深爪エリマキトカゲ
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◆ 「わからない」というリアリティ
2011/04/07 22:50
『「わからない」という方法』(橋本治)とは本当に
絶妙に的確なタイトルだなと思い出したように思った。
「わからない」は一つの方法なのだ。
 僕は「姿勢」と呼んだ方がしっくりくるが、
 それは「方法」の段階を過ぎたからだろうか。

人の気持ちなんて分からない。
みんなそう言いつつも「ああでもないこうでもない」
と相手の気持ちを想像しては否定する。
そして「こう思ってるに違いない!」や
「どれも違う気がする…結局考えてもムダか」
といった結論に達する。
「いろいろと想像したことに意味があるのだ」
という表現も耳に心地よいが、
それに「想像してあげた」という押しつけがましさが
くっついてしまうと良くない。

さて、何が言いたいのか。
人は他人の考えることを色々想定はするが、
完全に言い当てることが不可能と知りつつも
相手の考えを分かれないことに苛立つ。
それは「本当は分かるから苛立つ」ではなく、
「分かりたいのに分からないから苛立つ」なのだが、
加えて「苛立つことに意味がある」と無意識にも
思ってしまっているのではないか。
 これは消費主体的教育と家庭内労働を喪失した
 現代核家族の営みとの交配により形成される
 「不快という貨幣の勘定システム」に類似するが、
 違う話なので掘り下げない。
これは「苛立つ」という感情が負であるために、
負のループを形成する。
自然に振る舞い、勝手に心が荒む悪循環。
それが顕在化していないから強くは言えないが、
うすうす気付いてはいて、
そこから抜け出したい人もいるかもしれない。
そんなあなたにオススメする発想を紹介。

やっと本論。
相手の考えは「分からない」。
これは大前提。
そのうえで、「分からないからこそ自分の想像に
リアリティがある
」という論理展開にもっていく。
相手のことを考えることそのものが押しつけがましさを
帯びるのは、その行為が形式に堕した時だ。
自分の想像にリアリティを感じれば、
脳内事象にして外界を巻き込んだ「開放系」を形成できる。

「リアリティを感じる」の具体的なところといえば…

自分が相手のことをこう考えることによって、
相手に対する自分の振る舞いの意味付けが生じる。
伝える話の内容だけでなく、挙動、何気ないしぐさに
「相手のことを考えたこと」が反映される。
相手のことを考える内容の違いによって変わる、
相手に対するしぐさの違いに自分で気付く。
それに気付くことが、「相手のことを考える」という
自分の想像の力に気付くことでもある。
そこまで達して初めて、「相手のことを考える」が
空想、絵空事ではなく「現実変成力」を備えた
リアルな存在だと分かる。
(相変わらずぜんぜん具体的じゃないね笑)
 と書いて自分でも不思議に思い,少し考えてみたのだけれど,
 もしかして僕は「枠組みが具体的」だと言いたいんじゃなかろうか?
 自分で自分に問いかけるのも妙だが…
 いつか「書き込む絵本」の紹介記事を見た覚えがあるが,
 その絵本にはページごとに色んな所にいる色んな服を着た人が
 描いてあるのだが,顔だけが空白でのっぺりしている.
 「書き込む」というのはそののっぺりさんに表情を書き込む,
 ということなのだけど,この「書き込む絵本」は読み手が
 ページを見て自分の思いついた表情を書き込むための「背景」が具体的なのだ.
 手前味噌だが(用法あってる?),自分が「具体的と言いつつも
 あんまり具体的じゃない話」をつらつら語るのは「読み手に自身を
 折り込む余白(=枠組み=背景)を設けている」のかもしれない.
 「読み手」には最低限一人は必ずいて,それは未来の自分であるという話は蛇足.

そう、スタートは「分からない」なのだ。
分からないものを明確に「分からない」とすれば、
「分からない」ことで分かるものがあることが分かる。
(まどろっこしい表現だがなんとなく伝われば嬉しい)
試しに信じる、試しに疑うことは難しい。
難しいが、その信じたこと、疑ったことが
実際にはどういう効果をもたらすものかを知るには、
その価値操作(想像)を通じての経験が必要だ。
この「お試し価値操作」が、
ひとつのブレイクスルーのきっかけになるのではないか。

思念先行で実現性に乏しい話だが…
誰かを焚き付けてみるのも面白そう。
僕はもう前段階に戻ることはできない。
…のか? それは本当か?
答えはもちろん出さない。
2011/04/07 23:17
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by chee-choff | 2011-04-08 23:28 | 思考