深爪エリマキトカゲ
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ふくちくんのこと
今朝の朝日朝刊(2面の「ひと」)に中学時代の先輩が載った.


一つ上の先輩で,兄貴の友達つながりでもあり,吹奏楽つながりでもあった.

なぜか同学年と遊ぶことの少なかった僕は,彼とその仲間に随分お世話になった.

(とっくん,なおとしさん,いのうえくん,なっちゃん,ゆきちゃん…おおなつかしー)


と僕の話はどうでもよくて.

彼は小さい頃から全盲であったのだけれど,

それからは想像もつかないほど活発に動き,活動する人だった.

吹奏楽部では点字の譜面でトランペットを吹きこなす.

家で暇な時に筋トレで鍛えた肉体で飛び跳ね回り,家の前ではハンドスプリング.

夏の東公園では打ち上げ花火を投げ合って制服を焦がす(良い子はマネしちゃだめです).

インドアでの賭けポーカーやBJでは空気を読んでイカサマもこなす(良い子はマn(ry ).

「何とかなるだろう」は昔からそうで,3年時に生徒会長に立候補し,見事当選.


僕はその彼とつるんでいたお陰で,一度NHKに出演したことがあった.

確か,日々を頑張って生きる障害者の日常生活を紹介する「きらっと生きる」という番組.

まぁ正確に言えば「腕から先のみの友情出演」であって,

家で点字のトランプで大富豪している場面を撮影されたのだけど,

映っていたのは場に出ていたカードだけだった記憶がある.


高校に行ってからもジャイカで海外行ったりとか活躍していたのを何度か耳にはしたけど,

なんだかホントに凄い所まで行ったようで.


これからも頑張ってください.

陰ながら応援してます☆
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by chee-choff | 2010-08-29 21:21 | その他
敢えて考える3
◇2010/08/02 00:30
2010/01/20 22:39
「攻めの思考」でいこう。
アセアセする時期であっても、
常に頭の回転はスムーズであるように。
>「攻めの思考」とはトピックに関わらず
 積極的に考えていこう、という姿勢であったかと思う。
 対しては「守りの思考」になるのだろうが、
 多分この意味では「逃げの思考」の方が対義語に近い。
 この場合は、「思考をしないが為の思考」に
 及んでしまうということ。
 この流れで「考えてるんだから大丈夫よね」などと
 口走ってしまえばもはや全く大丈夫ではない。
 自家中毒とはこのことを言うんではなかろうか。

その維持のミソは「割り切り」にある。
>くよくよするな、と。
 というのはほんの上っ面であって,
 詳しくは「タイミングの良いところで区切りをつける」ということ.
 そのタイミングは現在進行形で思考している脳には判断できない.
 脳の思考(の内容やら,思考時間と連関する疲労やら…)に対して
 心地よいと感じたり気持ち悪いと感じる身体ならば適切な判断が可能.
 これと似た話は「敢えて考える2」でもした.
 脳も体の一部であるからして,
 心身一体ならぬ「身脳一体」なわけですね.
 (ここでは「心」は身体と脳の相互作用によるもの,と考えている)
 もちろん,「身体の声を聴く」能力は昔以上に努力しなければ簡単に廃れる.

「もしも」をしっかり想定し、
その実現を受け入れられるだけの心構えを持つ。
もちろん積極的に「もしも」を受け入れはしないが、
その「構え」があるとなしとでは、
アセアセする「今の今」の時間を大事にできない。
>「大事にできない」→「大事にできる程度が
 変わってくるだろう」と言いたかったのでは。
 ここでいう「もしも」とは恐らく、
 修論が通らなかったとかそういったネガティブな
 展開のことであろう。
 「しっかり想定」というのもやればやるだけいい
 というものではないのは今考えれば当たり前。
 そのせいで前に書いた「自分の想像に負ける」ことも
 起こりうるわけだし。
 とはいえ,「考えたら分かるかもしれないけど分からないこと」を
 野放しにするのは不安を見て見ぬ振りするようなものなので,
 自分が納得のいくまで未来のパターンを想定するべきである.
 そして「ここまで考えたらいいや」の締めにも思考の跡を残すべきだと.
 なんだか論理馬鹿みたいに聞こえるかもしれないけど,
 (精神面において)重要なのは,「内容のある思考をすること」よりも
 「思考をした痕跡を自分の記憶にしっかり残す」ことであり,
 実際のところその思考内容は忘れてしまっていてもあまり問題はない.
 本気で考えたものは意識せずともしっかり刻み込まれるものだし.

余計なことは考えないが、
繰り返しの堂々巡りでなければ、
それは余計なことでない(場合が多い)。
>「繰り返しだと気付いていない繰り返し」が一番タチが悪い.
 生半可な思考で納得しているとこのドツボにはまりやすいのは想像に難くない.
 「同じようなことを考えているな」と感じる回数が増えるほど,
 「過去に幾度かした似たような思考と今回の一連の思考は
 如何なる点において異なるのか」を見出すのが難しくなる.
 がその困難を幾度か乗り越えてこその「ブレイクスルー」もあるわけだし,
 その困難を和らげる方向性として「より微細な変化に焦点をおく」逃げの手もある.
 まぁこの逃げというのも「王道からの逃げ」であって別に悪いことではない. 

常に、臨機応変に。
この時期にいかに頭が働くかは、
結果として出るものがどうあれ、
必ず後々に生きる。
それは間違いない。
>うん、ポジティブだね。
2010/01/20 22:43
◆2010/08/02 01:16
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by chee-choff | 2010-08-26 00:17 | ink now
(v14)vivid techno(AVTechNO)
おひさです.

ボーカロイド作曲者(P)紹介14.

今回は詩情とテクノの絶妙コンピ,AVTechNOさん.

テーマもジャンルも多岐ながら,そこにはいつもテクノがある.

ヘッドフォンで聴くことをオススメします.

聴きやすい(=ギンギンしない?)ものから紹介.

激しいのが苦手な人(例えば僕です)なら,という順番.

イチオシは二曲目ですね.

初音ミクオリジナル曲 Blue/Green
天然系テクノ.
心地よい調和.
低音の打ち込みは大地の鳴動,そして鼓動.
装飾シンセは生命の躍動,声々.
歌はそれらを包み込む仮想客観主体,あるいは青の星.
生命力豊かな自然だけでなく,
それらに囲まれる感じ手(自分?)を意識する.
絵も懐かしいですね.
HA 初音ミク オリジナル
フロイト系テクノ(?).
もわもわしたシンセとはきはきした打ち込みピアノが
合ってるのか分裂してるのかして聴き手の意図せぬ意識(?)を
ぬるっと引き出されるイメージ(何
は最初だけで,聴き進むうちに調和してきて心地よい.
不安なのはきっと1回目だけなので何度も聴くことをオススメします.
この曲は3パターンあるようなので一度聴いてみてもいいかも.
初音ミクオリジナル Feminity Original
熱情系ジャズテクノ.
妖艶な雰囲気は氏のレパトリとしては珍しい.
音数の少なさにしてサビの盛り上がりはゾクっとくる.
力でぐいぐい外から押すのでなく,
内側でズワァッと広がる感じ(何
絵の「血の気の無さ」はスカイ・クロラシリーズの水素(講談社ノベルス表紙)を思い起こす.
その絵と曲の相性が抜群.
巡音ルカオリジナル I Love Loop
輪廻系テクノ.
出だしからテクノ全開のループ仕様.
テーマが好き.
この曲はウチダ氏と共に日々のルーティンへの価値観を変えてくれた.
というわけで歌詞にも注目です.
初音ミクオリジナル 6
ズギャーン.
これは本当ヘッドフォン必須.
サビの進行が面白い.
…おしまいw
こういう激しいのに対する語彙は激しく貧困.
そして諦める.
…冷静に聴けないのはダメなのかしら.
考えて言葉で書く時は落ち着いてるんだから…
そもそも無理なことをしている,と.
言い訳.

p.s.
曲を聴きながらイメージを書き足すうちに
どんどん意味不明になっていってしもたので,
文章なんて読まないで曲だけ聴くことを
オススメします(今更w
なんという確信h(ry
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by chee-choff | 2010-08-16 22:57 | V概論
哲学の道は京都のみにあらず
これは修論もろもろ全て終わってから書いたもの.
だからはっちゃけ全開かというと全然そうでもなく,
修論執筆時と同じ雰囲気を引き摺り続けている.
ホント散歩以外何もしない生活が習慣づいてしまうと,
束縛から解放されても何もしないのねといういい実例.
それで本人が満足してるなら何の文句もないがね(と他人事).
だから,「苦悩」ではないのだけど当時の思考全般を「悩み」とするなら
これも含まれるだろうということで加えた.

タイトルから想像できるほど大したこと書いてないのが迷惑千万.
しかも何が言いたいのかも汲み取れないというw
思いつきって無責任ね.



100314散歩

2010/03/14 20:54
早朝に2泊4日のスノボから帰ってきて、
昼まで寝て飯を食べると、
体はあまり疲れていないことに気付いた。
そして出発前は完治していなかった風邪もどうやら
ほぼおさまったらしい。
というわけで、夕方から西の方に散歩に行ってきた。

烏丸今出川から北に少し行った所にブックオフを
見つけてしまった。また行かねば。
それはおいといて…

風景を取り入れる意識をもって歩いていると、
ほんとにいろんなことが取り込める。
いや、取り込むというよりは風景を認識した時に
自分で意味づけた(あるいは連想した)ものを
印象として脳に刻み込む、といった感じ。
>もっと詳しく言えば,
 とある意味によって関連づけた二者が刻み込まれるのではなく,
 その「関連づけた意味」が前面に出て刻まれる.
 本来(というか「特別考えることをしなければ」)結びつくはずもなかった
 二つの事柄がネットワーク線で繋がれた,という経験が
 まず強い印象として残り,その意味が記憶の奥底から前面に出てくる際に
 「ひとつの意味で繋がれた二者」も同時に顔出す,という印象がかなり近い.
ひととおり歩いてから出町の王将で食べている時に
散歩時を思い返してみたとき、
出てくるものはやはり何かしら想像した時に
一緒にいた風景であった。
その何かしらの想像の中身はあまり定かではなかったが…
多分覚えている風景を浮かべていれば思い出せるはず。

というわけで思い出す。
>ここから意味不明な言葉の羅列が続くけれど,
 まぁ「関連づけた意味」から「関連事象」の再構成の
 イメージが分かってもらえれば幸い(かなり無理言ってるけどね).
・飛行機雲のエックス字。
 時間差。
 交差部分が消えるとまた別の形に。
 よく見ると二筋の線、
 時間経過で一筋にまとまる。
 >たぶん直角に近いエックス字ではなく,
  平行に近い方のエックス字であったのだと思う.

・いつもの出町商店街前のT字交差点。
 車の列と隣の交差点、
 これらに合うBGMとは。
 あるいは、これらとは別に決定されたBGMと
 これらをつなぐ「印象」とは。
 (「車の列」という絵がわりと普遍的なのかも)
 >「この風景に合う曲がありそう」とこの時思った.
  こういうことはたまにある.
  ここではその風景に合った曲の名前は書いていないが,
  後に同じような風景に遭遇した時に(まさに)「再生」されることが多い.
  また,「あるいは」で続く言い直しが少し気になる.
  …今ちょっと考えてみてもよく分からないのでこの案件は
  「違和感の断片入れ」なる脳内ボックスに放り込む.

・どこかの寺の表札の字。
 達筆でなく、幼げな字体。
 単に下手だとも場違いとも
 気遣いが全くないとも言えるし、
 こういう字体に親しみを持つ人々を
 対象としたお寺なのかもしれない。
 >失礼千万w
  ちなみに僕は書道2級,硬筆2段(小6時).
  ネタにする以上のプライドなど欠片も残っていない.

・おなじみ同志社の寒梅館。
 初めて見るアングルから見たので、
 最初はそれと気付かなかった。
・葬儀会場を囲む白黒の幕。
 あまり凝視できない。
 口が動く独り言もはばかられたので、
 もごもごしていた。
 何をもごもご言っていたかは不明。
 多分「そういうことだよな」とかそんなの。
 なにがそういうことなのかは不明。
 >その葬儀会場の雰囲気に取り込まれたくなくて,
  客観的な立場を保ちたくてもごもごしたのだと思う.
  心の中まで無言でその白黒を見つめていると,
  多分「勝手に引き込まれていた」のだろう.
  普段からそういう「没入力」みたいなのを培っているので,
  その無意識の発動を抑えたのではなかろうか.
  きっとこの当時も「そういうこと」の中身をちゃんと想像していて,
  それを再現時にも覚えていたにもかかわらず「不明」と書いたことは
  何となく分かる気がする.
  自分の中ではいくらでも何でも明らかにしてやると決意していても,
  その決意が外に向かう(=他者に分かるように出力する)までには
  大きな壁があり,それは時が来るまで(それは墓場までかもしれないし,
  そこまでぶっちゃけれる近しい人の登場時かもしれない)越えてはいけない
  壁でもある.
  …訳わかんない書き方ですみませぬ.

・古本屋を発見。
 店頭のセール本だけ眺める。
 須原一秀の本があった。
 100円だし一瞬買おうかと思ったが、
 立ち読みするに口調がアレなのでやめた。
 遺本で印象に残ってた人ではあるんだが。
 >ここでいう遺本とは『自死という生き方』のこと.
  類い稀なるテーマであったので前に読んだことがあったのだけれど,
  その時は「こういう話を文章にするのは至極難しいことであるのだな」
  という程度の感想しか持たなかった.
  読む前はある種の憧れがあったのだけど,それが読後に消えたのは確実に言える.
  僕は人に勧めようとは思わないけれど…興味があればAmazonで検索してみては.

・帰りの夜道。
 右側の家並みに既視感を覚え、
 「これは出町商店街を抜けた所の家並みと同じでは?」 との印象が、道を進んで裏付けられた。
 単に同じ道であったというだけだが。
 この既視感を言葉で表すのは難しいと思われる。 
 >「裏付けられた」とは,道を進んで思った通りの場所に出たということ.
  町並みが一辺で整っているのなら至極ありきたりなことではある.

なんだか普通の日記のような気もするが、
主に風景に特化して書けているとは思う。
これを何度か繰り返して慣れたとすれば、
記憶の掘り起こしが楽にできるようになる気がする。
気が向けば試そう。 


コメントを足しながら何か足りんなーと思っていたら,
「記憶を掘り起こした過程」が書かれていないことに気付いた.
ぽこっと生まれたその日の風景が何に依って出てきたのか,
その「きっかけ」であり,「ぽこっ」の膨らみが大きくなる
瞬間前の「萌芽」を,今の自分は見たかったのであった.
ここにはそれは書かれておらず,「ぽこっ」がきちんと形になったのを
見届けてさらにそれを整形したものしか書かれていない.
まぁその「整形後」から「萌芽」を再生あるいは類推することも
できるとは思うのだけれど…
今日はもう疲れたのでまた気が向けば.

…またひとつ支離滅裂に磨きをかけてしまったw

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by chee-choff | 2010-08-16 21:41 | ink now
魍魎の匣(京極夏彦)とε

2010/08/10 16:31
敢えて分類すれば「蘊蓄系ホラーミステリ」か。
僕は怖いのが苦手なので、
後半はビクビクしながら読んでいた。
これだけ分厚いのも頷ける内容の濃さであったが、
小食の自分には少し辛かったやもしれぬ。

蘊蓄にはホントに単なる蘊蓄以上のものとは思えない
もの(ひとえに自分の読解力不足も大きい)と、
もちろんそれが事件解決につながるもの、
それから人間心理一般への考察へとつながるもの、
があるように思われた。
毎度のごとく自分の趣味全開で以下抜粋。
ネタバレ箇所は含まれていないのでご安心を。

ちなみに本書を読んでいる間頭に流れていたのは、
「オーガニックスタイル:森と海のあいだ」(村松健)
の一枚目の最初のトラック9「森のピアノ」。
出だしがおどろおどろしくて、本書を読み始めた時に
ついつい連想してしまったのだけれど、
曲全部をしっかり聴けばホラーでもなんでもなかった。
(これは全部読んでから改めて聴きなおして気付いた)
つまり読んでいた間は出だしの所だけ
リフレインしまっくていたということ。

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ちなみのちなみで本書は図書館で借りたのだけれど,
同期に「京極本はほとんど持ってる」人を見つけた.
呪術系というかオカルト系の本を沢山持っているらしい.
「森博嗣ラバー」も同期にはいて,もう願ったり叶ったり
(別に願ってはいないので叶うはずもないのだがそれは言葉のあやというもの).
仲良くなっておこう☆

ちなみのちなみのちなみに(しつこい),
写真の右は森博嗣のGシリーズ4作目.
どんどん話が抽象的・観念的になっていく.
スカイ・クロラシリーズは「飛行機」という
具体を介した抽象性が際立っていたけれど,
このシリーズは直球(の変化球?)であるらしい.
もう「回収されない伏線の多さ」にも慣れた.
(「自分の読み込みの甘さ」とは思いたくないw)
どーんと来なさい,どーんと.
…そいえばGシリーズまだ完結してないのよね.
読むペース配分を考えねば…

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by chee-choff | 2010-08-12 22:48 | 読書
そして台風は東北へ
こっちには来ませんでした
が,雨と強風と,
「近くを通ったんだぜ」と言わんばかりの奇妙な雲々.
今日はキレーでしたよー
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山頂付近にかかる霧状の雲.
うまい具合に疎で落ちかけの日の光と共鳴.
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垣間見える青空.
ちょっとあるだけでがらりと印象が変わる.
緑緑したサラダに人参入れた時みたいな.
FF6にこんな場面なかったけか…
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卑怯系夕焼け補正1.
卑怯だ…!
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卑怯系夕焼け補正2.
テーパ角ほにゃらら.

+*+*+*+*+*

あげるの忘れてたちょっと前の雲さん.
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ひかえめなかんじ.
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by chee-choff | 2010-08-12 22:19 | 社会人
おーだーめーど眼帯
一念発起.
位置づけは「夏休み自由工作」.
「夏休み課題図書(自薦)」も作ったけどそれは次回.
毎年できたらいいなあとか.
どんだけ暇人w

発端は随分昔の話になるけれど,あったら楽だなーとはずっと思ってたので.
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完成品.
おしゃれ路線を狙うのはやめた.
服に気を遣わない人間が眼帯だけ粧(めか)すとロクなことにならないので,
おとなしく地味な和風路線で.
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全体図.
三点支持とか四点支持とか色々考えたのだけど,
まずは基本ということでシンプルな二点支持.
気軽に付け外しができる機能性を目指そうと思うと
頭の後ろで紐を留めるのに何らかのプラ具が必要と思われたので保留中.
従って蝶々結びで留めるのだけれど紐が細くて"しなり屋さん"なのでやりにくい.
(というよりは紐を長く残し過ぎてるから結びにくいだけかも)
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つけるとこんな感じ.
肌色と茶系は近いので顔の中でそれほど浮くこともなく,
茶系の服と合わせれば「ファッション」と宣うことも可能.
と思い込む.
d0044938_21351127.jpg

裏から.
手作り感満載.
フェルト生地をベースにして,周囲にフェルトをもう一段縁取って
目が眼帯に接触しないようになっている.
ベースと縁フェルトをくっつけてから柄布で覆い,縫う.
裁縫仕事はそんな久しぶりではなく…院時代にもやってたかな.
確か破れたジーンズを縫合してたような…
それを何度か洗濯したら初期状態に戻って諦めたような…
まぁいいや.
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今回の製作にあたり100円ショップで物資調達.
絞めて500円也.
揃うもんですね.
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作業風景.
ふつうのハサミで生地切りにくかったなー

おお…普通すぎてオチが見当たらない.
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by chee-choff | 2010-08-12 22:07 | 社会人
責任からの逃避あるいは「確実」という呪縛<併読リンク2>
内田ー鷲田リンク

2010/07/25 20:29
抜粋から。

子どもの時にすごく親に愛された人というのは、孤立することが怖くないんですよね。百人中九十九人があっちに行っても、「あ、そうなの。でも、ぼくはこっち」って、平気でこっちに行けちゃう。
 だけど、承認された経験の貧しい人は、他者の承認がないと立ちゆかないから、絶えず周りの人の顔色をうかがってしまう。こっちがいいのかな、あっちがいいのかな、どっちをやったらほめられるのかなって、いつでも何かを達成しなくてはならないという強迫観念にとらわれている。
 自分で高い目標を設定して、これだけのことを達成したら、このアチーブメントに対してきっとみんながほめてくれるに違いないという期待をエンジンにして仕事をしちゃうから、ずーっと苦しいわけですよ。だって、目標は百点満点であって、それからの減算方式で今の自分の位置を決めてるんだから。(…)
 こういうのって、傍から「そういう生き方やめたら」と言っても無理なんですよね。すごく気の毒なんだけれども、そういう生き方をしているってことは、きみ、子どもの時に承認のされ方が足りなかったということなんだから、悪いけど、もう今からじゃ無理だよって(笑)。ずいぶん残酷な言い方なんですけれども。でもね、それくらいきつく言わないと、親たちが子どもを条件づけで愛するというやり方を止めてくれないような気がするんですよ。「これこれのことを達成したら愛してあげる」という、排便のしつけができたらとか、字を覚えたらとか、ピアノの練習をちゃんとやったらとか、とにかく子どもに対して承認を取引材料に使うようなことをしてしまうと、子どもはもう一生その呪縛から逃れられないわけでしょう。どうして無条件にかわいがるということができないのかなあ。
(内田樹・池上六朗『身体の言い分』p.133-135)

「資格」が問われるというのは、もしこれができれば、次にこれができる……ということだ。そこでは何をするにしても条件が問われる。そして条件を満たしていなければ「不要」の烙印を押される。「あなたの存在は必要ない」と。だから、自分の子どもが将来こういうみじめなことにならないように、親たちはずいぶん幼いころから教育を受けさせる。「これをちゃんとやったらこんどの日曜日に遊園地に連れていってあげますからね」から「こんな点数をとるのはおれの子じゃない」まで、いろんな脅迫の言葉を向けながら、だ。「もし〜できれば」という条件の下で、じぶんの存在が認められたり認められなかったりするという経験を、子どもはこうしてくりかえしてゆくことになる。じぶんの存在はひとに認められるか認められないかで、あったりなかったりする、そういうものなのだ、という感情を募らせてゆくのだ。これを言いかえれば、じぶんというものに「なる」途上にいる子どもたちにとっては、じぶんが「いる」に値するものであるか否かの問いを、ほとんどポジティヴな答えがないままに、恒常的にじぶんに向けるようになるということである。じぶんというものの「死」にそれとははっきり意識しないままにふれつづけるということである
(鷲田清一『感覚の幽い風景』p.118-119)

同じことを言っているが、ウチダ氏はわりと散文的(客観的)な表現であるのに対し、ワシダ氏の表現には生身の感覚が伴っていて、とても恐ろしいものを感じる。
2010/07/25 21:13
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by chee-choff | 2010-08-10 00:05 | 併読リンク
T・ランディ・バース
田口ランディ・バース(仮)

2010/08/09 12:23
6日の夕方、実家に帰る準備の中で、
新幹線車中で読む本を探していた。
持ち運ぶから文庫がいいな、という以上の
選択基準はなく、本棚を眺めてふと手に取った一冊、
それが田口ランディ氏の
『根をもつこと、翼をもつこと』
というエッセイ集。
氏の小説はブックオフの店頭で何度も目にしていたが、
この本を買ったのは随分前にウチダ氏がブログで
引用していたからであった。

帰りの車中で読み始め、最初のトピックに
ヒロシマのことが書かれていて「ああ、今日は…」
と思い出した。

実家から戻り、溜まっていた新聞を読んでいると、
7日夕刊の社会面にランディ氏の記事があった。
その記事で触れられていたエッセイは、
まさに先日車中で読んだ本の最初のトピックであった。


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+*+*+*+*+*+*+*

ランディ氏は、
「人間の心の問題をテーマに幅広く執筆活動を展開」
(上書の著者紹介欄より)しているそうだ。
本書もご多分に漏れず、自分の趣向ど真ん中で
興味深い話題が多かった。
氏の出自(今までずっと「でじ」って読んでた汗)も
書いてあってとても苦労が多かったことが窺えるが、
その過去の経験を隠すことなく全て今に含めて、
直情的(であるらしい)な自分の思うところを
言葉にして、全霊を込めて言葉にして…
氏は色々な所に出掛け、色々な人と出会い話を聞き、
それを何とか自分のものにしようと、
自分の言葉で語ろうとする。
それがよく伝わる。
エッセイで感動することは自分にとっては多いのだが,
「書き手への感情移入がするっといける」エッセイは珍しい.
文章の内容当時の氏の気持ち,表情,
それを思い返して執筆している氏の気持ち,表情.
そういった想像力もかき立てられた.

氏の小説もまた読んでみよう。


本書から抜粋。氏の言葉や、氏と出会った人々の言葉。


p.s.1 酷いタイトルは多分実家で阪神ー中日のデイゲームを見ていたせい.
後半戦から不調のブラゼルが初回からの二安打で「おっ」となって,
でもってランディ氏のこと考えてたら当然(?)連想するよね.

p.s.2 屋久島に行きたくなった.来年の春に有給とって行こう.よし.

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by chee-choff | 2010-08-09 23:45 | 読書
タクシー考
こっちに来てから初めて一人でタクシーに乗った.

駅前で飲む時はいつも同僚と相乗り(4人)で帰ったので

今日のはいつもの4倍金がかかったと.

歩けば50分の距離なので相当取られたわけだけども,

もう少し元気であって雨が止んでいれば恐らく歩いていた.


京都にいた頃も,何度も歩くには酷な距離に敢えて

タクシーを使わず挑んでは翌日(もしくは翌々日)に疲れが押し寄せ,

「そこまで無理しなくてもいいのに」と幾度となく後悔していた.

が,後悔してはいても結局一人でタクシーに乗ったことはほとんどなかった.


後で後悔するのが分かってて歩いてしまうのは馬鹿か病気かなどと

思ってもいいのだけれど,今日ふと気付いたことには,

「脳と体の志向は相反する」を適用すればするっと理解がいくようである.


つまり頭では翌日以降の疲れを想定して乗車を勧めるのだけれど,

体は歩きたいという衝動,加えて「いつもこういう場合は歩いている」

という習慣に従って乗車を拒否するわけだ.


「タクシー高いし…」という言い訳は体から脳への説得とも取れる.

…と書くと若干おかしくて,正確には体の志向性に脳が反応しての

自分(=脳)自身に対する(元々の自分の志向を変えては?という)説得だろうか.


そして今回タクシーに乗ってしまったことによって,

習慣が「歩かない側」に少しシフトされてしまったことになる.

このまま乗車を続ければ全く抵抗がなくなるのだろうな.

翌日会社の日に乗車拒否して長距離歩いて体調崩すことを招くよりは

社会人として適切な振る舞いであるとは分かるのだけれど,

できる限り野生を残しておきたいなとも思う.


という一連の思考経験が,次に同様の場面に遭遇した時に

「乗車に対する抵抗」となってくれれば幸い.

てか多分なるな.

複雑なのか単純なのか.
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by chee-choff | 2010-08-09 00:50 | 社会人