深爪エリマキトカゲ
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順調に育ってますかるぽーね
目の話。

右目の視界が安定してきた。

散歩時はだいたい右目で歩いていて、パターンのはっきりした風景を見ている時は右目の像を脳が主と認識してくれるのだけど、はっきりしない景色、例えば雲たなびく空を見る時は右目と左目の像がごっちゃになる。
右目で見ている時は右目にピントが合って左目がぼやける(そして左右の像がたいへんズレる)のだけど、はっきりしない景色ではピントが合ってようがぼやけてようがあまり差がなくて(というのも裸眼で右目の方が視力がよいとはいえたぶん0.5くらいしかないから)、脳が「どっち(の目)で見たらええの?」と混乱してしまうのだと思う。

左右の像がズレる理由は歩きながら考えていたら分かってきてはいて、それは生まれて数年前まで左目だけ使って生きてきて右目の使い方が分かっていなかったが数年前から右目でのものを見始めて、ものの見始めとは赤ん坊が視力を獲得していくプロセスときっと同じようなもので、ぼやけた像にピントを合わせるのはレンズを挟み込んでる目の筋肉(名前忘れた)が緊張してレンズを厚くするからで、しかし赤ん坊段階の右目がレンズを厚くしようとすると左目は通常ピントが合ってる状態からさらにレンズを厚くしようとしてしまって(人間の通常の機能に「片目だけ動かすこと」は含まれていない)、つまり左目はもっと近くを見る寄り目状態になってしまうから像がずれることになる。

で、右目で見ていて左目がぼやけていても今まで左目でずっと見てきた視覚認識が脳にしみついていて右目の像が左目の像に侵蝕されることがよくあって、たとえば一本道を歩いてるはずがY路に見えたり(それはどこまで進んでもY字の分岐点から進めないわけです)車道のすぐそばを歩いていると対向車がこちらに突っ込んでくるように見えたりと、実際はそうでもないのに主観的には極めて危険な場面が日常的に堪能できていてそれを面白がったり困ったりしていたのだけど、今日歩いていて左目による右目の侵蝕がおさまってきた印象を受けた。

目が見える全体を視野として、視野を中心視野(特に見ようと思って視点を集中させてる小範囲)と周辺視野(中心視野のまわり)に分けた時、右目で見ている時は中心視野は右目の像でも周辺視野は左目の像になっている、というのが右目を使い始めた頃の見え方で、それはもうごちゃごちゃしていたのだけど、右目で見ている時の右目の像が中心視野から少しずつ周辺においても脳に認識されるようになっていくのを「右目の成長指標」のひとつにしていて、その拡大が意識されたのがまず一つ。
もうひとつは「視野の回転」で、これはビデオカメラの手ブレの話がわかりやすいのだけど、ビデオカメラで撮る時に持ち手が上下や左右に揺れているとそれを画面に映して見る時に酔いそうになるけれど人間が前を見ながら頭を振ったり首をかしげたりしても別に気持ち悪くはならない。それは脳の補正(脳が耳のどっかの器官の平衡感覚から入力を得てるんだったか)によるのだけど、これが今の話とどうつながるかといえば、右目で見ている時に視野を回転させる(首をかしげたりする)と気持ち悪くなるのだ。それは中心視野が右目の像を主と認識されていてもおそらく「地」が左目の像だから(周辺視野って「図」と「地」でいえば「地」でしょう)、視野の回転において上記の脳の補正がかかるのは左目の像であって、そして当然だが右目と左目は左右に離れて位置するので首をかしげれば右目の像は(上下に動かしながら撮ったビデオカメラの動画を見ている時の感覚で)上下に動く事になる。それが気持ち悪いなーと思いながらだんだん慣れていってはいて、それが今日ふと首を横に傾けた時に「像が上下に動く感覚」がほとんどないという微かな違和感を得た、というのが二つ目。

JINSで買った花粉対策サングラスを今日初めてかけて出掛けたのも関係しているかもしれない。PCグラスもそうなのだが明るい所に居るとグラスに自分の目が映って見えるので、外を歩く時は裸眼よりも「もっと複雑になる」。
ああそいえば関係ないけど花粉サングラスかけて今日歩いててやけに視界がぼやけるなと思って少し考えて思い付いたのは「メガネ効果」かなと。つまりいつも度の入ったメガネをかけているから「メガネをかければ視界が鮮明になる」という思い込みがあって、その思い込みが発動すると視力が変わってなくても視界がぼやけて見えてしまうのだろうと思う。…ネーミングセンスゼロやな。


溜めてた話をけっこう書けたのでちょっと考えてなかった、というか今思い浮かんだテーマでついでに書けないかなと思ったのは「右目の成長はどこに向かうか」。
視力でいえば左目は悪くなっていって右目は良くなっていってる感じがしていて、けれど現実感はまだ右目は左目に遠く及ばない。車道を横断する時についつい左目に戻してしまうところがそれを裏付けている。が、どこかで右目のリアリティが左目を勝ることになるかもしれない。
あるいは、「右目で見ていると左目が寄り目になる」という左右のバランスが修正される(歩み寄りを見せる)可能性も少し考えているが、その仕組みが分からないのは当然として、そうなっていくプロセスも想像しにくくて実現性は低いような気はする。
右目の訓練とは直接関係はないけど、「左目が(だんだん、あるいは突然)見えなくなってしまう」という場面も想像はしていて、それはけっこう怖い想像なのだが、そうなると現状の右目では近くを見るのにおぼつかない(たとえば矯正していてもこのブログの文字が読めない)ので、訓練を続けるのは不安材料を減らすことにはなる。
(訓練といって別に苦労しているわけではないけれど。で全然具体的なこと言えないけどこの左右の目の状況が自分に色々特別なインスピレーションをもたらしているような気もしていて楽しいというか、まあ要は実験です)
ただ今矯正と書いたけど、メガネの右目用レンズは「左目で見ている時に右目がいちばん見えるように」作ったもので、右目にピントを合わせた状態での矯正による視力の増強はできないことは確認してある。
だから「右目が見えやすくなっている」のは主観的にはそうだし実際ほんとうかもしれないけど、右目の視力自体は変わってないという認識の方が今考えるとしっくりきてしまう。そうなると見えやすくなっているのは(左目と比べて)相対的なものだろうか。

ううむ、結局先行きは見えない、と。
ま、別にいいんだけど。
見えないからこそ実験のしがいがあるというもの。
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by chee-choff | 2013-02-10 01:38 | 目の話