深爪エリマキトカゲ
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歯科医は砕く
今週のはじめは会社の研修で軽井沢へ合宿に行った.

2年目同期と共に1年目を振り返り5年目の自分に向けて目標を持つ,

みたいな内容だったのだけど,プログラムの中に社長講話謹聴があった.

会社の歴史とか現在の産業上の立ち位置とか普段聞けないありがたい話だったが,

その講話の途中で「目眩なるもの」に襲われた.

講話の前からちょっと頭痛と腹痛がするなあと思っていたのだけど,

話が始まると頭がどんどんボーッとしていき,

寝たらヤバいので必死でノートをとるも文字はふにゃふにゃ(元々だけど)で内容は全然頭に入らず,

それでも耐えてるとなんと視界がだんだん白く濁ってきて,

具体的には見てたパワポのスライドの文字がだんだん白くなって

しまいには地の白しか見えなくなってスライド真っ白けになって,

「やべェアイツら(その時は言葉が思い付かず後で調べた→"錐体"ですね)死による」と本気で焦り,

そこからネガティブ思考が活発化して「あれ,俺この会社イヤなのかな」と

思い始めるとそれを補強するような日常のあれこれがどんどん思い浮かび,

同時に「失明ってこんな感じなのかな?」とも思って視力を失ってからの日々を

想像したり(それに伴う感情は心身の限界だったか湧かなかった)して

「せんせー,保健室!」みたいな混乱と共に大変な状況だったのだけど,

場を乱す面倒臭さを思うに付け(そりゃもう体に染み付いてますんで)「とりあえず耐えるか…」

の「とりあえず」がなんとか講話終了まで保ち(ビバ「とりあえず」!),

視界白濁も講話の終わりの方で治ってきてなんとかなった.

腹痛と頭痛の方もその夜の飲み会で同期と喋ってるうちに薄れてきて,

風呂でさっぱりして寝たら治った.


まあ前日あんまり寝られなかった(暑いのに羽毛布団なんか着て寝たもんだから)のが一番の原因で,

軽井沢が涼しいを越えて少々寒かったのももちろんあり,

でもそれらに加えて詳しくは言わないが「精神的なあれこれ」が効いたんだろうなあ,と思う.

いやあ怖いね,ネガティブ思考は.

迂闊に人に語れないことを考え出すと自分の中に押し留めるしかなくなって,

下手に思念を増幅させると精神力がなければ自分がそれに喰われる,と.

そいえば院の修論提出間近もそうだったなあ…

「身体が損なわれていると思考も身体に引っ張られる」のも経験したハズだったんだが…

その経験を「実際に身体が損なわれているその時」に思い起こすのもまた至難の業なのね.

あたりまえか.いや,それも分かってたハズだ.

ま,経験不足,と.


+*+*+*+*+*+*+


戻ってきてから今日まであまり本を読まなかったのは,

忙しかった以外にこの経験の怖さがどこかしら作用していたからかもしれない.

とはいえ.

うちの会社は今日から3連休なのでゆっくり思考に耽るとしよう.

雨だし.

ふう,やっと日常を取り戻せたかんじ.

書評も書かないとね.
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by chee-choff | 2011-05-28 15:24 | 社会人
帰郷記
とあるお祝いのために,土日実家に戻ってました.

・新幹線で新大阪駅に着いて,ホームから階段を下りる際に懐かしい香り.
 ソバだと最初思ったけど,多分あれはソバ屋の香りだ.
 そいえば高校の帰りによく立ち食いソバを食べていた.
  「うどんよりソバが好き」な理由が徹底してない貧乏性で,
  「うどんに何かを足したらソバになるっぽいから」だという.
  色を見てそう思ったのかな.あと粉はぜんぶ粉だろ,みたいな.

・大阪城を半周歩く.
 来ると無性に歩きたくなる.
 1時間ちょい歩いて後でぐったり.
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 下の写真は母校(矢印).
 立地がせせこましい都会なので7階建て.
 運動場も狭い.まぁ文化系だから関係なかったけど.
 目の前に広がるお堀はもちろん大阪城の.
 毎度思うが,ランナー多し.

タイ公演太閤園でのお祝い→城散歩の後,理数科同期のM氏と飲み.
 あの人この人の近況を聞く.
 もともと公務員が多かったけど,また増えたらしい.
 かと思えば「自由人」も幾人かいるそうな.
 変人ばっかのクラスだった(という勝手な思い込み)からそこには納得.
 「せんちゃんは自由人ね」とM氏に何度も言われたけれど,
 引きこもりの自由人ってどうなんだ…ま全然否定しませんが.
 そいえば飲んでる間,自分の喋りが「コテコテの関西弁」になってた.
 もちろんM氏のがうつったのだけど,こんだけ喋れたんね自分.
 いやあ楽しいなあ,「うつる」のは(そこかよ).
 なんだかんだでノンストップで4時間.
 楽しかったよー,さんきう☆

・行き帰りに目に留まったもの.
 (1)新幹線(新大阪)の駅で,改札前の駅員に切符を渡して改札を抜けようとする女性.
  さも当然のように抜けようとし,駅員が投入口に入れるのが遅れて「ピーッ」.
  アナクロ? あるいは「やんごとなきお方」なのか(多分どっちも違う).
 (2)米原駅到着間近で左手に見えた「青い壁の家」.
  ハッピーハッピー村(@マザー2)出身?
  いやほんと色合いがそっくりで.しかもベタ塗りやし.
 (3)「名古屋のこれ」を生で(いや新幹線の窓越しだけど)見た.
  説明が面倒なので『新ニッポン百景』(矢作俊彦)の34章を参照.
  ふむふむ,国土が狭いせい,と.
 (4)JR環状線の天満あたりで「脱皮Tシャツ」を見た.
  …と思ったら,背中に書いてあるのは「脱獄」だった.
  ….
  ノーコメもありや.
  ちなみに着てたのは日本人.

+*+*+*+*+*+*+

寮に戻ってきたらベランダ前の畑が耕されていた.
わお.
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by chee-choff | 2011-05-22 18:10 | 社会人
ダブルゲッター
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献本の抽選が当たった.
良くてどっちかかなーと思ってたら,なんと両方.
なんつーか取り合わせが対照的で思わず後ろめたさを感じた.
(レターパック350(郵送の封筒)を開けたらこの二冊が同時に出てくる所をご想像願いたい)
が,それは昔の時代の名残であって(冗談でなく「DNAの成せる業」だろう),
情報過多の現代ではむしろ日常だと再認識する.
(その意味では「ネットサーフィン」も,「新聞購読」でさえも同じ)

その意味というのは,「チャンネルの切り替え」.
テレビが発明されたお陰で素晴らしい比喩になっているのだけど,
手元のリモコンをポチポチすれば昼ドラから地震報道まで何でも見れるわけです.
それが個人の価値観とは全く別の次元で,
行為の選択可能性として「昼ドラと地震報道が同列に併置されている」.
がしかし,「全く別の次元」であるのも本来の話でしかなく,
行為が価値観に及ぼす影響は当然無視できない(みんなしてるけど).

「子供にテレビを見せたくない」理由の一つがそれだろうな,と.


全然関係ない話にすっ飛んだ.
とりあえず「恋愛本」から先にと思いさっき一章分読んだのだが…
いやーすごいね.
「壁チュー」とか「無理(矢理)チュー」だとか,
「女はそういうものに憧れている」と言われたって,
それは「男が描く女」の憧れではないのか,とまず思うのだけど,
これを書いてるのが女性だという事実がまた話を複雑にさせるわけで,
「男が描く(いや「欲望する」だわな)女」が全然実感を伴わないと批判しながら
「男に求められる性である女」の性(さが)としてそれを内面化してしまっている女性
(もいないとは限らない)の発想の根底にはもはや原型(があるのか知らんが)を留めていない想念が
ぐるぐる渦巻いて一つのカオスが形成されてはいるのだけれど,
その形成素の単位は実は共通していて,ぜんぶ「欲望」という名の衝動なのである.

欲望に駆動されない恋愛もあるんじゃないかなあ…
とか甘っちょろいことを考えている「純草食系」の自分には,
一章分で既に「お腹いっぱい」だったりもする(笑)
まあ面白いからいいんだけどね.カルチャーショック万歳☆


最初は「献本書評」の下書きを書こうと思っていたのだけど,
打ち込まれた文章を改めて見て,これは多分「却下」だわね.
だって何言ってるか分からない…あ,いつも通りか.
あはは…読み終えてからもっぺん書きますかね.

+*+*+*+*+*

今日はひさしぶりに余震多いなあ…
部屋にいるからそう感じるだけかしら.
なんとかお手柔らかに…と地盤に思う.


+*+*+*+*+*


21:04
つい今しがた読んでいて見つけた「併読リンク的」符合.
片方が本でなく自分の思考の脇道(本記事の上で書いた話)なのでタグ登録はしないけれど.
大事にしよう.ってことでメモ.
>>
(…)問題には求められる答えがあり,最短の時間で正確にそれへ到達するためのマニュアルを徹底して教え込まれる.前の問題を引きずっていては次の問題に十全に対処できない.そこでは素早い切り替えが必要なのだ.まるで次から次へとトピックが変わるニュース番組のように.学校の外でも,場当たり的な目的遂行のマニュアルに支配された雑誌の特集や情報が氾濫していて,まずその波を乗り切らなければ,世の中を渡ってゆけないような気分にさせられてしまうのは,小さな人たちには無理もない事だ.
『ぐるりのこと』(梨木香歩)p.140
>>
「情報社会」と「お受験社会」は繋がっていたわけだ.

その続きにはこんなことが書いてある.
>>
 ある動機をスタートとして,その目的達成をゴールとする.それにかかる時間が出来るだけ短かく,瞬時ですむことを,社会のニーズとして目指してきたような資本主義的な営為の下で,この短絡性は言ってみれば社会全体が切磋琢磨して育んできたものだ.
同上 p.140-141
>>
今の教育問題が「教育の失敗」ではなく「教育(=資本主義的価値観の浸透)の成功」の結果だという認識.
この認識を肯定することは必然的に自責の念を伴う.
何せ現代でふつうに生活することが「それ」に加担することとイコールだからだ.
だからウチダ氏は「少なくとも自覚を持て」と言う.
それをとても現実的な示唆だと思う.

結果は同じでも,結果の過程を取り違えると泥沼に陥る.
子供は「泥沼」でも遊び場にできるが…はて.
その「衛生面」に配慮するのは大人の役割だろう(11.5.29追)
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by chee-choff | 2011-05-20 17:45 | 読書
内省する「おまえ」
合田雄一郎は関西出身ながら東京で働く刑事であって,
最初の頃(『マークスの山』)では時にバリバリ関西弁剥き出しであったのが,
今はすっかり関東に馴染んだようで西っ気の片鱗も見られない(『太陽を曳く馬』).
が,昔の彼を知っている身からすると,どこにも染まりきれずについつい
深い思考に陥ってしまう「境界人」ぶりはいよいよ鮮明になってきており
(『太陽を曳く馬』では軽い鬱症状を呈している),その「境界人」たる気質は
実は大阪で(確か北の方)長年暮らしながら馴染みきれない高村薫本人が持っているものでもあり
(と「作家の本棚紹介」的な古い本で高村氏の紹介記事で読んだ記憶がある),それはまた
純粋に関西で生まれ育ったはずなのに変に標準語が混じってその語り口が「ちひろ語」と
高校時に呼ばれたりしていた自分と共鳴する部分でもあり,
そのおかげで高村作品への感情移入がするする達成できるのかなあと思ったり.

長編三部作の三作目を読んでいる.
『晴子情歌』は「戦前・戦後の田舎の濃厚」(農耕ではない)?読むのに苦労した記憶…しかない.
『新リア王』は「政治と宗教の極北」.有無を言わさぬ濃密さに酔った.
そして今が『太陽を曳く馬』.舞台が20世紀末で史実を織り交ぜてある(オウムとか9.11とか).
テーマを同じくしても社会評論とは別の重さがあり,現実感がある.
どちらが「現実」か,など無粋な問いだが,もちろんそれは読み手の力量次第だ.
三部作では合田は本作で初登場だったのだが,自分としては願ったり叶ったりで,ひたすら引き込まれる.

タイトルについて.
『太陽が曳く馬』は主に三人称と合田の心情描写で話が展開される.
のだが,合田の心境を語る部分で彼は自分のことを「おまえ」と呼んでいる.
これは今までには無かったことで(と言って『マークスの山』しかまだ読んでないが.
『照柿』の方が時系列で前にくるはずだが先にこちらを読み始めてしまった),
最初しばらくは「おまえ」が何を指しているのか分からなかった程の違和感があった.
その違和感自体は読み進めるうちに無くなって,むしろある効果を生んでいる,
とさえ言えそうだけれど,それが何かを今考えることに良い意味はない.
読了後に覚えてたら考えてみよう.書評のネタにはなるかもね.
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by chee-choff | 2011-05-18 00:25 | 読書
「似非ミイラ取りがミイラ」
わかりやすく言うと,

「自分のことをミイラだと思っていないミイラが,“ミイラでないもの”をミイラだと思って取ろうとした感じ」

包帯巻きゃいいってもんじゃない.

>>
(…)しかしアメリカ人は,たまたま氷屋でおごってもらうとか,母親を失った子供に対する父親の長年の献身とか,“ハチ”のような忠実な犬の献身などに,金銭貸借の尺度を当てがうことに慣れていない.ところが日本人はそうする.愛や,親切や,気前良さは,アメリカではなにも附属物がくっついていなければいないだけ,いっそう尊重されるものであるが,日本では必ず附属物がつきまとう.そしてそのような行為を受けた人は債務者となる.日本人がよく用いる諺の通り,「恩を受けるには(ありうべからざる程度の)生まれつきの気前良さが必要である*」.
*訳注 この「諺」もどういう日本語の翻訳か的確に突き止めて復元することはむずかしいが,あるいは「情けは人の為ならず」あたりを指しているのではないかと思われる
『菊と刀』p.141
>>
ここ(最初の下線)はいただけないな,と.
「必ずつきまとう附属物」が「金銭貸借の尺度」と言いたいのだろうけれど,
「…仮にもしそれを金銭上の取引に置き直して考えてみると,日本人の考え方がよくわかる」(p.140)のが
アメリカ人にとって事実だとしてもそれはそういう尺度をそちらさんが自然感覚として
もっているからであってあなたから見ればそう見やすいだろうけれど違うんですよ,と言いたくなる.
という意味をタイトルに込めたがそこは本題ではなくて.

考えさせられたのは注も含めた最後の諺の部分.
ここは第五章の最後の部分であって(という発言は参照を容易にする以外に意味はない),
これは「持ち合わせているのが生半可な気前良さだと(安請け合いして)受けた恩に
(安請け合いしちゃったけど実は軽く返せる恩じゃなくて)自分で押し潰されてしまう」
という自分にはとても身に染みる諺であって,
でも注にあるように「情けは人の為ならず」は違うんじゃないかなあと思い
(どちらかというと「下手な情けはその人の為にならない」という誤解釈の方が
意味合いが近い気がするけれどそんな誤解釈は当時に無かっただろうし
そういう意味で言ってるんじゃないだろうなあ),同時に注にあるように
「どういう日本語の翻訳か的確に突き止めて復元することはむずかしい」のは
散々唸って思いつかない僕にしても全くその通りだなと思いつつ,
日本人の(でなくとも少なくとも僕の)身に染みる謂いでありながら日本の諺にないものを
諺にしてしまえるというのは文化人類学者としてこの人はかなりデキる人なのではと生意気ながら思った.

むむむ.

良い諺ないかな.ありそうなんだけどな.
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by chee-choff | 2011-05-16 23:32 | 読書
右目用のメガネを作ろう
忘れないようにメモ.


「右目を育てる」という話を今年の正月に書いた.

メガネを外していると右目にピントを合わせ甲斐があるのだが,
メガネをかけていると同じピント合わせの動作をすると逆に外れてしまう.
ふつうの状態(=左目のピントが合っている状態)で両目の視力が増強するように
作ったのでそれは当然なのだけど(作った当時はそんな考えは全くなかった).
そして増強といって右目は全然良くなっていなかった.
メガネ屋に「まぁ気休め程度に」と言われて,そういうものだと思っていた.
左右のピントの合わせ方が違うことに気付いたのは最近のこと.

メガネをかけていると右目が使えない.
それが右目の育成には不便だなあと.
それで外ではあまりメガネをかけず左目のピントを外して遊んでいるのだけど,
そこそこ慣れてきたようで右目で見ている時の右目の視界が広がってきた.
同時に右目で見ながら頭もそこそこ回るようになってきた.
視力自体は右目の方が良いのだからもっと遠景がはっきり見えれば
右目の視界が広がるだろうなあと思った時に,
右目用メガネの作成に思いが至った.

右目にピントを合わせた状態で右目の視力が良くなるようなレンズを入れる.
右目は遠くは見えるから…遠視?用のレンズを入れる.
その状態では左目の像はブレブレにボヤケているのだが,
それは度なしレンズでそのままにするか余計にボヤケるレンズを入れるかして,
右目の像に意識が向くようにする.

なんだかとっても面白そうな気がしてきた.
次に駅前に出た時に早速作ってみよう.

問題は右目にピントを合わせた状態の目が「斜視」のそれになることだけど,
まあ些事かな.
やってるうちに黒目の位置も修正されてくるかもしれない.
修正されるということは両目の像のブレがなくなってくるということで,
両目のピント位置の差も縮まってくる…?
それはないか.
うん,よう分からん.

まずは実験だ,人体実験!
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by chee-choff | 2011-05-14 23:29 | 目の話
危険な本と(今度は)過酷な予告
KOKUYOのYOKOKU♪

と似た語感で思わず.

KAKOKUなYOKOKU♪

+*+*+*+*+*+*+*

>>
(…)偶発的に存在する“一時の輝き”だけが魅力なのだから,その魅力は磨きようがない.磨き始めた途端,「一般性がない」というところへ行く.
 スターを待望する人間のスターに対する期待値がとんでもなく低いところにあるから,そのレベルでスターにされてしまった人間はとんでもない災難だ.そこから抜け出ようとした途端“落ち目”になる.「若いときの瞬間的な才能だけですぐだめになるスポーツ選手」は,今や「グラビア・アイドル」と呼ばれるただの若い娘達の現実になってしまった.そういう種類の“スター”達の現実は,そういう“スター”と同世代の若い娘達の現実でもある.“スターである”と“スターでない”は,今や紙一重で,誰がスターになったってかまわないような現実があればこそ,「誰だか分からない,そこらにいそうな娘」が“スター”になる.
p.258-259「二十歳過ぎたらどんな人?」(橋本治『天使のウインク』)
>>

真面目に読んだ方には途中から何が言いたいかは分かってもらえたかと思う.
と言って別に言いたいことはなく,いつもの「連想」を記録しているだけだが.

今日の夕刊に「貧乏大家族アイドル」なる人の自殺の記事があった.
テレビで見た記憶はないが,「貧乏大家族」の生活をメインに取り上げた番組があるのは知っていて,
そこから出てきたんだろうなあ,と思った程度.
で,さっき上の抜粋書を付箋貼り作業のために読み返していて,
抜粋部分を目にしてすぐに,夕刊記事を連想した.

うーん,世知辛い.

+*+*+*+*+*+*

抜粋したついでに.
前にハシモト本で抜粋&コメント連載をしたけれど,
またやりたいなあと連載を終えた時に言って,
早速ちょうどいい本が目の前にあることに気付いてしまった.
それが上でも触れた『天使のウインク』.
この本も相変わらずのハシモト節満載なのだけど,
なんつうか今まで読んできた本より危険度が高い.
基本的に本質を突き過ぎており,まともに受け入れると
のほほんと日常生活を送れなくなる危険性がある.
さすがの僕でも(いや,変人なので)時々「ああっやめて」と
悶え苦しみながら読み進める記事があった.
が,そこをどうかして「翻訳」してこその「オサマー」(タツラーの真似.なんか中東…)
だというプライド(があると仮定しつつそれ)を発揮すべき,と感じた.
これが過酷だというのは,前回は予告時点で8割方原稿を書き上げていたのだが,
今回は思いつき先行なので貯蓄ゼロだからである.
付した(「連想が膨らむ」意味を込めた強調色の)付箋は9枚.
読み返しが終われば10枚ちょいかな,前と同じくらい.
要領はもう前回でつかめたので流れで悩むことはないが,
なにぶん内容が危険なので…「翻訳」に悩みそう.
そして「予告したらそれに満足してやらない」ジンクスもあり.
…ま,どーなってもいいか,というスタンスが鍵だと気付く.
なにぶんプレッシャーに弱いもので.

ま,どーなってもいいか.

 5.14追記
 『天使のウインク』の帯文を載せておく.
 本書が「危険な本」であることを予感させる.
  >
  恐怖を克服しなくてなんの人間か
  酒鬼薔薇聖斗から新潟監禁事件まで.世紀末の闇を超ド級のポップセンスで解読し,
  “天使が目くばせするような”方向へ私たちを導くハシモトの問題作.
  >

+*+*+*+*

上を書いててまた思いつく.
語感遊び.
「盛られるモラル」
盛られる,と言えば(コナン的には)アレしかないんですがね.
ここに見出されるのは,
常識を知りつつ非常識を装う「反常識」と同じイロニィ.
まあこれをイロニィと取るのは“常識側”なんですが.

アポトキシン,トリプトファン,ファントムメナス!
(誤変換で「アポと寄進」と出て一瞬凍り付いた.
 よかった,「ポア」じゃなくて)

+*+*+*+*+*

増殖.

DOKUGOのGODOKU♪ (気付ける,のか?)

SHOKUGOのGOSHOKU♪ (食べながら校閲しちゃダメ)
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by chee-choff | 2011-05-13 01:04 | ハシモト氏
赤ワインの日々、再開。
微考110512

2011/05/12 00:30
動くのが面倒。
目の前にポメラがある。

ちょっと考えてみる。
特に何かが念頭にあるわけではない。
という状態での思考。
もやもやしたもの、
少し前の自分と比べてのちょっとした違い、
そういったものを感じ取ってみる。

まず思うのは、すぐ先にイベントがあること。
結婚式が二つ。
髪を切らねば、暑いし。
今週のは職場の先輩の。
二次会だけ。
特に心動くものはなさそう。
自分が見られるという意識が少しあるだけ。
それは髪をばっさり切る、でもあるし、
正装をした、普段と少し違う自分、でもあり、
注目される理由はその程度でしかなく、
それはその場では全く注目ではなく、背景。
だから事実レベルでなく、自意識レベル。
結婚式がどういうものか分かる、
という興味も少しはあるかもしれない。
それに心動かされて、自分の日常の気の持ち方が
変わるかもしれない、というこれは面倒な予感。
当たってもいいし、当たらなくてもいい。

二つ目の結婚式。
これは最初から。
思い入れもある。
しっかり見届けねば、と思う。
そして、終わってからの再会。
これをどうしようか、というのが今一番の懸案のはず。
その場の雰囲気に任せればいいとは思う。
ただ、切り出す話を準備はしておこうというだけ。
いつもと違うのはそこだけ。
(略)

(略)

(略)

その場の空気に合わないことはできない、
ということは既に失敗を通じて理解している。
その失敗は過去の別の失敗を鑑みての英断と
思われたが全然そうでなかったという失敗だ。
自分は考えすぎだ、と思っていたが、
あれは感覚に従うために頭で(頭を?)止めている、
と解釈することも可能だと最近気付いた。
意外と、自分、身体の人なのね。
それを女性的、と言って間違いはないだろう。
怒られることもあるまい。
女性が持つべき、生かすべき特徴なのだから。
それを男性が持つと、話が進まないというだけで。

いいと思う。
2011/05/12 00:47

たのしみだなあ.

風呂上がりで少し冷めた体があったまった.
そして動く気にもなった(からこそ上げたのだが).
うん,頭は健康.

ほっこり.


+*+*+*+*+*


ほっこりしてんだからほっこりしてりゃいいのに,

余計なこと思いつくのがほんとに余計だなと.


「宮部みゆき とかけまして,

 福島原発 と解く.

 その心は?」

心は?
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by chee-choff | 2011-05-12 01:02 | 社会人
菊と「正宗」
>>
 下は賤民から上は天皇にいたるまで,まことに明確に規定された形で実現された封建時代の日本の階層制度が,近代日本の中にも深い痕跡を残している.封建制度が法的に終わりを告げたのは要するにわずか七十五年前のことにすぎない.そして根強い国民的習性はわずか人間一生にすぎない短い期間内に消えてなくなるものではない. p.90
>>

『菊と刀』(R.ベネディクト)を読んでいる.

無意識と呼んだりする,「よく分からないが自分をしてそうさせるもの」の姿を捉えようと思うのなら,
自分の来し方を(たとえ全て覚えていたとしても)思い起こすだけでは足りないかもしれない.
「国民的習性」がそれに含まれるかもしれない.

ということで自分自身(というか「人」)の解明のためにも役立つかな,
と興味以上のものを持たせてもいるのだけれど,これがなかなか面白い.
というか,ためになる.
日本人の当たり前がぜんぜん当たり前でない外国人から見た日本人の記述というのは,
当時(本書の「当事者」はだいたい江戸〜戦前・戦後)の日本人からしたら「見当外れだ!」
と斬って捨てられるようなものかもしれないが,現代人にとっては当時の日本人よりむしろ
当時の外国人の目に近いところもあって,「なるほどなあ…」と思うこと頻りである.
また著者が文化人類学者とあって視点の偏りが少なく,読みながら日本史について学んでいるようでもあり,
本書が「日本人の解明」に主眼をおかれているだけに歴史書とは違う(心理学的,か?)面白さがある.

本書の記述に対して別に「耳が痛く」なるわけでないのは
当時の日本の価値観が現代ではほとんど薄れてしまったことの証左でもあるが,
(というのは殆ど嘘で,実際は「てっ,いてててて」なのだけど)
「それは表層であって深層は分からない」という命題を否定するには至らない.
という視点で読むと「こわいなぁ…」と思う所に幾度も遭遇するが,
知らないよりマシだし,読み始めてしまったからには途中で放り出せない.


全然関係ないんだけど,「菊と刀」と聞いて真っ先に「菊正宗」を思い浮かべるのは,
FFやってたせいですねきっと(確かFF6とFFTには出てきたぞ).

>>
日本人は他のいかなる主権国にもまして,行動が末の末まで,あたかも地図のように精密にあらかじめ規定されており,めいめいの社会的地位が定まっている世界の中で生活するように条件づけられてきた.法と秩序とがそのような世界の中で武力によって維持されていた二百年の間に,日本人はこの綿密に企画された階層制度をただちに安全ならびに保証と同一視することを学んだ.彼らは既知の領域に留まっている限り,既知の義務を履行している限り,彼らの世界を信頼することができた
(…)
人はこの「地図」を信頼した.そしてその「地図」に示されている道をたどる時にのみ安全であった.人はそれを改め,あるいはそれに反抗することにおいてではなくして,それに従うことにおいて勇気を示し,高潔さを示した. p.91
>>

ててて.
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by chee-choff | 2011-05-08 22:13 | 読書
階層構造のメタファー選(暫定)
ある本を読み終えた時にある音楽が脳内を巡り,

「その曲を今すぐ聴かねば」と連想し,

「なんで聴かなくちゃいけないんだ?」と思い,

その答えは「自然発生的な“思いの流れ”への未練」と後で落ち着いたのだが,

それに気付く前に「その(=二行上の)理由は一つではないな」と思った.


言葉にする前のこんな思念がさっき数秒で展開されたのだけど,

思念と一緒に頭の中で動いていたイメージは,「系統樹」であった.

で,そいつらがもわもわした後に(頭の中で)出た最初の言葉が,

「上ったのは2つかな」


「構造を捉える」ことに執着している(マイブームというやつですな)自分は,

視点の階層が一つ繰り上がったと気付く度にそれを数える癖がある.

 その気付きが正確か思い込みか,の検証は手つかずだけれど…

その数える際に使われるイメージが上で言った系統樹なのだけど,

さっきの思考の中で初めて「そのイメージの妥当性」に思い至った.

 ここも数えれば「上ったのは3つ」ということになる.
 「きもちわ類ほさ科」ではないけれど,
 科に属するものについて考えていて,ふと科をまとめた(科に共通の)類に
 考えが及んだ時に「階層を1つ上った」と僕は呼んでいる.
 でもそれも一例でしかなくて,金勘定をしていてお金の意味に思い至るとか色々ある.

妥当なのはそうだろうから,「イメージの効果」かな.

系統樹は上で触れた生物分類には使えるけれど,末端現象とその構造みたいな

包摂関係のイメージには使いづらい.

そうなると諸立体の入れ子構造(マトリョーシカとか)とかカメラワークでいう

ズームアウト(虫の目→鳥瞰)かなあと考えているうち,

「第三者の登場」がええんでないかとピンときた.


これだけ言っても分からないので…

ある階層で考える状態を「二人(以上)の人間の会話」のイメージで捉える.

思考というのも自己との対話なわけだから,あながち無理くりでない.

で,階層が一つ上がる,思考の枠組みに気付く,ズームアウト,という時には

会話している二人(以上)を眺める第三者が登場する.

 もともとの会話主体がこの第三者に気付いているかどうか,も
 実は大切な要素なのだけど途端に話が複雑になるのでおいとく.
 つまり第三者が二人(以上)の会話に参加するかどうか,とかね.

第三者には二人の会話の内容も聞こえるし,

どういう姿勢で話しているか,お互いが相手をどう見ているか,

どこで話しているか(二人が会話に熱中していれば気付かないかもしれない),

そこらへんを二人よりも外乱が少ない状態で把握できる.


上がる階層が3つ4つならわりと想像しやすいかなと(ドラマでもありそうやし).

で,そのイメージそのものの示唆と思考内容が共鳴することもあるかもしれない.

んー,とりあえず採用.


イミフで失礼.メモなので.
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by chee-choff | 2011-05-01 18:48 | 思考