を聴いていて何も感じなくなるのはそれで仕事の効率が上がったとしても断固望むところではない、と思っている。
だからあまりこの解釈に固着していてもよくなくて、要は今の状況に落ち着きたくないということですが…
あ、でもこの話はひとつの具体例の中の話であって、全体としては今の仕事と生活はとても落ち着いています。
いつの間にか話が重くなっていますが、この「全体として」の方を少し掘り下げたいですね。
小休止です。 15:37
+*+*+*
話ががらりと変わるようで実は続きなんですが、僕はほぼ毎晩夢を見ます。
夢の内容自体は様々で、内容にはここでは触れません、というか再現できるほど記憶に残ってもいないのですが、でも「沢山見たなあ」という経験の記憶は残っています。
夢を見る時と見ない時の違いは自分ではある程度分かっていて、たぶんその日に読む本に因っています。
そしてそれは本の内容というよりは「本の内容の様々さ」に因るのだと思います。
夢を見る仕組みについて解釈はいろいろあるようですが、僕がなるほどなあと思うその一つは、「その日に起こった出来事を整理する」というものです。
その日一日が整合的に、あるいは思った通りに過ぎたとすれば、夢を見ることはあまりない。
逆に、一日で色んなことが起こったり、予想もしなかったことが起こったり、出来事の間につながりが見出しにくい複数の出来事が起こったりすると、それらの文脈をつけるために夢を見ることがある。
単純に対比させればこのようになりますが、だからといってその日に起こった出来事に関する夢をその夜に見るわけではない。
寝入る前に考えていたことや想像した人が夢に出てきたこともありますが(これもその経験だけで、いまいち中身の方は記憶にない)、割合でいえばほとんどありません。
今は関わることがほとんど(全く)ないかつての知人が出てくる割合が多いようでもあるし、現に今関わりのある人(ほぼ会社の人しかいませんが)が夢に出てくることもある。
夢の内容自体に意味を持たせることはもう不可能と考えた方がよくて(何しろ覚えていないのだから…いや、朝起きた時に書き留めれば残すことも可能ですが、これはたぶん社会人である間はやらないと思います。なんとなく)、「なんだかよくわからんが夢を見ることで頭の中を整理しようとしている」という機能効果を最初に認めてそこから考えていく方が面白いような気がします。
一人でいる時に起こるのですが、考え事ではなくて、炊事や体操など、部屋で何かをしている時にふと昔の記憶の断片が一瞬だけ頭に浮かんでくることがよくあります。
これが自分の見る夢と関係していないはずはなくて(確信)、でもやっぱりその内容を分析しようとは(今のところ)思っていなくて、むしろそういうことが起こるのはなぜかと考えていると、「過去の経験は(記憶がその明示的な一形態として)常に現在に繰り込まれている」ことの実感に繋がります。
これは、「後悔するかどうかはその過去の出来事(行動)の内容よりは現在の状況にかかっている」という言い方もできます。
昔の自分の失態あるいは偉業が、後にその自己評価を変えることがあるのは当然で、それは「思い出すごとに変わる」と言っていい。
偉業を偉業のままで留めたいのはそう思う現在の自分の希望であって、それはとりもなおさず固着であり(自分のある一面の)変化の否定でもあります。
そうしないと切り抜けられない現在の状況がある場合もあるし、あるいはその変化の否定の姿勢によって周りの状況から取り残されてしまうこともある。
例えばそのどちらがいいか、というのは現在の自分が選ぶしかないわけです。
そして、自分が何か大きなことをしようとしている時に、「この経験が将来に苦難を前に切り抜ける力となってくれる」という思い(端的に「打算」ですねこれは)をもってするとすれば、それは「大きなこと」をやる前から結果に対する評価を決めてしまっている、ということになります(もちろんやってみてからそれが覆されることも大いにあります)。
僕が大学3回性の時に大阪から北海道(宗谷岬)までチャリ旅行をしていた間のモチベーションはまさにここにありました。
この意味では、チャリ旅の道中でもっと「今現在の経験」に目を向けていればよかったのかな、と正直に思います。
が、そういう「打算先行の経験」をひとつしてみて(当時はもちろんそんな意識はかけらもありませんでした)、それがもたらしたものも振り返ることができれば、最初は「偉業」と思っていたものが(機会を十分に生かせなかったという)「失敗」になり、その身に染みた失敗が次の成功を呼び込むかもしれない「良い経験」になる、という風にまあ意味付けがどんどん変わるわけです。
自分の中であれは良い、これは悪いという価値観は、確かにあります。
人に押しつけるほどのものでなくとも、行動の選択が考える以前になされる時には、その価値観が無意識に反映されるわけです。
それを「なぜ自分はこれを良い(悪い)と思うのか」と客観的な分析ができることは、ひとつ、自分が落ち着いている状態と考えることができる。
自分に余裕がなければ、自分が良いと思うもの(価値観)に対して「実は全然良いものではなかった」といった認識を呼び込むような思考に手を出すことはないからです。
その意味で、今の自分は落ち着いていると言ってもいい。
いや、ここはそんなに掘り下げたい話ではないのですが…
あ、途中で見失った書きたいことを思い出しました。
毎日本を何冊か併読していて、これはいつの間にか整った時間割に則って進められています(一日の時間割としては、平日に2通りと、土曜と日曜とで計4通りですね)。
ある程度は会社生活を意識した本の選択になっています(たとえばSFは週末に読む、とか)が、それでも一日に読む3~5,6冊(もちろん「読み終える」ではありません。遅読なのでちびちびです)の間に単純な統一性はありません。
会社で起こったことよりは恐らく読んだ本の散漫さによって夢を見ていると上でも書きましたが、このことは読んだ本の話が自分の中である居場所をもったことを意味しています。
その居場所というのが、自分が自由に出し入れして利用・活用できる情報ボックスではなく、何に使うのかよくわからんのでとりあえず放り込む「合い切り袋」なのです。
(「一切合切」という言い方をしますが、「合い切り」はたぶんこれの部分と同じ意味で、「ごちゃっと(混沌と)している」のですね)
「ムダな知識を詰め込む」というニュアンスではなくて、この表現はたぶん知識に一定の形を与えているはずで、そうではなく「合い切り袋に放り込まれるもの」は形をなす前のものです。
(この文脈に従えば、頭の中における「形」というのはつまり決まった意味とか、ある基準に従って下された評価とか、と考えていい)
僕は併読する本の内容同士やそれらと自分の経験とが思いもしなかった形でリンクすることに非常に喜びを見出す人間なのですが、「合い切り袋に放り込まれたもの」はすべて、その喜びの可能性を秘めた断片でもあるわけです。
こう考えると非常にロマンチックな話にも聴こえるし(僕だけ?)、あるいは「なにムダなことしてんだか」という話でもありますが、まあ大事なことといえば、両者はイコールだという点ですね。
何にせよ「自覚は暴走を抑制する」ものですが、この自覚もご多分に漏れず、ですね。
さて、「この一年を振り返る」という話になるかは分かりませんが、こんな感じでしばらくつらつら書いてみようと思います。
下の写真は実家にあった「フクロウ君ライトスタンド」です。
電池式で、頭を押せば身体全体が光ります。
光っても表情を変えないところがいいですね。
あたりまえですけど。
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姪と狸と印
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2014-01-04T00:39:00+09:00
2014-01-04T00:48:06+09:00
2014-01-04T00:36:37+09:00
chee-choff
その他
請われるままに、何がなんだか分からぬまま遊ぶのだが、子どもはそれで大喜びなのだからすごい。
キリンさんのぬいぐるみと粘り気のある輪っか(変な想像しないでね)がいくつかあって、彼女は輪投げが好きらしく去年の正月はキリンさんに向かって輪を投げていた。
が、今年はなぜそうなったのか、僕が彼女に輪っかをかけることになって、5つ全部かけると姪は「ゔぁ〜!」と言いながら蛙飛びみたいな(本人に聞くと蛙ではなかったのだが、というか蛙が帰るに聞こえたらしくちょっと不機嫌な顔になったのだが)ジャンプをして輪っかを周囲にばらまくのが楽しいようだった。その時に手を使わずジャンプした時の慣性だけで輪っかを飛ばすのがこだわりらしい。まあ何度もやって取れない時は手を使っていたけど。
で、飽きずにその「カタルシス輪投げ」(僕のネーミングセンスも意味不明だな)を何度もやっていると、僕が彼女に輪っかをかける時にもなんだか嬉しがり始め(一つ輪をかけてあげるたびに奇声を上げていた。ほんとうにパワフルな子だ)、「テレビで表彰台でメダルをかけられる場面でも見たのかな」と思ったけど(という話からわかるように輪投げといいながらものすごく近距離で輪を首にかけていて、まあ投げてはいないわな)、そんなことどうでもよくて、ただただ楽しいという表情をしていたのが良かった。
あとは豚さんのぬいぐるみの上に積み木をどんどん重ねていくという遊びもしていたのだけど、これもいつの間にやら僕と彼女で交互に重ねていくことになり、しかし僕のそばに積み木がなくなった時に、彼女がそれに気付いて「(積み木を)ちょーだいって言って」と言ってきたことにへぇと思った。
というのもそれが最初だけじゃなくて、手を出すだけだとやっぱり「ちょーだいって言って」が出てくるので、なんだか「自分の言葉によって(その言葉通りに)周りが動くこと」に新鮮さを感じているように思えた。
やはり子どもはおもしろいなあ、未知のかたまりだなあと思った。
+*+*+*
変わって3日はJR沿線そばで火災があった影響で、帰りの新幹線が大変だった。
ダイヤが最大4時間遅れという表示があり京都駅の新幹線改札が人でごった返していたけれど、最初から席を諦めている自分には関係なかった。
とはいえのぞみの混雑が凄まじかったので名古屋からこだまで帰ったのだが、やはり列車が詰まっていて信号待ちが多く時間がかかった。
結局14時前に実家を出て寮に戻ったのは22時過ぎ。
…もちろん京都をちょっと歩いてた時間も入ってるんだけど。
毎度お馴染みの鴨川(高野川)沿いと、今回は下鴨神社に寄ってみた。
さすがに参拝客でいっぱいだったのだけど、途中で『有頂天家族』(森見登美彦)のアニメ版のロケ地巡礼を思い付き、神社の最初の門を入らず右に逸れると人並みがぷつりと途絶えた。
なるほど、ちゃんと人と狸の棲み分けが為されているわけだ。
アニメの場面の細かい部分まで特定できたかなと思ったのは、蛙から戻れなくなる前の矢二郎が総一郎の死に腑抜けて橋から川に突き落とされてもそのまま流れていったあの川で、実際は橋自体が人の足で2歩くらいの小さな所だったのだけど、「そうか、あれは狸スケールか」ということで納得。
+*+*+*
そんなこんなで戻ってきて、最後にこれは書いておくべきかと思うことを書いて締める。
今の気持ちとして、次の年末は帰省しないでおこうかと思う。
去年も同じことを思ったが、心の中に留めておいていた。
けれど、そうして内に溜めたことがどこか、去年の会社での人間関係のいざこざに影響を与えていた。
内に溜めてなんとかなると思ったのは、精神的なある一面で僕自身はタフだと思っていたからなのだが、実はタフなんかではなく、ふつうどころかとても脆いということが分かった。
同じ所で育てられてこれだけ違う人ができるというところ、僕と兄は気質が全く異なるのだなと改めて思った。
それはさておき、僕は活力をもって生きたいと思うし、言葉を大切にして生きたい。
だから、言葉の力を、その力に対する信頼をないがしろにし、活力そして生命力を削ぐ場所に自分から出向きたくはない。
「過去はあるものとして考える」と前記事に書いたが、僕がこれからどう生きるにせよ、僕が今まで生活してきた場所の「生のあり方」は僕に深く刻まれている。
それとどう向き合うかは、僕の一生の課題となるだろう。
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ゆくとしくるとし('13→'14)4
http://cheechoff.exblog.jp/20181187/
2014-01-02T18:57:00+09:00
2014-01-02T19:06:38+09:00
2014-01-02T18:54:36+09:00
chee-choff
思考
僕の趣味やら何やらの動機には、
あるいはそれも含めた僕の行動原理には、
「脳だけで生きることの救い難い気持ち悪さ」
が深く根を張っているということだ。
「我々の生活の90%は頭の中で起こっている」と豪語した飾磨(@『太陽の塔』)の生き様を気持ち悪いと感じず(彼が気持ち悪いという読者が沢山いることはもちろん理解している)、むしろ孤高さに哀愁漂うというか極言すればある意味愛らしいと感じるのは、何より彼は自分が「脳だけで生きること」を自覚しているからだ。
逆に言えば「脳だけで生きること」の救い難さ、気持ち悪さは、その自覚の無さから発している。
僕が日頃からブログで自覚に拘っていた理由もここにある。
そして恐らく、頭ではイヤというほど分かりきっている自覚の重要性が、僕自身の身体には(まだ?)届いていないのだ。
…もしかすると僕のこの「脳と身体の関係性」は一生変わらないのだろうかと一瞬怖くなったが、実はそんなこと全然なくて、身体を動かせばそれだけでいいのだ、きっと。
自分の身体が躍動すれば、それだけで今まで書いてきた悩みは全て吹っ飛ぶのだ。
だからもう、合気道とかやりたいなら早くやれよって、ずっと自分に言ってきたのだった。
そうか、この結論は、もう何度も来た道か。
まあ、そうと分かれば現状維持でも大丈夫という主流に合流してしまうのだが(笑)
そこは、もう「なるようになれ」だからね。(あーあ)
+*+*+*
ゆくくる3を読み返していてもう一つ。
「希薄なる身体性という安定状態」とどう対峙するか、という問題提起をしたのだけど、これに対して言いたいことが言えてなかった気がするのでやり直し。
シンプルに言うと、「君子危うきに近寄らず」である。
近くにいてはいけないのである。
相手が何と言おうと、それがお互いにとって良いのである。
これは去年のゆくくるでも同じことを書いて、そして「一緒にいなくてはいけない場合はなんとか頑張る」と書いて、なんとまあその通りの一年なり今なりになったのである。
もう結論もなにもなくて、この手の話の結論なんて「人生の終わり方」と同じようなことであって(まじすか)、ある程度思考を整理したらあとはその都度に個別に対応しながら考えていくしかない。
だからこそ結論ではなく過程が大事という話になって、人生でいう過程とはすなわち「今でしょ!」というジャパネット高田社長なわけだ。(違う)
さて、今回のゆくくるの過程で「めっけもん」はあっただろうか。
+*+*+*
もう一つ。
これは昨日今日で気付いたことだが、自分が思っていた以上に僕は、過去の自分を引きずって生きている。
あるいは過去の自分を切り離しきれずに生きている。
これは「目測の誤り」で、つまりこの点では自覚がなかったということ。
過去に対する印象や評価は過去の出来事の内容よりも今の自分の生き方に大きく影響されるという話は何度もしてきたけれど、ここから言えるのは、過去とはどうしようもなくついてくるものであり、「ないものとして考える」よりは「あるものとして考える」方が抑圧が少なくて済むということ。
抑圧というのは精神分析学の用語で、たしか「あるものをなかったことにすると別の形となってやってくる」ということで(うわあすごく曖昧)、何にせよ抑圧なんてしないことである。
それは「抑圧なんてしてしまうと自分の予想だにしないことが起こるから思い通りに生きるのが難しくなる」という意味ではなくて(「思い通りに生きる」という意識が抑圧を発生させる)、「別の形となってやってきたもの」をその本人は意識することができないということである。
…説明が足りないのは分かってるけど泥沼化しそうなのでこれはここでおしまい。
過去は「あるものとして考える」。
「後ろばかり(「牛ロバ狩り」て誤変換どうすか。いやどうすかって言われても…)見ていると前に進めない」という格言にも一理あるが、この格言の要は「前と後ろを別々にするな」という点にある。
現在と過去は別物だ、関係ないと思うからこそ、過去を見た時に現在が見えなくなる。
「歴史は繰り返す」の原理も、同様の視点が梃子となっている。
だから擬人化するならば、「過去」と仲良くしよう。
あるいは「過去」と「現在」の仲人ばりに生きていこう。
そう、結婚式を一番楽しめるのは新郎新婦よりも仲人なのだから。(※個人の主観です)
+*+*+*
ああ、なんだか満足してしまった。
今年の抱負?
じゃあ「過去と仲良く」で。
考えることは、たくさんある。
そして考えるとは、それらの一つひとつをつぶしていくことではない。
「考えることはたくさんある」の「たくさん」は、そうあるべく考え続けることでどんどん増えていく。
それを忘れないことを、もう一つの抱負としよう。
皆様にとって今年が良い年でありますように。
今年もどうぞよろしく。
chee-choff
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ゆくとしくるとし('13→'14)3
http://cheechoff.exblog.jp/20178263/
2014-01-02T12:50:00+09:00
2014-01-02T18:53:57+09:00
2014-01-02T00:17:29+09:00
chee-choff
思考
石清水八幡宮までの往復の間、ほとんど何も考えていなかった。
歩きながらずっと「鷹取の手」を試していた。
鷹取の手とは、タカが獲物を掴む時のように五本の指を内側に曲げた状態のもので、甲野善紀の体術動画を見て知った。
うろ覚えな説明によると、親指と小指を手のひら側に曲げると残りの3本は自然状態では開いてしまうのだけど、そこをその3本も内側に折り込むことで手のひらに葛藤が発生し、手のひらだけでなく腕全体が動員される、とか、両手ともそれをやって立っていると重心が下がるとかするらしい。
(爆笑問題と一緒に出ていた番組の動画では、緊張した時に鷹取の手をやると気を落ち着けることができると言っていた)
手のひらのもともと窪んでいる所をもっと窪ませるようにするといいとも言っていたか。
普通のグーの状態と違う点は指が手のひらに握り込まれるのではないこと。
それとたぶん、グーというのは折り込まれ方が親指と残り4本の2方向しかないけれど、鷹取の手は各々の指が手のひらの中心に向かって折り畳まれるイメージで、動画での甲野先生の鷹取の手を見た時に印象に残ったのは人差し指と小指がほぼ垂直になっていた点(グーなら両者はほぼ平行だ)で、これは最初はけっこう難しい。
で、歩きながら鷹取の手をやったりやらなかったりしていたのだけど、鷹取の手をしながら腕を振って歩くと体の左右のふらつきがなくなったように感じた。
歩行において左右に揺れる動きは進行に関係ないので無駄であり、鷹取の手によって歩行時に使う身体の部分が広がったためにふらつきがなくなった、のだろうか。
特に調べたわけではないので想像だけど。
あとは暗闇で歩いていても落ち着いていられたような気もする。
今年は少し雨も降ったくらいに雲が多く山道は暗かったのだった。
あとちょっとだけいつもと違う道を歩いたのだけど、(以下ローカルな話)レクセン側から登っていって八幡宮の最初の駐車場の奥に、入り口に白熱球がぶら下がっているけれどその向こうは真っ暗になっている道があって、お参りの帰りにふらりとその道に入ってしまったのだけど(自分の前に大声で喋る若者の集団がいたので自然と足が逸れてしまった)、そこが、多分白熱球の明かりで瞳孔が一旦開いたからなのもあるけど本当に真っ暗というか真っ黒で、まあよくそんな所を…と思うことなく進む僕の両手は鷹取だったというだけの話です。
家を出てから帰るまでずっと試していたので2時間くらいやったのだけど、最後まで手のひら全体が強ばっている感じが抜けなくて、上で葛藤と書いたのはこの強ばりのことなのかあるいは慣れると力むことなくできるようになるのかは分からない。
しかし効果が明らかにあるように感じたので(目を瞑って歩いた時も鷹取の方がまっすぐ歩けた気がした)、今後は普段の散歩(というか手ぶらで歩くときはいつも)に取り入れよう。
ゆくくる2で「修行」と書いていたのはこのことで、そしてやっている間はほとんど何も考えていなかったというのも本当で、すると身体に意識を集中させている時にも頭は空っぽになれるということで、武道をやるということは前記事で書いた「自然状態になること」と繋がっている気がする。
…この点はスポーツも同じか。
体を動かさないとこんな当たり前なことを忘れてしまうのね。
+*+*+*
今日もたんと時間があったはずなのに、まず起きたのが昼で、午後は増田聡氏(内田樹氏のブログで知った。ツイッターでの名言率が凄い人。何者なんでしょ)の再掲ツイート祭に参加(というか勝手にリツイートしまくってるだけです)し、夕食を食べたかと思えば宮部みゆき原作ドラマと相棒を見てしまい気が付けば日が変わっていた。
まあ、これが実家での時間の流れ方なんでしょうね。
生産性から遠く離れることが正しい。
それでいいんです。
いいんですけど、過ごすうちに書かねばならぬトピックがむくむく立ち上がってきたのでちょっと頑張ることにした。
今年の抱負なのだけど、それにとどまらず自分の(書物における)興味の発祥に触れる話でもあって、これを文章化することは自分にとってとても大きなことではないかという予感がある。
どういう書き方になるかは書いてみないと分からないので思うまま書いてみる。
まあ最初からそうなんですけど。
まず、自分は「反知性主義」と闘わねばならない。
そう思った理由は実は、その主義を信条とした(なんて自覚は勿論本人にはない)個人との長期にわたるやりとりの蓄積にあり、その蓄積が開始されたのは僕が内田氏著作として初めて出会った『下流志向』を読んでショックを受けたより以前にあったのだった。
『下流志向』を読んだショックとは「このような知性のあり方があるのか!」という驚きのことだとずっと思っていたけれど、実はその内田氏的知性によって展開された内容の一部に僕にとって身に沁みる切実さがあったことの方が大きかった。
そして、そうと知らないまま、僕はどんどん本を読むようになった。
単に内田氏の知性に感動したのなら内田本ばかりを読んでいたはずだが、そうはならなかった。
なぜならば、内田本によって僕はある種の知性に目覚めたのであり、つまりそれ以前の僕に知性なんてものはなかった。
なかったというよりは、知性が身体化(という表現でいいのか分からないが)されていなかった。
もっと言えば、以前の僕には身体の奥深くに反知性主義が埋め込まれていた。
なんということだろう。
ある振る舞いを自分がいいと思うか悪いと思うかに関係なく、その振る舞いを続けていると身体化する。
そして、自分自身がその振る舞いを行うだけでなく、自分のそばにいる人間がその振る舞いを行っていて、そして自分はそのそばにいる人間の振る舞いを良しとしなくとも、その振る舞いは自分の中で身体化してしまう。
だから反面教師の対象になるのは、その「教師」だけでなく、教師のそばにずっとおり、ある振る舞いを受け継いでしまった「自分」でもある。
身体化された自分の一部分を嫌うというのは、論理によってその正当性(論理的に正しい、に限らず実際に有効であるとか、あらゆる意味での正当性)が示され自分もそれに十分納得できたとしても、非常に苦しく、その一部分を矯正することには非常な困難が伴う。
僕はそれと知らず、それをやっていた。
何を隠そう、それに気付いたのが帰省した今であり、今思えばそれはそうでしかありえなかった展開であり、そしてこれはとてつもなく根の深い問題なのである。
今日はここまで。
うーん、思いのほか重いなあ…。 24:52
昨日の続き。
僕は、人が自然に振る舞えば、言っている内容が理解できなくとも気持ち(自分は相手のことをどう思っているか、というような)は伝わるものだと思っている。
相手に好意を持っているか、またはできれば避けたいと思っているか、という印象は、いくら話す内容で取り繕おうとも自然と目線や身振りで相手に伝わってしまうものだと。
それは、言葉では嘘はつけても身体では嘘がつけないからだ。
けれど、話はそう単純ではない。
本当の嘘つき、見破るのがとても難しい嘘つきというのは、自分がつく嘘を自分の中で本当にしてしまっているものだ。
自分が喋る嘘が本当だと思っていれば、それを人に話すことに後ろめたさなんて生じないし、みんなが知るにはいいことだと思えば笑顔で流暢に話すことも可能だろう。
玄人の詐欺師であれば、そのように振る舞えるように自ら訓練するだろう。
しかし、意図せずしてそうなってしまう人もいる。
僕が言おうとしているのは、平気で嘘をつく人ではなく(ある意味これより上位概念にあたるのだが)、自分の喋る言葉とそれに伴う身振りが乖離している人のことだ。
人はある集団の中で育てば、その集団の慣習を獲得する。
言語や習慣や、みんなが行動を共にする時やコミュニケーションをする時に行う身振りなど。
「喋る時は相手に『自分に話し掛けている』と分かるように話し掛ける(相手の目を見る、など)」
「相手がなにかに集中している時は慎重に話し掛ける」
例えば身振りとはこのようなものだ。
集団に属する個人はふつう、意識せずともこのようなルールを身体で覚える。
しかし、小さい頃から偏った育てられ方をしたり、支障無く成長したとしても歳をとってから強烈な外的因子があった場合、身振りが身体化されなかったり、あるいは解除されたりする。
「身体性が希薄になっている」という問題は現代社会で日常的に見られており、今の若者にとっては前者(身体性が身につかなかった(なんかトートロジーっぽいな))、子どもや孫を持つ世代にとっては後者(身体性が失われてしまった)に当てはまる。
原因のひとつはテクノロジーの進化、生活から苦痛を取り除き快楽を追求し続けてきた結果にあるだろうけど、今話そうとしているのは問題の「解決」ではなく、その前段階である「把握」である。
例えばの話、自分から進んでバカになろうとして、その努力が実りバカになりきった人間は自分をバカだと認識することができない。
知性にも身体性にも当てはまると思うけれど、感覚を鈍らせるような変化に対して主体は自覚することができない。
主体的であろうとする限りにおいて。
…話を戻すと、身体性が希薄になっているという問題は根が深くて、それは度が進むと「希薄なる身体性」という人間特有の別の安定状態に達するのだ。
人間特有と言ったのは、意識を持たない動物は身体性が希薄になるなんてことはなくて(それはまっすぐに個体の死を意味する)、しかし人間も動物なのだから、例えばテクノロジーが未開の地で身体性が損なわれた人間もすぐに死んでしまう。
だから、身体性の喪失も生存環境への適応の一形態で、人工物に囲まれた都市の人間の生活は森や海における動物の生活ど同列に自然と呼ぶことはできないが、地球上に生を受けた生物が(その生物にとって)予め形成されていた秩序環境に適応するという「生の在り方」としてはどちらも同じ自然である。
…また話を戻すと、僕が書きたいと思っているのは「希薄なる身体性という安定状態」とどう対峙していくか、ということだろうか。
ここで前出の増田氏の印象深いツイートを連想したので抜粋してみる。 12:49
>>
増田聡 @smasuda 12月23日
【再掲】「自分にとって不快なことを常時ゆうてくれる人をどれだけ丁寧に扱うことができるか」はいきのびる上では結構キモやとおもてるねんけど同意してくれる人は少ないというか皆無
増田聡 @smasuda 12月23日
【再掲】あと「丁寧に扱う」と「無力化する」と「否定する」の使い分けもいきのびる上では結構キモよな。そういうことを教えてるつもりやねんけどな…(主に呑み屋で)。吾人の教育能力の欠如ばかりを感じます。明日からもがんばろうバンガロー
>>
氏の話を勝手に自分に引き付けるのだけど、僕はこの3つの使い分けにある「無力化する」ことができるようにならねばいけない。
これはもちろん相手をやりこめるという意味ではなく、相手の放つ「乖離性オーラ」(訳わからん命名ですが)を自分にとって無力化するということだ。
喋るにしろ行動を共にするにしろ、なにかと相手に合わせてしまう僕は自分のその性質を矯正しなくてよいと考えた(今のところ)。
それが僕の感覚(ここでは身体性、あるいは「相手をしっかり見る」という意味。わかりにくいな)を鈍らせないならばそうするべきだと考えた。
そしてそのような自分にとって、言葉と身体性が乖離した人間は脅威なのだ。
相手はある法則に従って言葉を発している。
それは理解できるが、その言葉への応答が相手に届かない。
その「ある法則」とは「世界は自分中心にある」というもので、自分の周りで起こっていることの全てが自分の都合の良い文脈で解釈される。
それはとうてい論理とは呼べない。
しかし、その法則を全面に押し出して生きる人間は通常の論理を理解していないわけではない。
相手の言葉の中から自分に都合の悪い情報を正確に聞き流し、あるいは精度良く聞き間違え、残った情報を自分の都合良く解釈したうえで相手に言葉を返す。
一連の流れが無意識と呼べるほど当人にとって違和感なく行われている(このことが上で言った脅威で、相手たる自分にとって、この上なく不気味でおぞましく、自分も乖離せずには正気でこの場にいられないという恐怖をもたらす)ために、この自らの言語システムに自覚がないようにも見えるが、たぶん自覚はあって、それは自分を難なく否定する言葉遣いにあらわれているはずなのだけど、その(ちょっと我に返れば立ち上がってくるはずの)自覚をメリメリと押し潰しているのが「忙しい毎日の生活」という何にも勝る実際(現実、と呼んでもよいが僕の現実には多分に幻想が含まれるので僕の語彙ではない)なのだ。
この法則が乖離の維持を担っており、もちろんあらゆる所で破綻している。
しかし破綻しているのにも理由があり、まず破綻していても主観的には幸福に暮らせるからであり、逆に言えば破綻を繕えば幸福以外のものが見えてきてしまうからである。 13:15
集団には閉鎖性と解放性の両方があって、どちらも集団の維持には必須の性質でありながら、両者のバランスは集団のおかれた状況によって様々な形をとる。
集団が小さいほど閉鎖性が強くなりがちであるが、それに対し外部との接触なしに生きられなくもあるため解放性が必要である。
この「必須」とか「必要」は何に対するかといえば、現代ほど軽んじられている時代もないと思うけれど、もちろん「集団の維持」である。
集団の維持は長期的な視野を持たねばできないが、短期的な収益が大事とばかり株式会社的な考え方をしていては、維持するべき集団として人類が発想されることはまずない。
人類が衰亡することなんて誰も望んでいなくとも、人がシステムを自律させ、システムが主観的には人を必要としなくなった時(それは人がそう設計するからなのだが)、人類という集団が衰亡を望んでいるということになるのである。
話は戻って。
他の集団と接触しなくとも維持できるようになった集団は、どんどん閉鎖性を強めていく。
そのような閉鎖的な集団に、かつて所属していたが今は外の集団で生きている者が戻ってくると、時に懐かしさを上回る嫌悪感が引き起こされる。
懐かしさとは過去の自分であり、それすなわち現在の自分の一部であるから、懐かしさを構成する内容(過去の出来事)の良し悪しに関わらず良いものである。
逆に言えば懐かしさを否定すると現在の自分の一部も同時に否定される。
だから、同じ場所から懐かしさと嫌悪感が同時発生する場合、問答無用でその主体は苦しみを味わうことになる。
その対処法として、上の増田氏のいう「丁寧に扱う」「無力化する」「否定する」が挙げられる。
(もちろんこれだけではない。僕なら真っ先に「逃げる」を挙げるだろう)
この文脈に沿わせれば、「否定する」とは自分の過去を切り捨てることだろう。
今自分のいる集団で新たな身体性を獲得していれば、難なくできるのかもしれない。
ただこれはかつての集団に戻ってきた際ではなく、そこから現在の所属へ戻る時に影響を引きずらないための手段だといえる。
リアルタイムでかつての集団と共にいる場合の対処法が残りの2つだろう。
「丁寧に扱う」というのは、その場で無用な被害を広げないということだ。
現在の所属の価値観を持つ自分と、かつての集団の価値観が対立する場合、わざわざそれを表面化させる意味はない。
「丁寧に扱う」という動作がその自分自身に許せる限り、この手段は効果を持つ。
それが許せない、あるいは耐えられない場合に、「無力化する」ことが必要となる。
相手の影響が自分を悪化させないことを第一に振る舞う。
あるいは、そのような事態になる前段階での話だけれど、相手の影響を受けないくらいに自分が強くなっておく。
さて、どうも話がぐるぐるしている。
(というか、自分はまだ「無力化」は無理だと言いたかっただけかもしれない)
たぶんゆくくる2で書いた「正直になる」をモットーに書いているのだが、そうはいってもあまり直截に書ける内容でもないからだ。
少し的を絞ったほうがよいかもしれない。
というより、一番始めに戻るのがいいか。
そしてアプローチを少し変えよう。
「お互いに気を許せる関係」というのがある。
わりと親しい友達とか、恋人とか、その辺の関係のことだ。
その「気を許した状態」というのは、あまり相手に気を遣うことなく振る舞っても相手にそれが受け入れられている状態だと思っている。
気遣いがあまりなくとも相手に悪く思われなければ、その相手とは「波長が合う」と言ったりするだろう。
余計な気遣いのない振る舞いを「自然に振る舞う」と言ったりする。
そして今の僕の話になるのだが、僕は自分がある相手に対して「自然に振る舞う」時、それを気持ち悪いと感じることがある。
細かく言えば、相手との親密度は逐一変わるのでそれに応じて自分の振る舞いがだんだん自然になっていくのだけど、その自然になっていく過程では特に何も感じなくても、ある一線を超えると自分の自然さに違和感を覚えるのだ。
それは「自分が自然ではない」のではなく、「自分の自然は相手の自然と違う」という違和感である。
この違和感は単純に、他人との距離が縮まって相手のことが分かってきたからその人とは「波長が合わない」ことが分かったというだけかもしれない。
かもしれないのだが、これはまだ観念段階に留まっているのかもしれないのだが、…。
言い方が難しいけれど、例えば今の自分の自然状態と波長が合う人と出会ったとして、その時もちろん「波長の合う人と一緒に過ごす快適さ」はあるのだろうけれど、同時にどうしようもない違和感がついてまわることになるという予感がある。
分かりやすく言えば、僕は自分のことが好きだけれど、誰かと一緒に暮らすとなった時、自分の中の自分の嫌いな部分があぶり出されてくるだろうという予感だ。
そんなの当たり前じゃないか、という気もする。
他人と一緒に暮らすとは、今まで見えていなかった自分とも向き合ってなんとか呑み込みながら生きていくことなのだろう。
しかし思うに、そういう「逞しく生きていく」(ネガティブな言い方では「世間擦れ」だろうか)道筋はいくつかあって、その中にどうしても選びたくない道があるのだ。
…結局は「鈍感になりたくない」という結論に至ってしまったが、
何を考えようとしていたのだろう? 17:56
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ゆくとしくるとし('13→'14)2
http://cheechoff.exblog.jp/20171131/
2013-12-31T13:53:00+09:00
2014-01-01T02:02:48+09:00
2013-12-31T13:51:09+09:00
chee-choff
思考
あ、その前に、この年末年始もお世話になるBGMを紹介。
去年と同じ、不始末氏のちいさい音ダイヤルと、ハイネケンP作曲、スズナリ氏カバーのふわふわハサミです。
どうもありがとうございます。
+*+*+*
さて、昨日とは違う話をしてみよう。
今僕は2つのブログを併用していて、それはこのexciteブログ「深爪エリマキトカゲ」とninjaブログ「これもまた過ぎ去る」である。
「深絵里」(こう略すと由来が一目瞭然やな)は学生時代からずっと続けているのでもう長い。
一方の「これまた」は去年のGW休みだったかによく分からない「あてのない電車旅行」をして、そのあまりのあてどなさ(気ままなはずが全然気ままでなかった、とか)を記念して作った記憶があるが、ブログ名は旅の帰りに買った名越康文氏の本に紹介されていた言葉を拝借した。
その旅行をした時もあまり良い状態ではなく、漠然と現状に嫌気がさして「どこか気楽に住める場所はないかな」という目で過ぎ行く町並みを眺めていた。
自由気ままにと言いながら駅前を離れることはなく、降りる駅もほとんどが乗り継ぎ等の必要に駆られてだったために「どこも同じような町だ」という感想しかなかった。
いくつかの例外で、目的を持って向かった先もあったにはあった(黒部のどこかで「トロッコ峡谷鉄道」なるものに惹かれて宇奈月温泉に行ったのは覚えている)。
ただ旅の全体としてアクセスしやすい所にしか行かなかったから、その感想も当然と言えるのかもしれない。
保坂和志氏が「考える練習」の連載で書いていたことだが、都会とを繋ぐ道路が整備されるとその地方は寂れていく。
都会からアクセスしやすくなれば観光客が増える、というような売り文句でどんどん道路は造られるのだけど、実際には地方の人々が都会に行きやすくなる影響の方が大きく、地方の中で回っていた自給自足の経済が立ち行かなくなるという。
そうして地方産業が廃れて自治体が自力で維持できなくなった所に原発ができるという話が続いて、原発は必要か不必要かではなく本来あってはならないものだが実際に無くすためには様々な問題と絡んでいてすぐに解決なんてできなくて地道に、というか一人ひとりが考えて行動していくしかない(今の話だと、地方に住む人がチェーン店を利用せずに地場産業を支えることが原発をなくすことに繋がっている)と言われてなるほどと思う。
がそれはよくて、今この話を出したのは、これを逆に言えば「町全体が落ち着いていて地場産業が生きていて自給自足ができている地方は都会からはアクセスしにくい」となるからだ。
地方の(価値観の)都会化は要するにグローバル化だけど、グローバル化の波は「採算がとれる」ところまでしかやってこない。
大手企業が採算がとれると思う場所というのは、ある程度の人口を有する地域であると同時に地場産業が(大手が勝てると思うくらいには)弱っている地域でもある。
後者の意味は「地域内での人と人の繋がりが薄れてきている」ことで、つまり地場産業とは資本主義の原理で成り立ってはいない。
保坂氏は上の話の中で「どこに行ってもスナックってあるよね」と言っていて、スナックというのは馴染みの客が十数人もいればなんとかやっていけるもので、もちろん馴染みの客は安く酒が飲めるからそのスナックに行くわけではないし、人の繋がりが薄い所では「近所の人とお喋りをする」という動機は出てこない。
ここで内田樹氏のコミュニケーション能力の話とつながるのだけど、チェーン店で馴染みの客ができないのはマニュアル教条主義のせいである。
(僕は本厚木のベローチェにほぼ毎週末通っているが、この場合僕が馴染んでいるのは店員ではなく店舗の方である。店員は長くとも半年くらいのサイクルで入れ替わっていて、それでももう何度もカウンターで顔を合わせた店員もいるのだけど、僕を常連客だと認識した素振りを見せた人はこの4年弱で一人しかいない。これがマニュアル主義が個人を抑圧(だって、自然に振る舞えば顔なじみという認識は素振りに出てくるものだし、そう呼ぶしかない)している効果だと思えば理解できるし、だから当然のようにチェーン店のカフェの店員とスナックのママは同じ人として扱ってはいけない)
あれ、なんかマジメな話に…
お昼ご飯でブレイクです。 13:53
話を少し戻す。
「深絵里」と「これまた」の違いが、作った当初はあいまいだったけれどだんだん明確になっていって、「これまた」は思考系と読書系、「深絵里」はそれ以外+「ゆくくる」という感じで、前者は写真は入れない、読書系でも抜粋とか比較だけは後者、くらいの例外がある。
あと、2つのブログと連動させているようであんまり関係なくツイッターもやっているけれど、これは最初にリツイート専用と決めちゃったから、途中から自分の思いつきを投稿するようになったけれど数が少なく埋もれてよく分からなくなっている。
別にこれらを一元化するつもりはなくて、というか、何も考えていなくて、今考えようかと少し思ったけどやめた。
抱負としては引き続き「これまた」の方を充実させて、読書している時に何か書きたいと思ったらまずは書き出す、そして「おもえばいたる」タグ記事を増やしたい。
これは少し前に書いた話で、自分の夢を「たくさん具体化」しておきたいと思っている。
さっき書いた「流される流れを選ぶ時に、『自分の感覚に従って選ぶ』ように選びたい」というのも、自分の在りたい在り様を具体的に思い描いていればこそできるはずなのだ。
ということでここで少しその話をしてみよう。
縁側のある家に住みたい。
地方の古民家で、年季が入っていて取り壊すには惜しく、住み手を探している物件なんてのがあれば理想。
コンビニやスーパーが近くに無くとも、八百屋やちょっとした食堂や町医者があって、そうか、小学校や警察署、消防署(の派出所?)とかがあれば町として成り立ったはず(@シムシティ2000)だから、それらの生活に必要な機能が一つの町に備わっていてそして小規模な町でもあって、しかしそういう町では往々にして車がないと生活できなかったりする。
けれど僕は車が嫌い(車道を歩くのも好きではないし、運転もやればそこそこ楽しいけどあまりしたくはなくてだいいち下手っぴである)だから、近くに鉄道駅があるか、市街地とはバスで行き来できるようなところ(今住んでるところで言えば七沢がそれっぽいだろうか)。
さて、そこで僕は何をしているのか。
猫と遊ぶのだ。
近所を散歩しながら要所にキャットフードと水を置く。
朝の散歩で置き、夕方の散歩で回収する。
何日かすれば警戒を解いた猫は餌に手を出し、夕方に回収する皿の中には空っぽのものが混じってくる。
さらに何日かすれば、朝に餌を置こうとするとひょっこり姿を現す猫がでてくる。
そういう猫は、もう僕が「餌の人」だと認識しているから、僕が近づいても逃げない。
だから僕は猫が食べるのを横で眺めたり、食べ終わって満足そうな猫を撫でてあげたりする。
(そういえば週末に駅前まで歩く途中で猫を見掛けることはたびたびあるが、一度だけ近づいても逃げない猫と会ったことがある。最初はちょっと離れたところでにらめっこをして、それでも怯えた素振りがないものだから近づいていくと猫の方も自分に寄ってきて、しっぽをぴんと上に立てながら足に体をこすりつけてきた。僕のまわりを体をくっつけながらくるくる回るので「かわいいなあ」と思って、背中をなでたりしていると今度は腕に乗っかろうとしてきて、ここまで積極的な猫には会ったことはないなあとさらに感心しながら引き続き遊んでいたのだけど、そのような動作を飽きもせずずっと続けるので少しずつ変だなと思い始めて、やっと「そうか、餌が欲しいのか」と思い当たった。そういう意識が起こると猫の親密に見えた挙動がぜんぶ自動運動というか「生きるために必要な動作」に見えてきて、人間側の独りよがりな思い込みを思って少し恥ずかしくなり、そして手持ちで餌になるようなものがなくどうしようもなくて悲しくなり、「すまんな」と言って離れようとすると猫は動きを止めてじっとこちらを見つめていた。猫は最初から最後まで自分の必要に応じて行動したのだし、これが自然そのものなのだと思った。)
猫の動きというのは自然そのもので、しかし人間はそこに感情を見ることができる。
猫に人間に対する感情があるかどうかとは別に、人間は猫の仕草から嬉しさや怒りを見出すことができる。
それを見出せるのは人間の能力で、それは人間のいう自然というか人性とでも言えばいいのだろうけれど、猫の仕草(あるいは人間を意識しているように見える挙動)を見ていると、感情というのは「無から有を生み出してできたもの」なのだと思い出すことができる。
つまり、人の他者に対する感情も、「そういうものがある」というお互いの了解があって初めて生まれる。
人は面白いから笑うのか、あるいは笑うから面白いのかどちらだろうか、という問いがある。
それはどちらでもあるのだろうけれど、「どちらか片方のように思えて実はそうではない気がする」ことがあるからこそこの問いには実感がある。
どちらでもあるようなことはその発祥が意味にはなく(なんて断定するといけないが)、「意味が生まれる前のもの」から意味が離れて一人歩きしてしまうのだけどそんな時に切実に迫る回帰願望がその問いには含まれているかもしれない。
意味に覆われた世界から抜け出すには、意味に対する意識を研ぎ澄まさねばならない。
意識の届かない所で意味に制御される社会では、意味を意識しないことはそのまま「自覚なく意味に覆われること」になる。
意味以前を垣間見ようとするならば、意味以前に触れること、つまり「意味が生まれる場所」へ行くことだ。
それがこの場合は、猫なのである。 16:17
+*+*+*
綾瀬はるかはもう天然で許されるレベルを「はるかに」超えてましたね。
彼女の今後の俳優(ですよね?)人生が心配です。(と心にもないことを言ってみる)
あとTMRと水樹奈々の異次元テンションが良かったです。(ここまでは見た)
以上紅白の感想でした。
さて。
縁側の話が猫の話にすり替わっていたので戻ってみる。
そもそもなぜ縁側か。
『もうひとつの季節』(保坂和志)でクイちゃん(=語り手の一人息子の圭太くん)が縁側ででんぐり返しをしているのを見て「ほわあぁ…」(懐かしの「のだめ風」)となったのだった。
それだけ。
…じゃちょっとアレなので、想像を膨らませてみよう。
縁側は南向きで、日が出てから沈むまではずっとぽかぽかしている。
目の前には小さな庭があって、猫とじゃれ合うくらいの空間(地肌が見えていて雑草がちらほら生えている)があり、道との間に塀はなく、生け垣で仕切られている。
縁側でごろごろ寝転がったり、柱にもたれながら本を読む。
あるいは座布団を敷いて正座し、右手に持つ番茶を左手で支えつ、生け垣の向こうの風景を眺める。
そこにある風景とは。
なにがいいでしょね。
海か、川か。
川沿いの民家はいいかもしれない。
昼間は人や車の往来で聞こえないけれど、夜に耳を澄ませば川の流れる音がする。
川の流れとか、小鳥の鳴き声とか、そういう自然の音が体に染み込んで、空気と同じように意識することもなくなる。
そんな生活に憧れる。
都会暮らしの自分はそういう自然音を「聞いてしまう」。
学生時代の夏に自転車旅行をした時に、キャンプ場や公園で何度かテントを張って泊まったことがあるが、虫の音がはっきり聞こえる所ではなかなか寝付けなかった。
旅の後半では慣れてきたようにも思うが、疲れが溜まってころりと寝入るようになっただけかもしれない。
それはとにかく、「自然音を意識しなくなる」境地というものが想像できない。
なにか素晴らしいことのようにも思うし、しかし田舎育ちの人からすれば当たり前すぎてなんでもないものかもしれない。
ただ分からないなりに想像するに(小説で読んだのかもしれないが)、無我の境地というか、何も考えない状態に近づけるのではないかと思っている。
僕は特に耳を引く(って言うのかな?)音がしない場所で、誰かと話したりもしていなければまず確実に、頭の中を音楽が流れている。
その音楽はたいていの場合、ある「思い」と共にある。
人と話している時はそれに気を取られて音楽が流れない時もあるけれど、そのどちらにしても、僕は常に何かを考えている。
思考を深めていくうちに忘我状態になることはあるが、何も考えずにぼけーっとしていることは、睡眠が関係している時以外はないと言ってよい。
けれど、頭の中をある音楽が流れている時、その音楽と共にある「思い」はある程度その音楽と関係したものになる。
それはつまり音楽が「思い」を限定しているということだ。
僕が思っているのは、自然の音というのも音楽の一種であって(本来は音楽が自然の音の一種かもしれないが)、だから自然の音の中にいる自分の中にはそれに対応する「思い」が浮かんでいるのだけれど、その自然の音を意識しなくなることは同時に「思い」も意識しなくなることでもあるのではないかということだ。
思考から解放される時間がほしい、と書くと、そういう面もあるかもしれない。
普段なにかを考えていて、考えるのに疲れたと思って息抜きに別のことをするのだけど、それは考えることを止めるのではなく別のことを考えることになる。
何も考えずにぼけーっとテレビを見る、というのも、あれは全く考えていないのではない(テレビの内容が一時的ではあれ頭の中に入るのだ)。
だから厳密な意味で「考えることに疲れる」なんてことはなくて(あるとすれば、それは寝ればリセットするようなものだろう)、しかし「何も考えない状態」に憧れるというのは自然に対する憧れのようなものではないのだろうか。
そして、だからこそ、普段の生活で「何も考えない状態」は禁忌となっている。
現代社会は自然を排除して成り立っているという話とここで繋がるのだけど、養老孟司氏いわくここでいう自然の筆頭は死体であり、子ども(「子ども性」と言った方がいいか)である。
…話を引き継ぎつつ戻すと、僕は自然を排除する現代社会の外で暮らしたいのだと思う。 21:26
アイスを食べたり『銀の三角』(萩尾望都)を読み返したりするうちに時間となってしまった。
今年もはちまんさんに行ってきます。
今年の大晦日は例年より暖かいみたい。
雪が降ることはまずなさそうですね。
ちょっと軽装で行こうかしら。
それでは皆さん、よいお年を。 23:20
+*+*+*
帰ってきました。
30分前に出たら間に合わなかった。
もはや「新年をはちまんさんの門の前で迎える」なんてどうでもよい感が農耕である。
まあ、思い出せば来年(いや今年か)は23:20に出発しようかな。
という話は2年前に書いた記憶がある。
今回は例年に増して淡々と登ってきました。
色んな意味で堂に入った感じでした。
修行してたような気も…
まあそれもよくて。
明けましておめでとうございます。
さて寝よう。
26:05
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