深爪エリマキトカゲ
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◆ 楽しさは微分
十分打鍵シリーズ2.

2010/06/24 22:06
シャワーを浴びながら考える。

楽しさは微分値なのだと、
傾きであると。
まず相対値であることは確かで、
その基準点はどこにあるか。
それは、過去。
未来も含まれると言いたいところだが、
「苦しい未来を想像して今の楽しみに耽りたい」
と考えているのは過去の自分である。
つまり総じて、
「基準となる時点と現時点における満足度の差」
が楽しさととりあえず言えそうだ。
楽しさの質なんぞはもちろん人それぞれだが、
まがりなりにも定量値で表したいと思えば、
その「差」すなわち「傾き」をあてればよい。
どんなに些細な「いいこと」でも極限的な
苦しさの毎日の中では「とても楽しいこと」だろうし、
誰もがうらやむ「ものすごいいいこと」でもそれが
当たり前の生活の中の出来事であれば
「特に楽しいとも思わないこと」であろう。
頭では分かっていても目指すべき「楽しいこと」が
世間において後者になびきがちであるのは、
見栄がそうさせるのもあるし、
それも含んでのことだが「みんながそう考える」からだ。
その「みんな」とは誰か、
さらに言えば「みんなに吹き込んだ者(達)」は誰か、
そういう視点を持ってみる必要もあるかと思う。
別にタブーでもネタバレでもなんでもない。
「余計なことは知らなくていい」と思っている人は、
「余計なことの裏に隠れた余計でないことを
 知る機会を逸している」人でもある。
「余計」が何かも深く考えずに「余計なことは…」と
言う人は、その「怠惰な箱庭」から脱出できない。
「しなくてもいい」のなら別に構わないのだけれど。
2010/06/24 22:20


傾きもとい変化量とは位置の微分値であるが,
変化量をさらに微分すれば変曲点が求まる.
(このあたり確か「数Ⅲ」の範囲で懐かしいと感じるあなたは理系人)
変曲点というのは高次関数でいえば曲線上にある上の凸と下の凸の変わり目のことである.

これも上の話に組み込むならば
「あー今楽しーわ」は変化量を意識しており,
「うわなんか楽しそう」は変曲点を意識しているといえる.
なんの話かといえば,
横軸に時間,縦軸に何らかの定量値(例えば「貯金」とか「イベントの数」とか)を
とったグラフを描けば何やらウネウネした曲線がでてくるのだけれど,
その曲線上の一点をとるだけではまず何もわからず,
その一点の傾きを知ることで初めて定「性」的(より主観的)な評価(=現状把握)ができ,
その一点よりも先にあるであろう変曲点の位置を知ることで計画的に行動できる,
もとい「望ましい評価軸の変え方」を知ることができる.
まぁ「計画」なんて言葉を使うとイメージが違うはずで,
変曲点は「予感」みたいなものだろうか.
数Ⅲの要素を使いながらそのままそれに乗っかってしまうとイメージが掴みきれないのだけれど,
その「ウネウネした曲線」というのはもちろん時間が経つにつれて変化するわけですね.
だからなんだろう,その曲線の(単なる時間だと思われた)変数tは実は時間aや健康状態bや
(脳内の)滞留事象cやら無数の変数に規定された媒介変数t'であって,
その媒介曲線を描くことはもはや複雑すぎて叶わない…
(そもそも一つの関数値がどれだけの変数をもつかすら明言できない)
つまりこれが「理論の限界」というやつですかね.
「哲学は簡単すぎ、現実は複雑すぎる」というウチダ氏の言葉をここで思い出す.
それが身に染みて,人間の尊さを実感するために理論が存在する,のかもしれない.
…ロマンチック?

大事なこと(もといエセンスというか本記事の終着点)を書き忘れてた.
といっても繰り返しになるけれど,ウネウネ曲線グラフにおいて重要なのは
上で貯金とか書いた縦軸値の名目ではなく,変化量であるということ.
ここでは位置と変化量に直接の関係はない.
むしろその関係性を「選べる」.
面倒臭い話だけれども.
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by chee-choff | 2010-07-13 21:29 | 思考