僕らなのだ,と.
+*+*+* 『限界芸術論』(鶴見俊輔)を読了. 8/15から読み始めて,ほぼ週1でVeloceで平均3時間ずつ読み進めて, やっと今日「鶴見氏の身振り」(四方田氏による本書の解説)にまでたどり着いた. 鶴見氏はかなりの年配の方で,本書の話題も黒岩涙香とか三遊亭円朝とか もちろん名前も聞いたことのない昔の人ばかりだったのだけど, その人らの伝記やらカルタ・どどいつ等の大衆芸術についての氏の話には 僕にも分かるほどの「時代を問わない普遍性」が備わっていた. 何せ,本書の主役は「市井の人」,つまり僕らと同じ人々なのだから. 氏はその彼等と同じ立ち位置を確保しながら,俯瞰的な視点を失わない. 「一人ひとりの人」と心を通わせながら,人の普遍性を追求する. 抽象を深めながら具体に寄り添い,抽象のみに堕することがない. 僕は強い憧れを持った. >> (…)思想の具体化、それぞれ一回かぎりの生活状況における思想の適用は、創造である。具体化とは、創造なのだという自覚の中に、今私たちがもっている「文化」(官僚的、植民地的、封建的)についての定見をくつがえすいとぐちがある。 p.440 国民文化論 >> 僕らには縁遠く聞こえる思想ということば, しかし思想は,僕らの日々の生活に根を張り,言葉にされるのを待っている. そして… 具体化とは,創造なのだ. このことばを自分のものにしたいと思う. さて…読み返す間に,書評を書く気になるかどうか. (「これは読み返すべきだ」と思った本は,一度読み終えてから 印をつけた部分だけもう一度見直して,3,4色の付箋を付けている. その色分けに意味はあるのだが,本によって意味が変わることもあるので あまり意味がないかもしれない…かどうかは何年後かに再び手に取って判明する話) 時間はかかりそうだが,ゆっくりやろう. …もう「積ん読」が増えるのは気にしない.
by chee-choff
| 2011-10-02 00:15
| 読書
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