昨日,前に言ってた「電気ブラン祭」やりました.
電気ブランはストレートでちょこっと飲んでみるとやはり「ぐえー」で, 色はウィスキーだが味はウォッカの方が近い. ロックで氷が溶けてくるとだんだんおいしくなった. 消毒されてる感じがするのか,ぐいぐいいけたのでぐいぐいやってると, 今朝は体が激重だった.. それはさておき, 前の話に出た同期氏(実はハシモト氏と同姓…てゆーたらバレるなこれw)の部屋でやったのだけど, 氏も読書家と聞いていて昨日はじめてお邪魔したのだけど, 本棚の充実度が凄かった. 私書棚というよりは図書館に置いてありそうな本が多数. あと魔術書とか(これが変に広まって「アブナイ人」と思われてるらしいが笑). で,やっぱ数が多いと被ってる本もいくつかあって, それが意外に濃ゆい所で繋がったのでなんだか普段とは違う嬉しさを感じた. (身近で文化人類学好きって人初めて見つけたよ) まあ…少なくとも変人という点では同じか(ABだしね). ウソです,刺さないでくだs(ry で,おみやにNATIONAL GEOGRAPHICを半年分借りた. 部屋の本棚2列分をこの黄色い背表紙が占領しててびっくりした. なんでもジャンル問わずの写真が沢山載っているらしい. これは良い妄想源に…ふふ. +*+*+*+*+* で,被ってたうちの一冊,『菊と刀』の話. ちょっと前から,大体1週間に1章のペースで読んでいる. けっこう立ち止まる箇所が多いので歩みは遅々として進まず. 前は心理学的だなあと半分他人事に楽しんでいたけれど, だんだん話が自分に引きつけられてしまって,なんだか悩ましい事態に. 僕ら今の日本人の中に,戦前戦後の日本人の気質がどれだけ残っているのかとか, 当時の日本人の気質にも良い部分と悪い部分があって,それらを全否定でなはなくて 良い部分をきちんと認識したうえで今風に捉え直すことも大事なんじゃないかとか, もはや今の自分には手に余る課題がぽんぽん浮かんできて, そういう話がズバリ書いてある本を読みたいとも思うけれど, 読んでからでも構わないから自分の言葉でその課題に対応する文章を書きたいなあとか. …もちろん長いスパンで考えないといけない. …ということで本書を読み切って「ハイおしまい」にならないよう, 新タグを作って「そういう傾向の本についての文章とか書評とか」を まとめとくといいかもね. と書いてから, 「ブログでなく,も少し整ったホームページ作ろうかしら」 という積年の思いを思い出す(言語矛盾?). で思い出したついでになぜかまひょ氏を思い出し, 名前で検索したらト ロ フ ィ ー 作 っ て た . . デザイナーかっけー! キック・キック・パンチ!(謎) +*+*+*+*+* どっかで話逸れた. >> 西欧人には,日本人が精神的苦痛をともなうことなく,一つの行動から他の行動へ転換しうるということが,なかなか信じられない.そのような極端な可能性はわれわれの経験の中には含まれていない.ところが日本人の生活においては,矛盾──われわれには矛盾としか思われないのだが──が深く彼等の人生観の中に根を下ろしている,ちょうどわれわれの斉一性がわれわれの人生観に根ざしているのと同じように.(…)ただ彼ら[日本人]は人生を善の力が悪の力と争闘する舞台とは見ないのである.彼等は生活を,ある一つの「世界」と他の「世界」と,ある一つの行動方針と他の行動方針と,この両者の要求を注意深く比較考量することを必要とする一篇の劇と見ている.それぞれの世界,それぞれの行動方針はそれ自体においては善である. p.240-241 >> 今の日本人にどれだけこのような感覚が残っているのか知らないけれど, この感覚(最後の太字)は上で触れた「当時の日本人の気質のうち良い部分」だと僕は思う. (とだけ書くと違和感アリアリで,これが別の所で簡単に裏返る,とまで言わなければいけないが…) そしてこの考え方が,今まで何度もウチダ氏の著書やらブログから抜粋してきた, 「他者の主観的幻想を見定める姿勢」とまさにイコールなのだ. 前に書いた「古き良き日本を知るおじさん」という呼称がここで裏付けられる. この少し先に「誠(まこと)」についての解釈が書いてある. >> 「まこと」は私利を追求しない人間を賞める言葉としてたえず用いられる.このことは,日本人の倫理が,利潤を得ることを非常に悪いことと考えていることの反映である.(…)「まこと」はまたたえず,感情に走らない人間に対するほめ言葉として用いられる.このことは,日本人の自己修養の観念を反映するものである.(…)最後に,「まこと」のある人のみが,「人の頭に立ち」,その手腕を有効に活用し,また心理的葛藤をまぬがれることができる.(…)これらの意味は,日本では人は,ただ定められた掟を遂行する時にのみ,実効を収めることができ,かつ矛盾葛藤を感じなくともすむという事実を反映するものである. p.266 >> ここの下線部に,違和感があった. 開口一番(←自分の口の話です),「西洋人は矛盾が相当嫌いなのね」と. ひとつ上の抜粋で「われわれには矛盾としか思われない」と書いている所はなるほどそうだろう, と思ったのだが,ここで「心理的葛藤をまぬがれる」「矛盾葛藤を感じなくともすむ」と書いてしまっている. どうやら矛盾や葛藤をそのまま抱え込むという発想が馴染まないらしい. 本書はもともと西洋人の為に書かれたものなので, こう表現しなければ伝わらないと判断しての選択なのかもしれない. が,多分そうではないだろうな,と想像する. …そして恐らくそれは,「人生を善の力が悪の力と争闘する舞台と見」(p.241)ることが, 現代のグローバルスタンダードであることと無関係ではない. (9.11テロを受けての「報復という名の聖戦(@ブッシュ)」という暴走を世界が目の当たりにして その流れが変わった,と言う人もいるけれど,それは願望以上のもの…? よく分からない) とケチをつけつつも,すぐ後の「まこと」の比喩が秀逸で「おお!」と巻き返す(?) >> (…)それ[「まこと」]は彼らの道徳の「基礎」をなすものでなければ,それに「魂」を与えるものでもない.それは如何なる数でも,適当にその後に書き添えれば,その数を高次の羃(べき)数にする指数である.(…)それはいってみれば,独立した徳ではなくて,狂信者の自らの教義に対する熱狂である. p.267 >> 第2次大戦のことを思えば「狂信者」と言われて言い返す言葉もない. …と当事者ぶって聞こえる発言だけれど,このことは本当に,本書を読んでいて身に染みている. が,だからといって全否定して闇に葬り去るべきではない,とは声を大にして言いたい. …今日読んだ十章だけでもあと数カ所コメントしたい所があったのだけど, 時間もあれなのでここで切り上げ. 読み終えてからまとめて書くってなると膨大になるからなあ… 今週どこかで時間がとれれば..
by chee-choff
| 2011-07-04 00:42
| 読書
|
ファン申請 |
||