深爪エリマキトカゲ
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◆ 箱庭考
これも多分「あめふるはこにわ」を聴いての連想。
まぁ言葉からの連想とも思うが。

100円ショップに箱庭作成キットが置いてあった。
そこで買うつもりはないけど、
まともなものを造ってもいいなという気になった。
で、実際に造っているところを想像してみると、
なかなか面白そうだったのでメモをしている。


ひとまず、草・石・土と小物がちらほら、という庭を想定する。

上から全体を眺めたり、実際に庭にいる自分を想像してその視点から見回したりして、

いい雰囲気だなぁと思えるような要素の配置(味気ない表現だ)をする。

出来上がったものはしばらく(本物の)家のどこかに置いて生活の中で眺め回したりするのだけれど、

ある期間を置いて、配置や要素の再構成をする。

再構成をする前にもとの庭は写真なりで保存しておく。

その繰り返し。


 箱庭の構成の移り変わりは、自分の好ましいと思う佇まいの変化、心の静かな部分の変化、根っこのところの感覚の変化を反映する(のでは?)。要素ごとに何かしら象徴を見立てるのでなく、あくまで全体の雰囲気の推移を見る(方がよいと思う、なんとなく)。

 また、箱庭の推移には日頃の生活における自分の変化だけでなく、箱庭を日常眺める行為自体も影響を与えている。造ったばかりの箱庭はいわば自分の理想の佇まいの実体表現。いつも何につけても何かしらの理想を想定して生活している(はずだ)が、その限りでは想定にとどまる。箱庭をつくることでその想定が視覚として把握できる形をもつ。ぼんやりとしていたものを形にするという効果、それは実体として捉えられるだけでなく、ある種の固定をする。一度箱庭として形成した以上、手を加えなければずっと同じ形のまま。ぼんやりした想定上の理想は日々めまぐるしく変化している(些細なものも含めれば、たぶん)。その間にズレが生じる。もとい、箱庭をいつも眺めることで、そのズレに気付くことができる。そのこと自体は良きにも悪きにもはたらく気がするが(続きはまた考えよう)。

 もうひとつ。象徴(さっき使った象徴とはちょっと違う)ではあれ箱庭によって理想を実体化する意味とは。それは「ブリコルールのこころ」。想定上の理想はあいまいなだけに際限なく展開できる。しかし形として表すには、使えるものも限られるため、妥協をしなくてはならない。つまり想定上の理想を形にすると、それはもはや厳密な意味での理想ではない。この妥協は頭の中のものを形にする作業(仕事であれ趣味であれ)においては常につきまとうジレンマである。箱庭造りはこの練習になるとも言えるだろうし、何より姿勢として定着させるところが重要だと思う(箱庭療法の意義はここにあるのでは?)。

ウチダ氏リンク。
⇒ 2009年08月18日 ブリコルールの心得
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by chee-choff | 2009-10-24 17:21 | 思考