深爪エリマキトカゲ
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◆ 「ついで症」について
その目的は,現実的(功利的)なところでは,
保険,あるいはリスク分散にあるのかと思う.
一つのことをやろうとして,それが思い通りにいかないか,
又は失敗してしまった時の落胆をそのまましょい込むのは辛い.
それよりは,一つの動作に二つ(以上)の目的を詰め込んで,
失敗(=複数の全てが失敗)確率を減らして,
どれかが成功すればその成功を見ればいい.

が,この話だと
「食器を洗うついでに野菜を切る」
という「ついで症」のいち発症例としては弱いか.
だいたい失敗ってなんだ,という話になる.

うーむ.

あくまで家事におけるそれは習慣化が目的なのだろうか.
「物事を多面的に眺める」志向を日常の行動の反復から
身体に刷り込ませる,という意味での習慣化.
…いや,習慣化自体は間違ってないが,
「とあるやりたくない仕事をやらなければならなくなった時に
その仕事と同時並行的にできる何かを見つければ自然と体が動く」
ことの習慣化,と言った方が説得力があるな.

まぁあくまでそれは「現実的な」発症(いい意味で使ってます)であって,
自分がむしろメインに据えている目的はもう少し遊び要素が大きい気がする.
かつて自分が使った表現で言えば,
 「興味の散乱→産卵」
   様々な事象の断片に産みつけられた卵は,
   その後の継続的なケアは全く不必要で,
   いつかどこかで卵の存在を再認識するだけで
   勝手に孵(かえ)りそれから間を置かずして
   卵をばらまく側にまわるという
   伝染病の病原菌のような存在である.
    とここで「伝染病」をそんな悪い意味で使ってると思っていないのは,
    本日読了の『文明の生態史観』(梅棹忠夫)の最後の論考にあった,
    「宗教の発生・伝播を疫学のアナロジーで捉える」という話のせい. 
だ.

つまりは,いろんなことを考えたいだけだろう.
…何言ってもこれにつながりそうで,身も蓋もない話だが.
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by chee-choff | 2011-02-06 22:55 | 思考