太枠?
…強調? そうか,書き手の意図に構わず「強調されていること」から意味を生み出す回路. それを回路と呼ぶのは,偶然ではなく「なるべくしてそうなる」仕組みがそこにあるから. いつか科学がそれに気付ければいいね. >> (…)二十世紀が間もなく終わろうとしている現在,自分の立場と反する考え方に対して強硬な(ヒステリックな)反論をする人は,神秘主義的な考え方を持っている人よりも科学的な考え方を持っている人に多い,というのは注目に値する.──私は神秘主義者ではない.私は科学的な立場で考えているつもりだ.しかし私はいまの科学の考え方が人間について語るにはあまりに不十分だと言いたいのだ. 保坂和志『言葉の外へ』p.92 >> +*+*+* 昨日は久しぶりに人と飲んできた. 暑くなってからは人と一緒にいることすら稀になっていたので, 数ヶ月,いや半年近く開いていたかもしれない. (いや,夏に一度東京で飲んだような…あ,あれは下駄を買った日だ) 寮から徒歩圏内の,カウンタ席しかなさげな外見のこじんまりした飲み屋へ. 入ってみると奥に座敷席があり,(近所なので)会社の人もおらず落ち着くことができた. 飲もうと誘ってくれたのは同僚K氏. 以前からちらりと話を聞いていたけれど, 一つ下の知財の女の子と付き合い始めたらしい. 始まった当初はいろいろ悩んでいたらしいが, 何度か会ううちに落ち着いた,とのこと.良かった. 周りでは結婚する人が増えるなか, 「そんなに急がなくてもいいよね」との意見で一致. この件は自分一人の問題ではなく, 特に僕は相手の意向次第だろうと他人事ではあるけれど, 結婚であれ恋愛であれ,お互いが一緒にいたいと思えればそれでいいと思う. 「そんなの大前提だろう」とは自信を持って言えないのは, 「世間体もあるしね…」という一言を聞いたからでもある. 形式は無意味ではないが,過剰な意味を付与すると中身を見失う. 日本の特徴として世間体は良くも悪くも言われるが(現代は評判の悪さの方が目立つか), 僕は「社会に留まり続けるための拘束」として良い方に捉えたい. そう,「拘束の全くない状態」とは頭で考えるほど,良い状態ではない. >> 人間は可能性の総体なのではなくて,動物が持っていた自然の中での振る舞いを規定する本能というプログラム=拘束を失ったために,身を任せるべき拘束を再び見つけ出すための選択肢を与えられた,よるべない存在だ. 同上 p.174 >> 拘束を不自由だと嘆いていられる間は,気楽であった. 今では「拘束のない自由」を万人が求めるべきものとされ, その常識が「拘束を必要とする人間(動物)の本来」に後ろめたさを与えた. もちろんだが,世間体の意味も変わってきているのだろう. 恐らく「現代の世間体」は,昔に比べて実体を備えている. 情報という名の実体. 情報には実体などないはずなのだが, その情報自身が「情報には実体がある」と言い張って譲らない. そして「あると言えばある」のが,日本人の感ずる実体である, と,これは養老氏の本に書いてあった気がする. +*+*+* PC用メガネが届いた. 度無しでもいけると思ったのだが,矯正しないと文字がぼやけてしまうので (新聞はメガネ無しで読めるのだけれど…また目が悪くなったかしら), 部屋用メガネの上にPCメガネをかけることにした. うまい具合に部屋用メガネのフレーム曲率が大きく, またPCメガネ自身が軽いこともあってあまり違和感がない. 多少視野が暗くなるけど,もともと部屋が暗いのでまあいいか,という感じ. しばらく様子を見ます. +*+*+* あと唐突なのだけど,漢字を作りました. もっともらしく筆ペンで書いた. 世界初という自負はある. だからどうした.
by chee-choff
| 2011-10-08 16:42
| 読書
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