深爪エリマキトカゲ
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◆ 姪と狸と印
2日は兄一家が実家にやってきたので姪(3歳)と遊んだ。
請われるままに、何がなんだか分からぬまま遊ぶのだが、子どもはそれで大喜びなのだからすごい。
キリンさんのぬいぐるみと粘り気のある輪っか(変な想像しないでね)がいくつかあって、彼女は輪投げが好きらしく去年の正月はキリンさんに向かって輪を投げていた。
が、今年はなぜそうなったのか、僕が彼女に輪っかをかけることになって、5つ全部かけると姪は「ゔぁ〜!」と言いながら蛙飛びみたいな(本人に聞くと蛙ではなかったのだが、というか蛙が帰るに聞こえたらしくちょっと不機嫌な顔になったのだが)ジャンプをして輪っかを周囲にばらまくのが楽しいようだった。その時に手を使わずジャンプした時の慣性だけで輪っかを飛ばすのがこだわりらしい。まあ何度もやって取れない時は手を使っていたけど。
で、飽きずにその「カタルシス輪投げ」(僕のネーミングセンスも意味不明だな)を何度もやっていると、僕が彼女に輪っかをかける時にもなんだか嬉しがり始め(一つ輪をかけてあげるたびに奇声を上げていた。ほんとうにパワフルな子だ)、「テレビで表彰台でメダルをかけられる場面でも見たのかな」と思ったけど(という話からわかるように輪投げといいながらものすごく近距離で輪を首にかけていて、まあ投げてはいないわな)、そんなことどうでもよくて、ただただ楽しいという表情をしていたのが良かった。
あとは豚さんのぬいぐるみの上に積み木をどんどん重ねていくという遊びもしていたのだけど、これもいつの間にやら僕と彼女で交互に重ねていくことになり、しかし僕のそばに積み木がなくなった時に、彼女がそれに気付いて「(積み木を)ちょーだいって言って」と言ってきたことにへぇと思った。
というのもそれが最初だけじゃなくて、手を出すだけだとやっぱり「ちょーだいって言って」が出てくるので、なんだか「自分の言葉によって(その言葉通りに)周りが動くこと」に新鮮さを感じているように思えた。
やはり子どもはおもしろいなあ、未知のかたまりだなあと思った。

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変わって3日はJR沿線そばで火災があった影響で、帰りの新幹線が大変だった。
ダイヤが最大4時間遅れという表示があり京都駅の新幹線改札が人でごった返していたけれど、最初から席を諦めている自分には関係なかった。
とはいえのぞみの混雑が凄まじかったので名古屋からこだまで帰ったのだが、やはり列車が詰まっていて信号待ちが多く時間がかかった。
結局14時前に実家を出て寮に戻ったのは22時過ぎ。
…もちろん京都をちょっと歩いてた時間も入ってるんだけど。
毎度お馴染みの鴨川(高野川)沿いと、今回は下鴨神社に寄ってみた。
さすがに参拝客でいっぱいだったのだけど、途中で『有頂天家族』(森見登美彦)のアニメ版のロケ地巡礼を思い付き、神社の最初の門を入らず右に逸れると人並みがぷつりと途絶えた。
なるほど、ちゃんと人と狸の棲み分けが為されているわけだ。
アニメの場面の細かい部分まで特定できたかなと思ったのは、蛙から戻れなくなる前の矢二郎が総一郎の死に腑抜けて橋から川に突き落とされてもそのまま流れていったあの川で、実際は橋自体が人の足で2歩くらいの小さな所だったのだけど、「そうか、あれは狸スケールか」ということで納得。

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そんなこんなで戻ってきて、最後にこれは書いておくべきかと思うことを書いて締める。
今の気持ちとして、次の年末は帰省しないでおこうかと思う。
去年も同じことを思ったが、心の中に留めておいていた。
けれど、そうして内に溜めたことがどこか、去年の会社での人間関係のいざこざに影響を与えていた。
内に溜めてなんとかなると思ったのは、精神的なある一面で僕自身はタフだと思っていたからなのだが、実はタフなんかではなく、ふつうどころかとても脆いということが分かった。
同じ所で育てられてこれだけ違う人ができるというところ、僕と兄は気質が全く異なるのだなと改めて思った。
それはさておき、僕は活力をもって生きたいと思うし、言葉を大切にして生きたい。
だから、言葉の力を、その力に対する信頼をないがしろにし、活力そして生命力を削ぐ場所に自分から出向きたくはない。
「過去はあるものとして考える」と前記事に書いたが、僕がこれからどう生きるにせよ、僕が今まで生活してきた場所の「生のあり方」は僕に深く刻まれている。
それとどう向き合うかは、僕の一生の課題となるだろう。
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by chee-choff | 2014-01-04 00:39 | その他