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深爪エリマキトカゲ
cheechoff.exblog.jp
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◆ 両目の共存
今日のブックオフ.
なんだかブ厚い¥420.
両目の共存_d0044938_21555645.jpg

前に逃したキリノ本を再発見し,
2時間立ち読みした後にも残っていたので嬉々として購入.
もしか前と同じ君かしら…随分長く読まれていたもんだ.
森氏の今読んでるの終わったら次にしよう…ああ恐い.
・ほさか氏も「著者買い」(内容に関係なく著者で買う)の仲間入り.
思考過程をわりと生で書き込む人らしく自分好み.
その意味で同じ系統のハシモト氏ほど変人ではなさそうだし,
いい意味で安心して読める…と言うほど不安に駆られてはいないが.
あと小説家ってみんなそうなのかなと思うけど,
氏は「素人のままでいること」に対して妥協のない人かな,と.
何の素人かと言われると,「小説家の」ではなくて…「ことばの」かな.
別の話かもしれないけど,「使うことも使われることもしない」というような.

+*+*+*

11/09/24 @Veloce
「両目の視界をうまいこと混ぜ合わせればいいのでは」
と,寮近くのお堂裏を通っていてふと思った.
左右の目のピントが完全に異なる今の自分は,
どちらかの目でしか世界を見ることができない.
 生まれてから約20年はずっと左目だけで見てきた.
 ここ数年は右目にピントを合わせて,(今は左目より
 裸眼の視力は良いはずなのだが)視界に入る個々の
 輪郭がはっきりしないまま街を歩いている.
ピントの具合とは別に,脳がとらえる視界としては,
「脳が意味があると判断したもの」が選ばれることは,
バスの中での(左右の)視界の混在具合から分かる.
それをどちらかに(右目で見ている時は右目だけに)統一したい,
と思って右目の訓練をしているのだけれど,
あるいは適度に両目の視界を混ぜ合わせて「落ち着ける」のではないか.

一例として,「モニター(の画素)の原理」がある.
モニターをルーペや光学顕微鏡で拡大するとRGBが分離して見えるが,
それが人間の目の解像度の限界によって白に見える.
 これは仕事中に気付いたのだけど,例えば400ppi程度のディスプレイを
 光学顕微鏡で50倍で拡大して発光画素を観察する時,
 ピントを合わせればRGBは分離し,
 大胆にピントを外せばRGBは一緒くたになって一つの色となる.
このモニターの原理の逆を言っているのだけど,
ピントを外せば「見えるものが見えなくなる」だけでなく,
「ピントが合っていた時とは別の見方ができる」こともあるのだ.

ある対象に含まれる情報の多さと,
そこから汲み取れる意味の多さ(深さ)は必ずしも比例しない.
「(よく)見えないことで喚起されるもの」は,
それがよく見えている間は決して見つけることができない. 

具体的なところはこれからだが,
「両目(の視野)の共存」の可能性を考慮しつつ,
右目の訓練を続けていこうと思う.

+*+*+*

なんだか途中から「両目の話」でなく「右目の話」になっていることに
ここまで書いてから気付いたが,以下も右目の話.
音楽を聴きながら歩いている時に,
「風景と音楽がマッチする」のは,
左目で見る時よりも右目で見る時だと気付いた.
つまり,あまり見えていない方が音と合うのだ.
 それはもちろん,音楽の多様さにフレキシブルに対応できるのは
 描き込む余地のある曖昧な景色だからだ.
 いやその前に…「多様な音楽と日常的な風景は基本的に対応していない」からだ.
 対応というのは,相性が良い,とかしっくりくる,とか…主観的な話かしら.

あるいは,右目にピントが合っている時は左目の視界はぼけぼけなのだけど,
聴いている曲によっては右目の視界に(ぼけぼけの)左目の視界が侵蝕してくる.
そう,上で「視界の選択基準は意味にある」と書いたのだけど,
つまり「ぐちゃぐちゃした視界」に意味を見出せばそうなる,ということ.
…車通りの多い所でこれやると危険なんですけどね.
勝手に足が車道に飛び出ないとも限らない.

まあその辺は現実に合わせないと…,
いや「没入する場所は選べ」ですね.
都市だからといって動物的な勘の抑制が常態化していては,
ある時にすこーんと身体をもってかれてしまう.
それは「都市と接する田舎」も然り,というかその意味では都市よか危ないわね.

+*+*+*

いつの間にか右目について色々書いてきたようなので,
タグを貼って整理してみました.
→ 「目の話」タグ記事一覧
いや整理はしてないか,同じ引き出しに放り込んだだけです.
一度ほんとに整理して文章化しないとなあ…
でも生物学に手を出すのが面倒ではあって,
それで自分の想像に任せて書いたりすると「現象的に明らかなウソ」が混ざりそうだけど…
まあそれはいいか,ここに断ったし.

あ,ひとつ思い出したのだけど,
『夜はまだあけぬか』(梅棹忠夫)を読んでいて,
自分の右目の弱視は「光学系の不調」ではないかもしれないと思った.
視力の悪さがレンズ系の矯正で良くならない場合があって,
視力が損なわれた梅棹氏の場合は視神経がウイルスでやられたせいらしい.
自分のは単に「成長すべき時期を逃して発達しなかった」だけだと思うが,
(幼少期に弱視に気付けば「弱視じゃない方の目」を隠して生活することで
 回復することがあるらしい)
それもレーシックで普通に良くなるとこの本を読むまで思っていたけれど
どうもそうでもなさそうな気がしてきた.

ま,別に何も困ってないので医者に行って明らかにしようとは思わないが.
たぶん今の生活スタイルが,目が治ることよりも現状キープを望んでいる.
まあ,これも「鶏と卵の関係」ではあるんだけど…

不便に慣れるのに悪いことはない,こんな便利な時代には.
by chee-choff | 2011-09-24 22:32 | 目の話