深爪エリマキトカゲ
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◆ 『美男へのレッスン』橋本治
『美男へのレッスン』橋本治

2011/09/02 23:11
ハシモト氏の語りについて。

氏は僕らの日常にたまに起こる「よく考えてみると…」
という冷静さをひたすら実践しているのだ。
だから読み手は話の内容に興奮しつつも、
頭をぐるぐる回して読み進めることができる。
その「発端の些末さ」(些末、と言ったのは例えば
文学的感覚というかそれの崇高な命題から見て、の意)は
市井の読み手にとってとても近しいものに感じられる。
すっ飛んだ内容でもするする入り込めるのは、その意味で
ハシモト氏と思考の動機を簡単に共有できるからだろう。

そして「本質を突く」性質のもつものでもあるけれど、
このような冷静さを常とする本を好きになって
面白くないのは、その読み手の周囲の人々である。
「よく考えてみると…」が起動すると、まずたいていは
起こそうとしていた行動が中断される。
それをよかれと思うのは知性の発動に促された本人の
一部分であって、周囲の人々とその周囲の人々の期待に
応えんと行動しようとしてうずうずしている本人の
別の一部分は「こんな所で考え込むなよ」と思っている。
そう思う彼らは、彼らのそれぞれが他人に期待している。
自分発の動機の起動に目を向けようとしない。

まあハシモト氏に限らないとは思うけど、
「本に没入すればするほど一人でいたくなる」
という原理はここにあるだろう。
読む本の内容ではなく、読書そのものの機能として、
それは他者とのコミュニケーションと相容れない。

…と書いて、本当だろうか? と思う。
ここでの「他者とのコミュニケーション」に、
「現代の主流の」という修飾語を付けた方がいいだろう。
その主流にはほかに、
「一人でいる時間はもったいない」とか、
「お金は使わないともったいない」とか。
何か、しっかりしたこだわりがあるように見えて、
それが物事の一部分だけ捉えてのこだわりであるだけに、
全体を見てしまう人からすると「まあ勝手にすれば…」
と距離を感じさせる要因になるというか、
「まあ一人でいいや」と内向きにさせてしまう。
全体を見るというのは、空間的にもそうだし、
時間的にもそうだ。

「ひとつひとつの行動に付随する快楽は体験して
もちろん悪いものではないが、その積み重ねを
どう生かすつもりなのか、あるいはそんなことを
考えなくてもよい(無意識も含めて)根拠があるのか?」
身体的感覚と言われてしまえば今の自分に言葉で
返すことはできないが、それでもやはり
「今の自分の感覚とは違うなあ…」と思ってしまう。
快楽の積み重ね、他者との親身な時間の共有の経験が
想像もつかないところで自分を「いいもの」にしていく、
という感覚を今の自分は持つことができない。
「慣れ」に対する恐れ(影響力の強さの認識ということ)は
もちろんあるが、それだけではない(「良い習慣」に
恐れを抱く必要はどこにもない)。

…根本のところで、現代をあまり信用していないのだ。
ある種の過去の人々を参照項として見出せてはいて、
それを錯綜する現代に合わせて適応する応用力、
または器用さをまだ持ち合わせいないということか。
「自分は流されやすい人間だ」という強い認識は
過去の充実した数年間とその回顧の中での驚愕に
由来するものであり、その経験が今の自分の行動原理を
成立させる大きな駆動力の一つであることは間違いない。

その変わり目は来るのだろうか。
すなわち、「応用力がついた」と思える時は。
生身の人から影響を受けない限りはその認識に
至ることはなさそうだ(本の中の人から受ける影響では、
生身に回帰する方向性に絡まないような気がする。
これにはなんとなく以上の説明を付けられないが)。
だからこそ、読書三昧の日々を送りつつも、
「来るもの拒まず」の格言を守り、
「外乱という不確定要素」の居場所を自分の中に(いや、
自分と他者の境界に、か)確保しているのだ。
そしてこの現状を「そこそこいいもの」だと思っている。
それでまあ、いいと思うけど。
2011/09/02 23:42

2011/09/19 18:18
昨日読了。
書評用の文章を書こうとしてみる。

本書のテーマは一応「美男とは何か?」だが、
そのテーマを軸に人に関するあらゆることが語られる。
美男と対になる(と一見思える)美女について、
枕草子に遡っての美男の起源、
欧米の映画やM.ジャクソンを素材にしたりして、
当たり前のように本筋から外れて氏の「筆の気分」で
話が展開され、逸れまくっている論の道筋の一つひとつが
実はちゃんとつながっていると断言さえもして
その理由に「だってそういうもんだから」の一言で
納得させようとする氏はやはりめちゃくちゃな人である。

「やりたい放題本」はハシモト氏の十八番であって
それについていく読者も大変なのだけど、
本書の救いはメインテーマがもの凄く身近というか
キャッチーなので「ここをちゃんと理解すれば俺も
モテモテの美男になれる…!」とか「この話は
もしかするとカッコイイあの人の秘密が書かれている
かもしれないわ」といった日常的な欲望を駆動源に
本書の→散漫に過ぎる内容に喰らいつけることである。
(と書いたが本書の想定読者が男性であることから
 女性が後者の達成を目指すにはハードルが高過ぎ、
 そもそも氏がわかりやすいことを書くはずがないので
 前者で「騙された!」と叫ばない男はきっといないが
 「騙されて良かった」こともあるにはあるのである。
 そのことについてこれから書く)

その「散漫に過ぎる内容」というのが、
(詰めに詰めて11ページにわたる目次の項目の多さで
 簡単にウンザリできてしまえるものでもあるのだが)
ふざけてるのかマジメなのかマジメにふざけてるのか
分からない(いやそこはむしろ「分かりすぎる」)語り口で
時にいきなり「ぽーん」と鋭い洞察を放り投げる
もんだから、軽快なヨタ話(も一杯あるんです)をさらりと
流すのと同じ要領でそこを「ま、そーよね」とすらーっと
通り過ぎることもできるのだけれど、
「本質感知センサー」(なるものを勝手に命名しました)を
起動させて注意深く読み進めていたならば
「一体どう生きてくればこんな事が言えるんだ…」
と想像を絶する氏の教養に驚愕すること頻りなのである。

難しい所を飛ばして「あはは、これおもれー」で通読でき、
マジメに読めば「どうすりゃいいんだ…」と途方に暮れる
こともできる本書は万人にオススメできます!

と言って嘘ではないんですが…
いちおう途方に暮れた側の一人として、
上で触れた「ぽーん」をいくつか抜粋しておきます。
本質を捉えるのは大事であって(一連の)思考の達成点
でもあるんですが、やはりいきなり「ぽーん」と
目の前に突き出されても理解が追いつくはずがなく、
(いやもちろん氏のぐるぐるした思考過程は示されるんですが)
それでいて「これは凄いことを言っている…!」
というのは分かるもんだから、「自分で一から考える」
意志の起爆剤になると僕は思ってるんですが、どうだろう。。

>>
 男にとっての「理想の女」は歌舞伎の女方で、女にとっての「理想の男」は宝塚の男役である。「そんなもの嫌いだ」と言っても仕方がない。人間の「理想」というものは、そのようにメチャクチャなものであるのだから。p.41

 クドクドと歴史談義をしていても始まらないのでさっさとやめるが、要は、近代というもの人の頭の中で生まれて、だからこそとてもイチャモンのつけやすい、いたって人工的な「人為の時代」だということである。p.142

 江戸で確立された日本の売春のソフィスティケイションは、「なるかならぬかは客の腕次第」という、「遊女の拒否権」を設定してしまったことにあって、その後の「風俗産業」は、すべてその「江戸の拒否権」の伝統下にあるのである。p.247

(…)人間は、「生活の一致」というものを重視するもので、「争いの種」となるものは、この「生活の一致」を壊す、「生活習慣の違い」なのだ。私は、「民族紛争」と「嫁姑の争い」は、基本的に同じものでありうると思う。同じ台所で、同じ国土で、それぞれの「生活習慣の違い」を訴えたくなってしまった人間達は、争いに勤しむ。p.300

 子供の時に完成された「可愛らしさ」を持っていた子供にとって、「その先の時間」というものは、その完成を崩す方向にしか働かないーー子供はそのように解釈する。p.352(太字は筆者の傍点部)
>>

そういえば本書の初版は94年だが、
最近文庫化されたらしい(今年の5月に中公文庫より)。
内容が全く色褪せていないからだろう。
なぜ今に…と言われると見当も付かないけれど。

>>
 つまり、美女達は、いくら頑張ってもメリットのない「美女」を捨てて、男社会の中でワンランク高い位置を占める「美男」になろうとしたのだ。
 というわけで、現在は「男顔の美女」が大はやりなのである。p.210
>>

新聞のテレビ紹介欄でしか知らないが、今だと
「花より男子」とか「美男ですね」とかでしょうね。
ホントになんでも、考えればいくらでも深くなるもんなのね。
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by chee-choff | 2011-09-26 00:05 | ハシモト氏