レトリックの問題は,いつも,たちまちレトリックを越えてしまう.言語をめぐるすべての悩みがたちまち言語を越えてしまうことを思い出そう.(p.314)
レトリックは単なる言葉遊びではない. 常識からの逸脱による驚きや癒しの効果も無論ある. が,その逸脱はいつだって浮ついた言葉の本質を抉る可能性を秘めている. 美と醜,大と小,優と劣,支配と服従……といった,標準的な対義の型が,ふだんの私たちの記憶のなかに,安定した制度のように,たくわえられ,維持されている.それらは,クイズのように対義語をたずねられた場合,ほとんど自動的に答えが出てくるほどに安定している.いや,そう思っているだけなのかもしれない.安定が安住になり,固定化し過ぎると,やがてそれらの対義語群はたがいに隣の語群と,近隣のよしみでなじみすぎ,やがて境界があやしくなる.近所の対どうしが換喩的に混同されはじめ,いつしか私たちの無意識の世界では,美と小,大と劣,優と服従……といった,うさんくさい対義関係がひそかにうごめきはじめる. (…) たぶん,対義語は,つねに私たちが発見につとめるべきものなのだ.そして,つねに新鮮に,生き生きとした状態をたもつよう,手入れをおこたってはならぬものであろう.どう固定しようとしても,それが決して固定化されることのないものであるなら,むしろ,いつもその弾力性に注目しつづけ,変なところに定着しないように,かえってその弾力性を生かしつづけるべきなのだ.私は,そう思う.(p.313-315) なんだか堅苦しい部分を抜粋してしまったけれど, 本書はこういうマジメ要素ばかりで構成されているわけではなく, 古今東西の名作文学で用いられているレトリックを素材として 学問的な厳密さも備えつつ読み手の認識を第一にその素材の解剖を試みるという まことにユーモアあふれる作品である. 著者自身のレトリックも巧みで(過去のレトリック論にとらわれず引用を全て自身で 選択していることからも納得できるが)引用作品に負けない魅力を放っている. そして「これは書かれた文体ではなく,語られた文体である」と解説者も述べているように, 非常にリズミカルな話の展開や好意的な脇道への逸れ方が心地よいし, 作品の印象を語る場面で読み手を自然に引き込み「私たちは」と当然のように 記述するところをはじめ嫌みを全く感じさせない. 一度途中まで読んだ時にもちろりと書いているのでそちらも見て頂いて, 興味を持たれれば,ぜひ. 引用している数々の名作がホントにキラキラしていて, きっと「読書数珠繋ぎ」の核になる本だろうと思います.
by chee-choff
| 2010-06-20 16:37
| 読書
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