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深爪エリマキトカゲ
cheechoff.exblog.jp
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◆ 「似非ミイラ取りがミイラ」
わかりやすく言うと,

「自分のことをミイラだと思っていないミイラが,“ミイラでないもの”をミイラだと思って取ろうとした感じ」

包帯巻きゃいいってもんじゃない.

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(…)しかしアメリカ人は,たまたま氷屋でおごってもらうとか,母親を失った子供に対する父親の長年の献身とか,“ハチ”のような忠実な犬の献身などに,金銭貸借の尺度を当てがうことに慣れていない.ところが日本人はそうする.愛や,親切や,気前良さは,アメリカではなにも附属物がくっついていなければいないだけ,いっそう尊重されるものであるが,日本では必ず附属物がつきまとう.そしてそのような行為を受けた人は債務者となる.日本人がよく用いる諺の通り,「恩を受けるには(ありうべからざる程度の)生まれつきの気前良さが必要である*」.
*訳注 この「諺」もどういう日本語の翻訳か的確に突き止めて復元することはむずかしいが,あるいは「情けは人の為ならず」あたりを指しているのではないかと思われる
『菊と刀』p.141
>>
ここ(最初の下線)はいただけないな,と.
「必ずつきまとう附属物」が「金銭貸借の尺度」と言いたいのだろうけれど,
「…仮にもしそれを金銭上の取引に置き直して考えてみると,日本人の考え方がよくわかる」(p.140)のが
アメリカ人にとって事実だとしてもそれはそういう尺度をそちらさんが自然感覚として
もっているからであってあなたから見ればそう見やすいだろうけれど違うんですよ,と言いたくなる.
という意味をタイトルに込めたがそこは本題ではなくて.

考えさせられたのは注も含めた最後の諺の部分.
ここは第五章の最後の部分であって(という発言は参照を容易にする以外に意味はない),
これは「持ち合わせているのが生半可な気前良さだと(安請け合いして)受けた恩に
(安請け合いしちゃったけど実は軽く返せる恩じゃなくて)自分で押し潰されてしまう」
という自分にはとても身に染みる諺であって,
でも注にあるように「情けは人の為ならず」は違うんじゃないかなあと思い
(どちらかというと「下手な情けはその人の為にならない」という誤解釈の方が
意味合いが近い気がするけれどそんな誤解釈は当時に無かっただろうし
そういう意味で言ってるんじゃないだろうなあ),同時に注にあるように
「どういう日本語の翻訳か的確に突き止めて復元することはむずかしい」のは
散々唸って思いつかない僕にしても全くその通りだなと思いつつ,
日本人の(でなくとも少なくとも僕の)身に染みる謂いでありながら日本の諺にないものを
諺にしてしまえるというのは文化人類学者としてこの人はかなりデキる人なのではと生意気ながら思った.

むむむ.

良い諺ないかな.ありそうなんだけどな.
by chee-choff | 2011-05-16 23:32 | 読書