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深爪エリマキトカゲ
cheechoff.exblog.jp
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◆ 男女差別について<WW-10_3> 完
2011/02/23 22:32
前回と同じ論の次章の抜粋となるけれど、
今回のテーマは男女差別について。

僕自身は深刻な差別を受けた経験はなく、
逆に集団の一人として差別に荷担する(見て見ぬ振り、
も荷担である)側に立ったことしかないので、
本テーマについては比較的さばさばと考えられる。

「差別はいけないのは当たり前」
という前提で始めたくないのもそのせいで、
非情に聞こえるかもしれないが正確に言えば、
「差別は程度により、必要に応じた存在意義がある」。
ちと表現に触れれば、「区別」も差別である。
で、これも「そういうもの」系の話だけれど、
集団が行う差別はそれによって集団内に連帯を生む。
仲間が一つのことを一緒にやるという意味で、
「立派な」共同作業だからだ。
つまり、差別する側(集団)も差別される側(個人が多い)も
お互いが「そういうもの」だと分かっていて、
「余興」だと思って差別を行うことには何ら害はない。
(例えば差別される人が困った顔をしながらも
「まぁ団結って大事だしね」と苦笑いで呟けるような。)

…と言ってそんな平穏な「差別」などはじっさい
滅多に存在しないのも事実なのだが。
そして差別が平穏でないのは、差別する側とされる側の
双方が「差別の構造」、集団心理を理解していないが故。
そしてまたその理解のなさを推進してしまうのが
現代社会を牛耳る「グローバリズム」の思想。

と突如話が大きくなってしまったが…
ここで言っておきたいのは、
「差別は区別に含まれる」と表現して「差別」という
言葉を中性的にしようとかそゆのではなくて、
(少し拡大解釈して)「全ての区別は差別に読み換え可能」
という認識が差別の構造を見通す助力となるということ。
格言風に言えば、
区別あるところに差別あり
だろうか。
そして当たり前にある「男女の区別」が、かつては
当たり前にあった(と言っていいのかな)「男女の差別」の
源であり、差別を見直すには区別に目を向けろ、
という方向性をここから見いだすことができる。
(つまり「ジェンダーと性差の違い」ですね)

差別問題が時に猛烈に深刻となるのは、
差別者と被差別者が互いに「差別の枠組み」を
意識できないくらい泥沼にはまり込むことがあるからで、
ここにあるのはそんな彼らに向ける言葉ではないが(彼らが
必要としているのは現実的な解決手段であって、
それを自ら生み出すための論理を提供しても
その論理を組み立てるための冷静さは失われている)、
長い目で見れば「差別の構造」を理解する人間が
増えていけば差別は必ず減少に向かうだろうと思う。
…今回は特に話がまじめだな。。

>>
男という同一単位が社会を作って、そこに支配者という上限を明確にするものを存在させてしまうと、同じ男の中に線引きが生まれて、身分差別が確定する。男の間に序列はあって、女はそれに準ずるものとしてその社会に組み込まれていくけど、「準ずるもの」という考え方は、果たして差別なのかーーですよね。「準ずる」を、「正当な権利を与えられないワンランク下がったもの」と考えると、これは差別になるけど、「女というものは男の社会とは別のところにいて、これを男の社会に組み込む時には、"男に準ずるもの"としてカウントする」だったら、別に差別にはならないでしょう。だって、その考え方は、もともと、「男と女は違うところに棲み分けている」ってことを前提にしてるんだから
(…)「男と女は棲み分けをしていた」という大前提を、どのように解釈するかの問題でしかないと思うんですよ。(…)今やグローバリズムになって、「全地球的に一つの基準であってしかるべき」という方向が強くでているけれども、これは所詮、「そうした方が儲けやすくなる」という、マーケットを支配する者の考え方で、反グローバリズムは「棲み分け」の肯定でしょ。
(…)
「女は内、男は外」という棲み分けだけれども、女にとって「外の世界」がめんどくさいのは、そこが「男だけの世界」だからかもしれない。だから、男が「内の世界」をめんどくさがるのは、そこが「女だけの世界」だからかもしれないーーそういう考え方も成り立つわけですよね。
(p.160-163「女って何だ? 5ー男女差別と『仮名手本忠臣蔵』のあるセリフ」同上)
>>
2011/02/23 23:15

そしてWWシリーズは今回で終了.
付した日付を見て分かる通り,
本連載は2月に集中して書き溜めたものを使って,
ブログに載せる前にもう一度読み直してコメントをつけている.
(いちおう句読点の違い(「、。」と「,.」)はつけている)
2月は『ひろい世界のかたすみで』を読了したてであったので,
ハシモト節がうつったかのような記述もあり,
自分で自分の書いたものに驚くこともしばしばあった.
ということで,ここに書いたものは確かに自分の頭が紡ぎ出した
言葉たち(と上のハシモト本の抜粋)で構成されてはいるのだが,
これを「僕の文章だ」と自信を持って言うことはできない.
一字一句すべてが僕の中で噛み砕かれ理解されて書かれたのであれば,
それを読み直して自分が驚くなどということはない.
「憑衣された」時に書かれたものは,憑き物がとれれば「なんだこれ?」である.
本を読み終えてから思いついたことを書く面白さはここにあって,
読む前には書けなかったことが書けるようになるんですね.
自分がびっくりすることを自分で書けるようになる.
それは本当に書いている間だけ何かが憑いていて
書き終えると跡形もなく消えてしまうものかもしれないが,
書いたことで「自分の中の何かが変わった」ことも完全には疑えない.

 何かが変わる.
 変わるを喜ぶ.


また連載がやりたくなったら,今後読む本でもいいけど,
『ああでもなくこうでもなくシリーズ』でやってもいいな.
あれはほんとこういう「いいとこチョイス&コメント」形式の
連載にとっては宝の宝庫(ん?)だからね.

以上,ここまで読んでくだすった方へ,
どうもお疲れさまでした<(_ _)>


「連載ってなんだ?」という方には,
+αとともに整理したタグと最初の記事をリンクしておきます.
ご興味があればどうぞ.

 →「ハシモト氏」タグの記事
 →連載初回
by chee-choff | 2011-04-22 21:53 | ハシモト氏