深爪エリマキトカゲ
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そろそろあつい
土日は非常階段で読書.

部屋が30℃を越えた時も7階は風がびうびう吹いて

涼しいというかむしろ肌寒いくらいだったけれど,

そろそろあつい.


思ったのだけれど,


(1)同じ日陰でも曇りの日の方が暑い気がする.

それは晴れてる中で日陰にいると「すぐそばの日なただとここよか

暑いだろうな」という比較対象が見えるという精神的効果がひとつ.

とそれ以上に,ほとんどまっすぐにしか進まない太陽光を

建物が全て遮ってくれてる晴れの日と違って,曇りの日だと

雲によって散乱されてあらぬ方向からの光が同じ日陰の場所に

たどり着いてしまう分が増えるからではないかと思う.

曇りの今日の午後本を読んでて,いつもより暑かったような気もするし

本の頁の白もいつもよりまぶしかった.

晴れの方が涼しいってこともあるのね.


(2)説得力のある消防車の色は青なのだと思う.

けたたましいサイレンと共にそれぞれ形の異なる三台の消防関係の車が

非常階段から見える坂道を通り過ぎていったのを見てからしばらく考えた後の結論.

消防車が赤いのはそれがそのまま火を連想させるからだろうが,

ふと火事の現場で消防車がずらりと並んだ様を想像すると,

何やら火事の規模を大きくするのに加担しているように見えてしまった.

火事の現場に集まる野次馬は(近所の人なら)大抵不安になるものだが,

それは被災者の安否を気遣うとか延焼を恐れてのこともあろうが,

案外「消防車の赤さ」がその不安を増長させているのかもしれない.

きっと火消しに奮闘する消防車が青かったら落ち着くと思うんだ.

「なに落ち着いてんだ!」という話になるかもしれないが.


+*+*+*+*+*+*


直挽き(自家挽き?)コーヒーが最近おいしい.

多分冷凍保存していた豆を挽く前に解凍するようになったからだと思う.

今までなぜそれをしなかったのか今では謎なのだが,

そういえば昔はミルで挽いている時よく「ガリッ」と詰まることがあった.

今はするする挽けるし,挽いた粉も木の受け箱に付着してとれにくくなることもない.

凍った豆をフライパンで軽く炒めるのを「解凍」ということにしているのだけれど,

(オーブンレンジのオーブン機能だと最表面以外は冷たいままだったのでやめた)

なんだか香りが若干飛んでそうな気もするのでもっといい方法があるかもしれない.

自然解凍が一番なのだろうが,豆を目にしてから何時間も待つ気になれないのでこれは却下.


そういえば「弱冠20歳にして…」と言えば「若いのにすごいねぇ」なのだけど,

「若干20歳ね」と20歳の(女の)人に言うと基本的に殴られるので注意した方がいい.

25歳の(女の)人に言うと若干喜ばれるかもしれない.

別に(女の)人に殴られたわけでも喜ばれたわけでもないが.
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by chee-choff | 2010-07-31 22:03 | 社会人
しかまかくかたりき
相変わらずの夕焼けウォッチャー.
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上が22日,下は17日に撮影.
どちらも会社帰りにスーパーに寄ってって,
その帰り道に「うわ,すっげ綺麗!」と気付いて
視線斜め上固定で寮まで帰って,
ちょっと控えめになっちゃった状態で撮った.
まっすぐ帰ってたら間違いなくその日最良の一枚が
撮れていた自信があるのだけれど(ええ暇人ですとも),
まぁそれもある程度どうでもよくて,
生で味わえる時に味わっておきたい思いの方が強いので
別に帰り道を急ぎもしなかった.
目に焼き付ける,とは言うけれど,
じっさい焼き付けるのはその景色ではなく,
その景色を目前にした自分の心の動き.
これだと色褪せても楽しめるというのは,
褪せるというマイナスイメージに限定されない「変化」を味わえるから.
毎度毎度の後付けやけどね.
しかしキレイな夕焼けというのは空における雲の配置がキィとなっていて,
雲が全く無いとそもそも「焼けない」し,
分厚い雲ばかりだと光を吸収してしまってこちらまでやってこない.
いい感じにオレンジを乱反射させつつ減衰を低めに抑えた雲々が
うっすらと空全体に広がれば,空一面の夕焼けが拝めるハズ.
と考えていると「空の本」のことを思い出した.
朝日の書評で紹介されていて,「これを読めば空を見ながら
一日中飽きずに過ごせるなぁ」と夢が膨らんで紹介記事を切り抜いたのだった.
また思い出したら図書館で借りよう..
 「空の本」=『すごい空の見つけ方』武田 康男
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「年中同じ野菜が食べられて季節感が薄れた」という認識に間違いはないけれど,
マジメにスーパーに通ってると野菜や果物の値段で季節感はわかる.
 …「味で分かるだろ」と言われそうだが分からないものは仕方が無い.
 「舌が安い」のとそのことは大いに関係がありそうだが.
で,最近ミズナの値段が倍に跳ね上がって,
その少し前にキャベツが安くなり始めたというのもあり,
「毎日が伝説サラダです」も遷移期.
写真はキャベツ,ニンジンに加えてモロヘイヤ.
そいやこっち来てキャベツ刻むの今日が初やね.
「とんとんとんとんとん」ってリズム良く刻むのが好きなわりに
全然細く切れなくて手つきがたどたどしいのは相変わらずで,
今日は3回自分の指を刻んだ(妄想で).
この妄想が指をそれこそ千切りにするまで膨らんできたら
もはやキャベツは切るべきではないと推測される.
あーこわ.
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そしてこれは朝飯と思いきやまたも晩飯(さっき食べた).
いつもと変わった点といえば,
まずベーコンが焼き豚になっている.
これはスーパーでたまたまベーコンが安くなく(グラム148円),
たまたま焼き豚が高くなかったので(グラム98円),
ベーコンエッグには合わないんではと思いながら試してみたもの.
けれど普通においしかった.
まぁどっちも豚だし.
で,もひとつはヨーグルトのトッピングが変わった.
何やら紫色に染まっているのは,顆粒ブルーベリー.
最近仕事で目がよく疲れるので薬局で買ったもの.
そのまま顆粒を口に流し込むのも味気ないなぁと
思っていたら「よぐよぐ」(byナス氏@夏合宿)にかければいいと思いついた.
売りもんでもそゆのあるもんね.
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読書の夏,読書の夜.


+*+*+*+*+*+*


霧高く鎌貸し
 ↑
きりたかくかまかし
 ↑
しかまかくかたりき
 ↑
飾磨かく語りき

「その羊が俺だ」

あのフレーズは暗唱できて損はない.
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by chee-choff | 2010-07-24 22:59 | 社会人
敢えて考える1
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◇2010/07/20 00:42
これら(下に始まる白抜き文字)は自分が逃げ出すちょっと前に書いていたもの。
(この続きはあと4つくらいあるのだけれど,それ以外に
日々の謎めいた思考の断片もわんさかある.
それらも織り交ぜて今後載せていく予定.)
不条理な研究環境に耐えようとなんとか
自分をなだめすかす論理をぐちゃぐちゃさせているが、
結局この方面の努力の甲斐なく一度京都を
飛び出すことにはなった(実家は大阪なもので)。
(とりあえず京都からは抜け出して実家たる大阪にて
旅の準備を始めようと思った。その時に顔を覆うほどの
ストレートロン毛をばっさり切り落としたのだった)
ただだからといってこれらの思考が全く無駄であった
わけでは当然なく、むしろ延命措置にはなったのであり、
ほだされて戻ってくる際の変わり身の早さにも寄与した。
何より「自分はこのような思考をひねり出せる」という
経験ができたことが大きいのであり、
必死であった当時の感覚も呼び起こせる範囲で
再現しつつ、当時の境地においてでしか有効性のない
論理ばかりでもないと(詳しく見直す前である)今は
とりあえず思っているので、単に(過去の自分をネタに
して笑う意味で)面白いという以上に、きっと
将来の自分の糧になるとも思っている。
…前置きはこれくらいにしときましょか。
ではいざ本編へ。
◆2010/07/20 00:50

◇2010/07/20 22:20

2010/01/17 17:48
「考えないことから逃げない」と言ってしまったから、
 これ違うね,「考えることから逃げない」やね.10.09.27訂
考えない方がいいと予感されるものについても、
考える理由ができてしまったのである。
>この「予感」は当たっていた可能性もある。
 まぁ未知なプラスに対して分かりやすいマイナスが
 どっかと前方に腰を下ろしていただけなのだろうが。
 こういう話はいつまで経っても「正否」がつかない。
 もとい、その判定を下す時に応じて変わる。
 「過去(+現在)の解釈は未来に委ねられる」わけだ。
 これは幾世代も通じての語り口として多いが、
 閉じた一個人においても勿論言える。


で、本題。
「僕が修論執筆を放棄したらどうなるか」。
両親の期待にちと沿わなくなる。
>「ちと」は過小評価、ですかね。
学部卒の経歴が一生残る。
入社後の給料が減る。
社内で妙な注目をされる。
>自意識過剰。
働くまでに気楽に過ごせる日数が1ヶ月増える。
精神の休息が得られる。
と見せかけて後悔が残る可能性もある。
それを後悔と思わないための精神修行が始まる。
>このあたりから無限ループに入り出す。
 が、それをここで止めるあたり
 「マジメなプラグマティスト」であると自己評価。

社会適合性(周りに合わせる意の妥協力)が弱まる。
>挫折の経験は同種の圧力に対してマイナスに働く。
 精神的に思い悩んだ経験が多くあると、
 論理でそれをねじ伏せても自然と
 身体が拒否反応を起こすことがある。
 その身体の脆さは結局思考に伝染して、
 自分の構築した論理に自信が持てなくなる。
 (←「健全な魂は健全な肉体に宿る」)
 こうまでなると「外部の協力」が必要となる。
 「他人の協力」でも「外界の娯楽」でも何でも。
 (「外界の娯楽」って言い方がひどいw
  自分は世間と隔絶してますみたいな言い方だ。
  まぁ半分当たってはいるけれど。。)
  (その「半分」に敢えて解説を加えると、
   世間の価値観には与せずとも、
   世間とはきちんとつながっていよう、
   という意志を今の自分は持ち合わせている。
   そうやって「引き裂かれて」いることで、
   やすやすと「安住しない」(重複表現?)でいたい。
   生物の本質たる「変化」を体レベルだけでなく
   心レベルでも担保しようという壮大なこじつけ。)
   (今誤入力で「粗大」って出てシンクロさにワロタw)

忍耐が弱まる。
自分の精神力の限界を自分で認めてしまうことになる。

やっぱり逃げなんじゃないかなぁ…
>それは間違いないw

いくらへっぽこ修論とはいえ、研究中よりも
自由時間を自分でとっている今が一番プレッシャーに
あてられているので、多分今をやり過ごせれば
発表練習も公聴会も意外とすらっといけそうな気がする。
>修論のためになにがしかの作業をしている時は
 感じるプレッシャーとしてはマシだったということ。
 どれだけ「焼け石に水」的作業であっても「水かけ」に
 集中していたら周り見えなくてあぁ安心と。
 これも立派な逃避やなw

想像力のある人間は自分の想像に負けそうになるという
リスクも抱えているという経験を今まさにしている訳だ。
これは今まで思いもしなかっただけに良い経験だろう。
「行動力が弱まる」以外にも想像力豊富人間の短所が
あると分かったのは一つの収穫。
>これはホントにいい収穫だったと今でも思う。
 ある階層の想像に負けるというのはその一つ上の
 階層の想像(下の階層の想像の枠組みを疑う等)が
 できていないわけで「豊富な想像力」というには
 中途半端であったと。
 「構造主義」の考え方をある程度自分のものにすれば
 「思考の階層の跳躍」も割と苦もなくできるので、
 「自分の想像力に負ける」なんてことはそうそう
 起きないのではないかなぁ…とコレハ机上空論気味発言。
  「身体性」と「構造主義」って相性悪いんでは
  ないかなぁとここでふと思う。
  たぶんこれは「無時間モデル」で考えれば真。
  枠組みを捉えて納得して、それを自分の身体に
  落とし込むプロセスまでを考慮できるならば偽。
  …そんな事可能なのか?
  具体例書かないと胡散臭いなぁ。。

そしてこんなへっぽこ状態は今しか味わえないだろうし
味わっとけばまた別の知見が到来せんとも限らない。

現状維持やね。

で、やっぱ悩んでるテーマなだけに考え出すと
書けることもたくさんあるのね。

というわけで…

敢えて考えたことに、一片の悔いなし。
>これは絶対嘘だw
 「筆の勢い」あるいは「筆が滑った」というやつだな。

2010/01/17 18:02
◆2010/07/20 23:18


+*+*+*+*


昔の自分にツッコミを入れるという点で少しノリがおかしくなっているが

そこはご愛嬌.

で,新たに「ink now」タグを作成.

 大学院時代の苦悩
  ↓
 院苦悩
  ↓
 ink now

というダジャレですね.

まぁ「今書いてます」くらいで手を打とうか(「パン!」).

「苦悩」と言いつつも文章にもし楽しさが見出されたとすれば,

それはこの文章執筆自体が苦悩ではなくして,

研究を(進めたくても)進められない苦悩をなんとか昇華させようという

気概の産物の一つとしての楽しみと捉えてもらいたい.

…そういえばよく考えるようになってから「昇華」という言葉を

よく使うようになった.

もともとは化学用語で個体が液体を経ずにいきなり気体になることを指すのだけれど,

その元の意味通り,大きなエネルギーを要するわけですね.

 (確か教科書の用例が「失恋を勉学に昇華する」とかそんなんで,

 その言葉を知った当初はあまり良い印象を持たなかったわけだが)

つまりは例えば「思考の跳躍」そのものが昇華なのではなくして,

「思考の跳躍に大きなエネルギーを使うこと」が昇華であると.

突飛な思考に慣れてしまうとそれは昇華の役割を成さなくなる,と.


…オチを見失ったが今日はここまで.

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by chee-choff | 2010-07-22 21:02 | ink now
独り言の効用から / 妙ちくりん
十分打鍵シリーズ3.

2009/11/28 18:21
PC用語のメタファーで表現してみる。
○テンポラリーメモリーとしての口
…僕自身は家計簿で暗算する時によく使う。
 頭の中だけで計算するよりも、
 数を唱えながら計算する方が
 数字の記憶度合いが大きくなる。
 これは身体(=口)で覚えるからだろう。
○脳とは異なる出力形式
…独り言、の意味ではこちらの方が適当だろう。
 頭の中でぐるぐる考えているとする。
 思考の流れが滞った時に、
 ふとその流れの最後にきたキーワードを口にすると、
 別の展望が閃くことがある。
 これは口だけ特権というわけではなく、
 歩行を始めとする動作、視界(何に注目しているか)、
 視野(目の向き、黒目の位置とでも言おうか)、
 手の動き、書いたり打ったりする動作など、
 身体の動き全般について同じことが言える。
 これは前に「脳の出番・身体の出番」で触れた、
 (脳とは別に)身体の各部位の独自の経験が
 その部位の使用の際に呼び起こされるからだろう。
 「全身を使って考える」とはこのことなのだと思う。

これ多分5分で書いたんじゃないかな.
あんま考えた形跡がない..


+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*


大学院在籍時に全く研究にやる気が見出せなかった自分は,

ひたすら本を読んでよく分からない思考を弄んでいた.

そのやる気の無さは(越してきて研究室の頽廃ぶりに気付くまでを除いて)

ほぼ1年と10ヶ月続いたのであって,

自身の本業の頽廃もすこぶる度が過ぎて修論提出直前に携帯をへし折り四国遍路に発つ寸前まで至ったが,

幸いにして神々しいほどのグッドマンぶりをその2年の間発揮し続けてくれた同僚のおかげで

常道を逸せずに済み途方もない迷惑をかけながら修論提出まで面倒を見てもらった.

そのおかげで何事もなかったかのように院卒として日々研究に励んでいるが,

「残された傷跡」もやはりあるにはある(昔より余計に変人になったとかw).

日々の仕事が落ち着いてきたというわけではないけど,

当時を客観的に見られるくらいは落ち着いてきたかなという気はしていて,

まぁ今までさんざん変態思考ぶりを披瀝してきてその意味でも慣れてしまったので,

当時の苦悩を晒して今の思考材料にしてみようかな,と思う.


というのは単なるこじつけであって,

本音のところは「その同僚の助けがあってこそ今の自分がある」ことを再認識するため.

それは今の社会的地位に居られることにあらためて感謝するというだけでなく,

どれだけ妙ちくりんであってもあの破滅的な時期を乗り越えた今の自分に対して

無条件での肯定感をも呼び起こす(これが後の災厄を招く可能性はまた別の話).

…それは言い過ぎか(笑)

まぁ,ゴウ氏には感謝感謝,ということで,

次から

「大学院時代の妙ちくりんな苦悩に妙ちくりんなツッコミを入れるなどする」

シリーズが始まります.

乞うご期待.
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by chee-choff | 2010-07-18 22:07 | ink now
楽しさは微分
十分打鍵シリーズ2.

2010/06/24 22:06
シャワーを浴びながら考える。

楽しさは微分値なのだと、
傾きであると。
まず相対値であることは確かで、
その基準点はどこにあるか。
それは、過去。
未来も含まれると言いたいところだが、
「苦しい未来を想像して今の楽しみに耽りたい」
と考えているのは過去の自分である。
つまり総じて、
「基準となる時点と現時点における満足度の差」
が楽しさととりあえず言えそうだ。
楽しさの質なんぞはもちろん人それぞれだが、
まがりなりにも定量値で表したいと思えば、
その「差」すなわち「傾き」をあてればよい。
どんなに些細な「いいこと」でも極限的な
苦しさの毎日の中では「とても楽しいこと」だろうし、
誰もがうらやむ「ものすごいいいこと」でもそれが
当たり前の生活の中の出来事であれば
「特に楽しいとも思わないこと」であろう。
頭では分かっていても目指すべき「楽しいこと」が
世間において後者になびきがちであるのは、
見栄がそうさせるのもあるし、
それも含んでのことだが「みんながそう考える」からだ。
その「みんな」とは誰か、
さらに言えば「みんなに吹き込んだ者(達)」は誰か、
そういう視点を持ってみる必要もあるかと思う。
別にタブーでもネタバレでもなんでもない。
「余計なことは知らなくていい」と思っている人は、
「余計なことの裏に隠れた余計でないことを
 知る機会を逸している」人でもある。
「余計」が何かも深く考えずに「余計なことは…」と
言う人は、その「怠惰な箱庭」から脱出できない。
「しなくてもいい」のなら別に構わないのだけれど。
2010/06/24 22:20


傾きもとい変化量とは位置の微分値であるが,
変化量をさらに微分すれば変曲点が求まる.
(このあたり確か「数Ⅲ」の範囲で懐かしいと感じるあなたは理系人)
変曲点というのは高次関数でいえば曲線上にある上の凸と下の凸の変わり目のことである.

これも上の話に組み込むならば
「あー今楽しーわ」は変化量を意識しており,
「うわなんか楽しそう」は変曲点を意識しているといえる.
なんの話かといえば,
横軸に時間,縦軸に何らかの定量値(例えば「貯金」とか「イベントの数」とか)を
とったグラフを描けば何やらウネウネした曲線がでてくるのだけれど,
その曲線上の一点をとるだけではまず何もわからず,
その一点の傾きを知ることで初めて定「性」的(より主観的)な評価(=現状把握)ができ,
その一点よりも先にあるであろう変曲点の位置を知ることで計画的に行動できる,
もとい「望ましい評価軸の変え方」を知ることができる.
まぁ「計画」なんて言葉を使うとイメージが違うはずで,
変曲点は「予感」みたいなものだろうか.
数Ⅲの要素を使いながらそのままそれに乗っかってしまうとイメージが掴みきれないのだけれど,
その「ウネウネした曲線」というのはもちろん時間が経つにつれて変化するわけですね.
だからなんだろう,その曲線の(単なる時間だと思われた)変数tは実は時間aや健康状態bや
(脳内の)滞留事象cやら無数の変数に規定された媒介変数t'であって,
その媒介曲線を描くことはもはや複雑すぎて叶わない…
(そもそも一つの関数値がどれだけの変数をもつかすら明言できない)
つまりこれが「理論の限界」というやつですかね.
「哲学は簡単すぎ、現実は複雑すぎる」というウチダ氏の言葉をここで思い出す.
それが身に染みて,人間の尊さを実感するために理論が存在する,のかもしれない.
…ロマンチック?

大事なこと(もといエセンスというか本記事の終着点)を書き忘れてた.
といっても繰り返しになるけれど,ウネウネ曲線グラフにおいて重要なのは
上で貯金とか書いた縦軸値の名目ではなく,変化量であるということ.
ここでは位置と変化量に直接の関係はない.
むしろその関係性を「選べる」.
面倒臭い話だけれども.
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by chee-choff | 2010-07-13 21:29 | 思考
赤な日々
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あおあお.

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選挙へは行かない.
が,代わりに「選挙もの」の小説を買う(左).
社会とのつながりも意識だけはする.

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1)毎晩赤ワインをちびちび.
赤玉以外のアタリを探すべく日々ラベル買い.
値段はすべて500〜900円あたりのもの.
まだ「どれも同じ」以外の印象が持てないなー
2)木製折りたたみ椅子を楽天で購入.
送料込みで二千ちょい,にしては頑丈(重量4.1kg).
土日の日中はこの椅子と淹れたてコーヒー(とコースタ)と一緒に非常階段の踊り場(7F)へ.
部屋でクーラつけて読書よりは健康的さね.
今期はまだクーラつけてないよ!
部屋に引きこもってるわけじゃないけど,
読書も卓球も独身寮内でできちゃうから,
これは「広義のひきこもり」だね!
「エネルギーを消費しない活動」が一番のエコだね!
つまりひきこもりは環境に優しい.

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+


「すべからく債権者は体系の債務者である」

…『不毛論』より.
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by chee-choff | 2010-07-10 23:08 | 社会人
確固とした「括弧」
言葉の抑揚,あるいはリズムが似ている,

それだけでつながる言葉というのは,

その関連性自体に意味はない.

正確には「リズムが似ていて(互いに)連想を促す以上の関連性はない」.

それはそれで事実であって,

でも意味は「あるなし」ではなく「見つけるか見過ごすか」という観点を持てば,

抑揚の類似は理想的な(=お手軽かつ実効的な)associabilityである.


という文脈で日々オヤジギャク思考を弄んでいるが,

たまにアタリが出る.

タイトルは思いついた瞬間に「ヤベェ」と思ったもの.


「括弧」とはウチダ氏がよく使う「括弧に入れる」の「括弧」.

まぁ保留とか後回しとかそんな捉え方でいいと思うけれど,

それを通念上のそれ(例えば「現実逃避としてのそれ」とか)ではなく,

後回しにすることで被る面倒事(日常の出来事だけでなく自分の脳内タンスの

引き出しの煩雑さが増すとか云々)の一切を想定のカフカ(可不可)に関わらず

引き受ける凛とした佇まいとしての「確固」.


うん,いい言葉だ,と自画自賛(「字が持参」だけに).
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by chee-choff | 2010-07-05 22:56 | 思考
『ぼくは落ち着きがない』長嶋有
長嶋氏の本はこれで三冊目.

一冊目は正確には本ではないけれど,

一つ前の朝日夕刊の連載小説『ねたあとに』.

あれは本当,ホントに何にも起こらない日常の

とりとめもない細部をつらつら連ねた作品だった記憶があるが,

その文体に惹かれて氏の本を手に取るようになった.


「細部の描写がリアル」と言ってまぁ間違いはないけれど,

これぞ氏の真骨頂と勝手に思った部分を取り出せば,

「主人公の視点の移り変わりがリアル」だという所.

主人公(本作では「望美」)が淡々と流れる日常の一場面において,

周りの状況(の進展)と彼女自身の意識のシンクロ度が凄い.

周りの状況にただ流される,

目に留めた一品からちょっと前の出来事が自然に想起される,

そして「きょろきょろする視点」と「周囲と混ざりはするが混ざり切らない感覚」の自由さ.

その意識の飛び具合を平易かつ的確に表現された部分に幾度も「ビリビリ」した.

リアルな現実に対し,それを文章で表現することによるリアリティの減損を

最小限にとどめているということが,氏の文章を読むことで立ち上がる

登場人物の躍動を感じることで納得できる.

細部にこそリアルが宿る,氏の文章は一字一句逃さず読むことをおすすめします.


以下,好きな箇所を抜粋.

(抜粋が多めなので読む人はこの先読まぬべし)

この部分を読み返すだけで,

立ち上がる数々の場面を得た.

これも「残念」?

More...
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by chee-choff | 2010-07-03 23:32 | 読書
小説執筆動機考
十分(「じゅうぶん」ではない)打鍵シリーズ1.


2010/06/23 21:51
森博嗣の全く小説でない小説(水柿&須摩子シリーズ)を
読んでいて、小説の書き方を具体的に想像できた。
何かしら言いたいことの具体的な内容がいくつかあり、
その関連性や骨組み、構造なども曖昧ながらある。
それが(何かを)書きたい衝動の原点であって、
それをそのまま書くのであればよく言って「随筆」、
または単なるブログということになるのだが、
それをそのままではなくて何か別の形式に「委託」する。
「仮託」といった方がよいか。
いや違った。
表現形式を変える、もしくは付け加える。
その一つの手段として「小説」がある。
登場人物を造形し、彼ら彼女らの生い立ち云々から
背景描写、小説世界の状況設定などが構築され、
その彼らがもともと自分が言いたかった内容を
そのまま言う、もしくは行動で示す。
自分が言いたい内容がはっきりと言葉にしにくい場合、
登場人物の行動や思考(それは小説世界の構成物と
ごっちゃになって深みが与えられる)に頼ることで
表現としてはより自分の納得のいくものになる。
自分が言いたい内容を現実そのままに書くというのは、
その内容の背景はといえばそのまま自分自身の生きざま、
具体的には生活感や過去の経験などが該当するのであり、
書く本人には文章に起こさずとも把握している分もあり、
至極分かりやすいものになることはまず間違いあるまい。
が、それを他人に伝えたいと思うのならば、
自分の生活感や過去の経験をそのまま一緒に連ねることに
抵抗がある場合(が多いと思われるがために)、
それらと同じニュアンスの小説世界を構築したうえで
同じ内容を語る、すなわち小説世界の登場人物に
語らせる(語ってもらう)形式が有効となるのだ。

なるほど。
小説の執筆動機として、
そういう回り道ちっくなものもありえるのか。
このことに気づかせてくれたのは、
エッセイとしか思えないような話を小説の形式で
(もはやその形式ですら形骸化しているが)
綴られた本シリーズである。
最初は「ホント好き勝手やってるなぁ」くらいしか
思わなかったのだけれど、
不意を衝いて意外なことに気づかせてくれたので、
これはソーシャルライブラリで評価しようと思っていた
点数(3.5)を上げねばなるまい。
(→4.0になりました)
2010/06/23 22:03
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by chee-choff | 2010-07-01 22:18 | 思考