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深爪エリマキトカゲ
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◆ 年末調整 / 面倒臭さの効用
自分はネタを振っといてそのまま放置,のもはや常習犯ではあれど,

中にはちゃんと実行され続けいつか日の目を見るテーマもあるにはある(珍しいが).

とはいえ「課題図書」は夏休みの一週間で読み終えるつもりが

かれこれ4ヶ月半もかかってしまってこれは単純にナメてたせい.

やっと今日読み終えた当課題図書とは『解明される意識』(ダニエル・C・デネット).

夏休みでは3章分しか読めず,あとは隔週の土か日に1章ずつ読んだ.

んまー難しいわねこれ.

紹介とかできるレベルに理解が達していないので一言,

デカルト的二元論をモゴモゴしながら論破する「百鬼夜行論」は面白いです.

あ,あと身体性とも相性が良さそう.


年末調整といって仕事の話ではなく,やっぱり読書の話.

気分に任せてランダムチョイス併読を続けていて色々ごちゃっとしていたので,

12月の半ばから併読書を集中して片付けるモードに入ってみた.

興味が薄くなったものや内容が併読書と被り過ぎの本は「また今度ね」と

躊躇なくバッサリ切り捨てて(=「読書中止」行き),

今日の分厚いのを読み終えてあと8冊. →SL

全部は無理なので帰省時に携えるのも含めてあと4冊はいけるかしら.

まぁ読み終えるのを第一に大雑把に読むなんてことはしないが,

「入りの姿勢」を強制させる布石として,ね.


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上の話の最後ともつながるのだけれど,

「面倒臭がり」も上手に利用すれば活用できるなぁとふと思った.

以前も同じような話を書いたかもしれないが…


何を面倒臭いと思うかがポイントなのだけど,

抽象すれば「流れを変える」ことに対して面倒が生じることが多い.

 ある本に没頭している時に「ご飯を食べ」ようとする,「食器を洗」おうとする,など.

ある本に没頭している間は読書という大きな(強い)流れがあり,

例えばその本の内容のある区切りに達するとその流れは弱まる.

その区切りに立ち会った時「そいえば腹減った」などと思えば,

ご飯の準備をするという別の流れに乗り換えることが容易になる.


という場面は基本形であって…


土日などは大抵コーヒーを淹れてちびちびやりつつ昼一から延々と読むのだけど,

コーヒーのせいなのか読書のせいなのか(「頭を活発に使うと近くなる」とどこかで読んだ),

読書中にトイレに行く回数がそこそこ多い.

あれは空腹にも増して我慢が体に悪いもので,

読んでいる本の内容なぞはあまり構わずに駆け込んだりするのだけど,

 カップのコーヒーが空になったからもう一杯入れたいけど立つのはちょっと…

 という面倒はコタツでぬくぬく読書中の身にはなかなか大事であって,

 内容が一区切りしてもその「コタツ効果」で,「まだいいか…」となることが多い.

そのついでにコーヒーを入れたり食器を洗ったりするのが効果的だったりする.

何が効果的なのかというと,本の内容が中途半端な状態で違うことをし始めた時は

まだ意識は読書状態にあるわけですね.

それは内容に一区切りついてから「よし,コーヒーを…」と立った時に比べて,

意識が違うところに向いてしまう可能性が低くなるということ.

「違うところ」というのは読書から逸れるというだけでなくて,

違う本に気が移ってしまうことも含まれる.

難しい本を読んでいる場合はこの「気移り」に注意しなくてはいけない.

これをして「嫌々読んでるの?」と言われそうだけども勿論違って,

難しい本でも簡単な本でも面白くなければそもそも読まないのであり,

面白くても難しい本の難しいところは「内容に入り込むまでに体力を要する」ところ.

それは「意識が違う所に飛ぶと戻って来るのが大変」と言い換えることもできる.

だから上で書いた読書戦略なるものは難しい本を読む時にこそ重要となる.


なんか話が逸れてるような気がしてきたが…

そうだ,面倒臭さの効用を書かねばならん.

「何を面倒と思うか」と最初に書いたが,言うのは簡単なので要して言ってしまうと,

面倒やがやらなあかんことをさっさとやりたければその面倒事以外の行動を「面倒」と思やいい,と.

つまり(上の話とつなげるなら),乗ればその面倒事を勝手にしてしまうような流れを作ればいい.

それは,究極の面倒臭がりというのは事の種類・大小に関わらず「目の前の流れを止める」

あるいは「違う流れに乗る」ことを厭うという抽象性を備えているから(今思いついた).


まぁ僕の場合は自分一人でいる時にのみ成り立つ話であって,

他人が絡むとその「他人の流れ」に全て押し流されてしまうわけだけども.

あ…


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ちょっと前に書いた「何を書いても自分の話に繋がる」理由が分かった.

「自分にしか書けないことを書こう」と思っているからですね.

楽曲紹介も書評も紹介に留まらず意味不明なことを書いているのもこのせいか.


自分にしか書けないことを書こうと思って自分のことを書くというのは

楽だしその理には適う(=費用対効果が高い)が安直でひねりがない.

ブログの目的というか存在意義のほとんどはその安直さにある気もするが,

「個から普遍を立ち上げる」と本気で思うならそれは甘えにしかならない.

まぁ本気で思ってはいないけど,戒めくらいにはしとこう.

「自分のことばっかぺらぺら喋ってる文章」を読む未来の自分が

今と変わっていればいるほど,その文章にうんざりするだろうから.
by chee-choff | 2010-12-25 20:04 | 思考