深爪エリマキトカゲ
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◆ ToSHiNOsE(仮)
今年も実家でゆるりとしています.


年末に特に予定はなく,年始に一つ.

区切りを意識するなら本当は年末が良かったのだけど,

年末年始を「年の境目」と捉えればどっちも同じ.

「気分でふらふら」の気分の醸成の仕方も慣れてきたようで,

話したいことを話せる時に話せればいいなというかつて抱いていた願望が変化してきている.

人と話をする時に「前もって内容を準備していく」姿勢が自分には合わないようで,

話したいことがあった時に「その内容を相手と話している場を想像する」ことだけは予めしておいて,

実際に相手と喋っている時にそういう雰囲気になれば自然と想像通りになるものだと思っている.

これが定着してくると「話したいことを話せる時に話せなかった」時に,

それを失敗とみなさず,「そうならないだけの理由がその時にあった」と自然に思える.

「(会話の)場への信頼」の一つの形と言えないかな,という今は実験段階.

 相手の話や,むしろ話し方(口振り,佇まい,目線,…)と接しているうちに,

 「この内容は今話すべきではないな」という判断が適切になってくることはあり得る.

 自分としては必要以上にそれを意識しているとは思うけれど,

 プレッシャーに弱い自分には「この話は今しておかないと」という意志も十分重荷になる.

 仕事上とか他人の利害が絡む場合はもちろんそんな悠長なことを言ってられないけれど,

 自分の対人関係に収まる話であれば要は「今(とこの先)の気分」が決定要因になる.

  「この先の気分」というのは例えば「後悔するかどうか」とか.

  そしてその気分には「相手が自分をどう思うか」も含まれる.

  もちろん自分の想像できる範囲内なわけで,相手からすればあってないようなもの.


実験というと軽く聞こえそうだけれど,自分を被験者として組み込む実験は当然だけど

自分が変わることを前提としているわけで,すると実験データを取る前と取った後での

解析者のスタンスが当たり前に変わってしまい混沌としてくるのだけど,

人間相手だからしょうがないし,そこが面白いのだと思う.


 という書き出しでどこへたどり着くか.

 今から散髪行ってきます.

 本当はまたストパーあてようと思ってたのだけど,

 珍しく本気で止めに入ってくれた友人がいたので.

 すっきりしてきましょうか. 12:53


+*+*+*


と言いながらすぐ帰ってきました.

何やら先客が新たに来たらしく,「3時に来て下さい」と言われた.

1時に予約したはずなのだけど…まあ予約した本人と認識されなかったか.


父親行きつけの散髪屋は大阪と京都の府境を越えてすぐの所にあり,徒歩3分ほど.

住宅街なので近辺は家やアパート・マンションしかないけれど,

土地がゆったりしているのか個性が家々にあって散歩していて飽きない.

普通の一軒家のような正面にエントランスがあって,

あれと思って横にまわるとアパートという洒落た建物が高台にあって,

住むならこんなアパートかなと思ったり.

 (状況が許せば「仮住まい転居主義」がいいなと思っている.

 「生涯賃貸宣言!」みたいな. でもこーゆーとなんかやーね笑)

近所をぐるりと散歩しつつ,年賀状を出してきた.

今年は(も?)自分から書くのは一枚だけ.

親が選んだ年賀状が空白たっぷりだったので,

ぎっしりコメントを書き込んでやりました(笑)

唐突で相手も迷惑するだろうけど,級友なので許してくれるかと.

 自分は昔からこんな人だっけな…よく覚えてないけれど,

 周りの視線を過剰に気にしてしまう性分はきっと全然変わってなくて,

 昔はその周りの視線の詳細まで気がいかずおどおどしていたのに対して,

 今はその方面への想像力を解放して勝手に納得できてしまっていて,

 その分自分の感覚に正直になれているのだと思う.

 「知らない(考えない)方がいいことがある」という聖域的概念を捨てたからだろうか.

 この話は大事なところなので後でまた考え直すとしましょう.

で,もらった分は(枚数の許す分は)きちんと返します.

 年賀状に対する意識もそういえば変わったなと思う.

 以前は(たぶん高校くらいから学生の間は)「なにかのきっかけになれば」という

 縦縞な(シマウマ?)思いというか「年賀状が相手に届くこと」自体に大きな意味を見出していて,

 それが昨日書いた時には「年賀状を書いている間にその人のことを思い起こすこと」が

 年賀状を書くことの一番の楽しみに思えて,「書くこと書いたし届かなくてもいいか」なんて思うから

 高校時代の名簿引っぱり出して住所を書き写しても特に不安はない.

 別に両者でコメントの内容が変わることはないのだけど,

 実はその変わらないことが「想像の中の具体的な他者に対する自分の姿勢」の一貫性を示していたりして.

 つまりその想像と実生活との折り合いの付け方が「極めて現実寄り」だという一貫性のことで,

 それからすると自分はまだまだ常識人なのだな,と(ホントかよ).


散歩しながら考えていた「ゆくくるトピック」をメモしておきます.

・森博嗣の(エッセイ)執筆スタンス
・自分の行動原理の「核」はどこにあるか
・空間の時間的把握

もちろん提示だけして触れられない可能性も大ですが…

では散髪(再)行ってきます. 14:53


+*+*+*


髪切ってきました.

何も言わなかったので文句もなにもないですが,

80年代風になりました.

うーん古いな…それだけですが.


…と,少し動画でニコニコしていたら晩ご飯の時間になっちゃいました.

てことで食べてきます.

うん,内容がもうついっただね.

まあいいや. 19:07
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by chee-choff | 2011-12-30 12:55 | 思考