深爪エリマキトカゲ
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赤玉と共に去りぬ
昨日の今日で荷物の積み出しが完了.

今回は一ヶ月以上前から(主に修論からの逃避のため)準備していたのもあり,

前日もきちんと睡眠がとれるくらい作業は順調に進んだ.

積み出しは今朝8時から,1時間ほどで終了.

そのあとは部屋の掃除に3時間ほどかけ,

冷蔵庫に残していた(つか残ってしまった)偏りまくりの昼飯を食べて,

(→納豆2パック,卵2個,白飯. もうこんな食生活とはオサラバよ!)

修了証明書発行したり新幹線のチケット買ったり研修でやるディベートの資料集めたりして,

実家に帰って髪切って,ついさっき最後の晩餐を終えた.


いよいよですなぁ.

社会人になってからの心構えとか野望とかもう既にたくさん書いてきたのでもう何も言わない.

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赤玉先生,僕は京都を去ります.


+*+*+*+*+*+*+*+*


おとといには卒業式があって,

式自体は単調で短調でタンチョウもびっくりのルーティンだったけれど,

(というのも博士云百人全員賞状授与マジメにやったんよなんだそれ!)

そのルーティンに意味を見出すと色々と思考が止まらなくなって面白かったり,

偶然会場で元小のやつと会ったり元高のやつと会ったりとイベントもちらほらあって,

特に式中に考えた内容が自分でも面白くてその日の夜につらつらブログを書いたのだけど,

更新ボタンを押すと(その時00:03)「0時~6時はメンテナンス中です」で投稿が遮られ,

とっさに焦って戻るボタンを押して投稿内容がぷっつり消えてしまい,

それでいて記事を打ち込みながら自分の思考を整理できて満足してしまったので,

もう書かない.

ただ,院全体の卒業式が終わって学科の修了証授与式の前に放置していた髭を剃りに下宿に戻り

あまりの髭のカール度合いにシェーバでは歯がたたずかみそりでズバズバ剃って

急いで会場の教室に行ってふと手を見たら右手親指もズバズバ剃られて血まみれになっていて

あやうく卒業証書が赤く染まるところであったことは付記しておこう.

(証書は人差し指と中指ではさんで受け取りました)


最近「ふと気がつくと出血」が三度あった.

…老化?

まさか.


+*+*+*+*+*+*+*+*


森博嗣の話.

大学院に入ってからゴウ君の紹介によって知りそしてハマり,

「行けるところまで読む」とmixiのプロフィールに書いた.

実際読み終えたのは,SMシリーズ,Vシリーズ,四季シリーズ,スカイ・クロラシリーズ.

何の参考になるか分からないけれど,

シリーズを読みながら僕の頭に流れていた(流していた)BGMを紹介しておこう.

SMシリーズVシリーズは既に書いた.


四季シリーズはVシリーズと同じくうみぬこPの曲.

→ 【初音ミク】青い致死量【オリジナル】

…とリンクを貼りはしたが,消えてた..

ぜひ聴いてもらいたかったのだけど.

うみぬこPの曲は「静謐」の言葉がとても良く似合う.

その中でこの曲はダントツの正統派.

哀愁,とか冬の枯れ木,とかのイメージ.

情景がね,一度イメージしたらもうブワーっと.

四季シリーズとどうつながったのかというと…

なんだろう,「天才の哀愁」かな.

周囲に全く興味がなくなるほどの天才って,

感情の起伏が消えてしまう.

そして「それじゃいけない」ことも分かってる.

分かりすぎて分からないがゆえの,諦念の微笑.

それが見下しの苦笑にしか見えない僕らには,

一生かかっても彼女の思考,そして感情はトレースできまい.

シリーズ全体がそういう雰囲気だったわけじゃないけれど,

勝手にそう読んでしまった(笑)

再読時は違う曲調を選んでみよう.

そいえば四季シリーズについては昔ちょこっと書いた.

メインの話題ではないけれど.


そしてスカイ・クロラシリーズ.

→ [pop'n music15]ケルティックウインド-Caring Dance-をピアノで弾いてみた

nekoさんには撫子ロックでもお世話になっている.

(「ゆくくる」の執筆に二度も付き合って頂いた)

この曲は…なぜ選んだかイマイチ記憶にないが,

今思えば恐らく「キルドレ」の純粋さのイメージにフィットしたのだと思う.

スカイ・クロラシリーズは謎が多かった.

今度は自分で買って再読しようかな.


で,次はGシリーズを読もうと思う.

社会人になると大学生活とは縁遠くなるけれど,

あの大学の研究室の雰囲気はいつまでも好きなのだと思う.

…そうなんよね,社会人なんやし,本新品で買ってもいいことにしちゃおうかしら.

でもそうすると多分大変なことに…ふふ


+*+*+*+*+*+*+*+*


大変なことを忘れていた.

モリミーの「四畳半神話大系」がアニメ化するというのを今朝の朝刊で知って,

そのためだけにテレビ買おうかと一瞬思ったけどそんなつもりはやっぱり微塵もなくて,

ああそういえば『宵山万華鏡』も入手したっきり読んでないなと思って,

その連想をしながらmixiのプロフを見ていて,

モリミーのブログHPがあることを全く失念していた.

我が心の氏と崇め奉ってはや数年が経つというのに,

一体いつから記事を読んでいないのか…あぁ読み返さねばナンマンダブダブ.

リンク貼っときます.


+*+*+*+*+*+*+*


というわけで明日から神奈川生活です.

あっちでネットがつながるまではしばらくお休みです.

(MacBookを買うかもね…)

ではではごきげんよう.

皆様が気持ち新たに素晴らしき新年度を迎えられますようm(_ _)m
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by chee-choff | 2010-03-25 22:58
『ものの考え方 - 合理性への逸脱』 O.S.ウォーコップ 深瀬基寛訳
やっと読み終えた.


2010/03/19 10:40
最後のアレゴリーが面白かった。
難解な用語に埋もれていても、
言わんとすることが良く分かった。
そこに至るまでの記述を我慢強く読み続けた報酬だろう。
またその難解な用語と登場人物描写の可愛さの
ギャップに吹いた。レンちゃんてあんた…
(「善玉の妖精」ローズボーンと「悪玉の妖精」エレンチャスが
人間世界にちょっかいを出す仕事を通してお互いに無いものを
発見し恋に落ちつつ善でも悪でもない「第三の種類の活動」を
見出すというまことにフィロソフィカルロマンス(?)溢れるお話)

訳本たる本書の第一刷は昭和59年。
原書の初版はロンドンから1948年。
古書の中ではかなり読みやすい方だったと思う。
古い本を読む時に「今にも適用できる話かどうか」を
よく考えるのだが、現実的な行動処方ではなく
思索の仕方(というか「一思索の実践的提示」か)についての
記述であるため、時代を超えて普遍的に通じる話題であるという点で
その心配はなかったようだ。
(思考の必要性は人に理性が生まれてから共通だろう)
そして読みながら考えていたこと。
文体なぞは似ても似つかぬものではあるが、
(もちろん最近の僕自身の流行から)橋本治を連想した。
それは「同じことをくどくど繰り返す」共通点がある
ということについてだが、加えて「反復の中で
少しずつ表現を変えて本当に言いたいことに
極限まで(とは言い過ぎだが)近づけていく意欲」が
感じられる所も共通している。
読者としては、そのある一つのトピックについて並べられた沢山の表現に対し、
気に入った一つを見つけて自分のものとするのもよいし、
全て汲み取る努力をしてもよいし、
全てを汲み取る意識に(足り)ないものを生み出す姿勢を介在させて
新たな表現を自分なりに見つけだしてもよい。
…非常に楽しい本である(燃料切れ)。
思考の方法、あるいはものの考え方なる本を
これまで何冊も読んできたが、本書は「普段考えない
ことをとことん掘り下げる」点で最も哲学的だと思う。
そしてその普段考えないことの最たるものとして「合理性」を
主題として論じているのだ。
(あらゆるトピックについてしっかり論じるというのはつまりは
「合理的に」論じるわけだけれど、そもそも合理性っていうのはね、
が本書のスタートなのである)

前にグレイリング先生の本に対してやったように抜粋&コメントを
わさわさ書きたい衝動はあるのだけれど、
さすがに燃料切れなのと(3時間くらいかけて抜粋しまくってたので)
こんな忙しい時期でもあるので(引越しは25日、新生活は26日から)、
訳者の後記と解説を抜粋するにとどめようと思います。
いやホントいっぺん読んだ方がいいです、
地域の図書館に蔵書があればぜひ(古書は高いです)。


訳語の記
p289-290
…そうしてまたこの問題の重要契機として現実化し来った西洋の運命、科学を中心に発展し来った西洋近代の運命、またその問題から呼び起された西洋と東洋の問題、またそれらの問題の特殊化されたものとしてのデモクラシーの将来、あるいは原子エネルギーを中心とした米ソの対立──これらの諸問題のどれ一つとして本書の言外のインプリケイションとして切実に捉えられないものは一つもない。問題を哲学的に煎じつめれば、それらの問題の一つとして、可知性をそのうちに包む主体的了解(リハビリテイション)の再興、主体的了解の対象化の頭でっかちなアンバランスの修正、生における死─回避と真に生きることとのあいだの消極、積極の両極性の識別、われらの現代的生命を例外なく生ける屍として洞察することの必要、物質と死との厳密な等式化の必要、厳密にパターンとして了解された実在の観念、美の、リズムの、生命の根源性の確認──これら本書の中心課題と無縁なものは一つもない。
 現代ではすべての問題がすべてといってもいいほどにも集団的、客観的、対象化的解決に放任されているように見える。これは私の半生の疑問であった。私は、著者と共に、問題は各個人が各個別的に取り上げられ、各個別的に解決せらるべき地点にまですでに深刻化していることを信ずる者である。面従後言の現代の世界的シニシズムを克服する道は他にないことを信ずる者である。
>>最近同じ話を目にしたような…
   この訳語の記が書かれたのは1951年.

深瀬基寛先生とO・S・ウォーコップ (源了圓)
p297
…ウォーコップの意図は、近代人の生き方が本来的には「したい」行動ではなかった、「死なないために」やむを得ず、せざるを得なかった「死・回避的行動」を、その本来のあり方から逸脱して自己の第一義的行動としてしまって、それを合理化し意味づけている誤りの指摘と批判であったと思う。「合理性への逸脱」(Deviation into Sense)という原題はその意味であろう。この点D・H・ローレンスの問題意識とまったく同じである。だがそれはまた第一義的に生きることばかり望んで、「死・回避的行動」を知らない小数の若者への警告にもなる。自己の要求に従って真に生きるということから出発しつつ、真に生きることを欲するが故に状況によっては「死・回避的行動」も避けない、しかし「死・回避的行動」を第一義とし、それを合理化することは断固として拒否するというのがウォーコップの説いた「生のパターン(図柄)」であろう。



さて引越し準備の続きをば…

の前に通信教育を終わらせないと会社にサボり通達が行ってしまう…

あうぅ.
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by chee-choff | 2010-03-19 16:33 | 読書
逢瀬は続く…がもうそろそろ終わり
先述の『レトリック感覚』が思いのほか面白くて,

これは手元においとこうと購入を決意して,

アマゾンで買う前に近所の古本屋にないかなぁと探しに行ったら,

見事に(続編とともに)Y岡書店の本棚に並んでたので即購入.

ついでに~と店内を巡っていたらなんと『アウトサイダー』を発見!

ウチダ氏のブログや(たぶん)講演でおなじみの例の本.

書き込みなし,経年劣化のみで300円はお買い得でした.

いつ読める日が来るのか…

なんかどんどん自分を追い込んでる気がする…


今日の収穫.

…引越し荷物がまた増えましたが(T-T)

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そしてポイントカードがも少しでたまりそうなので,

あと一回は行かねば.
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by chee-choff | 2010-03-17 18:38 | 読書
引越し準備 / ボースノ
引越し準備が忙しい.

作業が地味に捗らないことが,

始めてからやっと分かった.

予定立てないとこうなりますね.

社会人失格ですね.

でもまだ社会人じゃないですね.

だからといって合格でもないですね.



持ってく本の仕分けが特に時間かかる.

面倒くさいというよりはむしろ楽しい.

というのも付箋がびゃーって貼ってある本を見つけると

ついついパラパラしてしまうもので,

大体僕が付箋を貼るのはその部分を見ただけで

周囲やら全体やらが復元できるような所だったするので,

その梃子作用に驚いてページをぱらぱら,

著作名に線が引いてあれば「あっまだ入手してねぇうわー読みたい」とか.

要するに「思いに浸れるアルバム」が大量にあるといった塩梅で.

持ってく本と置いてく本の仕分けくらい数時間で済むはずだったのに,

本を一箇所に集めるだけで今日が終わってしまった…

いやまぁこれ書いてから続きやるつもりだけども.


今回の引越し先には随分長いこと住む予定なわけで(独身寮には31歳まで居座れるらしい),

そうなると本棚に置く本も長期にわたり一定の位置に鎮座するわけで(いや頻繁に引越しもありうるか),

その位置順位もさることながら,そもそもmy本棚に住まわせる基準に思いが至らざるを得ない.

本を整理しながらそのことを考えていたのだけれど…

最初は単純に「何度も読み返すであろう本」を本棚に入れておくもんだと思っていたが,

本棚に本を並べるというのは「手に取って読み直す」以外にも,

「背表紙を眺めてインスピレーションを働かせる」効果も持ち合わせており

(そのインスピレーションの質に背表紙の並びが大きく関わるため本の並べ方も重要というわけだ),

そうである以上「二度と読まないかもしれないけど背表紙から何かしらピピッと発しそうな本」も

本棚に置いておく価値がある.

そこまで考えてしまうと具体的な選別が難しくなり大方の本が残ることになって

今回持ってくのも大変だし今後もどんどん嵩が増えて部屋が大変なことに…ということにもなるので,

やはり基準は必要かなと思い至る.

而してその基準とは,

 「 著作を全部集めると決めた著者以外の本はあんまし置かない 」

というなんだか曖昧なもの.

もう少し付言すれば,

 「 上記著者以外の著作で
   ①読み返す見込みのない本は置かない
   ②理解の及ばなかった本は置いておく 」

をあくまで原則とする,と.

もちろん「どんどん破っていい」類の原則なんだけれども.

で,集めると決めた著者をアピールがてらメモしておく(メモがてらアピール,かな).

 森博嗣
  小説系は当然.
  エッセイはどうしようかと思ったけれど,小説の充実のためにとっておこうかと.
 内田樹
  読み返さない可能性は大なのだけれど,
  それはあくまで今想定できる自分の言であって,
  氏の文章は「今はわかんないだろうけどおいおいね」みたいな話が多いから
  読み返したくなった時を「ブレイクスルーの瞬間」と
  もしかしたら見なせたりするのではないか云々…
 宮部みゆき
  これも読み返すものは少ないと思うけど,
  なんだか自分の感性やら常識やらは
  氏の著作によって培われてきたような気がするので
  (氏の文体はどの著作もするすると僕の中に入ってきた経験がある)
  なんだろう,まぁ傍で見守ってやってくらさい的な(適当).
 森見登美彦
  これは必須ですね.
  妙なツボを開発されたのは明らかに氏の著作のせい.
  我がアイデンティティ紛失の危機に役立つこと間違いなし.
 高村薫
 桐野夏生
  このあたりは…マジメ成分補給?(適当)
  でも著作を思い返してシリアスになれるのは確か.

あとは養老孟司とか橋本治とか.

(梨木香歩,鷲田清一,池澤夏樹も. 10.3.17)


…よし,整理再開.


+*+*+*+*+*+*+*


スノボ旅行報告忘れてた.

一冬に二度行ったのでさすがに上達した.

カービングターンらしきもの(減速しないターン)ができるようになった…かもしれない.

大方自己満足.

いくつか写真も撮ったけど…そっちは気が向いたらまた.

箇条書きでハイライト.

 ・夜行バスでモンハン禁止

 ・新雪は埋まる

 ・コルク栓は万能

 ・「大丈夫です.」は万能

 ・「いぶりがっこ」は秋田名物

 ・パフェは男のスイーツ

何のこっちゃ.
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by chee-choff | 2010-03-17 01:14 | その他
なにをしているんだ…
地味に遊んでみた.

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ディスプレイ画面をデジカメで撮って,

そのデータをPCに取り込んでディスプレイに表示させて,

そのディスプレイ画面をまたデジカメで撮って,

そのデータをPCに取り込んで…

ってのを11回くらい.

えーっとなんだっけ,

三面鏡の角の部分見たよなやつ?

いやこーゆーの一言で言えたような…

とりあえず反復要素(繰り返し映ってくる部分)が地味過ぎて

あまり面白い絵にならなかった…


ということをマジメにやっているだけでも

「なにをしているんだ…」ということにはなるのだが,

それ以上に「なにをしているんだ…」と自分に言わなければいけないのは,

もはやはるか彼方に映り行って(実は「移り行く」とかけているようでかけられていない)しまった

「もともとディスプレイに映っていたもの」が実はスノボのハウツーDVDであり,

この前行って来た所でなんでそんなもん見てるんだと言えばその通りだけれども,

それでもやはりまっとうな目的はあって,

はたしてそれは今期二度目のスノボに行く予定があるからであり,

それというのも今夜出発する予定なのであり,

出発前に各ターンの復習をしておこうとDVDを見始めたはよかったものの,

途中でなぜか「三面鏡もの」(一体何のジャンルだ)の撮影を思いついてしまったがために,

こんなしどろもどろな状況になってしまったのである(でも「しどろもどろ」は関係ない).


というひつこい筆回しに抵抗がもし無いようであれば,

橋本治の本に手をつけて損はありませんわよアナタ!

という実は本記事は「橋本治本の販促記事」であることをネタばらしして

幕を閉じるのであった(というかネタがないから「しどろもどろ」になるのだ).


ではでは二泊四日で白馬乗鞍行ってまいります ノシ

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ドッペル原画ー(もちろん「げんが」のイントネーションは「↑↓→」でなく「→→↑」)

つまらない…そして違う.

おそ松.(懐かしい)
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by chee-choff | 2010-03-10 20:30 | その他
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by chee-choff | 2010-03-07 14:39 | タイプウェル
レトリックの面白さ
『ものの考え方』(O.S.ウォーコップ)を読みたいと思ってアマゾンで調べたら

相当な骨董本になっていて到底買えんわと思って,

図書館へ借りに行ったついでに見つけてしまった本(どちらも講談社学術文庫).

 『ものの考え方』は副題が「合理性への逸脱」で,「合理性からの逸脱」でないところが

 面白いですよねーと『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』(高橋源一郎)に書いてあって興味を持った.

 徹底的に考える過程を掘り下げる思考作業が面白い.日頃「頭を使う」といって

 いかに物事の上っ面だけを眺めていたかが顕わになる…まぁそうじゃないと生活できないのだが.

 そしてこれは別の話.

レトリックを単なる言葉遊びと捉えていてはとても勿体無いというお話(のはず).

まだ読み終えてないけど,「なるほど!」という箇所を見つけたので引用.

>>
 《直喩》や,次章の主題である《隠喩》は,《ふたつのものごとの類似性にもとづく》表現である,というのが,古典レトリックの定説であった.しかも,現代的なレトリック理論でも,この考えかたはつねに認められている.けれども,ここで私はそれを逆転させ,類似性にもとづいて直喩が成立するのではなく,逆に《直喩によって類似性が成立する》のだと,言いかえてみたい.「美しい蛭のような唇」(『雪国』川端康成)という直喩によってヒルとくちびるとは互いに似ているのだという見かたが,著者から読者へ要求されるのである.
 ことばを読むとは,たとえあとになってから批判するにしても,まずはさしあたって表現者の考えかたを受け入れてみるということであろう.それが,表現と理解という言語の冒険を成功にみちびくための,読み手がわからの第一の協力にほかならない.ことばは,表現者と理解者の共同の冒険にほかならず,その最小限度の共同作業のないところ,すなわち最小限度の信頼関係のないところには,ことばはまったく成立しないだろう.(p.81-82)
>>

「一見関係があるとは思えない二者を関係付ける所作」としてのメタファー(これは隠喩の方ですが)を

綺麗に説明できてるなぁと.

新たな可能性を開くとか言ってた以前のメモ記事の根っこにはこのことがある.

あのメモはメタファーの「サブ効果」への言及で,対してこれは「メイン効果」の話.

まぁメインと言っても,「裏返した上でのメイン」なのだけれど.


そして引用の二つ目の下線部分.

最近その価値が減じられている姿勢なのではないかなーと.

引用箇所を探すのが面倒なのでものすごい短絡で書きますが…

(正確な話は『プロ教師の見た教育改革』(諏訪哲二)を要参照.

 実はこれも最初の方しか読んでない…無謀なことするなぁ)

中高の学校教育では,昔に比べて選択科目が増えているという.

その背景には「教育者が決めた必修科目(内容)を被教育者に学ばせる」という

従来の教育の原型が「押し付けであり被教育者の選択権を狭めている」といった

風潮に押されていることがある.

そしてその風潮のさらに背景には「被教育者は自分に必要な習得科目を

選択できる主体である」というイデオロギーがあるらしく,中高生の親はともかく

勉強真っ最中の中高生にそんな主体性は確立されてないのに云々と諏訪氏は

言っていて,で何が言いたいかというと,そういう教育方針で教育がなされた中高生は

自分の選択に躊躇することを許されず,自信を持たざるを得なくなるわけで,

そうなると上の下線の「さしあたって表現者の考えかたを受け入れて」文章を読むなんていう

姿勢が育つのは相当難しいんではないかなと思うのだ.

そういえば僕が高校の時は「保留」とか「優柔不断」とかフツーにマイナスイメージで

使われていたけれど(それでも「優柔不断生」ばっかだったのはクラスの特殊性によるのだろう),

今の高校生はもしかもっと先鋭的になってるのかもしらん.

「決定権を先延ばしにできる」ことがモラトリアムの定義であり被教育者(とくに生徒・学生)の特権かつ

本質だと思うのだけれど,もはやそんな悠長なことは言ってられない…

とすればその意味では今の子どもは不幸なのか.

「ものに恵まれてりゃそれだけで幸せ」を反駁する事例なんて世の中至る所に転がってるというのに,

どうして物質主義は廃れないんだろう…というとまた別の話になるし,

どんどん話が正確じゃなくなるので打ち切り.



同時に何冊も読んでるとつながりはあちこちに見つかるのだけれど,

言葉にすると色々と怪しいなぁ… そして語彙がない.

やっぱ書かないと自分の言葉にはならんですか.
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by chee-choff | 2010-03-07 14:22 | 読書
100304typing
最近「打ってる所より前」を見れる幅が広がった.

それだけ継続的な安定感(瞬間の安定てのはないが)も増してるのだけれど…

体力が足りない.

あと少し.

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by chee-choff | 2010-03-04 20:34 | タイプウェル
かっけー☆
これは紹介せざるを得ない.

PVが半端じゃない.

そして曲は好みのど真ん中.

【初音ミクdark(+巡音ルカ)オリジナル曲】ウタカタ永焔鳥【PV】

ささくれPはジャズもいけるんですね.

orange pekoeとかparis matchを彷彿とさせる…


+*+*+*+*+*


二日前に風邪ひいた.

ホント久しぶりに野菜買い込んで珍しく肉(豚,グラム88円)まで買って

栄養満点自炊ライフを満喫しようと思ったのに,

最初の料理で使った焼肉のタレ(塩)が賞味期限二年前で,

それを生で食した(調合したタレの味見を結構した)のが原因に違いない.

それしか考えられん.

なんでこんなに免疫力ないのん…


というわけでおとといも昨日も今日もほぼ家を出ず読書.

…まぁいつもと変わらんけれども.

頭がやや朦朧としているのがやや不都合.

あとはおびただしい量の鼻水.

明日までには治そう.

明日は大阪で飲み会.

学部時代の皆さんとおひさなのだー

卓球したいんだが…今日どこまで回復するかですね.

しくしく.

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元凶の「野菜てんこ盛り卵丼」(卵はいずこ?).
なんだかぐちゃぐちゃしている.
盛り付けは大事.

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接写丼,じゃなくて丼接写.
人参,キャベツ,もやし,豚肉を炒めて,上から生せりをのせる.
せりがいい仕事してた.

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今日の夕食「野菜&豚スパゲティ」.
味付けは塩コショウにマーガリン,しょうゆ,Wild Turkey(また出た).
オリーブオイルとマーガリン大盛りでぎとぎとしてた(ぎゃー).
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by chee-choff | 2010-03-04 19:02 | その他
『戦争のある世界 - ああでもなくこうでもなく4』 橋本治
書評ではない何か.


2010/03/02 11:39
まだ全部読んでないけど、書きたくなったので少し書く。

「2003年の総選挙」の項で、橋本氏が選挙ポスターの標語に怒っている。

選挙期間中、北島康介と木村佳乃の「選挙に投票を呼びかけるポスターやCM」を見て、私は目を疑った。「日本の未来はあなたの未来なのだから、そのために投票に行きましょう」という趣旨で、「日本の未来は自分の未来」と言っている。…
私は、「逆でしょう」と思う。思って怒る。「いつまでこんな考え方してんだ」と。考えてみればいい。「日本の未来は 自分の未来」と、「自分の未来は 日本の未来」とが、どのように違うのかを。(p.323)

ここから橋本氏は、前者は未来のあり方がの大筋が決まっていてそれにのっかることを要請しており、後者は誰にも分からない未来のあり方は個のレベルから立ち上げるしかないことを示唆するものだと論理展開していく。
「有能なリーダーに引っ張られる」という古い政治体制が終わったという項全体の文脈からすれば妥当な展開だが、僕自身は「日本の未来は 自分の未来」と「自分の未来は 日本の未来」の違いの一点に集中して考えるとそれとは違うものが見えた。
二語の前後が入れ替わった二つの違い。これを「因果関係の逆転」と読み取れば、前者は「みんなが投票して決まる日本の未来は個々の個人の未来に還元されるのだから、自分のことだと思ってあなたも投票しなさいよ」であり、後者は「一個人たるあなたが投票することで、日本全体の未来が決まる。一人が全体に影響を与える、民主性の発揮できる数少ない機会を無駄にしてはいけないよ」となるのではないか。
この二つで大きく違うことといえば、「公の意識」の大きさだろう。「結局は個人に返ってくるのだから」という誘い方は公を私に引き入れる発想であり、公の意識は低い。「公の意識はとても大事なものなんだ」という後者のような前提に立てないのは、もはやそのような常識が存在しないからではないか。投票率を上げるという結果のみに執着するのであれば前者の標語の方が効果が高いのかもしれない。しかしその選択は、公の意識をさらに軽くするものとして後生に影響を及ぼす。

というようなマジメな話を(少なくとも僕自身は)楽しんでできるのは、どんなトピックでも「おもちゃ」にして同じように料理する橋本氏の脳力・文才の恩恵を授かっているからだ。本当にこの姿勢は、見習って損はない。どんな訳の分からない時代になっても、自分を取り巻く状況を楽しめるようになるはずだからだ。これは国際政治学の言葉を借りれば「デインジャーに対する備え」と言えそうだ。自分の思考の枠内では理解できないもの、今まで出会ったことのない事態への対処法が、そうそう明瞭なものであるはずがない。だからこそ、日頃からの良く分からないものに対する考察が、いざという時の冷静な判断力を培うのだろう。そしてウチダ氏はそれを意識しているはずであり、ウチダ氏の師匠(アイドル?)たる橋本氏も、自覚の有無は別にして、意識しているに違いない。

というような文章は果たして、『ああでもなくこうでもなく4』の紹介となりうるのか? それは読者ご自身の判断にお任せするのである(丸投げ)。
2010/03/02 12:12

2010/03/02 20:28
読了。
世界情勢と、自分を取り巻く状況と自分の思考を
リンクさせる技術がすごいなと改めて思った。
「それは権利であり、義務である」
権利は皆が主張するものだけれど、
義務は皆が忌避するものである。
この義務という言葉を当たり前に発することのできる
橋本氏こそ、「日本伝統のいいおじさん」かもしれない。
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by chee-choff | 2010-03-03 14:08 | ハシモト氏