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深爪エリマキトカゲ
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◆ 日本人の抽象力<併読リンク9>
2011/06/11 18:50
タイムリーに話が繋がった(=リンクが生じた)のでメモ。

『大不況には本を読む』(橋本治)を今日読み始めたが、
そこで「経済侵略」を「経済発展」としか言わなかった経済成長期の日本の話があった。

ここには「現在の世界的な不況は日本のせいだ」という今まで耳にしたことがない
衝撃的な論が展開されているが、Vシリーズ(森博嗣)の引用をブログに載せた自分は
(この1つ前の記事のこと)その中(=以下の抜粋)に一つのリンクを見つけた。

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 その地域のどこかには、一時的な繁栄があった。でも、その中心はかつての「経済の中心」からはずれている。外からやって来た大資本は「自分達とその周辺」を潤して、古くからあるその中心地域のありようを侵蝕してしまった。だから、そこは「寂れた」になるのです。日本の小さな地方都市や町を「小さな国」に置き換えてしまえば、これは立派な「侵略」です
 経済には、それだけの力がある。でもこれは、「軍隊」というものを出動させないものであるがゆえに「侵略」とは言われず、「戦争」とも言われないのです
橋本治『大不況には本を読む』p.60 「経済」だって「侵略」になる
>>

先にリンクが形成された結果の結論を言えば、「日本人の抽象力の無さが世界不況を招いた」のか、と。
「抽象力の無さ」は、よく言われる「実際的な日本人」と対を成している。
逆に言えば、「経済発展」を「経済戦争」と表現する、つまりかつて日本が犯した他国侵略戦争とそれを
同列に捉えることができていたならば、ハシモト氏の言う「日本車輸出過多とバランスを取るために
アメリカ製品を買え」というアメリカの要請(氏はこの要請に日本が応えた事が
経済発展至上主義→グローバリズムの台頭→金融危機という流れの元凶と説いている)を
「じゃあアメリカに日本車を売らなければいいんだね」と85年の日本は突っぱねることが
できたんじゃないかな、と思ったのだ。
 「同列に捉える」を具体的に言えば、(為政者の話はおいといて)個人が「経済戦争」に
 荷担するか否かの選択に迫られた時(上の話とつなげて例えるならば中曽根康弘が85年に
 「一人百ドル相当の外国製品購入を」と国民に訴えた時)に、大東亜戦争の悲劇を連想すること。
 …まぁ僕が生まれる前の話でもあるし、まるっきり机上の空論と言われればそうなんですが。

許されない他国の侵略。
無実の一般人が大量に虐殺される悲劇。
自国の被害からそれを実感した日本は、「戦争を二度としてはいけない」という共通認識を得た。
しかしそれが、構造を同じくする別の機会に生かされることはなかった。


という捉え方もできないだろうか。
そしてこういう分析を積み重ねることで、抽象の大切さを世に問うことができないだろうか。

全く実質がついてこない「大言壮語もいいところ」ではあるけれど…
考えるだけなら誰でもできる。
そして「誰でもできる」の積み重ねが「誰にもできない」を可能にすることも、ある。

いや、まだ「あると信じる」としか言えないが。


+*+*+*+*

23:54
自分が「抽象好き」なもんだから上みたいな話にもっていったけれど,
当該ハシモト本を読み進めていると「ちょっと無理したな」と感じた.

というのも,端的に歴史を繙(ひもと)けば「経済と戦争は繋がっていた」のだ.
ここでの経済は「貿易」と言った方がいいのだけれど.

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(…)結局日本は武力侵略を受けなかったので,このことはあっさりと忘れられていますが,「世界的な近代の初め」である十九世紀の貿易は,「貿易をしないと言えば武力侵略を受ける可能性があったもの」なのですね.「自由貿易協定」とか「WTO=世界貿易機関」とかいろいろ言っていますが,その貿易の出発点は,結構ヤバイものだった.そして,世界は今でもその尻尾を引きずっているのですね.だから,「世界一の輸出大国になってしまった日本への嫉妬」というものは,十分に起こりうるのです
同上 p.110 実際的な日本人が忘れていること
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by chee-choff | 2011-06-11 22:02 | 併読リンク