深爪エリマキトカゲ
cheechoff.exblog.jp
Top
◆ 安心毛布と独裁者
スヌーピーと仲間たちの心と時代―だれもが自分の星をもっている
広淵 升彦
4062078635

d0044938_21582375.jpg

黄色にひかれて「犬」にひかれ,装幀にひかれてあまり中を見ずに買った.
奥付(「おくつけ」と読んでたけど「おくづき」なんですね)だけは手に取る本全部で確認はしていて,
「テレビの人かぁ」とは思って,読んでみたらしごくテレビ的で,
「装幀通り」だけでよかったのに想定通りでもあったというオチ.
しかし思い返せばコーンフレークの表紙絵と小学校時の文房具でしか見たことなかったので,
僕みたいに原作を知らない人にとっては良い紹介本かと思います.

「心の相談室」の猛烈少女ルーシー・ヴァンペルトとか,
3メートル以上高く飛ぶと鼻血を出して失速する小鳥ウッドストックとか,
みなさん愛らしいキャラクタですね.
スケッチ風の描線で簡素に描かれてこそ,無表情に近い表情にも深みというか
こちらの受け取り方に幅が出てくるのだなとあらためて思って,
はて何か懐かしいなと思ったら「マザー2」が浮かんだ.
まあそれはよくて.

安心毛布(security blanket)とはルーシーの弟ライナスが肌身離さず持っているもので,
天才少年もこれがないと手が震えて夜も眠れない(って麻薬かいな).
なるほど役割としてはもっともで,
リトル・アリョーヒン(@『猫を抱いて象と泳ぐ』)の祖母でいう布巾のような,
(あ,というか小森霧(@絶望先生)がまんまやな)
高校時代の自分でいうカラータオルのようなものだろう.
 たしか卒業文集のクラス別写真の一言コメントのお題が「これがあれば生きていける」で,
 「バスケ」と書いたバスケ一筋のT雅氏の隣の僕は「カラータオル」と書いて,
 100円ショップで買えるそれを確かに自分は年中肌身離さず持っていて
 (アルバムを見ると集合写真で頭にタオルを巻いている頻度が異常に高い),
 夏の授業日に忘れたと気付いた時にゃ絶望で頭がくらくらしたものだった.
 何せ微動だにせずとも汗が噴き出る汗かきだった…って今も大して変わってなくて,
 そろそろ社食でみそ汁を飲むのが苦痛になり始める季節だ.
 夏にあれ飲むと飲んだ分は全部汗で出てるんじゃないかってくらい…いや冗談でなく.
この安心毛布という名前がなんだかステキだなあと思って,
思ったそばから別のところでこの言葉を見かけてびっくりしたのだった.

というのは今日から週末用に読み始めた『キッチン』(吉本ばなな)の表題作でのこと.
「ライナスの安心毛布」と書くだけで一般に通じるんですね.
なるほど僕はばなな氏の文章が好きな気がする(唐突)
別の文脈もあるのだけど…まあ,それも楽しみながら続きを読んでいきましょう.
もちろん秘密です☆

あ,ひとつ気に入ったセリフがあって,たしかこんな感じの.
「本当に一人立ちしたいのなら何かを育ててみるといい」
その育てる対象は頭の中のことものではなく一言でいえば「自然のもの」で,
今の自分には全く欠けているのであった.
これは目を背けず,ありのまま「欠如」と認識しておきましょう.
きっと(←どころじゃないよ)身体性とも深く関わりのあることだから.

+*+*+*

いっしょに並べる言葉でもなかったんですが,
いつも通り過去のウチダ氏ブログを読み返していてタイムリーな話を見つけたので.

>>
私はまえにこう書いたことがある。
「独裁的な権力者は、理不尽な暴政を行うほど呪術的な威信を帯びる。殷の紂王からスターリンに至るまで、独裁者はその理不尽さゆえに畏怖され、憎まれる。もっとも独裁的な権力者とは、定義上、その没落を彼以外の全員が切望するような権力者のことである。」(『現代思想のパフォーマンス』)
独裁者の権威は、その「理不尽」さ、つまり「彼が次に何をするか分からない」ことを淵源とする。
(…)
今回の行動で、彼はむしろ北朝鮮金王朝の玉座を継ぐ資格が十分にあることを内外にアピールできたのかもしれない。
何を考えているか、何をするのか分からない人間」が、東アジア政治情勢の「鍵」を握っているという「恣意性の恐怖」こそ、金正日が手持ちの政治的リソースを国際政治で最大限効果的に発揮するために見出した奇策だからである。
夜霧よ今夜もクロコダイル(内田樹ブログ2001年)5月5日
>>

これはこの頃あった,金正日の長男(らしき人物)が偽造パスポートで日本に入国しようとして拘束された,
という事件についてウチダ氏が書いたもの.
最近のミサイル騒ぎが念頭にあってこれを引いたのだけど,
北朝鮮のふるまいはわけがわからないがその「わけのわからなさ」は
「独裁者の政治的駆け引き」という文脈におけば常道であるという話.
これを「理に適う」と言えるためには,論理の自己言及性を頭に入れておく必要がある.
…というか逆に言って,
「合理的な行動」と呼ばれるものが時に空疎で現実的でないのはこれが抜け落ちているせいかな,と.
予件のない正義論は「きれいごと」でしかない.
「ケースバイケース」が「そりゃあたりまえ」で終わってしまう人も抜けている.
投げやりな言葉ではなく,戒めの言葉として使われてこその「文脈次第」だろう.


ウチダ氏記事を肴にマジメに考えていると説教調になるのは偶然ではないな…
[PR]
by chee-choff | 2012-04-08 23:08 | 思考