深爪エリマキトカゲ
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◆ 技と道具の分水嶺
久しぶりにポメラで書いたらコラムみたいになった.
起承転結,ではないけれど,
4行でひとまとめにするとリズムがついて良い.
意識し過ぎるとダメなのだけどね(後半はちと失速ぎみ).

+*+*+*


技と道具の分水嶺

2012/05/06 14:00
便利な世の中になった。
その一方で、体力や免疫力の低下が指摘されている。
極端に言えば、今僕らは縄文世界から電脳世界への過程にいる。
縄文は未開過ぎるが電脳だと身体の居場所がない。

ということで利便性とどこかで折り合いをつけたい。
市場は「おせっかいの先回り便利」を押しつけてくる。
言いなりになれば電脳世界へ「猫まっしぐら」だ。
猫はカルカン(古い?)に飛びつく脚力が育つからまだいい。

 僕はコーヒー豆を小分けに冷凍庫に保存している。
 だから豆を挽く前に軽く炙って解凍する。
 その時フライパンからミルに豆を移すのが少々不都合で、
 添えた手が熱かったり豆を数粒落とすのが日常であった。

 この場合漏斗を買えば不都合は瞬時に解決する。
 気を使わずかつ豆を落とすことなくミルに移せる。
 だが面倒臭さが先に立ってぐずぐずしているうち、
 不都合が習慣化し、その後に豆を落とさなくなった。

といった顛末を迎える事が日常には割と多いのではないか。
便利さを求めて買ったモノが余分だったと後で気付く。
最初は不都合に思われたが慣れれば案外そうでもない。
そう、市場に溢れる「便利さ」は自分専用ではないのだ。


生活に何らかの不都合があり、それを解消したいと思う。
その思いは自然「今の自分のままで」を前提してしまう。
それは利便性の獲得が購買行動に因っており、
購買行動の前件が「消費主体の不変性」にあるからだ。

これは消費礼賛社会の「定型」と言える。
上で挙げた自分の例はこれに対置させるためのもので、
つまり「不都合を購買行動で解消しない」、すなわち
「不都合に自分を合わせる」解決方法である。

「不都合に自分を合わせる」には2種類あって、
「自分が変化して不都合を解消する」場合と、
「不都合に慣れて不都合という認識を捨てる」場合。
言葉で分けてみたものの、両者の境界は曖昧ではある。

もちろんこの両者が時間をかけても叶わないこともある。
その時は「道具によって解消すべき不都合」とみなして、
適切な購買活動を行えばよい。
この判断を適切にするのは「時間」である。


「無時間モデル」の横溢する脳化社会への馴致拒否、
あるいはブリコルールの実践と言ってもよい。
ブリコルールとは「ありものでなんとかする」ことで、
ここでは「ありもの」に自分の身体を含めてよいと思う。

自分の例では「変な面倒臭さ」が「技」を選択させた。
(これを変と呼ぶのは、ふつうはさっさと道具を使って
 不都合を解消する方が「面倒臭くない」と思われるため)
この可否はおいといて、駆動源は何でもいいのだと思う。

ここに「ムダなものを買わない知恵」が提示されている。
日常に不都合を感じた時、解消に向けて即断即決しない。
まずはその不都合を「塩漬けする」時間を設ける。
浅漬けでも古漬けでも、美味しければしめたもの。

…話がズレた、「身体に染み込ませる」時間を作るのだ。
不都合が不都合のまま身に染みれば道具を買えばよい。
逆に慣れてしまえば、それは不都合ではなかったのだ。
気がつけば、最初に不都合を感じた瞬間から何かが変わった。
2012/05/06 14:51
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by chee-choff | 2012-05-07 23:05 | 思考