深爪エリマキトカゲ
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◆ 再会にして際会
土日月,と今日まで地元に帰ってました.
用向きはいろいろあったんですが,主に元高の人々に会いに.
もう,みんな顔がそのまんまで,これを懐かしいと言うのか,まあ高校ならそんなもんでしょうか.

うーん,そして中身は変わったのかそのまんまなのか,と言えば,
正直こっちも「そのまんま」という印象でした.
理数科のメンツは大体みんな世渡り上手なので元々スれて(「世間擦れ」の意)いたんですが,
さらに角が取れてまんまるつるぴか☆

というのは嘘で,みんな苦労してるみたいですね.
そんな彼らを見て「がんばれ!」とエールを贈りたくもなるんですが,
その後に続く言葉が…ここは本音になっちゃうので伏せますか(笑)

本音と言えば850氏&ぽ氏と飲んだ日曜の夜では僕はほんとうに本音ばっかり呟いていて,
明らかなウソは「社員寮の最寄りバス停は毎時1本」とかいう瑣末なものだけ.
日中は2〜3本あるし,路線も3種類くらいあってバスの便は非常によいです.
「田舎だしねー」と言えば自動的に「バスが一時間に一本でね」と口からこぼれてしまう時は
僕が地元にいる時ならではの「スキだらけ状態」なのであって,
スキだらけだと現実的な頭が回ってないのでしょうもないウソをついてしまうことになる.
まあ,そこはご勘弁下さい…後に引きそうなウソがぽろっと出た場合はその場で訂正しますので.

で,会社から離れてこそ会社についての本音が語れるということで
日曜の夜は好き勝手言い過ぎて2氏も時に理解に苦しまれたようだけど,
その事実がその場で語られた本音を本音たらしめるという「メタ視点」が理解のヒントです(何の?)

まあ分かりやすい話をすれば,
帰省中も風邪が治らず人といればぽわぽわし一人でいれば憂鬱な状態だったのだけど,
社会の趨勢に抗って脳を身体に従属させてる僕が正直に語る話というのは,
「ぜんぜん客観的でないし計画的でもないし共感を呼ばない」代物だということ.
むしろ共感できたら…あ,ここも伏せよう(笑)


さて,今回の帰省はなかなかいい刺激になったのだけど,
戻ってきてから溜まった家事をしてる間に身体の調子も良くなってきて,
(これは家事のおかげでもあり,下駄のおかげかもしれない)
脳みそ君も身体につられてくるくる回り始めたようで,
いくつか気付きがあったのでメモしておきましょう.
まあ自分の話なんですけど…

まずひとつは,自分の行動原理は「現状肯定」の一言で表せそうだなということ.
一人でいる時は「一人って楽だなあ,幸せだなあ」と思い,
でもみんなでわいわいやってる時は「一人だと寂しいなあ」と思うのだけど,
これは後者が前者を否定しているように見えるけれどそうではなく,
後者は「みんなでわいわいやっている“その時”」を肯定しているのだ.
だから落ち着いた時に両者を並べれば矛盾しているように見えて,
どちらも「その思いを抱いた場面」を思い浮かべればしっくりくる.
これはある程度身体に生活(の中での思考)を委ねてこそ気付けることではないのかな,とか.
だから「僕が本当に誰かと一緒にいたいと切実に思うだろう状況」というのも,
ここから類推することができる.
ま,それを今採用してはいるけれど成果が出てないので詳細は控えますが.

「現状肯定」のいちばん根っこには「じぶんのからだの存在」がある.
シェイプアップとか筋トレとか「身体改造」とか言ったりするけれど
それは身体を所有物とみなしてこその発想で,
実は身体を所有していると思っている脳は身体の一部で,
その身体は「所与のもの」であって発生に何ら主体性は関与していない.
起源と現在の効果(意味)の同一視は「そもそも論」が時に暴走する考え方でもあるのだけれど
(それは進化論の教えるところだ),
それは思考のゴールにした時に暴走と見なされることがあるのであって,
思考のスタートとするにはむしろ王道と言える.

つまり何が言いたいかといえば,
過去は単に過ぎ去ったものではないよ,と(かなり飛躍したな).
昨日の朝日書評に鶴見俊輔氏のこんな言葉が引いてあった.
現在の中に未来の種子として生きつづけている過去を、ほりおこすこと
僕はここに,鶴見氏とハシモト氏の深いところでの繋がりを感じる.


あ,タイトルの話書いてない…まいっか.
また当人と会った時にその時の驚きを伝えることにしましょう.
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by chee-choff | 2012-04-30 23:38 | 思考