深爪エリマキトカゲ
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人生は麻雀の縮図
「麻雀は人生の縮図」ではなく.

興味ある方は是非読まれるべし.

 「麻雀宇宙論」2007年10月21日

このような記事を読むと麻雀がしたくなるのは理の当然.


僕はこの時手が震えるのを自覚し,震える手が勝手にN尾宛のメールを打ち込み始め,

「禁断症状がはぁ!」とか言ってメンツ集めてもらって箕面に乗り込んだのは8月の半ばのこと.


その「健康麻雀"箕面杯"」の戦果をいいトコ取りで披露.

(「健康」とは,僕(を含む恐らく数人)が徹マンが嫌いなので早起きして朝からやる,の意)


2位,3位,4位,4位と負けが込んでのラスト.

朝9時から夜までぶっ通しで打って(つまり昼飯時も弁当食いながら)息も絶え絶えやったけど,

東場の親での面ホンリーチ(待ちは西白のシャンポン)を裏ドラ2乗りの一発ロン(18000)して流れをつかむ.

南場の親では3本場始まりで9本場までもってくる(南場流局親流れなしルール).

そこは跳満振り込んで親流れたけど,最後の2局はどちらも速攻のダマテンピンフのみでアガって終了.

写真は南4局の和了牌とガメた65000の点棒.

 最後はアガリはショボかったけどかなりアツかった.

 6巡目ではやばや1シャンテンになり,タンヤオ・イーペーの線も保持しつつ

 10巡目でカンチーソーの鬼ヅモ(⇔6,8を持ってて7を引いた)でテンパイ.

 下家でピンズが(2・5含めて)固めて出てたので,もちろん欲張らずダマテン.

 そして同巡目に下家から和了.キレイな運び.

過去最大の+70で大勝.

5半荘総合でも累積負債を一掃して+18.

京都行ってからのブランク抜いても,例のメンツで久しぶりにプラスとれた気がする.

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乗り込む時に「麻雀の負け方を覚えたんだぜ!」とか言わなくてよかった(←実は言おうと思ってたw).

冬にまた行きます.次はだいちも呼ぼーぜー
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by chee-choff | 2009-08-29 21:40
3Dマインドマップ構想
「山野の終わりは夏の終わり」

夜が涼しくなってきた.

人恋しくなるのは相変わらずの気のせい.


+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*


色々考えていてふと思いついた.

二次元のマインドマップを重ね合わせたものって面白いんではないか,と.

マインドマップは昨日の記事(書いたのは昨日なので)で久しぶりに意識下におかれたもの.


マインドマップは画面上にキーワードを丸で囲ったものをたくさん配置し,

色々な関係性を鑑みてそれらを線でつなぎ合わせたもの.

(表現のしやすさから上のように書いたけど実際の作成手順とは違って,

例えば何かど真ん中にキーワードを一つデンと据えて,

それと関係するものをその周りに配置して線でつなぎ,

それらと関係するものをそのまた周囲に置いてつないで…という流れ)

ところで言葉には文脈というものがあって,

それは背景とかバックグラウンドとか(同じやね)言われるんだけれども,

それが異なると同じ言葉でも意味が変わってくる.

マインドマップ上での話をすると,

ある文脈に基づいていくつかのキーワードをキャンバス上に配置したマインドマップⅠと,

別の文脈に基づいてⅠと同じキーワードを配置したマインドマップⅡを比較した時に,

ある一単語の座標(ふつうないけど便宜上)はⅠとⅡで異なってくる.

上で「マップを重ね合わせ…」と言ったのは,

マップの構成要素は二次元上(xy)に配置されるわけだけれども,

例えばマップⅠとⅡをz方向に(もちろん平行に)重ねてみようという話なのだ.


で何が言いたいのかというと…

「評論のキレの良さ」や「卓見」といったものに最近興味がある.

「おーそれは面白い見方やなぁ」とか,「へぇその話とこれをつなげるんか」とか,

そういった感心は心地よいし,その鋭さを認識した瞬間にビリビリくるものがある.

別にその鋭さの度量衡が切実に欲しいなどとは思っていないけれど,

(鋭さとは分かる人には分かり分からない人には分からないものであって,

普遍的視点における度合の数値化など基本的にナンセンスだから)

鋭さを視覚的に認識できる,というのは面白いのではないかなーと

(後付け的に)思ったわけである.


即興で書くとどうしても回りくどくなるのは本性であるから仕方ないとして…

今までの話をここでつなげるのだけれど,

その「鋭さの視覚化あわよくば数値化」を3Dマインドマップで表現できるんではないかなーと.

別に3Dでなくとも通常のマインドマップにおける「ネットワーク線の長さ」(つまり卑近な連想を

何度も積み重ねないと繋がらないような二要素間が一本の線で結ばれた時に「長い」と言えるもの)を

度量衡と設定しても話は通じるのだけれど,それはあくまで一つのマップ内,

すなわち一つの文脈内における鋭さしか表せない.

ここで3Dマインドマップを登場させるとどうなるかというと,

上記の「ネットワーク線の長さ」という定量値に加え,

「ネットワーク線が複数のマップをまたがる」という定性値を設定することができる.

これはつまり「文脈の違うところでキーワードをつなげる」というより実践的(現実的)な鋭さをも

マインドマップで表現できることになるのである.

さらに(全然深めてないけど)構想を語れば,

複数のマップをまたがる線でつながる二要素は(文脈が異なれば同じ単語の意味も変わるからして)

もちろん同じキーワードである可能性もある.

また,マインドマップ平面のz軸方向の配置をうまいことすれば,

2マップの同じ単語を結んだネットワーク線分の中点(両端点の間の点でもよい)を含む第三のマップは,

(いくつかのキーワードが存在しなければマップの文脈を設定できないので,同じような中点を

他のいくつかの単語から取る必要があるが)第一,第二のマップの文脈を何かしら中和させた

コンセプトであるということが第三マップの構成要素から連想できる可能性もあるし,

第一,第二のマップ文脈を包摂するようなコンセプトが見出せた時,

その文脈空間はz軸方向にも厚みを持った直方体であると考えることもできる.

…(以下構想中,というか続くかどうか知らないw)



なんでこんな抽象をこねくりまわすことになったのかというと,

マインドマップの図が頭の片隅にあるなかで,

数学的な次元(一次ならx,二次ならxy)と概念的な次元(ある方法を実行する視点とその方法の

是非を問う視点は次元が違う,て風に使うもの)ってどう違うんだろうと

ごちゃごちゃ考えていたからである.

「マインドマップって絵的には二次元のはずなのに多階層の概念をいっぺんに書き込めるよなぁ…」

とか訳の分からない疑問をふわふわさせながら考え考え,

その二者の「次元」を比べるのはそもそも次元が違うんでないの,と思い至って思考終了.

階層構造ってただでさえ頭使うのに,

「階層構造の階層の構造」とか考え出すともう,吐き気を催しますな(思考後半は食後だったので).

歩きながらでないと考えられん.



という話をなかつ君あたりにしたら何かしらレスポンス得られそうだなーと思ったりするのだけれど,

…間違ってこの記事読んじゃったりなんかしたら何か書いてねw


+*+*+*+*+*+*+*+*+*


一行目を書いて,ふと思い立って今年の結果を見てみた.

なんか突っ込み所が多い.

・我が古巣NWは7位.お疲れ様です

・ダークも頑張って下さい.たまに見守ってマス

・1位はニュータイド.相変わらず血も涙もない

・上位は関東勢が独占.惜しいよサドハド

・「はにかみーず」って名前浮き過ぎw 初出場で13位!?

・ロスガラ16位!?一体何が…

ついでにNWのサイトも見てみた.

当たり前だがもう知り合いが一人もいない.

そしてみんな若いw



最近何を見ても若いって言ってる気がする.

決して傲慢ではなく…

…学生って,やっぱいいよね..
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by chee-choff | 2009-08-27 20:28 | 思考
リンクする楽しさ<併読リンク1>
多読(同じ時期に複数の本を読む)の際に,
本たちの(部分の)つながりを思いつく.
これまで幾度かあったが思いついた瞬間に記す機会がなかった.
これについても一言あるが…まずは抜粋.
↓(次の矢印まで飛ばしてください)
 下を書き終えてから戻ってきた.
 上の「~機会がなかった」理由を記そうと思ったが,
 特に意味がなさそうなのでやめた.
 ただ今考えていることとして,
 リンクの表現を「mind map」で整理できないものかと.
 一つ一つのつながりはこうして文章に残すのがよいのだろうけれど,
 沢山溜まってくるようなことがあれば,
 マインドマップ図(ネットワーク図のようなもの)に整理してみるのもいいかもしれない.
 …
 それともう一つ.
 書いている間に思い出した.
 なぜ最初に上の「~機会がなかった」と言った理由を書こうと思ったのか.
 語るのも恐れ多いが,四季の気持ちが分かるなと思ったからであった.
 文章で書くには,手間がかかりすぎる.音声でもだめ.
 思考の速度,広範性に身体の出力系がついてこない.
 (四季は情報の入力系(目,耳など)ですら不満があるようだが)
 彼女は脳内に明確に保存できるからよい.
 しかし僕らは,頭の中で生成されたものの大半が出力される前に消えてしまうのだ.

 彼女には到底及ぶべくもないが,
 自分(人間のことだが)の思考の凄さが垣間見える,うすらと実感できるのは,
 (潜在意識でなく)顕在意識の自分が予想だにしなかったリンクを発見する時ではないのか.
 その経験の一瞬間,人間に対する尊さを感じるのではないのか.

 圧倒的な思考スペックに対する,身体というハードへの絶対的な不満.
 それをして「生きることは自由ではない」と宣う四季.
 ひたすら,恐ろしい存在.
 彼女を前にして,「自分の卑小さ」に果して耐えられるのか.
  そして犀川創平は何処へ行くのか.

①『<識字>の構造』 菊池久一 p.51
 <生成語>は,識字を学ぶ者の実際の生活に密着した言葉でなければならない.<対話>の意義は,このような言葉が,教師役の人間に知識として与えられるものではなく,あくまでも学習者たちの議論の中から生れるものでなければならない.ある人は,貸家に住んでいて,家賃が高すぎるというかもしれない.またある人は,住む家がないことを訴えるかもしれない.なぜそんなに高い家賃を払わなければならないのか,なぜ死ぬほどはたらいているのに家を持つどころか,住むための家を借りることさえできないのか,などといった議論に発展していくかもしれない.そのようにして,「イエ」という言葉に喚起された,人々の様々な考え方が意識にのぼったところで,「イエ」という文字を単なる記号として覚えるのではなく,今までの自分の生き方を重ね合わせて,文字を識るという経験をすることになる.フレイレの考える識字は,このように,単に,ことば(words)の読み書きを覚えることではなくて,自分の生きる「世界(world)」を識ることを意味するのである.

②『四季 – 春』 森博嗣 p.32-33  
「百科事典なら,もう全部のページを見たわ.でも,あそこには,物体の名前しかないの.例えば,綺麗,明るい,早い,という言葉は載っていない.それらの言葉が,どんな広がりを持っているのか,どんな範囲の人たちに通じるものなのか,それが説明されている本があるはずだと思った.そうでなければ,初めて会った人に,どんな言葉を使えばよいのかが分からなくて,不便でしょう?」
 注)この時,話者である真賀田四季は3歳.

要諦は言葉の「質感」のことだろう.
これは茂木健一郎の「クオリア」の話とも大きく関係するはずだ.
…(直上一行は余計だが)このように,つながりを見つけた時,とても嬉しくなる.
この嬉しさは,「発見した文脈が自分だけであると思わせる多階層のプロットを持つ物語の魅力」
という内田樹の議論にも通ずる(いつの日記の話だったかなぁ). →「X氏の生活と意見」2008年5月19日
彼の議論は「一つの作品(小説)」という物語の中の場合だが,
今言っているのは「作品間を渡り歩ける現実世界の自分の人生(読書ライフ)」という物語内の話.
2つくらい次元が外にあるのかな(たぶん).

それはそうと,こういった話題の相似,議論の連関,同一の構造の発見に喜びを見出すことは,
学問の元型なのだと思う.
科学でも文学でも,構造は同じ.
科学はより厳密さを求める(又は期待できる)だけだし,文学はより洗練された飛躍を求めるだけ.

という話に転がるのは…
研究職に決まってから,科学者たる心構えについて考えることが増えたからなのだが,
「リンクさせる楽しさ」は研究者にあって損はない素質のように思う.

「学生の間にできることをしてください」
と就職先の人事の人は言ってくれている.
僕はそれを,次元を一つ繰り上げて受け止めたい.
すなわち,
「いつでもできることだが,学生の間でしか滞留させることのできない
気楽さ,飛躍,皮肉,無責任,余裕,遁世,開放感,厭世,…
をもってやる」こと(このあたりの表現に「戯言シリーズ」の雰囲気が漂う).

何を?
言わずもがな.
「思考」を.
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by chee-choff | 2009-08-27 13:42 | 併読リンク
「不快という貨幣」
ウチダ氏のブログをひたすら読み返している.

順番はおいといて,先月(09.07)から06年の2月まで来た.

途中,なかなか衝撃的な話があったのでここで紹介.

 「不快という貨幣」2006年02月23日

市場原理至上主義がどのように教育(育成)現場を蝕んでいるか,というお話(たぶん).

ありうる,想定できる話なだけに恐ろしい.

彼らが社会を担う頃にはどうなっているのか.


…と他人事が言いたかったのではなくて,


実は僕自身「苦痛を通貨とみなしていた」時期があったのである.

それが意味のあるなしに思いが及ぶ以前に(それくらい子供であった),

その価値観を形成することでしか周囲の事の運びに納得することができなかったのだ.

詳細はあと20年くらいは封印しておくとして,

僕が「苦痛という通貨」の呪縛から逃れられたのは,

「子供に甘くない人間」が僕のすぐそばにいたからだと思う.

彼らは「世の中には納得できないことがある」ことを身をもって教えてくれた.



上の記事から少々の抜粋をば.


諏訪さん[諏訪哲二]はこういう仮説を立てている.
彼らは彼らが受ける叱責や処罰が,自分たちがしたことと「釣り合わない」と考えている.

キーワードは「等価交換」である.
商品と対価が釣り合うこと.それが市場経済の原理なのである.

貨幣を知るより前に,彼らは家庭内で「労働価値」をはかる貨幣として何が流通しているのかを学んだ.
現代の子供がその人生の最初に学ぶ「労働価値」とは何か?
それは「他人のもたらす不快に耐えること」である.

だが,いまの子どもたちには生産主体として家庭に貢献できるような仕事がそもそもない.
彼らに要求されるのは,「そんな暇があったら勉強しろ」とか「塾に行け」とか「ピアノの練習をしろ」という類のことだけである.
これらはすべて子どもに「苦痛」を要求している.
そこで彼らは学習する.
なるほど,そうなのか.
父親は疲れ切って夜遅く帰ってきて,会社から与えられた苦役に耐えている様子を全身で表現しているが,それこそが彼の真の労働であり,家産を形成していることのゆるがぬ証拠である
母はそのような不機嫌な人物を配偶者として受け容れている苦役に耐え,私のような手間のかかる子どもの養育者である苦役に耐えていることを家事労働のメインの仕事としている
両親は私にさまざまな苦役に耐えることを要求するが,それはそれが私にできる唯一の労働だからなのである
苦役に耐えること,他人が押し付ける不快に耐えること,それが労働の始原的形態なのだ
という結論に子どもたちは導かれる.
そして,子どもたちは「忍耐」という貨幣単位をすべての価値の基本的な度量衡に採用することになる.
「忍耐」貨幣を蓄財するにはどうすればよいのか.
いちばんオーソドックスなのは「不快なことを進んでやって,それに耐える」ことであるが,もうひとつ捷径がある.
それは「生活の全場面で経験することについて,『私はこれを不快に思う』と自己申告すること」である
そうすれば,朝起きてから夜寝るまでのすべての人間的活動は「不快」であるがゆえに,「財貨」としてカウントされる.
つまり,「むかつく」という言葉を連呼するたびに「ちゃりん」と百円玉が貯まるシステムである.

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by chee-choff | 2009-08-21 13:52 | ウチダ氏
対面通行者を避けようとして進路がかぶるワケ
相手が自分の動きを読み間違える
 ||
相手に分からない「秩序」を形成できている
 ||
相手に「合気され」ていない

⇒武道的にはオッケー


…ホントかよw
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by chee-choff | 2009-08-21 13:04 | ウチダ氏
寺越板子
あばばば


ウチダ氏のブログをずんずん読み進めていると

なんだか武道がやりたくなってきて,

 (「武道は敵をつくらない」とか

 「刀をまるで身体の一部分のように複素的身体を構成する」とか

 言われると体がウズウズして…こないスかね)

ちょうど最近読んだ漫画の主人公が(魔法使いのはずなのに)

カンフーで敵をなぎ倒すのを見てちょっと掌底打ちたくなったので,

見よう見まねで「腕だけじゃなく体全体で打つねん」とか

「突く瞬間は腕を棒のように一直線に打つんや」とかつぶやきながら

腰をぐいぐいひねってパンチを繰り出しまくって一週間.

汗かくからシャワー前にやるのだけど,

体にとってはシャワー後の方が良かったかいね.


実家から大量に持って帰った湿布がここで役立つとは…


テラ腰痛ス.


あーでも読書に集中できるからいいやw
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by chee-choff | 2009-08-03 14:26