深爪エリマキトカゲ
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◆ ゆくとしくるとし(’09→’10)1
いつのまにやら年末.

というのは9割方嘘で,

あっという間だったのはこの3日ほどだけ.

それ以外の時間はひたすら,

遅々として進まぬ,という感じでしたね.

それは良くもあり悪くもあり…というのは後で触れるとして.


実家には今日の昼に戻ってきて,

野菜度の高い鯡入り年越しそばを戴いた後,

たてつけの悪いドア(笑)をごまかし修理したり風呂場を掃除したりして,

今に至る.

家事楽しいね.


子どもに家事やらせるにはやっぱ家事が楽しいと思わせないといかんなぁと思った.

体を動かすこと自体の楽しさは誰もが感得できる.

でもスポーツならゲーム感覚であれこれ動くうちに楽しさが分かるだろうが,

家事だと一度手伝っただけで「目覚める」なんてことは滅多にないだろう.

レイバーの発想で家事を強いると最初からもうダメ.

「やってて楽しい家事」を親が見せれば,とっかかりとしては良し.

子どもはその楽しさに吸い寄せられ,

「なんで楽しいんだろう」という疑問が湧き,

親は直接は答えずニコニコと一緒に作業する.

そのうち,子どもが自分で楽しさを見つけだす.

解を自分で求める動機には,自分発の「?」が必ず要る.

子どものうちは,その「?」を意識して自分の中に発生させることはできない.

大人のしていることを真似て,大人が笑うように笑ってみて,

無意識のうちに「?」が芽生える.

その「?」の発生と(意識にしろ無意識にしろ)解決の経験を通じて,

やがて自分発の「?」を自分で呼び起こすことができるようになる.

それは,どんな状況でも楽しむために,

どんな状況でも好奇心を絶やさずにいるために,

どんな状況でも自分を閉じず周囲を取り込む姿勢を保つために,

大いに発揮されるであろう根源的な力.

そういう力がしっかりと根をはって育つような教育を,

自分の子どもにはしてあげたいなと思う.



と全く達成予定のない話はおいといて,

さて年末ですね.

この「ゆくとしくるとし」も3年目,かな?

年末年始は腰を落ち着ける生活をしよう,というのが定着した模様.

今年の年末年始ははっちゃける気分が全くないのは事実だけれど,

この先も落ち着いて年の変わりを迎えていくのかなという予感もある.

あーやっぱ(趣向が)変わったなと思う.

それも「”変化が激しい”を好む」から「”変化が乏しい”を好む」への変化.

でもそれは正確に言えば「変わらぬ日常から変化を感じ取る佇まい」

に対しての憧れが持てるようになったのだと思う.

これは以前触れた,変化の認知を構成する二要素,

「周りの環境」と「自分の意識(感受性)」の話とつながる.

周りの環境というのは住む所とか勤務地だけでなく,

趣味や仕事や友達付き合いもろもろの行動を含む.

そういった環境から刺激を受けてビビッと来るのはやはり自分であって,

二者は並列的関係ではなく前者より後者の方が「上位階層」にある.

でも周りの環境が変われば深く考えずとも刺激が得られるわけで,

直情径行型の人というのは前者になびきやすい.

1~3回生時の僕はそんな人だったように思う.

自分がそんな型だとは思っていなかったが,

予定をばんばん詰め込んで結果的にそう振る舞わざるを得なくなっていた.

きっとどこかで「深く考えてはいけない」と自制をかけていたのかもしれない.

それは多分,当時としては正解だったと思う.

突き進む時はひたすら突き進む.

変に哲学的な知恵をつけたりシニカル心が芽生えたりすれば,

勢いだけで保っていた行動力なんて簡単に挫ける.

で,まさに型どおり挫けたのが,4回生の時.

今思えば,3回生の後半からLECに通って弁理士を目指し始めたのも,

勢いのみの成せる業だったのかもしれない.

破滅的に忙しかったサークルと学科の単位との両立が解けたのが,

3回前期の終わりであった.

その時,心のどこかにぽっかりと穴が開いて,

わけも分からず「こうしちゃおれん」といきなり将来のことを考え始め,

努力と成果の相関の高い資格なるものに飛び付いたのではあるまいか.

それが,3回後期が終わって春休み,周りに人がいなくなって,

一人で考えるしかない状況になって,

自分の過去と現在と未来を初めて一緒くたに考えて,

愕然となってモノレール終点の彩都駅まで走ったりしたあげく(走ったのは事実です笑),

資格の勉強を簡単にやめてしまったのではあるまいか.

それら思考の流れ,前後関係は今や定かでないが,

「直情径行の熱意」が完全に冷めて,思考の泥沼に陥る中で,こう思ったことだけは事実だ.


 もう「考えない」ことからは逃げない.


その詳細は去年か一昨年の「ゆくくる」に書いた気がするので割愛するが,

というかそれはつまり去年も同じようなことを書いてるってことであって,

どうも本格的に過去を振り返る時には「思考偏重の人」になった時期を

ついつい思い出してしまうのではとふと今思って,

それはある種いっぱしの「呪縛」だよなぁと思い,

逃れるべきなのかはたまた「初心忘れるべからず」なのか,

判断がつかないので今(今年?)は保留.

年毎に振り返るんなら振り返る内容はその一年であるのが順当であり,

というわけでさっさと本題に戻るべく項を改めようと思います.


こんだけ書いたら「予告編」じゃないよなぁ.

去年の「ゆくくる」をちらりと見たのだけど(ガチで見返すと形式にとらわれそうなので),

新年を迎える前は「予告」で,年をあらためてから「本文」を書いていたようですね.

今年はもう本文的になっちゃったし本文にしちゃおう.
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by chee-choff | 2009-12-31 18:52 | 思考