深爪エリマキトカゲ
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『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦
ひさしぶりに書評投稿.


やがて消えゆく我が身なら
  • 池田清彦
  • 角川書店
  • 1365円
Amazonで購入
書評


そしてミヤギへ,いってきまー
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by chee-choff | 2011-07-31 11:44 | 読書
「読書同盟」結成☆
『キュレーションの時代』でビオドープ云々とか言われてブログをいじりたくなったので,
忍者HPでNinjaツールを眺めていたら面白そうなものがあった.

忍者サイトマスターHP

mixiのコミュみたいなもんだと思うけれど,
同盟という言葉に惹かれてよくわからないまま始めてしまった.
んでその同盟で読書に関係するものが一つもなかったので,
ちゃちゃっと適当に作ってみました.

「読書を通じて思考を楽しむ」同盟

人を集めて何をしようというのでなく,
というか「一人で考えよう」と思う人が集まるというのは何か矛盾していて,
でもそれが「集まっても多数派にならないマイノリティ」みたいな,
ああそうだ,『熱帯』(森見登美彦)にでてくる「沈黙読書会」のようなイメージかしら.
「一人でいるけど独りじゃない」という.
そういう分かりにくさを求める人もいるはずなんだ…

と,ほんとテキトーなことばっか言ってますが,
「同盟シール」(↓)とかなんかカッコイイじゃないスか,はは.

気が向けば参加してみて下さい.
何もしないけど.


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by chee-choff | 2011-07-30 23:21 | その他
前向きに前進 = 後ろ向きに後退
進化も退化も,
「今ここにないものを求める趨向」
という点で同一なのであって,
その求めるものが昔にあったかどうかは些細なことなのだな,
と『キュレーションの時代』(佐々木俊尚)のある箇所を読んで思った.

「モノ」よりも「場」が求められる時代(と本書にある)という流れもその仲間だろう.
「進化(進歩)」という言葉に「モノの装飾語」の一面もあったろうから.
生産至上主義の(かつての)推進力.

>>
(…)マスメディアが演出した記号消費がなくなっていく世界では,モノの消費はふたつの方向へと分化していく.
 消費が本来生息していたなつかしい場所,シンプルな「機能消費」の古巣へ.
 そして新たな「つながり消費」の世界へ.
 (…)
 機能がほしいんだったら,別にモノなんか買わなくたって,借りたり共有したりすればいいじゃないか──.
 つながりがほしいんだったら,別にモノなんか買わなくたって,つながれる場がそこに存在すればいいじゃないか──.
 これは当然の進化の方向性と言えるでしょう. p.128-129
>>

「いや,そこは“退化”だろう」と瞬間的にツッコミを入れてしまったが,
改めて見るに,「つながり消費」に係っているのかもしれない.
が,素直に読めばやっぱ退化かなあと.
で,こう進化と退化を簡単に取り違えるところを見て,冒頭の思考につながったと.

「人間の誇り」「人としての矜持」みたいなものは昔より顧みられなくなっていて,
それがきっと「進化でも退化でも,んなもんどっちでもいい」に流れていくのかしら.
ま,前にも後ろにも「進む」って言えるしね.
という数直線(二次元)のメタファーもどうかと思うけど.
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by chee-choff | 2011-07-30 01:02 | 読書
卒業アルバム
高校の卒業アルバムを眺める。
主に人を見るのだけれど、思い出されるのは出来事ではなく、その人の「人となり」。
想起されるのは記憶というより印象。
それを呼び起こすというより「再構成」する。

顔も変わったなー、と思った。
何の顔かといえば、脳内に格納されていた人々の顔。
アルバムを見返したのは恐らく3年以上ぶりと思われるが、
見ない間にずいぶん変わったもんだ。

いや、紙の上は変わるはずがなく、久しぶりに眺めて発見があることを言っているのだが。
その変わり方から自分の心象について気付かされることもあり、興味深い。
過去は変わるという認識の、いかに強力なことか。
…「過去の時を止める」願望は「現在の時を止める」それとさほど違わないのではないか。

もう「思い出」といえる大層なものは深く沈んでいってしまったらしい。
ばったり当時の友人に会っても、自分から「あんなことあったね」と言える自信がない。
それをそれだけ「今を生きている」ということであり、
「過去が今を基準に、今と分離せず生かされている」と言うことも可能だ。


会いたい人はたくさんいる。
話すことがなくとも、勝手に出てくるだろうから。
そんなあいつも、あいつと一緒にいる自分も含めて、
つまり「共にいる場」を信頼できる、そういう場を形成できる人たちだから。


会いたい人はたくさんいる。
でも、やはり気付いてしまう。
「会いたくないけれど会いたい人」が一人だけいる。
相変わらずだと思う。

どっちなんだろう。
いや、決してどちらかに落ち着けさせられない。
それはもう諦めている。
それを諦めるとはすなわち、「ずっといる」ということ(どこに?)。

その人がどうあってほしい、というのは、ない。
その正直な思いが、「会いたくない」を構成する。
では一方で、「会いたい」を構成するものは何か?
たぶん、その人が僕にとって、「その人の前では一番正直になれない人」だからだ。

なるほど、実に正直だ。
「考えることに没頭しつつも飽いている」というアンビバレント。
引き裂かれていること。
その人は…

その人はきっと、「身体の人」だった。
そして驚くほど頭の回る人でもあった。
それが,「身体」であり同時に「頭」でもある表情に、正直に表れていた。
「とても表情では表せない」という表情。

それを当世風の「奥ゆかしさ」だと思った。


昔の自分はそんなこと考えてすらいない、
とは断定できなくなってしまった今日この頃。
それを考えるだけの素材を当時から培っていたことは確か。
ならば、断定する必要もないじゃないか。

…昔のことを考えながら標準語で書くと気持ち悪くなるな。
関西弁が文語として使いにくいのは明らかだが(その点川上未映子は凄い…読んでないけど)、
それとは別に、自分はやはり関西人なのだなと思う。
ま、えーか。


帰神します(注:神戸ではない)。
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by chee-choff | 2011-07-29 15:41 | その他
『切りとれ、あの祈る手を』佐々木中
 「取りて読め。 筆を執れ。 そして革命は 起こった。」

実家にあったので2日で読了。

休みが長いと思えば1冊を続けて読めるらしい。
それだけいつもは小分けに一日何冊も読み進めていた、と。
まとめて読むとなんか分かった気になるのは良くも悪くもあるとして、
読み終えて放心しちゃうのがちょっと。。
習慣づいてないから、というだけだろうけど。

まずは素敵に思えた箇所の抜粋から。


>>
突然出現したように見える人というのはひとつ共通の特徴がある。それは、「誰の手下にもならなかったし、誰も手下にしなかった」ということです。 p12
>>
そうかもしれない。

>>
読んでしまった以上、そこにそう書いてある以上、その一行がどうしても正しいとしか思えない以上、その文言が白い面に燦然とかぐろく輝くかにみえてしまった以上、その言葉にこそ導かれて生きる他はない。  p26
>>
「方法依存」の養老氏に通ずるものを感じた。
「考えたらそうなるんだからしょうがない」と。
ただ佐々木氏は「しょうがない」なんて決して言わなさそうだが。

>>
何故人は本をまともに受け取らないのか。本に書いてあることをそのまま受け取らないのか。読んで正しいと思ったのに、そのままに受けとらず、「情報」というフィルターにかけて無害化してしまうのか。おわかりですね。狂ってしまうからです。(…)書店や図書館という一見平穏な場が、まさに下手に読めてしまったら発狂してしまうようなものどもがみっしりと詰まった、殆ど火薬庫か弾薬庫のような恐ろしい場所だと感じるような、そうした感性を鍛えなくてはならない。 p29-30
>>
面白い発想。
言われてみればそう思われて違和感を失くすことも可能かもしれない。
そういえば氏は「狂う」とよく言い、同時に「冷静であれ」ともよく言っていた。
二者の両立が可能であることは理解しているが、自分の経験に照らして、
「それをそうとはっきり言われてできるものなのか?」と素朴に思った。

>>
中井久夫氏(…)が言うように、知覚と思考のの区別かつかなくなるというのは統合失調症の本質ですから。だから統合失調症の患者は、「死ね」と自分を罵る思考を、知覚として、外部からくる声として聞いてしまう。これが幻聴です。 p40
>>
本の内容とは関係ないが…まじか、と思った。
「ある出来事を思い出した時にそれが現実か想像かの区別が(瞬間)つかなくなる」
という経験は何度もあるが、これもスキゾフレニーの一症状だろうか。
気楽な感じなので全然違うとは思うけど。


本当はもう少し抜粋したい箇所があったけれど、
いざ書こうとして理解不足に気付いてしまったので断念。

なんというか…
「本を読むことは大変なことなんだ」
ということについて大変スケールの大きい話が展開されていて、
内容的には「おおお!」となるはずなのだが、
どうも著者の雰囲気を最後までうまくつかめず読み通してしまったらしく
(著者の雰囲気をつかめれば、その語り口に応じた「聴く姿勢」をとることができる)、
「ぽかーん」で終わってしまった。
ま、後悔はないが。

碌な感想も書けそうにないが…
うん、世界史の勉強になるね(笑)


+*+*+*


気を取り直す。
著者は「表舞台」(たぶん論壇のこと)に立つまでの「潜伏期間」が長かったらしく、
その間情報を遮断して、特定の古典を何度も読み返す生活をしていたらしい。
本書で自分で指摘していたが、そのために著者はある方面において無知である。
それを「世間擦れした読み手」(自分のことを言っているわけではない)からすれば、
「敏感」と「鈍感」が同時に析出したように見えるものと想像される。
そこで、得るものは得たい読者からすれば「鈍感」が「敏感」を装飾(強調)するような形で
「敏感」を的確に掴み取る戦略をとることになる。
それに成功するか失敗するかは、読み手の期待と、心意気と、著者との相性にかかっている。
基本的に読書においてその3つめしか気にかけていない自分は、
意識せずとも採用しているはずの当該戦略において、盛大に失敗したというだけの話である。

何が言いたいんだか。
まあ一言で済むんですけどね。
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by chee-choff | 2011-07-28 21:42 | 読書
Fever!
@実家

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で、20分ほど格闘。
そんなに衰えてはいない…かな。

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by chee-choff | 2011-07-27 22:28 | タイプウェル
姉スネア
これは回文です
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by chee-choff | 2011-07-25 23:16 | その他
低温わかさ
ある話がその話し手によって嘘に聞こえたり本当に思えたりする,
という経験が,その通りだと思いながら癪に障るものが昔はあった.
(人づてに聞いて)話し手が実は違った,となったら「騙された!」としか言い様がないからだ.

が,それは次元の混同が原因であった.
ここでいう「嘘か本当か」は情緒レベルの話でしかなくて,
話の内容自体はいってしまえば「物語」なのだ.

情緒の判断を経ずして話し手を思考に巻き込みたいと思った時には,
「なぜ彼(彼女)はこの話をするのか」
という問いの設定が不可欠だ.


…という話を,『正しく悩むための哲学』(小浜逸郎)を読んでいてなぜか思った.
その理由になるかどうか分からない話をすると,
小浜氏はバランスのよい論者だと思ったのだ.

なんだか自分の流行り以外のものでない気がして恐縮だが,
「結論がよく分からずくだくだ話を続ける」語り口に信頼できるものを感じる.
その「くだくだ」が実りあるものであってこそのことだけれど.

「哲学」と銘打つからにはそうでなければいけない.
かといって本書は純粋に思弁的というわけでもなく,色んな所で実生活と結びつく.
まあ想定読者は「社会に馴染めない若者」らしいのだけど.


で,最初に書こうと思ったのは…現状認識は大事だなあと思わせる部分があって,
それは客観的な思考をするための重要な素材であるから.
正しいか間違いかはまずおいといて,今自分はこういう時代に生きているのか,と
日常と枠組み(の一例)を照らし合わせる知的作業は面白いものだと思う.
正誤のこだわりをその後にもってくれば,そのこだわり自体も相対化できることに気付いて
「ハッとする」経験をするまでの一連の流れはわりと想像しやすくて,
その時の若者(高校生くらいですかね)の表情の変化を見てみたいな,と思ったり.

なんだこれ,教師になりたいのか自分は.
まあいいや,抜粋だけしておこう.
>>
(…)近代社会は,個と共同性の分離,家族の独立と子ども時代の固定化,性的成熟と社会的成熟とのずれ,長い教育課程など,それぞれが相互に影響を及ぼし合うような複雑な構成のもとにあります.そしてそれらの多くには,簡単に乗り越えるわけにはいかないそれなりに歴史的必然な根拠があります. p.143
>>
個々の論理展開を読んだ上でのこのまとめを読むと,ものすごくすっきりしていることがわかる.
ここでいちばん大事なのは「歴史的必然な根拠がある」というところだろう.
誰かが既に考えてまとめてくれてる,と思うかもしれないが現実はそんなに甘くはなく,
そもそもここを押えていれば,性急な社会改革が必要なんて話は出てこないはずなのだ.
いやちょっと違うか…単純な予想をすると,このあたりのことを把握しちゃった人は最終的に
「世間から逸脱しない程度に現状肯定」に落ち着いてるんじゃないかなあと.
で,その人は政治の表舞台には出てこない,と.

ああ,隠居いいなあ…隠居.


という「爺オチ」.
落ちてねえ…


p.s.
いや,意味なしタイトルは後で自分が一番困ると分かってはいる.

小学校で「キャップめくり」が大変流行っていたころがあり,それは
給食の牛乳瓶の蓋を集めて昼休みに廊下で勝負相手とお互い何枚かずつ出して,
じゃんけんで勝った方から先にキャップを床に「倒れたドミノ片」みたいに並べて,
その横から床を平手で打って生じた風でめくった分だけ自分のものにできるという遊び.
 三階建ての2つの校舎をつなぐ二階の渡り廊下が主な試合会場だったが,
 昼休みは渡り廊下を通る隙間もないほど「勝負師」でごった返していた.
 あとは中休みとか授業間の休みには教室の机の上でやったりとか.
全盛期は片手で20枚,両手でその倍くらいは一度にめくれた.
手のひらの皮は当時が一番分厚かったに違いない,
何せ暇があれば机やコンクリの床をバンバン叩きまくっていたのだから.

あまりにのめり込み過ぎて家の部屋がキャップで散乱していたり,
電車で遠くへ出るたびに行き先の駅の売店でビン牛乳を飲んだりしていた.
 「低温わかさ牛乳」というのがたしか通っていた小学校の給食で毎日出ていた牛乳で,
 「酪農3.5牛乳」とか「蒜山ジャージー牛乳」とかそりゃもう他に無数のキャップがあったのだけど
 それらと「低温わかさ牛乳」とには独自の交換レートがあって(それらを「めずら」と呼んでいた),
 学内では腰にキャップを大量に入れた巾着袋を常時ぶらさげたりしていて,
 そうかあれは通貨だったのかと今さら思う.
 何か別の価値あるものと交換できたわけではないが(いや知らないだけで「闇市」があったかもしれない),
 年の差など関係なしに「持てる者への羨望のまなざし」があったことは確かだ.

なぜ昔話に花が咲いたのか…
いや,「若者→わかさ」だなんて口が裂け(ry
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by chee-choff | 2011-07-22 00:46 | 思考
きものみ
はいというわけで「電気ブラン祭」の次は「着物縛り飲み」やります.

いや誰も帯で縛るなんて言ってまs(ry  まあ縛るんですが.

今年は節電で花火大会が減るらしく着物が持ち腐って嘆かわしい!

という多分誰かの脳内で聞かれた(つまり事実関係は不明)らしい発言を端にして開催予定.

着物といえば赤玉ポートワイン!


あ,涼しくなったらね.
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by chee-choff | 2011-07-20 00:02 | 社会人
(v18)薄明の異世界(Lemm)
今回の紹介は新進気鋭のLemm氏.

現実の生臭さが微塵も感じられない洗練.
透き通る音色.
すげえ

【初音ミク】kirisame【オリジナル】
綺麗なムンベ.
絵の静と溶け合う.

【初音ミク】KlothoPianoForte【オリジナル】
クラシカルピアノトロニカ.
なんぞそれ.


ああ明白に言葉足らず.
もうついてけません..

タダでこんな音聴けるようになったんスねー
いい時代スねー

と,悔し紛れに思考はあらぬ方向へ.


+*+*+*+*


いや,資本主義が危ういなとちょっと思って.
何せ,その大前提が「富(価値)の偏在」にあるのだから.
今は富が明確な価値を持たない時代であって,
それでも交換しなきゃ経済は回らないわけだから
「必要」なんてガン無視して「どんちゃん騒ぎ」を定常化している.
(見る人によってはそれが「から騒ぎ」に映る)
その空虚が増せば増すほど不安を感じ,または正気に戻る人も増える一方で,
自分の必要(好み)を確固と持つ人はそれを満たすために大金を要しないことに気付いている.
「節操を保った“世界との繋がり”(要するにネットサーフィン)方」がそれを実現させている.

いや,集団から離れた場所でしか説得力を持たない話かもしれないが.


これと関連するかしないか分からないけど,
教育論の本(じゃない,『やがて消えゆく我が身なら』(池田清彦)だ)を読んでいてふと思ったこと.
誰しもが思い至ることでありながら周りの人間が触れないことは,
情報化社会が発達してから格段に増えたのだと思うけれど,
たぶん元は「近視眼的思考がスタンダードな子供には聞かせられない」という大人の配慮から始まったはず.
その配慮には「その子供が大人になったらきちんと話し,理解させる」も当然含まれてしかるべきだったが,
「無時間モデル」が時間差を含むプランをきちんと遂行できるはずもなく,なおざりにされたのだと思う.
つまり,大人に秘密を隠されていた子供は大人になってもその秘密に触れることはなく,タブーと化したと.

例えば,究極のエコは人類の総数を減らすこと,とか.
いや,主要メディアであっても識者コメントでだとか,あとちょっとひねくれた単行本には
わりとありふれている言葉ではあるかもしれないが,
その受け取り方が「そんな身も蓋もない事を…」という冗談の認識が大勢を占めている気がしている.
身も蓋もないことであるのは事実だが,「事実」であることもまた事実だ.
その「事実」と向き合わず冗談の認識だけで済ますのは,情緒オンリーの人だ.
それを明確に悪と言えないのは,
「情緒オンリースタンスでも現代の主要世代はまだ“もつ”かもしれない」
という希望的観測を否定しきれないからでもあるだろう.
そういう慣習に倣う,流れに棹さす生き方は今に始まったことでもなく.
日本でいえば改革を目指す一部の人々を除けば相当長い歴史のあるものだろう.

何が言いたいのか.
言いたい事は特にない.
ここまでも十分独り言ではあるが,
敢えて強調して,自分に向けて言うとすれば,問題は,
「考え過ぎる人間が現代で気楽に生きられるか」だ.
…言ったそばから言語矛盾な気がプンプン漂ってくるが,
そしてそれは一般化するようなものではなく当の思考主体のメンタリティ次第だろう,
という指摘にはぐうの音も出ないが(いや自分でツッコミ入れてほざく言葉ではないな),
まあ,あれだな,「思考実験」だ.

という「逃げ」で〆.


むむ,池田センセイの本を読むと言葉が過激になるな..
「身も蓋もない」を地でいく人の文章は読んでいて本当に小気味良いのだけど,
傍にいられるとやっぱり辛そうだな…
とか思ってしまうから思考と日々の行動が乖離するのだろうなあ.
まあ,どちらにしても一致するよかいいんだけど.
いや自分にとってはその意味で何の問題もないけれど,
相手のことを考えると迷惑だなあと…


いやもう別記事に書けよって話ですね


…Lemmさん支援!!
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by chee-choff | 2011-07-17 22:49 | V概論