僕が読書に限らずふつうに生活するにおいて念頭にあるテーマがあって,
それは固い表現でいえば「身体性の復権」である. 内田樹を読み始めてから僕のブログに「身体性」という単語が頻出するようになったのだが, 言葉によって賦活されるものではあれ身体性を言葉で捉えるのは非常に難しく, 「脳は無限だけど身体は有限」という氏の言葉は総論であって, 各論では「どんな言葉で身体がどう反応するか」は人によって千差万別である. (個人の身体経験と言語活動の相互作用が有限であるとはイメージしにくい. あまり厳密に考えず「法則性を捉える」ことを主眼に据えるべきなのかもしれないが. うん,やはり「他者との身体感覚の共有」と言うならそう考えなければ話にならない) 自分で書いていて既に混乱しているが,要するに身体性は簡単に言葉で表現できるものではない. けれど,幼少期に触れられる身体経験が確実に減っている現代においては, 「言葉による想像」から身体性を立ち上げる仕組みの方が現実味がある. (本当は,というか過去においては身体にしっかり刻み込まれるだけの経験を小さい頃に積んで, それを言葉を細やかに扱えるようになってから言語化するという流れだったのではと想像する. ・幼少期の経験とは田んぼや原っぱや小川などの「手つかずの自然」の中での体験のこと. 養老先生なら「きちんと手入れされた自然」と言うかもしれないが. ・その成長後の言語化の機会とは例えば情報社会に取り込まれて感じる身体の違和感に触れた時に訪れる) とはいえ,行動力のある社会人なら稽古やサークルに参加して身体性を引き出す機会を自分で作るだろう. だからここで言っているのは僕みたいな「出不精だが身体性に興味がある人間」と, 「そもそも身体に大した注意を払わない人間」(こちらが大多数だろう)を前提としている. +*+*+* …グダグダ中学のアルバムを見ながら紅白を聴いていたらけっこうな時間になってしまった. 上の書きかけはまあおいといて(多分続きは書かない気がする), さっそく準備をして今年もはちまんさんにのぼってきます. 寒いけれど歩くうちにあったまってくることでしょう. ちょっと(アルバムのせいで)頭がタイムスリップしてるけどどうなるか(まあどうもならんでしょう). ではではみなさんよいお年を. m(_ _)m 23:15 +*+*+* 25:45 戻ってきました. 腕が冷えた…ぼーっとした時間が思いのほか長かったようです. 特に何もなかったけれど,明日何か書くと思います. ではとりあえずおやすみなさいー
by chee-choff
| 2011-12-31 23:15
| 思考
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