深爪エリマキトカゲ
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六連休の四日目みたいな疲労
今週は月と金(今日)に有休をとって週休4日です.
が,「今日から3連休」という感じではない.
なんかもう出勤も有休も違いがないような.

会社の勤労管理システムに有休の理由を書くんですが,
いちおう今日病院行ったんで「通院のため」って書いたんですけど,
誤変換で「痛飲のため」にしたら笑えないなあとか.

今日病院に行ったのは花粉症のお薬をもらいに.
前にもらった1ヶ月分が切れたからなのだけど,
気がつけば恐ろしいスピードで1ヶ月が過ぎていた.
そう,気がつけば3月はもうおしまいだったりもする.
花粉症の時期は「自分を保つのに精一杯」なのはしょうがないけれど,
自分のことだけを考えて過ごす時間のなんと短いことか(体感が,ね).
これはきっと普遍的なことで,そして自分はあまりよろしくないなぁと思う.

風邪は快方に向かっていて,一方で花粉症は引き続き抑えられていて,
「この時期のベスト」と思われていた状態がどんどん上方修正されてはいて,
それでもタイトルに疲労と書くのは「蓄積されてる分」の話です.
今日は駅前の病院に行ったのでいつも通りブックオフにも行って
(『アウトブリード』(保坂和志)を105円でめっけた!これ定価2100円なのね…ハードだなあ)
ベローチェで読書もして
(体調的に軽い新書がいいなあと『<対話>のない社会』(中島義道)を読み始めたが,
 何を勘違いしたのかぜんぜん軽いはずはなかったけど不思議にしんどい今と波長が合い,
 隣でぺちゃくちゃ喋る中学生(話だけ聞こえてそう思ったが見てみたらたぶん大人)の話と
 本の内容がこれまた不思議に共鳴して不思議に(説明せい説明)思ったりした)
コーヒー1杯飲む間に水を8杯も飲んで不審がられたかもしれないが
(店内に90分いる間にグラスが2回割れる音がしたけどまさか僕のせいじゃないよね)
いろんなことを考えながら考えるだけに留めて病院行ってさっさと帰ってきました.

考えることを「考えるだけに留める」のは思考内容に感情移入しないようなことでもあり,
(この「感情移入する」は「当事者になる」といったニュアンス)
でも今日みたいな体調が悪い時のそれは別の意味も帯びているようで,
それはむしろ逆に「感情移入のための手間が省けた状態」を指しているようにも思える.
というのは簡単にいうと,
何やらしんどいことを考える時に没入しようと思うなら,
元気な時よりもしんどい時の方がやりやすいね,ということ.
で,「しんどいこと」はすごくおおざっぱな表現ではあって,少し具体的にするなら,
「直視しづらい本質的なこと」とか「今の自分の価値観を揺るがすこと」だとか.

という意味で(どれだ?)今日は外出から帰宅するまでの思考がなんだか「するり」としていて,
普段の自分ならしそうな躊躇がそこにはなく,それを振り返る今の自分は「おお」と思う.
きっと調子がいいのではなくてどこかが麻痺しているのであって,
でも思考をじっさいに回す部分は麻痺もなく疲労もなかったからでしょうね.

でいくつも思いついたことがあったので思い出せる限り再現しておく.

まず「2種類の可能性」について.
(1)「子どもに宿る無限の可能性」とか,僕がよく引く「可能が可能のままであった頃」という時のは,
その主体が可能性を発揮することはイコール主体の変化でもあるわけです.
選択肢はたくさんあって,その一つをいったん選んだならばそこから自分はどんどん変わって行く.
「選択を間違えた」と思った彼は選択した当時と変わっていないのかもしれないし,
ある程度変わったからこそ次の変化を求めていったん立ち止まることを「選択した」のかもしれない.
(2)一方で,消費主体としての選択可能性というものがある.
これは相応のお金と引き換えに商品や経験を得る選択肢の広さを言っていて,
選択肢の広さとは言わずもがなで「どれだけお金をもっているか」です.
この消費主体の特徴は何かというと(1)と正反対で,
「選択の前後で主体が変化しないことが前提」です.
これを実感ベースで説明するのは今思いつかない(か忘れてる)のでしませんが,
代わりに「経済活動」という枠で説明してみます.
お金を信用して経済が回っている以上「お金の信用」は何よりの大前提で,
これは経済活動の範疇においては何が起ころうが「変わらない」.
逆に言えばそこが変わる時に行われている活動は経済活動ではない.
消費主体はお金に信用をおいている限りは消費主体であり続ける.
お金で経験を買って「スキルアップする」とか「生活を充実させる」とか言いますが,
それは消費主体であることをそのままに自分を変えようとしているわけです.
それが上っ面の変化だと言いたいわけではなくて,
例えば消費主体が消費主体であることを(普段は意識しないけれど)忘れることは
「自分の根っこに変わらないものがある」ことを意識しないことでもあります.
それが足かせになることがある,と言いたいのだけれど,
これは「プロとアマチュアの違い」といえば分かりやすい.
「生活のために妥協しなければならない」ことは一つの足かせです.
仕事で稼いだお金で生活している人は,その意味で「その仕事のプロ」で,
その仕事が自分のプライベートを制限している(時間は減りますね)だけではなく,
生活がかかっているという意味で仕事に関わる行動に足かせがはめられている.
これは当たり前で,「それをわざわざ足かせと表現する意味はない」という声も聞こえそうですが,
僕は「意味はある」と思います.
これは前に書いた「生身の無常観」に通じる認識でもあり,
『薄氷の踏み方』(甲野善紀・名越康文)で名越院長が大切という「認識」の一例でもあります.
(この本についてはまた書きたい.書評として書くのは難しそうだけれど…文句なしの☆☆☆☆☆です)

話がずれてからいつも以上にずるずると引きずってしまったのは,
「戻るのにも体力が要る」からですね.
さて戻りますと,二種類の可能性の話でした.
(「変化を前提する可能性」と「変化を前提しない可能性」の二種類ですね)
そしてもんのすごいおおざっぱに言いますと,
「この二種類の可能性を混同したところに時代の早とちりがあったんではないだろか」
と思ったわけです.
これは「労働より先に消費を体得してしまう消費社会の教育における弊害」と
同じようなことを言ってるんでもありますが,
(あと「期待通りの自己実現」とかいう変な話もありますね)
帰りのバスの中で考えてる時はもっと広くというか違うことを考えていたような…
まあ,忘れました,はは.

そして一つのことを長く書き過ぎてあと全部忘れちゃいました.ははは.
たぶん『薄氷の踏み方』(今日読了しました)を読み返せばぽこぽこ出てきそうなので,また.
で,本書を読んで一つだけ気になったところを.
きっと他に指摘する人がいなさそうな話なのだけれど,
甲野氏は本書の中で何度も「(甲野氏の)生きる意欲(の有無)」について言及していて,
本書の内容もすごいけどこのことが示すこともかなり大きいんじゃないかと.

甲野氏の著書もいろいろ読んでみようと思います.
『剣の精神史』とか.

あと言い訳っぽいこといいますけど,
今日の筆致の疲れ具合は中島氏の著書の影響を強く受けているという自覚を持っています.
なんか丁寧語だしね(なぜ?)
おしまい.

+*+*+*

タイトルを見直して思う.
多分自分は連休があまり好きでないんでしょうね.
もちろんそれは会社人間だからではなくて,
「リズムが崩れる」から.
それは会社人間の言い分じゃないか.
違います.

+*+*+*

ああ思い出した.
上まで書いて一度送信して見直そうと思ったら思い出した(と書く意味は何もないんですが).

「自分のことだけを考えていられる幸福感」
というものを今日自分に対して感じたのでした.
それは体調的にそうせざるを得ない,という状況があってのことなんですが,
…これなんか分析しにくいですね.
まあ感想だけいうと,
周りが見えないで自分中心に振る舞えている人はその間は幸福で,
そしてそれに邪魔が入ると一気に不幸を体感するんだろうなあと.
自分は「不機嫌な顔をわざわざ露にする意味」なんて功利的に考えてもないだろうと
日頃から思っているんですが,そうせざるを得なくなる状況について
今日はうっすらと想像が及んだのでした.
まあこのことで自分の生活態度が変わることはなさそうですが,
今までにない方向の「想像の芽」を今後伸ばせる可能性を見つけられた気がします.
もちろんこの「可能性」は上でいう(1)の方です.

今度こそおしまい.
そしてきっと23年度もここでおしまい.
よいお年度を.
違うか.
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by chee-choff | 2012-03-31 00:07 | 思考
ねみみみみず
越えられない壁

寝耳に水 <<<<< 寝耳にミミズ

ということで一日ぐったりしてる間に凄いことが会社で起こってたんですが
まあここでそんなこと書く気もないというかそれはウソで(どれだ?),
公私の「私」の方の(昨日言ってた)過渡期の話をしましょう.

+*+*+*

花粉症治りました(笑)
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by chee-choff | 2012-03-28 23:13 | 社会人
この前近代にしてこの「近代」あり
絶好調のハシモト節.
調子乗ってたら1ページまるまる線を引きそうになる.
>>
 前近代は、「思考の自由」なんか理解しない。現実的な「形あるもの」と結びついて、初めてその価値を理解する。「形あるもの」と結びついていなかったら、それはただの無価値で、それをする人間は、ただの「変わり者」である。「思考の自由」なんかを理解しないからこそ、前近代は、「思考の自由」を求める「近代」を生む。生んだ前近代は、「自分が生んだこと」だけは理解して、自分の生んだ子の「内実」なんかは理解しない。もしかしたら、「自分が生んだ」ということさえも、理解したくなくなったら理解しないかもしれない。だからこそ、「お前みたいな子を生んだ覚えはない!」という、素晴らしい啖呵も存在するのであろう。
 前近代は、ただ「思考の自由」であるような近代を理解しない。だから、「親」でもある前近代への理解──つまり「言いわけ」の必要に迫られた近代は、それを「形あるもの」に結びつけようとする。だから、「近代社会」とか「近代知性」とか「近代兵器」というカテゴリーのようなものが生まれる
「近代社会」とか「近代知性」という概念は、いたって前近代的な発想である(橋本治『いま私たちが考えるべきこと』「7 へんな土壌からはへんな木しか生えない」p.123-124)
>>

そしてこんなことをさらりと書くハシモト氏にびっくりしてしまうのである.
>>
 私にとって「近代」とは、ただ「思考の自由」である。のべつまくなしに「こんにちはー」だけをやっている習性をつけてしまった人間にとって、「それをやらずに、ただ自分の思考への集中を続けてもいい」は、大いなるゆるしである。前近代から近代を覗き見た私は、だから、「そんなことやってもいいんだ……」と思ってびっくりしてしまうのである。
同上 p.122
>>

タイトルのカッコは,「巷ではこう使われてるみたいだけどサァ…」という意味のカッコですね.
『括弧の意味論』で分類されてたはずだけど…もう忘れました.

+*+*+*

今ちょっと過渡期なので一段落してから書こうと思います.
あらたいへんさぁたいへん
たいへん抜いたら「アラサー」(死)
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by chee-choff | 2012-03-28 00:17 | ハシモト氏
それを言うことで何を「言わなかった」か?
心に留める.

>>
ある種類の計算のためにしか知性の行使が許されないという場合、それは「計算をしている」のではなく、「計算することを強いられている」のである。
(>強いられていることを自覚できない状態が「抑圧」である,と)

つねにより有利な交換比率を求めるものは、自分の手持ち資源の価値ができるだけ過大評価されることを願う。過大評価のカーブは、市場に差し出す自分の手持ち資源の価値がゼロであるときにその最高点に達する
つまり、ひたすら有利な交換を願うものは、その論理的必然として、やがて自分の手持ちの資源の価値がゼロであることを願うようになるのである。
(>「交換比率」とは変化量であって,そしてある意味「相対値」でもあるわけですね)
『赤毛同盟』と愚鈍の生成について(内田樹の研究室 2012年03月22日)
>>

+*+*+*

ウチダ氏は朝日新聞の「仕事力」(日曜の求人欄の上部にあるコラム)の取材を受けたらしい.
氏は朝日の紙面論議委員みたいなものをやっていることもあり,
読むのを止めた(確か毎日に代えられたはず)のに(から?)これまで何度も投稿文章が載っている.
(確かつい最近は沖縄の米軍基地問題について書いていた)
普段からウチダ氏の文章を読む身としては朝日の「エッジの削り方」が凄いというか
「これが紙面の力か」とある種感心するのだけれど
(でも上の米軍基地問題の投稿はほとんど「いつもの感じ」が出ていた),
こうやって比較のために取材時の発言を書いといてもらえると
「新聞社の言いたいこと言いたくないこと」が良く分かっていいと思う.

単一のマスメディアに浸かり続けると「書かれていること」について良く考えるようになっても
「書かれなかったこと」についてはその存在すら想像されなくなる.
公正中立とのたまうマスコミにも当然「視点」はあるわけで,
マスコミの視点は常に相対化させてから内容に触れないと大変なことになる.
(というかもう「なっている」のか)
では複数のメディアに触れていればいいかと言えば,まだ不完全ではあって,
それで相対化できるのは「個々のメディアの癖」だけで,
「マスメディアが共通に持つ癖(=価値観)」に目を届かせるのは難しい.

つまり「検閲済みの記事」と「生ものである取材内容」の比較によって
個々のメディア(今回は朝日新聞)の癖を「その価値観も含めて」すかし見ることができる,
ということで上のリンク先のウチダ氏ブログを読んだあなたは「仕事力」も必見です.
たしか今は村木厚子氏(郵便不正事件(曖昧)で冤罪に遭った人)の何回目かで,
一人につき4回分だから次だとしても4月だと思います.
楽しみ☆
なのはもちろんコラムの内容そのものでなく「何がはしょられたか」が明示されるのが,です.


なんだかまともなことを書いてるな…
やはりリアルタイムで読んでいる文章によって自分の書く文(の内容と文体)が決まるらしい.
まあたまにはいいか.
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by chee-choff | 2012-03-25 00:50 | ウチダ氏
つまるところ花粉がニクいと言いたいだけ
昨日の記事を読み返すとなんとも投げやり.

症状がおもくそは出てないのは今年はましだからなのかなー
と思ってたらそうなのかもしれないけどそうではなさそう.
というのも前にも書いたが疲労が溜まる溜まる.
田丸っていうのは信頼性試験の(おい
昨日今日とか出勤時に既にして定時前後の疲労感でもうどうすれば…
お陰で受け身姿勢が疲労硬直して,
面倒臭そうな(でも本来面白そうな)仕事を振られた瞬間に
上司の目を見つめて5秒固まるという失態もやらかした.
しかも目に涙を溜めて(この涙の何割が花粉のせいだったろう?).
いやほんと元気な時なら笑顔で引き受けたはずなんですが…
身体が現状維持のゴンゲになって脳は「あらまぁ…」って沈黙してて,
いやもう少し臨機応変に振る舞ってもらいたいけどそうもいかないですかそうですか
加えて周辺で色々衝撃なことが起こっていたり抱えていた難題がぽろりと解決したりしていて
その都度傍にいる人々がテンションを上下させているのに
自分はあたかも華麗にスルーな雰囲気を漂わせてしまったり(「難題ってなんだい?」が如く),
いや実は自分を保つのに必死でそれどころじゃないと是非に訴えたいのだけど
それを言ってしまわないことが自分を保つことの中に含まれているので
どうしようもないなあという悲しき葛藤にもエネルギィが消費されてもいて
人間ってめんどくさい.

もちろんすべきこと(仕事の話じゃなくてね)は分かっていて,
今まで何度も言ってきたけど確認のために書いておくと,
しんどい時の自分の言うことには耳を貸さない.
自分の発する声は体の外側と内側の両方から耳に伝わるのだけど,
外側からに関しては「左から右に抜ける」でこれは定説なのだけど,
内側からに関しては「内から外に抜ける」で,あれ? 普通?
ということで福岡伸一氏(じゃなかったかもしれない)の「ちくわ的身体」を思い出そう(飛躍)
つまるところ身体はちくわであって,
つまるところ詰まらない.
つまりつまるところつまらないところがつまらなくない(=面白い).
世の中詰まる所に「ツマリ」在り,
ツマリ在りて詰まる所も詰まらざりけり.
ツマリ排水溝にはドメストで除菌であって,
ドメストは国産なので「ドメスティック・ドメスト」.
とどめを刺す人「トドメスト」.
日本人なら(←?)「ドメスティック・トドメスト」.

@赤玉
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by chee-choff | 2012-03-24 00:33 | 社会人
グールドがおもしろい/64番目の素数
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実家から持って帰ってきた『嵐の中のハリネズミ』が面白かった.
著者の科学エッセイ集5冊目らしく,
じゃあ1冊目を読もうってことで『ダーウィン以来』を買って読み始めると面白い.
ということで2〜4冊目も買っちゃおうかしら…

この上巻収録エッセイの初出は1977年.
日進月歩の科学を扱う本としては古いんじゃないかと思われそうだけど,
そんなことはない.
進化論が誤解を生みやすく,その誤解が社会通念を形成していった,
というその内容を「よくそう言われてるよね」と受け取れるところが,
そのまま著者の主張を裏付けている.
進化論がテーマといって本エッセイは社会や人間の話と深くつながっていて,
単なる教養系読み物を超えた「見る目を養う」思考の書となっている.

一日一章.

+*+*+*

しかしこういった本が古いというだけで1円で売られている(送料込みで251円)事実は,
本の価値が正当に評価されてなくて悲しいとかそういうことは全然なくて,
需給関係の素直な顕れに過ぎない.
今,大きな需要が見出される価値とはいかなるものか?
それを問うのは資本主義のルールを懐疑するのと似たようなもので,
競争に勝てるのはルールを懐疑する者ではなくルールを遵守する者.
だから自分は生まれる時代を間違えた,とたまに思うのだけど,
この「だから」が飛躍しすぎて面倒臭い.

お金の価値は持ってるだけで目減りするから退蔵せずに価値あるモノと交換する,
という「効果的な消費」はきっと正しくて,
正しいんだろうけど素直に従えない自分はやっぱり生まれる時d(ry

うん,理由をつけよう理由を.

+*+*+*

なぜかグールドの話だったのに大逸れしたので戻る.
>>
(…)これらのエッセーであつかった範囲は,惑星や地球の歴史から社会や政治の歴史にまで広くおよんでいる.けれども,これらはダーウィン版の進化論という共通の糸で(少なくとも私の頭の中では)結ばれている.私は専門家ではあるが大学者ではない.私が惑星や政治について知っていることは,それらが生物の進化と交叉しあうかぎりにおいてのみである.
スティーブン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来 上』p.14
>>
ひとつの見方でいろんなものを見る,というのはとても参考になる.
一人のひとがものを見るとはそういうことだ,ということもあるし,
その「ひとつの見方」という専門が読み手に縁遠いものであるほど,
加えて著者の見る「いろんなもの」が読み手には身近であるほどに,
読み手は新たな視点を親身な実感と共に獲得することが可能となる.

そして時間に耐える書物には何がしかの本質が含まれているものなのだ.
(本書の文庫版は今でも新品で購入できる)
「一日一章」が習慣化すれば日々の思考の質が今と少し揺らぐ気がする.
それは「かちっとする」方向への揺らぎということなのだが,
これは予感なので読み進める間に違う感覚が生まれればまた書こう.

+*+*+*

久しぶりLemm氏の嬉しい更新.
全く私的な話だけれど,この曲(remix前)を聴いて甦る景色と感覚はまだ内にある.
いつまでも,いつまでも.

「何処までも 私 シアワセニナリタイ」
【初音ミク】kirisame nrrmx【RMX】
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by chee-choff | 2012-03-22 23:20 | 読書
お題:機上の邂逅
「ハイジャック・デリダに動じるドゥルーズ」

あ,ダメ?(笑)
じゃあ誰なら動じないだろう…?(どうでもいい)

「ジョセフ、動じナ〜イ!」
っていうカタコト本人談風味(笑)

はい,寝ます.
「健、ノーじゃない、ハイよ、ハイ」

もうお分かりですね?
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by chee-choff | 2012-03-21 00:49 | ことばあそび
動じない「同時性」と「共時性」の矜持<併読リンク13>
張り合ってる感じが微笑ましいタイトル.
ちなみにドージマムテキの馬主は大阪出身(嘘)

このカテゴリを使うのは久しぶりなのだけど,
併読中のリンク自体はいっぱいあるのだけどパターン化しているようで
改めて書き起こすこともないなあというものが多かった.
その意味では本記事は繋がり方が新しい.


>>
 最後に,おことわりすべきことがある.これから先は冒頭から巻末に至るまで,接続詞の使用を避けるよう心掛けた.文章を難解に仕立てるという不遜な狙いなどあるわけもないが,もし読者に若干の不便をおかけする場合にはご容赦を乞うしかない.あくまで<遅れ>の積極的な意味を,できるかぎり現前させようと力を尽くした結果であり,(…)
春日直樹『<遅れ>の思考』p.27
>>

>>
(…)止まっている雲もじつは「立ち去ることができない」のであって,ここでは運動障害に罹っているのである.カラスはただそこに「いる」のではなく,「遠出してきた」.運動の結果,おそらく相当に疲労し,なにかにとまって休んでいるのであろう.暗闇は人を吸い込まず,悪夢を「提供する」.ここでは暗闇すら「運動する」のである.(…)ここでは小説に「身を任せれば」いいのである.(…)身を任せていると,運動が心地よく伝わってくる.最後にはメマイまでしてきたから,奇妙なものである.頁から目を離して戸外を見ると,見慣れた風景が,すべて運動の途中経過に思われてくる
養老孟司「運動小説」(『涼しい脳味噌』p.197-198
>>

後者は時評集(新聞連載などをかき集めたもの)で,
この一節は島田雅彦の『夢使い』という小説の書評のようなものから抜粋した.
『夢使い』の本文の記述が動性に満ちていることを紹介していて,
最後の一文を見て僕は「面白そやな!」と思ったのが今日の20時頃.

でこの4ページほどの書評を読み終えて次に手を取ったのが前者で,
これは今日が読み始めで抜粋箇所は序章の最後の部分.
「接続詞の使用を避ける」みたいなこと自分もやろうとしてたな…
と立ち止まって頭を巡らすうちにふと後者の抜粋部分が浮かんできたのだった.

前者は後者の「動」に対する「静」というわけではなく,
(ちょっと趣旨を把握しかねてるかもだけど)記述における時間の流れを隠すための措置らしい.
抜粋部分の章では「こぎとえるごすむ」が時間順序のニュアンスを与えるとかカントがそこから
時間を抜き取った点が革新的とかデリタはドゥルーズは云々…みたいな話があって,
結局「まあそこはおいといて」で幕開けという面倒臭さプンプンの本なのだけど,
テーマが面白そうだし晦渋なんだけど本音が時々ぽろっと出てくるのでなんとか食らいついていく予定.
「考えることそのものを楽しむ」が底流にあればどんな本でも読める気がするので.
以上散漫メモでした.
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by chee-choff | 2012-03-21 00:00 | 併読リンク
からはからかはからうの。
 馳せる 
 爆ぜる 
 褪せる 
  焦る

 請う 
 恋う 
  煌々

 醒めぬ昼
 滲む夜
 代わらぬ朝

 彼方 血の白
 此方 知の黒

 灰から愛の。
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by chee-choff | 2012-03-19 22:22 | ことばあそび
金カネ人カネ何方カネ?
ちょっとした食事時間のイレギュラーがあって,
今日はいつもよりじっくり新聞を読んだ.

Asahi Globe(だっけ?)が今号から縮刷版で読みやすくなって,
それでいてテーマが金(Gold)だったのでちょっと惹かれて目が向いた.
掘削する鉱石の金含有量が1トンあたり数グラムだとか(値はもう忘れた),
万札の原価は14円だとか当たり障り無く面白い話題がいくつかあったが,
ひとつだけいつもの興味を惹いたのは金の相場を決めるものの話.
相場経験の長い人(とボカすのは勿論忘れたから)の言として,
「金の値段は人智を信じるかどうかで決まる」
とのこと.
なるほどその通りだと思うが,すると思うのは,
「金を買う人は人智を信じていない」
と簡単に言い換えられるなあということなのだけど,
いいの?
いや悪いことはないが.

金の値段が今はガンガン上がっているらしいが,
中国では貯蓄(ではなく増やす気なのだが)に金を買う人がたくさんいて,
でも日本はあまりそういう流れは起きていないらしい.
(日本は金の輸出国であるとのこと.知らなんだ)
バブル経験してるしね.

しかしあの超右肩上がりの折れ線グラフは確かに魅惑的やね.
でも僕は人智を信じるから金は買わないけど,
と納得できれば人智を信じてることになると思うんやけど,
あれ,こんな簡単でいいの?

+*+*+*

最近文章が泣いていないのはあまり症状が出てないからです.
気温が低い日が続いており,恵みの雨で脳ミソ豊作(?)
でもテンションは上げません.
上げたら悲しくなるもの.

春過ぎて飛ばなくなったら花粉持ちで祝勝会でもやろうかな.
「我々は今年も無事眼鼻(げんび)に迫る猛威に耐え抜き…」
(これを「げんび」と読んだのは「むーげんにーびーぜっしーんーいー」からきてます)
なんて演説しちゃったりなんかして〜,もう!(←誰?)
うん,した気になったのでもうしません.
(花粉濛々の時は「ぼうじばぜん(T-T)」てなって悪いことして泣いて謝る時とおんなじ感じになる)
ぼうじばじだんでぼうじばぜん(T-T)
いてて,真似事してたら目がかゆく…
むう,病いは気からとはこのことか.
余計なことせんとこ..
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by chee-choff | 2012-03-18 20:05 | 社会人