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深爪エリマキトカゲ
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◆ 「ニコ動」的リテラシー
『括弧の意味論』(木村大治)を読了.

もともと括弧については興味があったのでさらりと読めた.
多少雑学を弄んでいる感があったのと,
ほんの一部の空疎な学術的記述(これが実感と乖離するとわりと興醒めする)が気になったのを除けば
全体的に面白かった.


新刊を読むのが久しぶりだったのでナウい(←死語?)話題に新鮮さをおぼえたが,
その中でニコ動に関する記述におっと思ったのでここにメモしておく.

>>
(…)また最近流行している「ニコニコ動画」では,インターネットの利用者が自由に動画にコメントをつけることができる.そのコメントは,動画を見ていて思わず勢いでつけたものもあるが,じっくり見て,じっくり文章を考えてつけることもできる.見る人にはそれが同時に見えてくる.そこは同時性と事後性が奇妙に絡み合った世界だと言える
p.66-67
>>

再生している動画に上乗せしてコメントを流せる,というニコニコ動画の特徴は
「共時性効果」(みんなで一緒に見ている)としてよく挙げられるけれど,
実はそのコメントは自分が見ている「今の今」に付けられたものだけではない
(むしろそれは全体のほんの一部に過ぎない)ことは意外と見過ごされている気がする.
 とはいえ実際に本当に同時に見ている必要はないのだが,それは
 「同じ場面で自分が感じたものと同じ反応がコメントで流れてくる」ことが
 共時性効果を演出するからである.

話が少しズレたけれど,ここで強調したいのは抜粋で木村氏の言う通り,
動画を流れるコメントには同時性と事後性が共存していることだ.
これは抜粋部の少し前にある「上から見る性」(p.66)の内訳でもあるが,
俯瞰するだけなら新聞でもテレビでも同じである.
そして新聞やテレビにも,提示される情報の「時間軸上の位置」にばらつきはあるのだが,
ニコニコ動画ではそれらと比較して「ばらつきの無秩序さ」と「切迫性」が突出している.
無秩序に流れていくコメントは視聴者の理解を待たずに画面上からすぐ消えてしまうのだ.
(もちろんそれはコメント投稿者が他の視聴者のことを考えているとは限らないからだ)

つまりニコニコ動画の視聴者は左から右に(たまに逆向きもある)大量にそして無秩序に流れる
コメントの階層的な位置づけ(本書でいう「論理階型」@ベイトソン)の判断を迫られることになる.
(コメントを逐一まじめに確認する視聴者の割合は少ないと想像するが,
 その意思がなくとも目の前を通り過ぎるだけでその気になるものである.
 が,コメント非表示設定ができることも言っておく必要はあるだろう)
何の階層かと言えば,前述を言い直しての「このコメントはいつ書かれたものか?」をはじめ,
「どの場面の何に対してツッコんでいるか?」「そもそもこの動画に関係のあるコメントか?」など,
いくらでも挙げられそうだ.
(と言ってこの項目の全部が全部「階層性」に沿わない気がするので,階層性も含めて
 ひろくコメントの「意味」と表現した方が良さそうだ)

そして意識的にしろ無意識的にしろそのような判断を下すことが習慣化すると,
「上から見る性」が強化され,その姿勢がニコニコ動画の視聴に留まらなくなる.
これが何事にも無感動というか常に白けた(人の)性質につながる,
という話ができるけれど,それはタイトルにつけたリテラシーの成長方向が負であって
(そしてこれと同じことはテレビについても昔から指摘されている),
僕が言いたかったのは正のリテラシーを付けられる可能性の方である.
(ここでいう正負は僕の主観です)

ちょっと長くなってきたので簡潔に言うと(ここからが本題のはずなんだが…),
自分の目の前を流れる情報の意味(階層性)の判断能力は
画面上に対してだけでなく広く日常生活で必要とされるものであって,
要はニコニコ動画のコメントと会話相手の発言内容を同一視できれば,
前者の経験を後者に活かすことが可能なのだ.

ここで同一視と書くと妙な誤解を生みそうなので補足すると,それは
後者を前者と同一視するのではなく,前者を後者と同一視するという意味だ.
ここでは生身のコミュニケーションに活かすと言っているので,
例えば画面上の無機質なコメントから個々の投稿者像を立ち上げるわけである.

その場の勢いで書いたコメントとよく考え抜かれて書かれたコメントとは
大抵すぐ見分けがつくものだが(ある場面のネタの背景を説明する「解説コメント」などが後者にあたる),
後者のコメントについては投稿者の立場や意図について考える価値は十分にあると思う.
もちろん前者について考える価値がないことはないが,
それは勢いで書かれたものだけに考えなくても分かるというだけの話.
そして前者と後者の見分けがつきにくいコメントが,
時に自分の価値判断基準を顧みることにつながったりもして一番興味深かったりもする.


うーむ…
論理的に書こうとすると途中で論理が暴走することがあって
(この暴走は悪い意味ではなく,論理発の新たな発想が生まれて,別の方向性が見えるということ),
気がつくと最初に思ってもみなかったことを書いていて基本的にそれは面白いのだけれど,
自分の実感から外れたことが書かれていたりすると「あー,やっちゃったな…」と思う.
まあそれも“書き始めの自分の思うところの”ではあって,
よくよく考えれば新たな実感が湧いて「なるほどー!」てなことにもなりうるわけで,
そこまでいかない(もっていこうと思えない)のは明日が会社だからですね.
サラリーマンだねえ.

何かしら「心残り」があればまた追記したいと思います.
「ニコニコ動画の(人の性質に関わる)機能」というのはもともと興味のあるテーマだったし.
うん,本書に触発されてここまで書けるとは思わなかったので,
4つかなーと思ってたけど☆半分プラスしておこう(ソーシャルライブラリの話です).

ということで(?)久しぶりにアフィって〆.
本書内で「刺激的な論考」と書かれていた本もつけときます.
卒論でプログラムがりがり組んでた者として避けては通れない(?).


括弧の意味論
木村 大治
475714265X


記号と再帰―記号論の形式・プログラムの必然
田中 久美子
4130802518

by chee-choff | 2012-01-23 00:36 | 読書