直近のハシモト本書評記事で触れた話題について,
タイムリーにもウチダ氏がブログに書かれているのでここで引いておきます. ちょっと前に自分が書いたもの > ここを読んで、ウチダ氏の 口癖は、「そういうことも、あるかもしれない」 という言葉を連想した。 どんな突飛な話でも、とりあえず相手の言い分に 耳を傾けてみる。 話者の独自の合理性、幻想を見定める。 相手の話をまともに聞かずにただ退ける人には、 この「見定める姿勢」が決定的に欠如している。 そうならないためには、(まずは)相手を 「まともな話し手」として信頼しなければならない。 > ウチダ氏ブログ >> -自分とは違う「他者」とのコミュニケーションは難しいのでは。 私なりのレヴィナスの解釈ですが、他者と向かい合う時の基本的な構えは、相手が言っていることに対して、つねに「そうだね」と頷き、受け入れることです。理解できないことでもまず受け入れる。自分自身の知のセッティングを変えて、それが理解できるところまで拡大してゆく。どのような理解しがたい言行にも必ず本人にしてみれば「主観的な合理性」があります。その人の選んだ論拠や、たどった推論を追体験すれば、その人がなぜそのようなことを思うに至ったのか、その筋道がわかる。そこからしかコミュニケーションは始まりません。まず他者の思考や感情に敬意を示すところから始めて、「おっしゃることはいちいちもっともだが・・・」と交渉も始められるわけです。他者との対話はまず「聴く」というところからしか始まらない。それがレヴィナスの教えていることだと私は思います。 2010年11月30日 毎日新聞心のページ >>
by chee-choff
| 2010-12-01 00:50
| ウチダ氏
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