深爪エリマキトカゲ
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◆ 日常へただいま
5日間家を空けただけで生活が狂う後遺症がちと長引いた.

今日いつもの「駅前巡業」をやって,やっと「戻ってきたなあ」と感じられた.

昨日までまる3日引きこもって苦にならないほど「活動」したらしい.


駅前巡業とは「図書館→BookOff立ち読み&購入→読書@Veloce」のこと.

今日は図書館へは行かなかったのだけど,

それも「読むより買うペースの方が速い現状」を更に促進させてはマズいと思ったから…

のはずなのだが,久しぶりにBookOffへ行って思いのほか収穫を得てしまって複雑な溜め息.
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しめて735円也.
なんという暴落.
これじゃ1ページ1円以下.
いやそれ以前に古本は印税にならないんだっけか.
出版界に全然貢献しない本好きって疎まれそうだな…

「沼地〜」は文庫で持っているのだけど,ハードカバーを見てるうちに欲しくなってしまった.
てことで文庫欲しい方はあげます.
「ヘヴン」は書評かブログかで下手に川上氏に触れてしまったという縁で購入.
ちら読みしたのだけど本書は関西弁でないかもしれない…あれは「乳と卵」だったか.
「ウィーン家族」は最近(自分の中で)流行りの中島氏著作.こわいなぁ
なんかもうヤな予感がぷんぷんするのだけどやめられんねこれ.
「下流志向」は一度読んだけれど手元になかったので置いておこうと思い購入.
ウチダ本がちょこちょこ105円棚で見かけ始めたのは今年だが,何か意味あるんだろうか.

+*+*+*

ちと「天狗」になろうと思う.
TENGO!!

+*+*+*

宮城ボラ記事で触れた「日本人は水に流す」話と関連する話.

>>
 日本が平和国家として立ち直るに当たって利用することのできる日本の真の強みは,ある行動方針について,「あれは失敗に終わった」と言い,それから後は,別な方向にその努力を傾けることのできる能力の中に存している.(…)彼らは戦争によって「ふさわしい位置」をかち得ようとした.そうして敗れた.今や彼らはその方針を棄て去ることができる.それはこれまでに受けてきた一切の訓練が,彼らを可能な方向転換に応じうる人間に造り上げているからである.
『菊と刀』第十三章 降伏後の日本人 p.373
>>

能力なんですね.
が,この能力は長所にも短所にもなる.
「機会主義的である日本」というのも同じ意味だと思われる.

>>
日本の行動の動機は機会主義的である.日本はもし事情が許せば,平和な世界の中にその位置を求めるであろう.もしそうでなければ,武装した陣営として組織された世界の中に,その位置を求めるであろう.
同上 p.387
>>

この感覚が欧米人には全く理解できない(と本書にはある)と言われて,
でもその内実を論理的に記述することはできるのだから,
それをして欧米人は「日本人は観念的だ」と…言うのだろうか.
日本人にしてみれば正義にあれほど拘れる彼等の方がよほど観念的に思われるが,
この両方が正しいとすれば「観念的」という表現の中身は発話主体の体感によってころころ変わる,
ということになる(自分の身体が納得しなけりゃ「そら頭ん中の話よね」て言いたくなる,と).
してみれば「観念」とは主観なのか.
「論理」と一緒くたにしたくなりがちだけど,違うものなのね.

ああ,オチが…

+*+*+*

と書いて思い出したのだけど,
東北出身の会社の先輩(7年上なのに3歳差で妙な近さがある)に「関西人は話のオチに敏感だ」
という話をして,「それって恐いね」と返されてしまったことがあった.
話にオチがなくていきり立つ大阪人もいないとは言わないがまぁそれはネタであって,
それで考えたのは「話のオチの有無」の違いについて.

「話にオチがないと損をした」という感覚はまずあるかもしれない.
オチのない話は端的に「使えない」のだ.
その意味では関西人はケチなのだろう.

でもそもそもオチがあってもなくても会話に意味はあるはずであり,
それは「情報伝達」である以前に「コミュニケーション」である.
と考えると,オチのある話よりオチのない話の方が「純粋なコミュニケーション」と言える.

(で,ここまでは今考えたことであって,最初に思いついたのは,)
が,ここで1回ひねりを加えて,
「オチを気にする会話形式」をコミュニケーションの延長と捉えることもできそうだ.
一般的に(というか関西以外で)思われているよりこちらが実情に近いと僕は思うのだけど,
関西人にとって話にオチがあっても無くても実はどうでもいいのであり,
単にオチを気にすることで「ツッコむ機会が増える」のである.
関西弁は語調がキツいこともあって「なんやオチないやんけ!」と言われると
異文化圏の人が怖がるのも無理はないとは思うのだけれど,
実はあれは愛情表現なのである.
ということを相手が気付いていないと知りながら敢えて怖がらせる関西人も確かにいるなあと思い,
うまいことやれば魅力的に映らないとも限らないけど,基本的に面倒臭がられそう(笑)
…要するに「空気読めるけど敢えて読まない人」は公共の場では鬱陶しい以外の何者でもない,と(笑)

とかいう話は関西人には全く興味ないだろうなあと思うのだけれど,
そんな僕は「生粋のエセ関西人」だったりする.
(いや,「エセ“生粋の関西人”」か.どっちでもいいや)
何せ上の話で触れた先輩に「東京の人かと思ってました」て言われたくらいやしね..

いいんす,気にしてないす,自称「境界人」なんで.
まあ,あれですよ,境界って言わば鏡みたいなもんで,
屈折率の異なる境界で入射角が寝れば全反射するんだから.
そんで鏡は「媒介者」でもある.
鏡面アルミの反射スペクトルを思い起こすだけで,像がそのまま映っているわけではないことには気付ける.
もちろん表面の凹凸でスペクトルは変化するし,凹凸の原因はキズに経年劣化に色々ある.
意外と楽しいもんすよ,媒介者は.

なんか変な話になったなあ…
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by chee-choff | 2011-08-09 21:29 | 思考