深爪エリマキトカゲ
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『正しさの構造分析』のまえがきらしきもの
過去に書いた文章の中から面白いのを見つけた(読みにくいけど).

本が書きたかった時期があったようで(他人事).

ってそんな昔でもないけれど(でも他人事).

そいやインプットとアウトプットをバランス良くせにゃって昔言ってたけど,

今は相変わらずインプットだけで満足してるなぁ.

なんやろ,まだ若いんかな?(爆

さっき読み返してみて,

微妙にウチダ氏ブログの紹介になってるかもしれないと思った.


+*+*+*+*+*+*+*+


『正しさの構造分析』ちっひー著

2009/11/25 02:02
実質の伴わない「正義」が蔓延する昨今、
どれが本当の正しさかを探すことは短観すなわち、
その場しのぎ以上のソリューションたりえず、
それぞれの「正しさ」が実際には何を表しているかを、
分析することが世の中を冷静に判断する第一歩と考える。

もちろん「正しい」と言いたいがための正義もあるが、
中身のある正義も存在する。
が、中身はあっても、その詳細な記述を怠ったために
信憑性や実感に欠ける言説ととられる正義論もある。
僕が分析対象としたいのはその両者ともだが、
特に解き明かしたいと思うのは後者の「正しさ」だ。

例えば、「正しい言葉」という表現。
僕らはみんな小・中学校、高校で習う。
ここでの「正しい」とは、「標準的」という意味だ。
多くの人がそれと了解していて、
使いこなせていれば、そうでないよりも他人との
意志疎通の成功確率が上がる。
つまりここでの「正しさ」は人とのコミュニケーションを
円滑にするためであって、
コミュニケーションの場で相手の「正しくない」語法を
あげつらい非難して相手の交流意欲を削ぐ姿勢は、
本来の目的からすれば「正しさ」の使い方を
間違っていると言えるだろう。
(考えている場が教育の場もしくは教育的配慮を含んだ
交流の場(例えば職場の上司と部下)であれば、
上のように全面的に間違っているとは言えない)

(2009/11/26 21:26カラ)
例えば、PC(政治的正しさ)という言葉。
「この前来ていたカメラマンが(PC的には
 カメラパーソン?)…」
とウチダ氏も皮肉まじりに書いていたが、
PCは言葉通り、社会的に正しい言葉遣いを
政治の権限で決めましょうはい決めました、というもの。
この言葉がよく使われるようになった(卑俗的に言えば
流行りだした)きっかけは調べれば分かる話だと思うが、
想像するに
①社会運動家のご機嫌取り
②社会道徳退廃に対する官僚的打開の一策
③…(まだありそう)
くらいではないだろうか。
で、これを守っていれば公の発言(の場)においての
セクハラやアカハラ、差別や責任問題などを防げる、
という見立てがある(のかな)。
それが実効的に作用する場面も確かにあるだろう。
だがある一面には必ず裏があるもので、
(「法は破るためにある」という意味で)
PCを逆に利用して相手にダメージを与えるような
場面も想像に難くない。

で、一般的にどんなことにでも言えるが、
規制すれば何も問題がなくなる、という法規を作る際に
その法規が万能であればあるほど(すなわち当法規の
保護下(対象)たる一般市民の気遣いや努力の
必要性がなくなればなくなるほど)、法規に甘んじる
ことに抵抗のない人間(というか意識しなければ
抵抗など感じない)はどんどん退廃していく。
「これを守りさえすればよい」という枠組みの盲信は、
元来その枠組みを構築する側が当然持ち合わせていた
「質的なもの」(他にいい言葉が浮かばない)のうち、
法規(=枠組み)に明文化されていない部分に対して
文字通り「盲目」になる。
何らかの統治システム構築に携わる人間が最も
気を遣わなければいけないのはこの点、すなわち
「自らが思い描く(又は過去に経験してきた)組織運営の
理想像と、その再現性を実現するために設計した
システムをある組織に適用する際の想像との間の、
質的な差異をいかに最小化するか」であるが、
そのシステム設計を業とする人々には
あまり重要視さえていないように思う。
(それは設計者の対象が自分の組織であって組織運営の
如何が直接的な影響を与える状況とは違う場合だ)
システム設計を業とする人間が商品たるシステムに
最も気を遣うのは、
「いかに実効性が高そうに見えるかどうか」である。
効果があると設計者自身が分かっていても、
それをプレゼンする手段を持たない(くらいシステムが
複雑なのか設計者の力量不足なのかはおいといて)場合、
効果が減じてでもシステム利用者に分かりやすい効能や
その実効性を担保する仕組みを持つシステムに
作り替えるであろうことは容易に想像できる。

閑話休題。
PCの話であった。
要するに、どういった成果を得たいかは分かりやすいが、
本当にそんなうまくいきますかね?ということだ。
いや、違うかもしれない…
理念先行すぎゃしませんかね?てことかな。
(2009/11/26 22:21マデ)

いくつかの「正しさ」の具体的事例を分析すれば、
それは他の多くの正義論に適応できるはず。
また、その適応の過程で新たにカテゴライズすることも
可能だろう。
そして一度そのような「分析眼」を持てば、
前述の「言いたいがための正義」の浅薄さを見抜き、
「正しい」と言うだけで済ますには言葉足らずであり
詳細な記述を起こすことでゆがみなく伝わる言説を
見つけ出すことができるようになるだろう。
それは上っ面をなぞり合うだけのコミュニケーションを、
各人の思いのこもった「主観のせめぎあい(?)」の
実現したコミュニケーションに変えることにも通ずる。
そういった本質的な(=お互いの底の部分を揺るがす)
コミュニケーションを望まぬ人が多いのは事実だが、
彼らの中にもし現状からの脱却にコストより大きな
ベネフィットを見込む(もしくは願う)人間がいるならば、
その願望実現の助力となれば幸いと考える。


と、書けるはずのない本の前書きを書いてみた(笑)
書いてて思ったのだけど、
わりとこういった前書き的なブログ記事は書いてて、
記事としては毎回それで満足して書き終えるのだけど、
これらを本の前書きとして考えたならば、
本の本編を書かずに言いたいことを済ませたことになる。
まぁ別に当たり前のことで、
前書きで収まらないくらいの書きたい量があるからこそ
本でいう本編が存在するわけで、
つまり仮に今の僕に執筆意欲があるとするならば、
その意欲に敵うだけの内容を持ち合わせていないのだ。
それは今のところ自分がひとまとまりとして
言いたいことを、字数を大してこなさずとも
言い切ってしまえるということであり、
でも実際のところ本を書く内容と伝えたいエッセンスは
あまり量に差はなく僕の方に表現力が圧倒的に
足りないことを意味するに過ぎない。
ウチダ氏なんか著作で毎回同じことを言っているけど、
それでも面白く何度も読める一つの要因はその
カラフルかつ核のしっかりした「表現力」にある。
だから何が言いたいかといえば…
僕の今現在の志だけ見ればわりと十分あって、
表現力さえ身につければ案外さらさらっと
本が書けるのではないかなーと傲慢ながら思うのだ。
…構想を練っておこうではないか。

2009/11/25 22:34
後半部分は正直いらないな。
前半部分を書いてから一晩おいて、
見直してみて思ったこと。
別に何か面白いことを思いついたわけでなく、
紹介すべき知見を自分の視点で解釈し直した、
というほど大層なものでもない。
本のタイトルが思いついた時に、
発作的にまえがきを書いたのだ。

で、それを改めて見て、
まぁまぁ勢いがあるかな、と思ったのだ。
ウチダ氏のブログを長いこと読んでいて
思うところはそれは沢山あるのだけれど、
中でも「筆の勢いの良さ」は群を抜いていると感じる。
思いついたことをほとんどそのままの形で
文章に書き起こせているように思える。
と言うとウチダ氏的には間違った捉え方であって、
最初のきっかけさえ作ればあとは「書いている文章が
勝手に続きを紡いでいってくれる」のだ。
ウチダ氏はその「他者たる自己」の思うがままに
キーボードをちゃかちゃか叩いているだけである。
で、そのような文章は読み手にもそういう情景が
浮かぶほどにリアルなのだ。
ウチダ氏特有の括弧書きの多さや突飛なメタファー、
良く逸れる話と閑話休題による強制回帰。
慣れないうちは「どんな思考回路してんだ」と
訝しく思うこと必定(ひつじょう)であるが、
慣れてくればそれらがいかにも自然に
流れていることがわかるのだ。

ウチダ氏は(そりゃあ年季もあるし)手持ちのツールも
沢山あるので勢いに任せて書いても一般読者を
うんうん唸らせる文章を書くことができる。
その彼と同じようなノリ(勢い)で、
表現力も文章力もない年若の人間が文章を書けば
何が出来上がるかな、と試してみたのが今回の記事だ。
(存分に後付け臭漂う話だが)
思うに、こういった「勢い任せのはっちゃけ執筆」を
定期的(例えば年数回?)にやっていれば、
現在の自分の筆力と、過去と比較しての成長度合が
わかるのではないか。

おお、わりと面白そうだな。
…まぁ、毎年末にやっている「ゆくとしくるとし」も
同じような趣旨と考えられるのだろうけれど。
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by chee-choff | 2010-04-30 11:28 | 思考
なんとなくじゅうくりはま
ベランダから見渡せる畑の向こうに散歩行ってきた.

学生の味方「業務スーパー」を発見してテンション上がった(でももう学生じゃない).

あと野球場があって企業対抗女子ソフト大会やってた.

HONDA対HITACHIやったかな?

応援(ラッパ隊)が本格的だったので楽しそうやった.

ただ入場料1500円は高い…
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働き始めるといろいろと合理化しちゃうなーと思う.

例えば書いてるブログなんか,言い回しが簡素になったなぁと.

ちょっと前までは書き方で結構悩んで打つ手を止めることも多かったけど,

最近はぐんと減った.

…と書いてる今日の記事はけっこう手が止まっているのだけれど,

そうかこれは書く内容の問題かと再認識.

要は備忘録ちっくになってたわけですね.

これが「思考録」になると手が止まる方が健全だということになる.


一概にそうとは言えないのかもしれないけど,

すらすら書ける文章には,少なくとも自分では思考の跡が見えにくい.

このあたりは読書と一緒かと思う.

文章を読むにしても,読んだ後もずっと記憶に残る部分はといえば

「読んでる間に思考・想像が発展した箇所」だろう.

それはいくつかの個々のトピック(内容)がクラスター(房)となって関連付けられるためであり,

そのクラスターが話題として一つであっても言うなれば「検索ワード」が複数個存在する.

たいていどんな文章を読んでも記憶には残るのだろうけど,

記憶の奥底に沈んで一生日の目を見ることのない断片はそれこそ無数にあり,

それらをできるだけ多く記憶の器の「上方に浮遊させる」ことが充実した読書の成果の一つではないか.

で,その達成に大きく寄与するのが上で述べた「検索ワード」の多さだろう.

「ググる」には特定のワードを入力してボタンを押す必要があるが,

僕らの脳内検索はそのような作業は必要ではなく,

目にした,耳にした,あるいは五感から連想した言葉に「触れる」だけでよい.

ただ,僕らの「検索精度」はPCと比べれば当然どうしようもなく低く,

それはつまり精度はPCに任せてしまえばいいわけで,

僕らが持つべきなのは「検索範囲の広さ」,言うなれば「あいまい検索の曖昧さ」かと思う.

まぁなんかひっかかればいいよね,と.


とここまでを一度見返して必要と思われた注釈をすると(まとまってなくてすみません),

ちょっと上で言った「検索ワード」というのは,検索するために入力する単語ではなく,

ある単語で検索した時にある内容と対応することを決定付けるための,

その内容に含まれる「キーワード」のことである.

そのキーワードは,記憶にしまわれた内容の中で,上で書いた通り

「記憶や想像が膨らんだ箇所」となる可能性が高い.

マインドマップで描くならば中心の方,ネットワーク線が多くつながっているワードである.

そのようなキーワードを沢山増やせば何を見ても「ああこれはあれじゃないか」とか

「あの構造と同じやな」とか連想が膨らむわけだけれど,

それが面白いと思われなければ「あっそう」で終わる話だったりする.

僕は面倒だと思いつつ面白いと思っているのだけれど.

だからこの「面倒」は「いい面倒」なのである.

…この前の飲み会で「面倒にはいい面倒と悪い面倒がある」って熱弁を振るって

「訳わかんねぇ」って言われてショックを受けたのだけど,

なんとか「言葉のニュアンスはいろいろ」ってのを伝えられないもんかなぁ.


+*+*+*+*+*+*+*


どこかでものすごく話がそれた.

なんでそれたのかはもう考えるのが面倒なので言わない(これは別に「悪い面倒」ではない).

引っ越してからネットがつながるまでの2週間のブランクを埋めたので

(=溜めてたウチダ氏のブログを読み通した),

そのついでに,前に少し考えた「ウチダ氏紹介HP」についてまた少し考えてみる.

基本的に氏のブログ記事の中で僕自身が「おっ」と思った箇所を抜粋し,

それに何かを書き加えるということしか考えていない.

氏の言う言葉を自分の状況なり考え方なりに引き込む実例を通して,

氏の言葉の汎用性というか「引き込みやすさ」を示せればいいなぁと今思いついた.

氏は「構造主義者」であって,

でも諸事の枠組みを捉えるのみにとどまらず,

その枠組みは現実に僕ら(の身体)にいかに作用しているのか,

ひいては僕らは枠組みの中でどう振る舞う(考える)べきかに重きを置いており,

氏はあらゆる問題に言及して(氏曰く「大風呂敷を拡げて」)いるがその根っこはつながっていて,

そんな氏の言うことを別に間に受けずとも思考対象とするだけでも,

広い視野が持てたり臨機応変力がつくんだよということが示せればいいなぁと.


というわけでとりあえず最近の記事から.

<<
「どうしてこんなことをしているのか、本人にもよくわからないこと」なんか、人間はすぐに止めてしまうとみなさんは思うかも知れないが、そうではない。
逆なのである。
理由のよくわからないことを自分がしているときに、人間は「どうしてこんなことをしているのか」を知ろうとする。
知るためにいちばん簡単な方法は続けることである。
ずっとやって、いろいろな経験をしているうちに「あ、これがやりたくて、やっていたのか」という理由を発見できるのじゃないかなと期待するからである。
(…)
人間とはそういうものである。
だから、なにか芸事を始める前には、なるべく「明確な理由づけ」をしない方がいいと私は思っている。
「なんとなく」始める方がいい。
できれば、まわりから「やめろやめろ」と言われたことや、本人も「これは向いてないよな」と思うことをやるのがいい。
(…)
どうしてそのことを始めたのか、自分でもうまく説明できないものについては、なんとか自分で理由を見つけ出そうとする。
「自分がやったことについては、必ず事後的に合理化を企てる」という人性の自然の帰結である。
(…)
「継続は力」というのは、だからほんとうなのである。
継続すると何か「いいこと」があるのではない。
そうではなくて、「継続している自分」を正当化するために、私たちは「いいこと」を創作(悪く言えば捏造)するので、続けているうちに、気がつくと「いいことづくめ」になってしまうのである
2010年4月4日 「なんとなく」の効用
>>

「継続は力なり」の面白い解釈.

とても分かりやすい話なのだけど,

「タテマエ思考」からするとこれは分かりにくい話になってしまう.

 同期のなかで「社会人⇔ホンネとタテマエの使い分け」という

 イメージを持つ人がなぜか結構いて,そういう話が僕はとても好きなので

 飲み会で適当なことをウンチクしていたからこういう話の流れになってます.

というのも,例えばこういった話を就職活動の面接でしてしまうと,

伝え方によっては悪い印象を持たれてしまう.

例えば,

「志望動機は特にないんですけど,仕事やってるうちに面白さとか

見つかるものだと思うのでとりあえず御社に入って頑張ろうと思ってます」

と言っても,上の「継続は力なり」と同じ内容になるのである.

実際それはそういうものだとしてもそれをそう言ってしまうとやはり

悪い印象を持たれるのもまた仕方のない話でありだからこそホンネと

タテマエの使い分けは大切なんだよ,といつの間にか説教口調(だれに?).

まぁこのあたりあまり掘り下げるとかつての自分の就活スタンスがバレてしまうので慎むとしよう.


「わからない」を自分の中に存在させ続け,

かつその解明過程で「不完全燃焼」感(氏のよく使う例えを借りれば「残尿感」)を維持し続けることで,

日常生活や仕事において自分でも思いもしなかった発見がもたらされる.

もちろんそれは疲れることであるし,過剰だと精神異常や不安感も引き起こす恐れもある.

だから,「わからない」に対して好感を持つ姿勢が必要となるし,

「わからない」に対して「今はわからないでもいいや」という諦めも時には必要である.

そして,「わからない」との格闘と休戦の「落としどころ」には最適解はないのであり,

自らの試行錯誤を通じてはじめて,自らに対してのみうっすらと感得されるしかない.

むつかしいもんですね.
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by chee-choff | 2010-04-25 18:10 | ウチダ氏
やっぱり写真
楽なのでやっぱり写真.


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雲間から差し込む光.
空が広いと壮大.


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同居人.
君の名は…?


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うしくんです.
人じゃない.
いつもドアを開けたままにしてくれる.
でもよく力負けしてずるずる後退してる.
筋トレグッズ買ってあげないと.


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朝食③
要はサラd(ry
かいわれ,レタス菜,ルッコラ,水菜+ベーコンフレーク,ビーンズトッピング+ピエトロ.
茎ものが多くてひたすらシャキシャキしてた.


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朝食④
要は(ry
サラダほうれん草,かいわれ,セロリ,きゅうり+ベーコン・ビーンズ+ピエトロ.
セロリは苦い.
そして食感がきゅうりとかぶってた.
初めて食べたわりに名前に馴染みがあるのは,やはり山崎まさよしか(SMAPではない).


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朝食⑤
要(ry
水菜,クレソン,ベジタス,?(忘れた)+ベーコン・クルトン+ピエトロ.
クレソンがグラム的にもっそい高かったけど,
名前に惹かれて買ってしまった.
アニソン←アニメソング なので,
クレソン←クレイジーソング かな.


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夕食①
ご飯は十八穀ごはん.
350円で素が8個入りで,一つにつき3合炊いてるので,
3合で茶碗4杯分とすれば茶碗一杯につき
 350÷(8×4)=10円ちょい
で十八穀ごはんにグレードアップできてることに.
ビバ社会人(最近の結論全部これ).
白米がほんのり小豆色に染まってる.
そのまま食べてもおいしい.
野菜炒めの内訳は…小松菜,もやし,アスパラ,玉ねぎ,豚肉.
アスパラ初調理.おいしい.高いけど.


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丁寧に生活する,は意外と長続きしてる.
食器は毎日洗って炊事場に溜めることはないし(つか食器少ない),
着替えもするごとにクロゼットにちゃんと収納してるし,
毎週土日のどちらかに掃除機・モップかけ,鏡拭きゴミ袋入れ替えしてる.
自慢じゃないが学生時代のこれらはホントひどかった.
一度放置になれると違和感も違和感でなくなるのは分かってたし,
分かりながらも「その通りだ」とうんうん頷いて改善する気もなかったし.
今はこういったいろんな「ひと手間」をそれほど抵抗なくかけることができてる.
自然と体が動くまでには至っていないが(頭で「ちょっとの時間ロスやし」と考えた上で実行).

が,それもまだ日常のプライベートに時間の余裕があるがゆえだと思う.
私生活が充実して同期とかいろんな人との付き合いが増えるのは歓迎すべきだけど,
それに追われるようにはなりたくないなーとちょっと贅沢を考えたり.
オンオフをしっかり切り替えるというのは,オフの中での公私もしっかり切り分けることも
含むだろうし,とすると「一人だけの時間」はやはり毎日確保したい.
かといって完全なる現状維持を望んでるわけでもないのだが…
まぁぼちぼち.

仕事はなんだか忙しくなりそう.
「ルーティンはやだなー」と思って頭使いそうな部署の希望出したら
それが見事に通ってしまったようで(研修が忙しくて自分が書いた部署を
よく覚えていない),そこが思いのほか頭使う部署で,
というのは先輩曰く「うちでは問題しか起きない」らしく未知なる研究分野の
問題解決に追われる日々が満喫できるようで.
まだ実務は全然できなくて先輩の作業を見て学ぶ時間ばっかなのだけど,
見てるだけでもめちゃくちゃ頭使うってのは帰宅してから読書する気力が
残ってないという事実から高い蓋然性をもってして推察される.
(大学院時代は大学での研究がプーやったからあんだけ本読めたんすね)
頭使うのは楽しいんだけどちょっと負荷過剰でひーひー言ってる.
先輩らみんなあちこち立ち回ってるし内線やら館内放送で呼ばれてるし,
仕事ができるようになったらああなるのかと思うとコワイ…
やはり健康第一で自分の時間を過ごさねば.


よーし今日と明日はたんと本読むぞー
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by chee-choff | 2010-04-24 16:04 | 社会人
一人が好きなワケ
そういうことかもしれない.


「黙ることが許される」というのは思考する人間において手放すことのできない特権である。
「ときどき長い沈黙のうちに沈む」というのは、人間がものを深く、徹底的に考えるための「マスト」である。
2010年04月02日 マスメディアの凋落


昨日の飲み会で「俺は結婚より独身寮をとる!」という冗談とも本気ともつかない発言をしたのだけど,

まあそれは8割方本気ではあってもとりあえず独身寮の話はおいといて,

「黙ることが許される」ことが確保されていれば,一人も二人も関係ないなと思った.

要は相性ですか,といういつも通りの結論に落ち着きはする.

が,この視点は僕にとって新しい.

可能性は大いに低いけれど,覚えといて損はない..
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by chee-choff | 2010-04-17 15:28 | ウチダ氏
20歳の女の子はパワフルすね
写真でいろいろ.

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寮のベランダ(3F)からの眺め.
まさに田舎デス…!
土日には時々手前の菜の花畑で親子がキャッキャ言って遊んでる.
僕は見てないが,畑を歩いてて「ヤギを見た」と言う同期が二人.
生ヤギ…!(だから何だ)


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近所のきれいな桜.
お花見に行った時はカメラ忘れてて撮れなかったので.


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キッチン.
サラダを鋭意製作中.
リーフ装飾が好きなのでちらちら緑が.


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リビングの片面.
部屋の娯楽は本・マンガとPCのみ.
音楽は娯楽でなく日常.


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朝食1.
メインは納豆チーズ食パン.
この納豆が「磯海苔味」かなんかで不思議な味がした.
あとベーコンエッグにヨーグルト,ミルクコーヒとチーズとサラダ.
サラダはニンジン・水菜・レタス・リーフレタスの四種+ベーコンフレーク・ドライオニオントッピング+ごまドレ.


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朝食2.
要はサラダ以外は同じ.
サラダはニンジン・白菜・ルッコラ・リーフレタスの四種+ブラックオリーブ・ベーコンフレークトッピング+ピエトロ.
もともとキャベツを買うつもりだったのがあまりの高騰っぷりに憤慨して,
似たもん同士ってことで白菜を手にとってしまったが,サラダにしてみると
食感が全然違う.口で勝手に溶けてく感じが最初違和感あったが,
慣れるとわりといける.しかし白菜1/4で148円も高いよなぁ…


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洗濯機は寮の備え付けのを使ってるので洗濯機スペースを有効利用.
ホームセンターでスノコを(2枚)買ってきてスペースを平らにすることを試みた.
が,ちとサイズが足りなかったのでスペーサーとして発泡スチロール片を使い,
なんとかそれっぽくきれいになった(実際はちょっと水平ではない).
で,その上には洗濯カゴ(ちょっと風情あるのを買ってみた),ゴミ箱,古紙を入れる紙袋を配置.
このスペースのおかげで廊下型キッチンの床には何も置かなくて済んだ.
小さなブリコルール.

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タイトルの話.
研修が昨日で終わって,仮配属先も決定.
その後同期90人弱でお疲れ飲み会行ってきた.
会社の業務の関係上同期といっても年齢差が著しくあって,
最大9歳は離れるほど.
僕はその中間あたりに位置しているはずなのだけど,
それでも高専卒で入って来た人とは年齢の差を感じずにはいられない.
以前に花見に行った時から目をつけられて(笑)しまったのだけれど,
やたらとテンション高いし,発言が(僕とは違う意味で)意味不明やし,
やたらと飲ませてくるし,そして何より恐れを知らない.
僕は飲み会では目の前の流れに乗らずにはいられないタチなので,
彼女らと同じテンションで「うひょほー」ってやってたら
院卒の同期から「君そんな人やとは思わんかった」って言われた.
僕も同感です.
どうも自分が老けたとばかり思えてしまうのだけれど,
彼女らを見てると「酒が(合法的に)飲める女子高生」みたいなノリではと感じた.
…まぁ今まで同年代の付き合いしかなかったからしごく新鮮ではあったかな.
ただ他の同期から「飲み会では扱いにくいキャラ」と思われてしまった可能性もあるので,
次からは変な人に絡まれないように用心しよう.

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私生活の充実について.
何を隠そう実は寮には卓球室がついていて,
22時まで部屋が空いてれば卓球し放題というパラダイス.
同期ともう何度かやったのだけど,
一人自分ともっそい相性の良い人がいて,
つまりラリー好きでバック苦手で変化球あんま使わないってことだけど,
スマッシュに近いような球をどんどん同じノリで返してくれるラリーが続けられるってのは
本当に快感.
氏とは仲良くなっておこう.

本を整理せにゃならん.
京都から持ってくる際ダンボールにつめる時に大きさを第一に考えてつめたので,
それを取り出して並べただけの現況はジャンルがばらばら.
しかもまだダンボール2個分の未開放の本達が…
GW中にたっぷり時間取って一気に並び終えたい.
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by chee-choff | 2010-04-17 15:11 | 社会人
『このストレスな社会! ああでもなくこうでもなく5』 橋本治
『このストレスな社会! ああでもなくこうでもなく5』
橋本治

2010/04/04 12:54
まだ読み終えてないけれど、
おっという記述を見つけたので。

<<
 人間には二つの目があって、左右に二つ並んでいる目のそれぞれが外界の風景をキャッチするから、物事は「距離と奥行きのある立体映像」になる。(…)片方の目で「現在」、もう片方の目で「その背後の時間」を見るというのは、それと同じで、人間は無意識の内にこういうことをやっている。だからこそ、「分かる」という全体的な把握が起こるんだろうと、私は思っている。
 (…)二十歳になる前から、私は実のところ、こういう考え方をしている。「なんかへんだ……」と思うと、自動的に「その向こうにあるであろうなにか」を探したがるようになる
(「現代」と思われる現代と、急速に失われて行く「現代」p389)
>>

これは「ゆくくる09→10」に書いた、
「現実思考の現実逃避」と全く同じ話ではないか。
僕はこの考え方を「理不尽な状況」に限定していたが、
それはある意味まだ僕が未熟であるからでもあり、
 (楽しみはすれど「理不尽な状況」の外では意識を
 しないと(特定の類の本を読む間とか)発揮できない)
その考え方を本業に生かせ(てい)ないからでもある。
 (いちいち違和感に反応していては大方の社会人は
 やっていけない。新人社員なぞもってのほかであって、
 その考え方を普段からすることが許されるのは
 日常業務を特に意識せずこなせるベテラン社員か
 部下への命令以外に仕事がない重役くらいだろう)
「ゆくくる09→10」を書く前から橋本治本を読んでおり、
特に去年半ばから集中的に読み始めたことを考えると、
どうやら橋本治の影響をもろに受けたようである。

別の話になるが、
一つの物事を異なる視点でとらえることを「両眼視差」の
メタファーで表現しているところが分かりやすい。
(そもそも「視点」もメタファーなのだけど)
 視界で捉えている絵は一枚(一様)だがそれは左右の眼に
 映った微妙に異なる絵を重ね合わせている結果だ、
 ということを例えば知ると知らないとでは、知的態度に
 大きな違いが表れるだろう。
 絵が一枚なら平面的だが二枚だから立体的に…とは
 話では理解できるが、では実際に脳がどういう
 作用を経て像が結合されるのかは(専門書には詳しく
 書かれているかもしれないが)想像に難い。その
 プロセスを実感(あるいは意識)するとなるとほぼ
 不可能なのではないか。といった想像を巡らすことで
 人間(思考主体たる自分自身のことだ)は自分の意識の
 範疇外でとんでもないことをいとも簡単にやって
 のけている事実に直面し、自分の脳や身体に対して
 幾分か謙虚な気持ちになれるだろう。これは自分の
 頭や身体を「所有している」という感覚(これが
 極端になれば整形や臓器売買に全く抵抗がなくなる
 のかもしれない)とは逆方向のものだろう。
話を戻す。
「両眼視差」のメタファーは実感しやすいという点が
第一だが(もしか上述と矛盾があるかもしれない)、
他に共通点や役得はないかと考える。
 右と左、という方向性の対からはひとつとして
「左右対称」の概念が容易に導かれる。
が、思考の「複眼性」というのは別に何らかの対称性を
特定しての表現ではない。
橋本氏が述べている「現在」と「その背後の時間」とを
同時に考えることは、右目と左目でというよりは、
「見えるものとそこから想像できるもの」、すなわち
オンタイムの視界と想像上の視界(それはどちらも
両目で見ていることになるのだろうか、それとも
想像上の視界とは眼によるものではなく…)を比較する、
と言った方が近いかもしれない。
 また、右目と左目の視野の差異は光を受け取る
位置座標の違いによるものだが、例えば視野に収まる
絵の寸法(距離感?)と両目間の距離を比較すれば、
両目間の距離は微々たるものである。
「複眼的思考」の片方を「地に足つけている側」とし、
もう片方は「現実、実際から飛躍した場所」を位置取る
とすると、足が地を離れないためには両者の距離は
ある程度近い必要があるのかもしれないが、
それは「両目間の距離」と例えてしまっては
近すぎる印象を持ってしまわないでもない。
…あれ?
なんか役得が全然ないような。

…まぁいいや。
自分の(もともと)言いたかったことだけ言えば、
僕はおそらく大多数の人と違って右目と左目の見え方が
大幅に異なる(片方が弱視の遠視、もう一方が近視)。
それで普段から左右の像は全くあっておらず、
「視界とは一様に広がるものではない」ことを
実感せざるを得ない体を持っている。
最近また色々と発見があってそれについても
話したいのだけれど(最近まで使ってこなかった右目の
視野は左目と比べると色褪せた印象がある、とか)、
ここではそれは諦めて、上で解剖(しようと)した
メタファーの話とつなげると、
(単なる位置座標差でなく見え方の違いという意味で)
僕の「両眼視差」はわりと大きいので、
「複眼的思考」のメタファーとしてこれを使うと
ふつうの人よりもより大きな示唆が得られるのでは
ないかなぁと思うのだ。
…上での「解剖」では特に何も出なかったが。

…これでたぶんオチたと思うんだけど。
これもまた続きを書こう、気が向けば。


2010/04/08 23:24
読了.
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by chee-choff | 2010-04-11 11:35 | ハシモト氏
ネット接続できました
二週間ぶりに復帰.

お久しぶりです.

案外ネットなくても生きていけると気付いた.

そんな暇がなかっただけかもしれないが…


とりあえず部屋も大方落ち着いて,

会社の新人研修は半分を過ぎて,社内では時間に追われて

ひたすら作業をしているけれども振る舞い方に少し余裕が出てきて,

昨日は同期で真昼間から酒盛り花見ではっちゃけたり,

なんとなく(引越しの慌(あわただ)しさからの解放という意味で)リズムができてきた.


いくつか支障もあって大変なのだが,

その一つが「花粉症デビュー」を果たしてしまったこと.

厚木に来たその日から目と鼻がズビズバで

「風邪治ってなかったんかなー」と毎食頑張ったり風邪薬飲んだりしたのだけど,

研修始まってからも体調は治らず前半は体力ないまま必死に食らい付いていた.

で,先週初めの先輩社員の講義で「厚木は花粉多いんでこっち来てからって人多いよ」

と聞いて「ストン」.

理由が分かったのは良かったけれど,その日のそれを聞いた後はまたどんどん

体調が悪くなる一方で,「ああメンタル大事だなぁ」とつくづく思った.

花粉症は一昨日くらいから症状緩んできてます.

まぁ付き合っていくしかないスね.


支障その2.

持ってきたPCが01年製の中古レッツノートで,

ブラウザで2,3ページ開いただけでひたすら「カリカリカリカリ」と悲鳴をあげてはるので,

我慢ができなくなったら買い換えよう.

打ち心地はかなり好きなので廃棄する気にはならないのだけど…

次買うのはノートですかね.

なのでMacBookかどっかのWindows7搭載ノートか.

IP電話とか余計なプラン付けてないのでジャックから直接コードつないでネットできるので,

無線ルータ買ってすっきりスタイリッシュにいってみようかと.

物は少なく,というシンプルな部屋を今のところ確保できてもいるので.

(100円ショップ行くと余計なもの買う癖も治りつつある)

キッチンとかリビングとか気が向いたら写真載せます.

あとサラダ作りも結構がんばっているので(ベーコンフレークや乾燥オニオンのトッピングとか),

料理写真もまた.


こっち来て花粉症のせいで最初から体調悪かったので,

「まずは丁寧に生活する」という姿勢が身についたのは良かった.

京都にいる間は一日読書してると「飯食うの面倒くせぇ」と言って

カロリーメイトとスパゲッティで済ます,みたいな日が少なからずあったのだけれど,

こっちに来てからは毎食きちんと食べてます.

会社の食堂が充実してる(しかも安い!)のもあるし,

ものすごい田舎だから周りに食べる所すらないというのもあって(あ,またベランダからの風景写真載せます),

マジメに自炊するのが結構楽しかったりする.

キッチンが綺麗というのもあるな.

実は寮が築ゼロ年でピカピカで…

という話もしたいけど会社に関係する話はあんましない方がいいかもなので,

そのあたりは程度を考えながらちびちび書いていきます.


あ,あとはよかったーと思ったのは,

こっち来て忙しくなってからも「読書嗜好」は全然衰えなかったこと.

まぁネットつなぐ前は部屋に本しかなかったから当然なのかもしれないが.

とはいえ疲れて寮に戻ってからも読書する元気は残っているというところ,

何がしかの面で体力がきちんとついているのかなとちと嬉しい.


今日もこれから生活を整える作業があるんだよなと考えながら書いていたので

文章がめちゃくちゃなのだが(掃除機がまだなくて…モップだけでは無理そう),

まぁとりあえずネットに関してだけ言えば,

ウチダ氏ブログをちゃんと遡って読むのと…あれ,それしかないか.

あぁあとエセ書評もまたちょくちょく載せていきます.


あああそうそう,こっち来てから既にぽ氏と一度飲んだ(@四ツ谷)のだけど,

過去に誘ってくれてた関東組の方々へ,

も少し生活リズムが整ったら基本土日は家で読書することになるはずなので,

午後の予定がちょろんと空いた日があればぜひぜひ誘ってくらさい.

小田急乗って上京いたします.


ではでは皆さん今年度もよろしく. そしてがんばりましょー
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by chee-choff | 2010-04-11 11:17 | 社会人