深爪エリマキトカゲ
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カテゴリ:読書( 112 )
投稿は衝動的に
そういえば保坂小説を最近読んでなかったなあと思い、
自分の書いた文章を読み返していると「すごいことかいてるなあ」と思い、
(そりゃなんとまあ幸せなことで。)
また調子に乗って書評に仕立て上げてしまいました。
これを書評と呼べるほど寛大な心を自分自身持ちたいですね。


草の上の朝食
  • 保坂和志
  • 中央公論新社
  • 840円
Amazonで購入
書評

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by chee-choff | 2013-12-14 00:16 | 読書
本の妖精
答え合わせ。
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本の妖精。
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しりあがり寿さんマジパネエっす。
(点滴が「文学」なのが細かい。「三度の飯より文学」を地で行く、と)
いやでもこれほんと似てる。
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by chee-choff | 2013-11-04 22:25 | 読書
根っこの思想が繋がっているのかもしれないし、
たんにどちらも「朝日新聞社」出版というだけかもしれない。

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Q. この二冊の著者は誰でしょう?

ヒント:どちらも僕の好きな作家で、これまたにタグで載ってる人です。

そしてこれはカバーを外した状態で、カバーを付けるとどちらかが恐ろしいことに…
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by chee-choff | 2013-10-30 00:01 | 読書
四半世紀前に定年退職すべきだった冗談
と同じページにある教育的真理。

>>
「なぜいけないんだ?」と、フリッチェが声をあげた。「教師には、とんでもない義務と責任がある。自分を変えていく能力をなくしちゃダメなんだ。でないと生徒は、朝ベッドから起きださず、授業はレコードで聞けばいいってことになるだろ。だがね、ぼくらに必要なのは人間の教師であって、2本足の缶詰めじゃないんだ。ぼくらを成長させようと思うんだったら、教師のほうだって成長してもらわなきゃ」
ケストナー『飛ぶ教室』(丘沢静也訳)p.112
>>

タイトル一本釣り!
…失礼。

ちなみに一番好きなのはやっぱりジョニー。
あと最初悪者と思っただけにエーガーラントの「男っぷり」に目が潤んだ。

寝しなにこつこつ読んで、やっと半分。
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by chee-choff | 2013-08-20 00:08 | 読書
ウィリアム・ブレイク全集(『エウローペ』への序詩)より
 五つの窓が洞窟の人間を照らす。
 一つの窓からは空気を吸い
 一つの窓からは天上の音楽を聞き
 一つの窓からは蔦が伸び、葡萄をさしだす
 一つの窓からは、成長してやまぬ永遠の世界が垣間見え
 一つの窓からは好みしときに出ることを得
 しかるに人は窓より出ることなし
 盗みし悦びは甘美、秘かにはむパンは美味なればなり

C.ウィルソン『アウトサイダー』p.256


最後の2つになるほどと思う。
「可能が可能のままであつた頃」と「ゲームのリセットボタン」。
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by chee-choff | 2013-07-07 23:48 | 読書
ヴェールの女は、祈るだろうか?

 合うとサイダー 合わねばコーラ
 かくもこの世は 炭酸水

字余り。

>>
かれは、できることなら、信じないでいる状態を脱したいと思う。むなしさがこの宇宙で最後の決め手となることを、かれはなんとなく気にくわぬのだ。かれの人間としての資質は、なにか双手をあげて賛同できるものを求めてやまない。だからといって、理性を没却した解決法に甘んじることも、かれの誠実さが許さない。とすれば当然、かれの次の疑問はこういうことになるだろう──わたしに夢想さえできぬかなた、わたしに思いもよらぬいずこかに、もし解決が存在するならば、わたしが(実際問題として)わたしに不可能な信仰的態度をまずとることなしに、いつかそれが強引にわたしのもとを訪れる見込があるだろうか?
C・ウィルソン(福田恆存・中村保男訳)『アウトサイダー』p.126
>>
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by chee-choff | 2013-04-14 22:45 | 読書
ロマン宿りしは
『ダーウィン以来(上)』(スティーブン・ジェイ・グールド)を読了.

>>
適応が進化によって生まれたということをわからせる一番いいお話は、直観からすると奇妙に思われたり変わっていると思われるような種類の生活についてのものである。科学とは「体系化された常識」ではない。科学が最もわれわれを興奮させる側面とは、それがわれわれが直観と呼ぶ古来からの人間中心的な偏見に対して強力な理論を対峙させ、この世界についての見方をまったく変えさせてしまうところにあるのである
p.127
>>

本書で紹介されている理論のどれだけが現代でも正当性を保っているのか分からないが,
グールド氏の透徹した思考様式は科学的な視点を養う格好の見本として未だ色褪せてはいない.
「地学はロマンだ」との名言を残した御仁が確か出身高校の理科教師にいたが,
地学にしろ古生物学にしろ,人間からすればとてつもないスケールのそれらはやはりロマンなのだった.
(思い出した,ハチスカ先生だったかしら…僕は直接教えてもらったことはないが)
やっと気が付きましたよ先生.


さておき,『ダーウィン以来』の上下巻とも古本として手に入れたのだけど(確か別々に買った),
上巻には「全日空スキーメイトカード」なるものが挟まっていた.
青地にニット帽とスキー板を装着したスヌーピーが座り込んでいる絵柄で,
裏には有効期限が1986年3月末とある(おお!)
絵の色使い(というか質感?)が少々古くさくて「昭和だなあ」と思いながら付箋に使って読んでいた.

で,次は下巻だなとさっき手に取ってぱらぱらページをめくろうとしたら,
篆書体っぽい実印が表紙裏に押してあるのを見つけた.
「〜〜蔵書」とあり(読めない),どこかの図書館にあったことをうかがわせる.
かと思うと背表紙の裏にはその実印の横にボールペンで一行の書き込みがある.

「岡山にて旧友に会い,帰途小倉にて」

おそらくこの本は図書館の閉鎖かなにかで一度古書として流通し,
その過程で旅行帰りの某氏の手に渡ったのだろう.
入手の経緯を記してあるところ,本書に少なからぬ思い入れがあったのかもしれない.

ううむ,古書もロマンだなあ.

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by chee-choff | 2012-05-19 18:43 | 読書
『身体の言い分』池上六朗・内田樹
掘り出してみた.
書いたのは昔の自分なので恥ずかしげもなく.

2010/07/31 23:36
本書も名言がたくさん。
おかげで付箋だらけ。
その中でしっかと形に残しておきたいものを抜粋。

 自分の中で複数の声(=ヴォイス)を出せる人はもちろん相手によっても声を変えることができるわけですね。声も変わるし、態度も変わる。トーンも変わるし、身振りも変わる。場合によっては、言っている内容までも変わる。前に言ったのとは正反対のことを相手が変わると平気で言える。多チャンネルの人の場合は、それが深刻な矛盾にはならないんですね。そういういろんなヴォイスの使い分けができる人の特徴は、メッセージのコンテンツを首尾一貫させることよりも、コミュニケーションの回路を成り立たせることのほうが優先順位が高い、とうことですね。コミュニケーションにおいて重要なのは、首尾一貫して同じことを言い続けることじゃない。「互いの声が届く」ということです。でも、こういうことって、なかなか理解してくれる人がいないんですよ。
 むしろそれとは反対に、どんな場合でも、同じ顔、同じ声で押し通すことがよいことであるという考え方のほうが、今ではコミュニケーションについては支配的なイデオロギーですよね。(…)
 これはね、非常によくないと思うんです。いいことなんか何もないですよ。ありとあらゆる場面で「自分らしさ」を貫徹するということは、「場の特殊性」というファクターをコミュニケーションに際して勘定に入れないということですからね。自分が向き合っている相手がどういうふうに自分と違う立ち位置からこの場を共有しているのか、という自他の「ずれ」を一切考慮しないで、ひたすら「自分らしさ」なるものを押し出してゆくというのは、意図的に自分のコミュニケーション感受性を殺すことに等しいわけですよね
(第1章 今の自分を肯定する p.23-24)
>こういう目で周りの人を見ると、また面白いと思う。例えば、八方美人の人の良さや、筋の通った人の鈍感さみたいなものが見えてくるかもしれない。

 よく「哲学は単純な現実をややこしく表現したものだ」と思っている人がいますけれど、逆なんですよね。現実は哲学で語り切るにはあまりに巨大で複雑なんです。だから「わかりにくい哲学」というのがありますけれど、あれは現実の複雑さになんとかついていこうとして息も絶え絶えになったものなんです。ちゃんとした哲学がわかりにくいのは、それがぼくたちの生きている当たり前の現実にできるだけ近づこうとしているからなんです。
 だから現実を深く生きている人というのは、必ずある種の哲学者になってしまうんです
(第2章 解釈するのは頭じゃない p.94)
>深く染み入る言葉であります。

 体を治すと言っても、どんな状態をめざしているかが患者さん本人にわかっていない場合が多いんです。どうなりたいかがあやふやなんだから、治すとか治さないとか言うのはあまり意味がないな、と思うんですよね。本当に自分が快適に生きようと思ったら、自分で快適だと思うことをやっていけばいい。
(第5章 快適に生きるには p.189)
>なるほどと思った。しんどい時って「元気になりたい」とは切に願うのだけれど、具体的にどういう状態になりたいかは全然想像しないもの。今の状態を脱したいというだけで、その先が何も見えていない。それで当たり前すぎて今回のフレーズを読んではっとしたのだけれど、案外「こういう状態になりたい」と詳細に想像することで回復スピードが早くなったり、回復した時の気持ちよさを実感できたりするのかもしれない。


 「頭で感じる快不快」と「体で感じる快不快」と両方ありますよね。人間は幻想で生きている生物だから、この二種類の快不快がうまく識別できない人が多い。どこが違うかというと、人工甘味料と自然の甘みの違いみたいなものだと思うんですけれど、幻想的な快感、たとえば政治的イデオロギーや宗教的陶酔がもたらす快感というのは「しびれる」んです。がつんと脳に来る。それに対して、自然な快感、生物としての生存戦略にうまく適合した選択をした時にもたらされる快感というのは、「ほっこり」しているんです。じわじわっと腹から温まるような感じで。
(第6章 現実から出発しよう p.217)
>たぶんこの区別はとっても大事なことだと思う。言葉で言われて分からなくても、違いがあること、それが「しびれる」と「ほっこり」であることは覚えておきたい。僕は前者はよくわかる(ライブとかプレーヤで音楽聴いてる時にもあるし、あと何か閃いたり繋がったりした時とかね)が、後者は…なんとなくしか分からない。もっと分かりたいな、と少し思う(ぽっ)
2010/08/01 00:03
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by chee-choff | 2012-05-06 21:17 | 読書
変化の名
『リヴィエラを撃て』(高村薫)を読了.

やはり高村薫の描く主人公は境界人であった.

関西と関東のはざまに合田雄一郎は生き,
宗教と政治のはざまに福澤彰之は生き,
そして今作の手島修三は日本とイギリスのはざまに生きた.

秩序と秩序の境界では,摩擦が起こる.
境界人は,その摩擦に吸い寄せられる運命にある.
その運命を甘受してこその境界人.

うん,憧れました(あんたそればっか)
憧れた時にいつも悩むのは,読み手としての自分が既に俯瞰する位置にいること.
「同一化したい」という思いは,抱いた瞬間に構造的に叶わぬと決められた願い.

だから,次元を上げねばならない.
読み手としての己はいかなる境界に立つか.
それは「現実と物語」.

己がその境界人として甘受したる認識とは何か.
「物語は現実を包含すると共に現実の一部であり、現実は物語の一部であると共に物語を包含する。
 両者は渾然一体となりながらも同一にはならず、その姿を静的に定めることはけっして叶わない」

両者を一つ名で呼ぶとして,「ウロボロス的永久機関」はどうだろう.
科学で実現できないものも,意識はいともたやすく実現できる.
つまり「永遠」は意識の夢.

+*+*+*

と書きながら及んだ連想.
きっと「同じ話」.

>>
進化は「種分化」──一つの系統が母種から分離すること──によって進行するのがふつうであって、この大きな母種がゆっくりとしだいに変化することによってではない。種分化が何度もくり返されると、一本の灌木が生ずる。
(…)
エルンスト・マイアによってひろめられた異所説では、新種は母種の分布範囲の周辺部で母種から隔離されるにいたった非常に小さな個体群から生じる[E. Mayr, 1942]。この小さな周辺隔離個体群における種分化は、進化の標準から見て非常に急速で、数百年ないし数千年(地質学的年代からすればほんの一瞬)でなされる。
スティーヴン・ジェイ・グールド『ダーウィン以来 上』「6章 ヒトの進化における灌木と梯子」p.84-85
>>
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by chee-choff | 2012-04-06 23:14 | 読書
遊歩道。散策の道、回遊の道。
『「聴く」ことの力』(鷲田清一)を読了.

旅に出たいと思った。
いや、この本を読みながら、すでに旅に出ていたのだった。
「いま、ここでしかありえないところ」に、いくつも立ち会ってきた。
そして読みおえた。
だが、読みおえて「かえってきた」わけではない。

 「臨床哲学は始まったばかりである。」

ことばをたずさえて。
ふれる(振れる)ことをおそれずふれる(触れる)。
<わたし>を「あなた」とよぶ<あなた>を、<わたし>も「あなた」とよぼう。
そうしてぼくたちがともに<わたし>であるために。

>>
(…)ランドネ[遊歩道]の道は、風景と折りあいをつけながら、ときに風景のその襞のなかに紛れ込んだり、社を迂回したり、別の道に通じたりして、うねうね進んでゆく。この「長く、曲がりくねった、ぎざぎざした、雑多な」ランドネの道で、ひとは寡黙なものにふれる。思いがけないものと遇う。用がないものにも目を向ける。じぶんが方法の道の上にいればぜったいにふれられないものに、ふれるのである。
第八章 ホモ・パティエンス
>>

未知に充ち満ちる道を。
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by chee-choff | 2012-04-05 00:26 | 読書