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深爪エリマキトカゲ
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◆ ゆくとしくるとし('10→'11)2
おせち食べたり格付けチェック見たり。

正月ならではの過ごし方ですね。

…ということにしておこう。

それにしても。

「爆弾娘」仲間ゆきえを見ているうちに、

とある同僚と総合的に似ていることにふと気付いてびっくりした。

だ、誰かに言ってみようかしら。。


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自分の話の続き。

一つひとつを片付けると言ったが…

途中で気が変わるかもしれないことを前置きしておいて。


まずは花粉症。

これはびっくりした。

新人研修中に目と鼻にきて、風邪かと思って治療に尽力(いやほんとに)したが治らず、

ある科目の講師(今は所属部署のリーダである)の一言がなければ本当にパニックになっていた。

一言「あ、厚木来てから花粉症になった人多いよ」と。

リーダも重度らしく、一年の半分以上はマスク姿。

僕はマスクするとそれが原因で体調が悪くなるという思い込みを以前持っていて、

最初の方はいやいやはめていたけどすぐに慣れた、というか逆にプラス効果。

あれはアクセサリ(「化粧」とまで言うと怒られるから言わない。)みたいなもんですね。

何せ表情が分からない(あっ

気が緩むと想像の中身が顔に出る僕には重宝するアイテムとなってます。

…しかし次のシーズンが始まる前に一度耳鼻科に行かねば。

まぁ社会人になる前は「健康体は絶対の前提条件!」とか思ってたけれど、

こうやって諦めのつく持病を抱えると簡単に放棄できるものと分かって良かった。


調子の悪い体と如何にして付き合っていくか、

これは個人差はあれどいつか向き合わねばならない必須テーマである。

若いうちからその要諦を掴んでおけば、

歳取ってから他に山積する問題(お金、子ども、…)と一緒くたに迫られるリスクを避けることができる。

これは消極的思考ではなく将来設計、「未来の先取り」ですわね。

ありうべき未来を想定し、その通りになることは悪いことばかりではない。

しっかりと向き合うならば。

しっかりと向き合わない、目を背ける行為はすなわち現状維持願望の顕現に他ならない。

それが「今を楽しむ」ことと勘違いしている人も多い(かどうかは想像だ)が、

長期的に見て良い結果をもたらすことはまず無いと言っていい。

…といったことを何かで読んだ(気がする)ので自信を持って明言しているところ。


いつの間にこんな話になった(笑)

まあ…花粉症の人は一緒に頑張りましょう。

そして僕は春&秋は散歩すら控えて文字通りの引きこもりになる所存。

いいよ、本読む時間が増えるから。



さて、次。 散歩だっけか。

テーマをもう少し絞らないと話が漠然とし過ぎるので…

「目」でもなく「歩き方」でもなければ…

そうね、いつ散歩に行きたくなるのか。


僕が散歩に行く時はいつも何かの流れの続き(か乗り換え)である。

土日で昼前から延々読書していて「そろそろ体動かしたいな…」と思った時、

買い物の必要が生じて「脚が動きたがっている…」と思い遠くのスーパーを選ぶ時、

近く(と言ってもバスで15分)の駅まで行った帰りのバスが30分待ちだった時etc.

そして歩き始めると、ちゃんと「歩く流れ」に乗り、イヤイヤ歩くことはない。

ある程度は体が辛くても(ブックオフで半日立ち読みした後とか)歩くうちに元気になる、

とはいえその時は翌日か翌々日に倍々フィードバックがかかるのだけれど。


歩く時はお供に音楽が欠かせない。

それは家事をする時も一緒であって、理由も共通するところがある。

簡単に言えば、無音よりも楽しいもしくは無音だと少し寂しい、といったところ。

具体的にどう楽しむかといえば、これは徒歩時の思考の自由度によもるけれど、

一番いい時を言えば、「音楽に歩きを合わせる」。

歩き、と言っても徒歩に関わる体全体の動きだけでなく、周りの風景もそう。

かけている音楽のジャンルはてんでバラバラで(これも後で語らねばなるまい)、

田舎が合う曲、都会が合う曲と言い出せばきりがないけれど、

その「マッチした風景」に対してでもいいし楽曲そのものに対してでもいいが、

それぞれ相性の良い歩き方が微妙に違って在るのである。

分かりやすい所を言えば「リズムを歩調でとるか振る腕でとるか指先でとるか」とか。

歩く場所は寮の周りがほとんどなのでバリエーションは少ないが、

対する音楽は3年前から、ニコニコ動画の視聴時間に比例して増えているし(後に詳述)、

加えて風景・徒歩身体・楽曲間の相性はもちろんアナログ遷移する気分によって変わるわけで、

それらにより形成される無限のバリエーションには飽くことがない。

…たまに誰かと一緒に歩きたいなーと思ったりもするけれど、

それは本当に「たまに」である(この話は4つめに含められそうね)。



で、3つ目に行く前に途中で見つけた脇道に逸れる。

普段聴いている音楽について。

これは少々語るのが難しくて、

以前マジメに語ろうとしてなんだかよく分からない導入を論じた後に

今まで細々と楽曲紹介を続けてはいたのだけれど(楽曲紹介=「V概論」タグ記事参照)、

いずれ言葉にせねばと思っていたのでここで再挑戦してみる。

すなわち、「ボーカロイド」について少々語ってみたい。 22:00


具体的な話をするには、具体的な所から始めなければいけない。

今年のゆくくる執筆BGMは、前半はもはや定位置の撫子ロック@nekoさんだったが、

後半はm@rk氏(以前紹介した)の最新曲、Galenismのインスト。

m@rk氏のムンベはスピード間と落ち着きが不思議に同居している。

tautologyは正直言って暗いので暗くなりたくない時は聴かないのだけれど、

Galenismは明暗では中間に位置するイメージで、これも思考テンションと相性が良い。


さて、具体的過ぎる話をしても何が言いたいのか分からない(笑)

…ボーカロイド一般についての私見を語る。


電子音であれ人の声と見なせる程には精巧(表現力の潜在)であるボーカロイド。

各人のイラストにキャラ設定まで付いていてまるでアニメだが、

ちょっとそこからは違う視点で眺めてみる。

肉声と、肉声をサンプリングした電子音声の差の話になるが、

その一つとして後者の「高い抽象度」が挙げられる。

言い換えると、「人称の抽象化」。

同じボーカロイドのキャラクターが歌っても、

「調教」(=マスタリング、多分)の仕方で表現が多種多彩となる。

特定の作曲者が作る楽曲は、曲調が違っても、

その人が作った曲であると判別することができる。

つまりこれは「調教によりボーカロイドに個性が生じる」と言えそうだが、

これは「彼」(=ボーカロイド)の個性ではなく、楽曲の個性であるとも言える。

(ボーカロイドで会話させる動画も沢山あるが、あれは前者と考えていいと思う)

後者のように捉えた時、ボーカロイドは楽器と見なすことができる。

そしてこの「楽器」には歌詞を付することができる。


…違った、持っていきたい所からずれていきそうなので進路修正。

抽象性を備えるとどうなるか、という話をする。


生身の歌手の歌は「心に染みわたる」「魂に響く」などと表現される。

それは何故という次元でなく「迫りくるものがある」のでそうなのだが、

その「迫りくるもの」には解釈の余地がない。

歌詞の話ではなく、例えばその人の声の響きや滑舌や間の取り方についての話。

それらは聴き手が意識的に差別化できなくとも大きな影響力を持った、

歌手の一人ひとりに固有の属性である。


一方のボーカロイドは、それらの属性については、生身の歌手に比べ「平板」である。

作曲者のマスタリング如何では上述の通り差別化可能なレベルまで装飾できるが、

程度が段違いというか、「越えられない壁」があるような気がする。

それはアンドロイドの「不気味の谷」のようなものかもしれないが、

ここではそれを肯定的に捉えた話に持っていこうとしている。


上の「平板さ」は、極端には一昔前の文章読み上げソフトを想像すれば分かる。

あれを可能な限り人間の読みに似せようとする方向性も理解できるが、

あれがあのままでこそいい、と言えるものもあって、それは「個性のなさ」である。

好き嫌いがなるべく分かれないように時報やテレビ番組の提供を読み上げる声が

要求されるものと同じ性質。


その同じ性質が歌モノの楽曲に適用されると(すなわちボーカロイドに歌わせると)、

「幅広い解釈の可能性」が開かれるのでは、と僕は思う(これが言いたかった)。

僕の個人的な話をすれば、

平板であるからこそ歌詞付きでも頭に流しながら思考が可能であり、

無個性であるからこそ状況に合わせて聴き方を選択することができる。

これら「平板」や「無個性」を僕は「抽象性」と捉え、

無限の具象へ転ずる可能性を秘めていると考えたい。


なんだかそこそこ言いたいことが言えたような気もするので、

ここではついでに「今年一番聴いた曲」を紹介しておく。

通勤・散歩・買い物はじめ外出時と部屋で家事をする時はほぼボーカロイド曲を聴くが、

外ではニコ動でいいと思い(動画は見ず大体イントロで判断)DLした曲々を無差別で垂れ流す一方、

部屋にいる時は状況に合わせて(こういう気分になりたいとか、次に読む本の

脳内BGM形成のためとか)、特定の曲をリピートしまくったりしているので、

今年一番聴いた曲というのも案外悩まずに言えたりするのである。

要するに一番のお気に入り曲ということだが…

それはうみぬこPの空のさかな

ジャンルはよく分からないが、不思議系ゆったりポップスといったところ。

何がいいってあまり万人に通ずる話ができないのだけれど、

今の自分の波長に合っていて曲がすっと入ってくる、

落ち着いた時の自分の気持ちがそのままで持続していく感じ。

そして歌詞が抽象的で色々と解釈ができると言えばそうだけど実際はそんなことしてなくて、

言葉をことばのまま受け取ってぼんやり想像してぼんやりする。

(「空のさかな」が「雲」になったり「クジラ」になったり、といった些細なバリエーションはあるが)

会社の中でも、昼休憩での昼寝時はよく頭の中で流れてる。

本を読む時は意識的に流すことは少ないが、いつの間にか流れていることもある。

なんだろ、サビを盛り上げずに聴かせるのがもの凄くうまい、とか?

うん、言葉にできんね。

そしてついでに数少ない「歌ってみた」で抜群の存在感を示すれすた&こめる氏も同時紹介。

ケロケロしてたりハモリが分厚くなってたりサビ他でラップが入ったりでもはや別の曲なのだけど、

この曲への愛が感じられてとっても幸せな気分になれる。

けろけろ。


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脱線してからが一番頑張ったような気がする。

あと二つは果たして語られることになるのか、

今年の抱負みたいなのも書いておきたいがさてどうなる、

というのは明日起きてから。

今日はおしまいー

うがー目がいてー  25:02
by chee-choff | 2011-01-02 01:02 | 思考