深爪エリマキトカゲ
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◆ 「苦痛の先取」で平穏を保つ
昨日はいろんな(しょうもない)いきさつがあって晩飯が
「カップ豚汁うどん+ポテトチップス」
だったのだけど,それを食べてから今日の昼前後までとても不安だった.
 ちなみに今朝はいつも通りの納豆トースト+4種サラダ+…,昼は紅鮭とあとこまごまとした
 身体に良さそうなもの(えー)で,昼食後しばらくして,だんだんと不安が薄れていったのだった.

その不安というのはもちろんヤな出来事があるとかの精神的なものではなく,
肉体が栄養(あっさり成分?)に飢えているという身体的なものなのだけど,
なんというか「精神的な不安と見紛う」ようであった.


という話の関連で思いついたのだと思うのだけれど,
「何もないことを良きことと思う」という静的安定は
何かが起こった時に「考えてみれば…」という形で認識するのが常だが,
(例えば病気になってから「健康ってのはやっぱ大切だな」と言うような)
何か良くないことが起こらないと静的安定に思い至らないのは単純に
起こったことに「懲りてない」だけであることも多いのではないだろうか.

平穏無事な生活を保つ秘訣というのは日常をそつなくこなす器用さだけでなく,
しかるべき時に「平穏が乱される時の苦しみ」を先取りして想像してしまう,
というある種の臆病さ
も含まれるのではないか.
 だからその臆病さは他人に自慢できるとまで言うつもりはないが,
 少なくとも自分の中では大切にあたためておいてもいい気がする.
 あるいは自身の臆病さを恥じる友人に「や、いいんじゃない」とほんのり肯定するような.

「その場その場でそつなくこなす」ことが「長い目で見て安定を確保する」ことと
完全に一致する,と自信を持って断言などできないのであり,
「長期的に捉えると常軌を逸するような方向性」を(微)修正する機制(仕組み)が
「計画的」でなく「なんとなく」というところがミソなんではないかな,と思った,なんとなく.
…もう少し言うと,そこが「計画的」だと「短期的なそつなさ」と抵触するのかな,と.

 静的安定の反対はここでは「面白いことが立て続けに起こる」という動的安定.
 これを安定というのは,精神が躍動している・快いという「傾きaの安定」のこと.
 先に触れた静的安定を対置させるならこちらは「位置xの安定」だろうか.
 このaとかxは高校数学のノリで使ってます.

+*+*+*

という記事のタイトルを考えていてまた別のことを思い出したのだけど,
前に「地震が起きた時に壊滅的被害を想像する機制」について考えたことがあったが,
あれは改めて考えるに「不幸の先取り」なのだと思う.

「思ってもみなかったことが起こる」よりは
「思った通りのことが起こる」方が,
当の「起こったこと」がどれだけ酷くても「まし」である.
だから「やばいことが起こりそうだから頭の中で先に起こしちゃえ」というような.

多分これは気持ちとしては共感の得られやすい話のはずで,
でもこの気持ちを間違えた表現で言ってしまうと
「不謹慎」と断罪されてしまうのだろうな,と思う.
確かなのは,不謹慎に思われることを言う方だけでなく,
それを受け取る方にも「その表現が不謹慎である」という認識に加担している,
という認識が必要なことだろう.
断罪したくなる気持ちもまた共感できるのだけれど,
何事に対しても「文脈を汲む姿勢」は常に保っておきたい.
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by chee-choff | 2011-10-24 22:41 | 思考