深爪エリマキトカゲ
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◆ 四度目の祝福
かろうじて思い出した一月前の伏線(さいごらへんの「ちょこっと」)の回収記事です.


二度の地元遠征が終了し,一段落しました.
何かといえば,高校時代の友人の結婚式でした.
その二次会の余興で歌うという話がきたので練習をしていた.
歌うというのは「アカペラ」である.

高校の時に「ハモネプに出よう!」と誰かが言い出して結成されたバンドの,
その一人が今回の結婚式の新婦なのであった.
全員が地元大阪にいるわけではないので合わせの練習は数度限り.
しかも人前で歌うとなっては十年ぶりのこと.

まあ,結果だけいえば大成功でした.
ドッキリに彼女が気付いてなかったかどうかはおいといて,
ボロボロと涙を流しながら「ありがとう」と言われてこっちももらい泣き.
(歌ったのは当時のナンバー「宇宙戦艦ヤマト」に新譜「ありがとう」(生物係)の二曲)

僕は新郎との絡みは当時ほとんどなくて(新郎新婦とも僕と同学年の理数科でした),
二人が当時から付き合っていたこと自体今回はじめて知ったというていたらく(?)でしたが,
そんなことどうでもよくて「あしかけ十年」というのはスゴい.
当時の出会いが運命的であったということですね…末永くお幸せに.

+*+*+*

ということでこの出来事が色んな意味で一つの節目になった.
寒かった大阪から帰ってくると一気にこちらは初夏もよう(でも風はまだほのかにひんやり)で,
仕事も大事な時期で転換期を前に慌ただしくなり始め,
そして僕自身は浮いていた心が少し落ち着く(といって「小休止」だけれど).

 そういえば話がそれるけれど地元から帰ってくる新幹線の車内で興味深いことがあった.
 自分の前の席にいた母親のお子さんが何かの拍子に突然泣き始めたのだけど,
 いつも読書中なら「うるさいな…」と思うところ,なぜかその泣き声に聞き入ってしまった.
 意味を聞き取るというより単純に物質的な,息遣いとかそういうものを聞いていたのだけど,
 赤ん坊は息を吐く(=声を上げる)ことに夢中で息を吸うことを全く意識していないように感じた.
 (吐く息がなくなったから吸う,あるいはしゃっくりのように息を吸っていた)
 生理学用語を使えば「不随意的に息を吸い,随意的に息を吐く」といったところだろうか.
 この呼吸のアンバランスは「母親に訴えかけることの危急さ」によるのかもしれないが,
 もしかすると平常時においても赤ん坊はそれがデフォルトなのかもしれないし,
 あるいは赤ん坊に限らず人は「吐くより吸う方が意識的」なのかもしれない.
 コミュニケーションを形成する「発話」は息を吐くことで成され,
 息を吸うこと(これから意味を読み取ることも可能ではある)は補助的になる.
 また(特に子どもやお年寄りが)喉に異物を詰まらせるのは息を吸う時がほとんどだろう,
 とか連想できることは他にいろいろありそうな気がする.

で話を戻しまして…
「浮いている」時の自分はあまり好きではないのだけれど,
それを好きでないという自分は例えば今この記事を書いている自分に近い存在であって,
つまり「浮いている」自分をその場で見ている自分は浮いていなかったということ.

といったことを実感するには一度「浮上」しなければならないわけで,
その意味でこのふた月ほどはなかなか良い経験になりました.
自分とはやはり他者の他者であり他者なしに把握することはできず,
強度の差ではなく質の差として,本と人は違うわけです.

なんだかわけのわからないことを相変わらず呟いてますが,
簡単に言いますと「自分の立ち位置がわかってきた」ような気がします(飛躍).
何(誰)にとって,またはどういう意味での「(適切な)立ち位置」かというのは,
まだ言葉にできないし,あるいは「言えば消える」ものかもしれない.

もっともっと簡単に言いますと(という言い方が既に胡散臭い),
在りたい状態がわかってきて,それに向かってするべきことが分かってきて,
その「するべきこと」が手段であるとともに目的でもあるような在り方が分かってきて,
まあそんなこんなでわりと好き勝手にやらせてもらいましょう,と.

うん,別に何も変わっちゃいない.
つまり節目というのは当の出来事が一段落した後に意識するものであり,
しかも意識如何で節目かどうかが決まるもので,
人間どこかで一度落ち着かないと「変わらない」のだ.

あれ,言ったそばから矛盾してる?
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by chee-choff | 2012-05-14 14:02 | 思考