くらやみがこわいのは、なぜ?
くらやみのなかにいると、なにもみえないから? なにもみえないのがこわいのは、なぜ? なにがでてくるか、わからないから? みえていないとでてくるものがわからないのは、なぜ? あるものはみえる、とおもっているから? みえるものは、ある。 あるものは、みえる? ないものは、みえない。 みえないものは、ない? あかりがあたたかいのは、なぜ? くらやみが、こわいから? くらやみがこわいのは、なぜ? +*+*+* 『ねじまき島クロニクル』(村上春樹)もいよいよ終盤. 「想像する」とは,見えるものを思い浮かべるだけではないと改めて気付く. とすると,視覚偏重と想像力の衰微は連関しているに違いない. ものが増え続けると,同じ感覚(器)のままではオーバーフローしてしまう. そのために感度を下げると,刺激が足りなくなる. 不足した刺激分を補うべく,さらにものを増やす. そして再びの物質過多. このループに嵌り込むのは,受容サイドの感度調節という発想が抜け落ちているから. あるいは,このループが経済を成り立たせているから. ならば問う,経済は見えないが,「見えないものの存在を肯定する認識」の自覚はそこにあるか? 自覚のない認識は抑圧となり,別の形をとって,やはり自覚を伴わず纏わりつく. 簡単に言えば,「分かることばかり見ていると,分からないことの存在に気付かなくなる」. それは意識の上ではまったき幸福だが, 変化を免れない人間がその幸福を維持するために必要な努力とは何だろう? かつては怠惰でしかなかったはずのその「努力」とは何だろう? 主人公は立ち向かう. 「虚ろな人」の助けを借り,運命という武器を手に,金縛りの解けたドアノブを回す.
by chee-choff
| 2011-12-15 23:50
| 読書
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