深爪エリマキトカゲ
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◆ ゆくとしくるとし('11→'12)3.1
ゆくくる3では勝手に指が動いて書き始めたが何を言いたいかも分からず,

結局まだまだ力量不足だと思われたので仕切りなおして「ゆくくる3.1」です.

(3.1と書くとwindowsですね. 古い?)


身体性について言語化するにおいては,やはり自分の身体的経験をもとにすべきと思われた.

その系統の本は読んでいて,なんとなく感じを掴めてはいても,

それを自分の言葉で伝えようと思うのに「枠組み」の話ばかりをしていては,

読み手に実感は訪れないだろうし,だいいち身体性の要諦は実感なのである.

だから力量不足というよりは,経験不足.

この経験はいくら本を読んでも積み増されるものではないのは分かっている.

が,それでも腰が重いのは,自分の言葉で表そうと思っていないのだろう.

「この本を読めばいいよ」という紹介を人には(普段の会話の少なさにしては)よくするのだけど,

自分の言葉で何か相手に納得してもらおうという気力があまり湧かない.

それは「伝えたいことを自分の言葉で伝えるより本を読んでもらった方が早い」という気持ちが

わずかにはあって,これを掘り下げると「”自分発の”自分の伝えたいこと」が日常の読書を

ベースに構築されたものであること,加えて「自分から”思い通りのコミュニケーション”を立ち上げる」意思が

極めて希薄であることが想定される.

まぁ「草食なのね」と一言で済むのだけれども..


さて,去年を振り返った実質があまりないように見えてそれでも気が済んだのは確かなので,

そろそろ今年の抱負等に移ろう.

社会人になると日々の変化が乏しいことはもう分かった.

もちろん職種にもよるけれど,きっちりと仕事をこなしていればこそ日々の変化は乏しくなる.

それを休日に目一杯遊んでメリハリを,というリズムの付け方はもちろんアリである.

が,もう分かりきってはいるが,僕はそれとは異なる位相でリズムを付ける.


日々の変化が乏しい理由は,実際分けられるものではないが要素として2つある.

簡単に言えば入力が小さいか検知系が鈍いかである.

お手軽なのは「入力を大きくする」方だと思われがちだが,

そのお手軽の意味は「検知系の存在を無視できる」ことだ.

両者は分けられないと言いつつも,少し考えれば原理的には

「入力を大きくする」のと「検知系の感度を上げる」ので同じ結果が得られることは分かる.

原理的にはそうだが実際はどうなのだ,と言われると僕に自信はないので,

とりあえず「自分を被験者にして実験」をしているのである.


つまり「今年も変わらず本を読みまくる」ということなのだけど,

(それで充実が得られるとして)何がいいかといえば,とにかくお金がかからない.

必要なところではバンバン金を使うという点で僕はケチではないはずだが,

多くのものに「必要性を見出さない」という認識レベルでは吝嗇なのだと思う.

そうしてどんどんお金は溜まっていくのだけど,貯めたいと思って貯めるのではない(だから「溜まる」のだ).

そして嘘だと思われるかもしれないが,

「今溜まってるお金が急に価値を失っても何の痛痒も感じない」ようになれればいいなと思っている.

内田樹の言う金持ちの定義は「お金に頓着しないでいられること」であって

(「健康のことを気に揉まずに済んでいる人が”健康な人”である」と同じ論理),

それに従えば金持ちかどうかと所有資金量とは全く関係がない.

ということで,その意味で僕はずっと「金持ち」でいられたらなと思う.


話を戻して(と言って戻す話があるのか?),

まあ会社でお荷物にならないようしっかり仕事はして,

でもプライベート(というか「一人の時間」)はしっかり確保して「考えること」を軸とした日常を過ごしたい.

で,気が向いたら散歩部の活動をしたり何かよく分からない流れを起こしたりして,

それに自分で巻き込まれてテンパるのもたまにはいいかな.


毎年同じことを言っているかもしれないけれど,

今年の心掛けを羅列しておこう.

 「考えることを諦めない,でも身体の言うことは聴く」
 …これが矛盾だと思えたら何かが極端になっている.
  考えるのも肩肘張らずに,しかし快感に溺れることもなく.

 「場の雰囲気に敏感になる」
 …誰かといる時に限らず,街中でも山の中でも,どこにいる時も.
  「空気を読む」もこれに含んでいるけれど,「遂行的KY」を恐れない.
  何かといえば,「空気を読んでも”読んだ通り”に行動するとは限らない」である.
  (巷で言われるKYとは「認識的KY」のことである)
  都市では鈍感にならざるを得ないというのなら,都市には近づかない.
  一気に敷衍すれば「何をしたいか」ではなく「どう有りたいか」を優先する.

 「来る者拒まず、去る者追わず」
 …これはもう言い飽きた.
  ので今年は加えて,「自分にそれと分からないように流れをつくる」作法を身に付けてみよう.
  前半部分の意味するところは,自分がプレッシャーに弱いということ.
  それをプレッシャーに強くなると言わないのは,これは僕の多分な偏見かもしれないが,
  プレッシャーに強い人は大体が「鈍感」なのだ.
  このあたりはよく分からないので深くは掘り下げないでおこう.

このくらいかしら.

あとは,いつも健康でいられたらと思う.

不健康になって健康のありがたみを知るのはいいのだけど,

不健康な時の思考がいかに惨憺たるものかはもう何度も経験した.

(それを考えるとニーチェは凄いなと思ったり…まだ全然読んでないですが)

だから不健康な時は(それでも色々考えてしまうので)考えたことに重大な意味を与えないことにした.

 人が何かしら不幸な時,その人がどんなことを考えようと「今ある不幸から脱したい」思いが

 その思考内容を侵食しているのであり,たいていの場合は思考の射程が極端に短くなっている.

  例えば風邪で寝込んでいる時に「会社を辞めたい」と思ったとして,

  その思いは間違いなく正直なのだけど,だからといって誰も会社を辞めたりはしない.

 すっ飛ばして言うけれど,「思考の射程を延ばす」ことは「個人に留まらず共同体を思う」ことにつながる.


うん,総括すれば「外部に開かれた思考を紡いでいく」ということで.


ではでは,今年も皆さんよろしくお願いします.

chee-choff
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by chee-choff | 2012-01-02 14:56 | 思考