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深爪エリマキトカゲ
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◆ 『戦争のある世界 - ああでもなくこうでもなく4』 橋本治
書評ではない何か.


2010/03/02 11:39
まだ全部読んでないけど、書きたくなったので少し書く。

「2003年の総選挙」の項で、橋本氏が選挙ポスターの標語に怒っている。

選挙期間中、北島康介と木村佳乃の「選挙に投票を呼びかけるポスターやCM」を見て、私は目を疑った。「日本の未来はあなたの未来なのだから、そのために投票に行きましょう」という趣旨で、「日本の未来は自分の未来」と言っている。…
私は、「逆でしょう」と思う。思って怒る。「いつまでこんな考え方してんだ」と。考えてみればいい。「日本の未来は 自分の未来」と、「自分の未来は 日本の未来」とが、どのように違うのかを。(p.323)

ここから橋本氏は、前者は未来のあり方がの大筋が決まっていてそれにのっかることを要請しており、後者は誰にも分からない未来のあり方は個のレベルから立ち上げるしかないことを示唆するものだと論理展開していく。
「有能なリーダーに引っ張られる」という古い政治体制が終わったという項全体の文脈からすれば妥当な展開だが、僕自身は「日本の未来は 自分の未来」と「自分の未来は 日本の未来」の違いの一点に集中して考えるとそれとは違うものが見えた。
二語の前後が入れ替わった二つの違い。これを「因果関係の逆転」と読み取れば、前者は「みんなが投票して決まる日本の未来は個々の個人の未来に還元されるのだから、自分のことだと思ってあなたも投票しなさいよ」であり、後者は「一個人たるあなたが投票することで、日本全体の未来が決まる。一人が全体に影響を与える、民主性の発揮できる数少ない機会を無駄にしてはいけないよ」となるのではないか。
この二つで大きく違うことといえば、「公の意識」の大きさだろう。「結局は個人に返ってくるのだから」という誘い方は公を私に引き入れる発想であり、公の意識は低い。「公の意識はとても大事なものなんだ」という後者のような前提に立てないのは、もはやそのような常識が存在しないからではないか。投票率を上げるという結果のみに執着するのであれば前者の標語の方が効果が高いのかもしれない。しかしその選択は、公の意識をさらに軽くするものとして後生に影響を及ぼす。

というようなマジメな話を(少なくとも僕自身は)楽しんでできるのは、どんなトピックでも「おもちゃ」にして同じように料理する橋本氏の脳力・文才の恩恵を授かっているからだ。本当にこの姿勢は、見習って損はない。どんな訳の分からない時代になっても、自分を取り巻く状況を楽しめるようになるはずだからだ。これは国際政治学の言葉を借りれば「デインジャーに対する備え」と言えそうだ。自分の思考の枠内では理解できないもの、今まで出会ったことのない事態への対処法が、そうそう明瞭なものであるはずがない。だからこそ、日頃からの良く分からないものに対する考察が、いざという時の冷静な判断力を培うのだろう。そしてウチダ氏はそれを意識しているはずであり、ウチダ氏の師匠(アイドル?)たる橋本氏も、自覚の有無は別にして、意識しているに違いない。

というような文章は果たして、『ああでもなくこうでもなく4』の紹介となりうるのか? それは読者ご自身の判断にお任せするのである(丸投げ)。
2010/03/02 12:12

2010/03/02 20:28
読了。
世界情勢と、自分を取り巻く状況と自分の思考を
リンクさせる技術がすごいなと改めて思った。
「それは権利であり、義務である」
権利は皆が主張するものだけれど、
義務は皆が忌避するものである。
この義務という言葉を当たり前に発することのできる
橋本氏こそ、「日本伝統のいいおじさん」かもしれない。
by chee-choff | 2010-03-03 14:08 | ハシモト氏