深爪エリマキトカゲ
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カテゴリ:目の話( 6 )
順調に育ってますかるぽーね
目の話。

右目の視界が安定してきた。

散歩時はだいたい右目で歩いていて、パターンのはっきりした風景を見ている時は右目の像を脳が主と認識してくれるのだけど、はっきりしない景色、例えば雲たなびく空を見る時は右目と左目の像がごっちゃになる。
右目で見ている時は右目にピントが合って左目がぼやける(そして左右の像がたいへんズレる)のだけど、はっきりしない景色ではピントが合ってようがぼやけてようがあまり差がなくて(というのも裸眼で右目の方が視力がよいとはいえたぶん0.5くらいしかないから)、脳が「どっち(の目)で見たらええの?」と混乱してしまうのだと思う。

左右の像がズレる理由は歩きながら考えていたら分かってきてはいて、それは生まれて数年前まで左目だけ使って生きてきて右目の使い方が分かっていなかったが数年前から右目でのものを見始めて、ものの見始めとは赤ん坊が視力を獲得していくプロセスときっと同じようなもので、ぼやけた像にピントを合わせるのはレンズを挟み込んでる目の筋肉(名前忘れた)が緊張してレンズを厚くするからで、しかし赤ん坊段階の右目がレンズを厚くしようとすると左目は通常ピントが合ってる状態からさらにレンズを厚くしようとしてしまって(人間の通常の機能に「片目だけ動かすこと」は含まれていない)、つまり左目はもっと近くを見る寄り目状態になってしまうから像がずれることになる。

で、右目で見ていて左目がぼやけていても今まで左目でずっと見てきた視覚認識が脳にしみついていて右目の像が左目の像に侵蝕されることがよくあって、たとえば一本道を歩いてるはずがY路に見えたり(それはどこまで進んでもY字の分岐点から進めないわけです)車道のすぐそばを歩いていると対向車がこちらに突っ込んでくるように見えたりと、実際はそうでもないのに主観的には極めて危険な場面が日常的に堪能できていてそれを面白がったり困ったりしていたのだけど、今日歩いていて左目による右目の侵蝕がおさまってきた印象を受けた。

目が見える全体を視野として、視野を中心視野(特に見ようと思って視点を集中させてる小範囲)と周辺視野(中心視野のまわり)に分けた時、右目で見ている時は中心視野は右目の像でも周辺視野は左目の像になっている、というのが右目を使い始めた頃の見え方で、それはもうごちゃごちゃしていたのだけど、右目で見ている時の右目の像が中心視野から少しずつ周辺においても脳に認識されるようになっていくのを「右目の成長指標」のひとつにしていて、その拡大が意識されたのがまず一つ。
もうひとつは「視野の回転」で、これはビデオカメラの手ブレの話がわかりやすいのだけど、ビデオカメラで撮る時に持ち手が上下や左右に揺れているとそれを画面に映して見る時に酔いそうになるけれど人間が前を見ながら頭を振ったり首をかしげたりしても別に気持ち悪くはならない。それは脳の補正(脳が耳のどっかの器官の平衡感覚から入力を得てるんだったか)によるのだけど、これが今の話とどうつながるかといえば、右目で見ている時に視野を回転させる(首をかしげたりする)と気持ち悪くなるのだ。それは中心視野が右目の像を主と認識されていてもおそらく「地」が左目の像だから(周辺視野って「図」と「地」でいえば「地」でしょう)、視野の回転において上記の脳の補正がかかるのは左目の像であって、そして当然だが右目と左目は左右に離れて位置するので首をかしげれば右目の像は(上下に動かしながら撮ったビデオカメラの動画を見ている時の感覚で)上下に動く事になる。それが気持ち悪いなーと思いながらだんだん慣れていってはいて、それが今日ふと首を横に傾けた時に「像が上下に動く感覚」がほとんどないという微かな違和感を得た、というのが二つ目。

JINSで買った花粉対策サングラスを今日初めてかけて出掛けたのも関係しているかもしれない。PCグラスもそうなのだが明るい所に居るとグラスに自分の目が映って見えるので、外を歩く時は裸眼よりも「もっと複雑になる」。
ああそいえば関係ないけど花粉サングラスかけて今日歩いててやけに視界がぼやけるなと思って少し考えて思い付いたのは「メガネ効果」かなと。つまりいつも度の入ったメガネをかけているから「メガネをかければ視界が鮮明になる」という思い込みがあって、その思い込みが発動すると視力が変わってなくても視界がぼやけて見えてしまうのだろうと思う。…ネーミングセンスゼロやな。


溜めてた話をけっこう書けたのでちょっと考えてなかった、というか今思い浮かんだテーマでついでに書けないかなと思ったのは「右目の成長はどこに向かうか」。
視力でいえば左目は悪くなっていって右目は良くなっていってる感じがしていて、けれど現実感はまだ右目は左目に遠く及ばない。車道を横断する時についつい左目に戻してしまうところがそれを裏付けている。が、どこかで右目のリアリティが左目を勝ることになるかもしれない。
あるいは、「右目で見ていると左目が寄り目になる」という左右のバランスが修正される(歩み寄りを見せる)可能性も少し考えているが、その仕組みが分からないのは当然として、そうなっていくプロセスも想像しにくくて実現性は低いような気はする。
右目の訓練とは直接関係はないけど、「左目が(だんだん、あるいは突然)見えなくなってしまう」という場面も想像はしていて、それはけっこう怖い想像なのだが、そうなると現状の右目では近くを見るのにおぼつかない(たとえば矯正していてもこのブログの文字が読めない)ので、訓練を続けるのは不安材料を減らすことにはなる。
(訓練といって別に苦労しているわけではないけれど。で全然具体的なこと言えないけどこの左右の目の状況が自分に色々特別なインスピレーションをもたらしているような気もしていて楽しいというか、まあ要は実験です)
ただ今矯正と書いたけど、メガネの右目用レンズは「左目で見ている時に右目がいちばん見えるように」作ったもので、右目にピントを合わせた状態での矯正による視力の増強はできないことは確認してある。
だから「右目が見えやすくなっている」のは主観的にはそうだし実際ほんとうかもしれないけど、右目の視力自体は変わってないという認識の方が今考えるとしっくりきてしまう。そうなると見えやすくなっているのは(左目と比べて)相対的なものだろうか。

ううむ、結局先行きは見えない、と。
ま、別にいいんだけど。
見えないからこそ実験のしがいがあるというもの。
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by chee-choff | 2013-02-10 01:38 | 目の話
両目の共存
今日のブックオフ.
なんだかブ厚い¥420.
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前に逃したキリノ本を再発見し,
2時間立ち読みした後にも残っていたので嬉々として購入.
もしか前と同じ君かしら…随分長く読まれていたもんだ.
森氏の今読んでるの終わったら次にしよう…ああ恐い.
・ほさか氏も「著者買い」(内容に関係なく著者で買う)の仲間入り.
思考過程をわりと生で書き込む人らしく自分好み.
その意味で同じ系統のハシモト氏ほど変人ではなさそうだし,
いい意味で安心して読める…と言うほど不安に駆られてはいないが.
あと小説家ってみんなそうなのかなと思うけど,
氏は「素人のままでいること」に対して妥協のない人かな,と.
何の素人かと言われると,「小説家の」ではなくて…「ことばの」かな.
別の話かもしれないけど,「使うことも使われることもしない」というような.

+*+*+*

11/09/24 @Veloce
「両目の視界をうまいこと混ぜ合わせればいいのでは」
と,寮近くのお堂裏を通っていてふと思った.
左右の目のピントが完全に異なる今の自分は,
どちらかの目でしか世界を見ることができない.
 生まれてから約20年はずっと左目だけで見てきた.
 ここ数年は右目にピントを合わせて,(今は左目より
 裸眼の視力は良いはずなのだが)視界に入る個々の
 輪郭がはっきりしないまま街を歩いている.
ピントの具合とは別に,脳がとらえる視界としては,
「脳が意味があると判断したもの」が選ばれることは,
バスの中での(左右の)視界の混在具合から分かる.
それをどちらかに(右目で見ている時は右目だけに)統一したい,
と思って右目の訓練をしているのだけれど,
あるいは適度に両目の視界を混ぜ合わせて「落ち着ける」のではないか.

一例として,「モニター(の画素)の原理」がある.
モニターをルーペや光学顕微鏡で拡大するとRGBが分離して見えるが,
それが人間の目の解像度の限界によって白に見える.
 これは仕事中に気付いたのだけど,例えば400ppi程度のディスプレイを
 光学顕微鏡で50倍で拡大して発光画素を観察する時,
 ピントを合わせればRGBは分離し,
 大胆にピントを外せばRGBは一緒くたになって一つの色となる.
このモニターの原理の逆を言っているのだけど,
ピントを外せば「見えるものが見えなくなる」だけでなく,
「ピントが合っていた時とは別の見方ができる」こともあるのだ.

ある対象に含まれる情報の多さと,
そこから汲み取れる意味の多さ(深さ)は必ずしも比例しない.
「(よく)見えないことで喚起されるもの」は,
それがよく見えている間は決して見つけることができない. 

具体的なところはこれからだが,
「両目(の視野)の共存」の可能性を考慮しつつ,
右目の訓練を続けていこうと思う.

+*+*+*

なんだか途中から「両目の話」でなく「右目の話」になっていることに
ここまで書いてから気付いたが,以下も右目の話.
音楽を聴きながら歩いている時に,
「風景と音楽がマッチする」のは,
左目で見る時よりも右目で見る時だと気付いた.
つまり,あまり見えていない方が音と合うのだ.
 それはもちろん,音楽の多様さにフレキシブルに対応できるのは
 描き込む余地のある曖昧な景色だからだ.
 いやその前に…「多様な音楽と日常的な風景は基本的に対応していない」からだ.
 対応というのは,相性が良い,とかしっくりくる,とか…主観的な話かしら.

あるいは,右目にピントが合っている時は左目の視界はぼけぼけなのだけど,
聴いている曲によっては右目の視界に(ぼけぼけの)左目の視界が侵蝕してくる.
そう,上で「視界の選択基準は意味にある」と書いたのだけど,
つまり「ぐちゃぐちゃした視界」に意味を見出せばそうなる,ということ.
…車通りの多い所でこれやると危険なんですけどね.
勝手に足が車道に飛び出ないとも限らない.

まあその辺は現実に合わせないと…,
いや「没入する場所は選べ」ですね.
都市だからといって動物的な勘の抑制が常態化していては,
ある時にすこーんと身体をもってかれてしまう.
それは「都市と接する田舎」も然り,というかその意味では都市よか危ないわね.

+*+*+*

いつの間にか右目について色々書いてきたようなので,
タグを貼って整理してみました.
→ 「目の話」タグ記事一覧
いや整理はしてないか,同じ引き出しに放り込んだだけです.
一度ほんとに整理して文章化しないとなあ…
でも生物学に手を出すのが面倒ではあって,
それで自分の想像に任せて書いたりすると「現象的に明らかなウソ」が混ざりそうだけど…
まあそれはいいか,ここに断ったし.

あ,ひとつ思い出したのだけど,
『夜はまだあけぬか』(梅棹忠夫)を読んでいて,
自分の右目の弱視は「光学系の不調」ではないかもしれないと思った.
視力の悪さがレンズ系の矯正で良くならない場合があって,
視力が損なわれた梅棹氏の場合は視神経がウイルスでやられたせいらしい.
自分のは単に「成長すべき時期を逃して発達しなかった」だけだと思うが,
(幼少期に弱視に気付けば「弱視じゃない方の目」を隠して生活することで
 回復することがあるらしい)
それもレーシックで普通に良くなるとこの本を読むまで思っていたけれど
どうもそうでもなさそうな気がしてきた.

ま,別に何も困ってないので医者に行って明らかにしようとは思わないが.
たぶん今の生活スタイルが,目が治ることよりも現状キープを望んでいる.
まあ,これも「鶏と卵の関係」ではあるんだけど…

不便に慣れるのに悪いことはない,こんな便利な時代には.
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by chee-choff | 2011-09-24 22:32 | 目の話
右目はまだ未熟でした
前の話の続き.

今日多少フライングしてメガネ屋に行って,
右目の視力を測って矯正の可能性を検討したが,ダメだった.
どれだけ度をきつくしても0.1しか上がらないらしい.
つまり昔と全然変わらない.

むむ,まだ生身での修行が足りんとな.

ということでメガネはおあずけ.
>とり
すまんの.
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by chee-choff | 2011-06-12 23:26 | 目の話
右目用のメガネを作ろう
忘れないようにメモ.


「右目を育てる」という話を今年の正月に書いた.

メガネを外していると右目にピントを合わせ甲斐があるのだが,
メガネをかけていると同じピント合わせの動作をすると逆に外れてしまう.
ふつうの状態(=左目のピントが合っている状態)で両目の視力が増強するように
作ったのでそれは当然なのだけど(作った当時はそんな考えは全くなかった).
そして増強といって右目は全然良くなっていなかった.
メガネ屋に「まぁ気休め程度に」と言われて,そういうものだと思っていた.
左右のピントの合わせ方が違うことに気付いたのは最近のこと.

メガネをかけていると右目が使えない.
それが右目の育成には不便だなあと.
それで外ではあまりメガネをかけず左目のピントを外して遊んでいるのだけど,
そこそこ慣れてきたようで右目で見ている時の右目の視界が広がってきた.
同時に右目で見ながら頭もそこそこ回るようになってきた.
視力自体は右目の方が良いのだからもっと遠景がはっきり見えれば
右目の視界が広がるだろうなあと思った時に,
右目用メガネの作成に思いが至った.

右目にピントを合わせた状態で右目の視力が良くなるようなレンズを入れる.
右目は遠くは見えるから…遠視?用のレンズを入れる.
その状態では左目の像はブレブレにボヤケているのだが,
それは度なしレンズでそのままにするか余計にボヤケるレンズを入れるかして,
右目の像に意識が向くようにする.

なんだかとっても面白そうな気がしてきた.
次に駅前に出た時に早速作ってみよう.

問題は右目にピントを合わせた状態の目が「斜視」のそれになることだけど,
まあ些事かな.
やってるうちに黒目の位置も修正されてくるかもしれない.
修正されるということは両目の像のブレがなくなってくるということで,
両目のピント位置の差も縮まってくる…?
それはないか.
うん,よう分からん.

まずは実験だ,人体実験!
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by chee-choff | 2011-05-14 23:29 | 目の話
「視界同士の侵蝕作用」おぼえがき
バスの吊り革に掴まって横向きに立つ.

視線は,進行方向に対し真横よりは少し前方へ向けて.


外の景色はバスの移動に合わせて動く.

一方の動かない景色は,窓枠と窓ガラスと,

窓ガラスで反射して見えるバスの内装・乗客.

そして,動く景色とは別の動きをするものの存在にも気付く.

それは,窓ガラスで反射して見える,自分の視線の方向とは逆になる外の景色.


整理すると,バス内の自分の見えるもので数えたのは4つあって,

1.外の風景(動く)
2.バス内の景色(動かない)
3.窓ガラスで反射して見えるバス内の景色(動かない)
4.窓ガラスで反射して見える外の風景(動く)

である.


例えば,この中で1と3を同時に意識するのは難しい.

どちらも目に入るけれど,思考の進行を促す対象物は

同時的にはそのどちらか一方にしか属しない.

 と言って1〜4のどの二つをとってもそう言えるわけではなく,
 1と2,3と4,2と3の組み合わせなどは
 「ひとつの風景」として眺めることは可能である.


とここまでが前置きで.


1を意識していて,ふと外の動きと違う動きをするものが目に入る.

それは4の中の「目を引く服を着た人」だったりするのだけれど,

その瞬間に(だけ)意識が1から4に移る.

具体的には合わせている目のピントが変わるのだけれど,

主体の印象としては1が後景化し,4が前景化する.

これは「視界としての4による1の侵蝕」と言い換えられる.


で何が言いたいのかというと,

この「侵蝕」が右目にピントを合わせた時の両眼視差(ブレた二つの視界)の

(相互の)侵蝕と同じ現象だ,と今日本厚木駅からバスで帰ってきた時に閃いたのだ.


で何でこんなこと言うのかというと,

自分の両眼視差がもたらす「視界の異変」の(経験的な)一般化を試みたいからであるが,

それを目指すにはまだ前提とする話を全然していないような気がしていて,

でも疲れたので(おいw)閃いた部分だけメモしておしまい.


続きはまた今度..
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by chee-choff | 2011-02-14 18:15 | 目の話
☆★おしゃれ眼帯大募集★☆
11.9.12追記
海外で手作り眼帯を売ってるサイトがあるみたいなんですが,
いろいろと面倒そうだったので自分で作ってみました
完成度にこだわらなければ半日もあれば簡単に作れます.
参考にどうぞ.


+*+*+*


最近ブログに縁遠くなっている.

がそれはいつぞやの時期とは違って書くネタがない生活を送ってるわけではない.



簡単に言えば,目が痛いから.

ブログどころかインターネット自体あまりしてない.

家にいてもネットサーフィンしようという気が起きない,

くらい疲れ目なのです.



原因は研究がプログラム作業に入ったからと思われる.

打ち込みやデバッグ作業は画面を注視(ガン見)しなければならず,

普通に文章を打つよりだいぶ疲れ度合いが違う.



という事情もあって今はノートに短めに日記をつけているのだが,

それはさておいて.




こーゆー疲れ目は過去に何度も経験していて,

その都度視力を要しない時に左目に眼帯をして休憩させてしのいできた.

というのは,俺は小さい時から左目の視力は良いが右目がめっぽう悪かったので,

日常的に左目しか使ってないから目が疲れやすいと思っていたからである.

実際そうだと思う.

でその小さい頃から云々のことを「弱視」と呼んでいたが,

今までそれを曖昧にしか認識していなかった.

そのことに今日ハッと気付いてちと調べてみるとあるわあるわ…


どうやら俺は弱視の中でも「不同視弱視」という症状を抱えているらしい.

これは,生まれつき又は幼少期の左右の目の使い方の大きな差によって生じる.

後者については,視力の発達が幼少期に特に顕著であるからという.

そんな記憶もなく実感として偏った使い方が分からないので恐らく俺は前者であろう.


症状の内容としては,読んで字の如く左右の目で同じように見れない,

すなわち左右の視力が極端に違うこと.

あと,眼鏡やコンタクトレンズによる矯正効果があまり得られないとも書いてあった.

後者は言われてなるほどなーと実感があって,

裸眼で両目0.1の人が眼鏡かけて0.8まで見えるとかいった話を聞くごとに

それ視えすぎやろーと思ってたのだが,どうやらその方が正常であったらしい.

ちなみに俺は眼鏡をかけてもせいぜい+0.1か+0.2くらいで,

むしろ眼鏡かけてると作業が捗るという暗示効果の方に期待している(笑)



で,不同視弱視は幼少期に適切な矯正(訓練)をすることで治るらしいのだが,

どうも小さい頃,その訓練を嫌がっていた節がある.

学童時に並びの悪い歯の矯正も断固として拒否した事は鮮明に覚えているので,

恐らくそうなのだろう.



と別に過去に対する後悔を言いたいわけではなくて,,

まぁ自分の抱える症状を詳細に把握できたし,

大人になってからの訓練も全く効果がないわけではないらしいので,

今回の疲れ目を期にいっちょはじめてみようかなぁと思ったわけです.


でも日常生活(特に研究と読書)に支障を与えたくないので,

やっぱり眼帯は研究中と読書中以外にしようと思う.

それでも一日の半分くらいは訓練ができるはず.

(実感として現在の視力は左1.5右0.1くらいなので,

文字を読むこと以外は右目だけでも普通にできる)


でそうなると頻繁に眼帯を付け外しすることになるので,

ズバリ機能的な眼帯が欲しいなぁと考えております.

紐で耳にかけるタイプはズレることが多くて煩わしく,キツく締めると不快.

ガーゼをテープで貼ったり(今これしてる),貼るタイプの眼帯もあるが,

こいつらは一日に何回も付け外しできない.


これらの不満を汲んで理想を言えば,

ズレることなく目にフィットしてかつ付け外しが簡単にできる非消耗品で,

あとできれば目立たない(かつおしゃれな)デザインの眼帯がいいな~☆


と思ってるんですが,そんな眼帯ありますかね?

googleでイメージ検索しても普通の白眼帯以外はコスプレ用しか見当たらないし,

もう自作するしかないかなーと考えてるんですが,

なんか上の要求を満たしてそうなよさげーな眼帯あったら教えてください!


半分くらい楽しんでますが(笑),もう半分は火急の用なのでどうか心当たりあらば…☆
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by chee-choff | 2007-11-21 08:08 | 目の話