深爪エリマキトカゲ
cheechoff.exblog.jp
Top
◆ 言葉にしてから,それを内に留める意思について
+*+*+*

「言葉にならないもの」について書こうとしたら,
でてきた言葉が詩になってしまった.
いや,文字の並びが詩的というだけで別に詩ではない気がする.
それはまあよくて…

「なんだかもやもやした思い」を自分なりに言葉にして,
それが「うん,そういうことで合ってると思う」と言えるような言葉だった時に,
「これを人に言えば自分が分かってもらえるんではないか?」と思うのは自然なことだと思う.

ただ,その「言葉にする試行錯誤の過程」が完全に個で閉じていれば,
でてきた言葉に他者の(生身の)存在が関われているかどうかは分からない.
この「完全に個で閉じている」かどうかは,その考える時のその人の状況によるのだと思う.
だから独りでいる人はいくら考えても,
「一人でいるその人自身にとって納得できるもの」しかでてこない気がする.
例えばその考えに「いつも誰かと一緒にいる人」が触れたとして,
「一人でいるその人」が明確にできたと思われた思いをそのまま受け取れるのかどうか.

言葉が先か,人が先か.
その問いには明確な答えがあると思われた.
人が先だ
人を求めようと思って,言葉から入るのは少し違うのだろう.
だから今一人でいる人が考えることは,
「他者を求めるため」ではないのだと改めて思う.
「他者を求めるための言葉」は,その当の他者が表れてから,
悩み始め,悩み抜くことで,その場(=その人とその他者との関係)に合った形を成していくのだと思う.
ただ,それは今一人でいる人が考えていることが他者と結びつかない,ということではない.
具体的な対象を持たずとも,その枠組みを把握することは可能だ.
それは構造主義の役得でもあり,「考える動物としての人」の器用さでもある.


うん,やはり「いろんな自分がいた方がいい」.
(なんだかものすごい話が飛んだような気もするが…)
決して一つの状態に留まる(=常態化する)ことのないよう.

一人でいるのは,本当に独りでいたいからではない,かもしれない.
この「かもしれない」が,常態化を防ぐ一つの手段.
右にも左にも傾けるよう,重心を高めに設定しておく.
そして傾いた時に踏み込む足を,その時に機敏に反応し動くよう整えておく.
あるいは足を踏み込めずに転んでも,くるりと回って受け身を取れるような身軽さを.


最初に書きたかったことから少し違っていた気がするので最後にちろりと触れる.

人に伝えたら自分が分かってもらえるだろうなと思えた,何か核心的な思い.
しかしそれは言葉にした瞬間,つまり意思疎通の流れに言葉として乗せた瞬間,
その核心が消えてしまうものであるかもしれない.
「言わないで心に留めておくこと」がその内に秘める意味を最も輝かせる,
という思いもあるのかもしれない.
(ひとつ思いついたが,「以心伝心」というのは「言わないでも伝わる」状態だけでなく,
 「言わないからこそ伝わる」状態(関係性)も含むのではないだろうか)
『いいひと。』(髙橋しん)の20巻でリストラ部に配属された北野優二が悩んでいたことである.

その「もどかしさ」を内に抱える.
それを言ってしまえば,もしきちんと伝わらずとも,自分は楽になる.
しかし決してその妥協を許さずに,「自分がよいと思ったもの(形)」を捨てない.
それが伝わるか伝わらないかを,相手に,場に委ねる強さ
その姿勢が伝わる人には伝わるという,相手への,場への信頼
(いきなり話は飛ぶのだが,これは内田樹の言う「言論の自由」(@日本国憲法)の意味そのものでもある)

その意味で,僕は彼に憧れる.そして強くなりたいと思う.
[PR]
by chee-choff | 2011-09-10 19:01 | 思考